鋳銭司の民芸品 

ふるさとの歴史を今に残す土鈴の数々


寿 泉 庵  (じゅせんあん)     


〒747−1221                             
 山口県山口市大字鋳銭司1861 (tel:0839−86−2142) 

       内  田  延  子 
(うちだのぶこ)


奈良時代、日本で最初の貨幣である和同開珎が造られた場所がこの鋳銭司です。この貨幣のゆかりの地で、和同開珎をモデルにした「古銭鈴」をはじめとして、さまざまな土鈴を造っているのが寿泉庵です。
ふるさとの歴史を伝える土鈴や、干支の土鈴など一つ一つ真心を込めた手作りの土鈴造りが今も続いています。
 
「古銭鈴」
今から千二百年余り昔、咲く花の匂うが如しといわれた奈良の時代に、日本で初めての貨幣「和同開珎」が造られました。この日本最初の貨幣を造ったところが、今なお昔の役所の名を伝えている山口市鋳銭司です。
「和同開珎」という銭名は、人々が平和にむつみ合い、国も家も富み栄えるという意味だといわれています。したがってこの目出度い銭をそのまま鈴としてつくり、皆様の平和と富貴を祈り、お手元にお贈りする次第です。
古銭ゆかりの鋳銭司で造られたこの鈴を、平和と富貴のマスコットとして座右において下さいませ。
「花神鈴」
幕末、封建制度を倒し近代国家建設のために努力した大村益次郎は、明治二年旧思想の士族の凶刀にたおれました。春の花を咲かせるために野山を駆けめぐる神が花伸です。美しい花が咲いたとき、そこには花神の姿はありません。明治になり日本は近代国家の体制も整い栄えていきますが、それを待つことなくして逝ってしまった大村益次郎は、まさに花神というべきでしょう。
大村益次郎は、はじめ村田蔵六と名乗っていました。蔵六は亀の異名で、亀はつねに頭と尾、四本の足の六つを甲羅の中に蔵していて、事ある時に備えているといいます。益次郎も近代国家建設を目指してその計画を甲羅の中であたためていた時代もあったことでしょう。その亀をうつしたこの土鈴に、大村益次郎の偉業をしのんでください

「代神楽獅子頭鈴」
室町時代、山口の大守大内義興は、伊勢の大神宮を山口に勧請しましたが、これは西日本唯一の大神宮として大いに栄えました。このとき一緒に受け入れられたといわれる伊勢代神楽、すなわち獅子舞は現在も山口を中心に各地に伝わり、舞われています。
この鈴はその由緒ある代神楽の獅子頭をかたどり、皆様の厄を除け、幸運をもたらすしるしにと謹製したものであります。どうかご家庭の平和のお守りとしてご愛玩下さいますようお願いいたします。
「さぎ舞鈴」
津和野の弥栄神社は素戔鳴尊が祭伸で、作物豊穫の作り神様です。また、櫛稲田姫と結婚の時「八雲たつ」の歌は日本最初の和歌といわれ、文学・学問の神、縁結びの神として信仰があります。神事のさぎ舞は全国的に有名で、この清らかな白さぎは神のお使いとしてその舞いを拝する人は諸悪消除福徳来訪があるといわれております。
ここにさぎ舞を鈴として、ご一家様のご多幸を祈る次第であります
「やたがらす鈴」
鳥やたがらすは、太陽の中に住む鳥で、また、熊野神社のお使いとされています。その足は三本で赤色の鳥です。
神武天皇が御建国のために、熊野から大和に向かわれました時、天照大神のお告げで、やたがらすが天皇の道案内をしたことは有名です。
熊野信仰のみなみな様の御好運を導く印として、このやたがらす鈴を御納め下さいませ。
「大内人形鈴」
山口で栄えた大内文化を今に優しく伝える大内人形鈴です。穏やかで透き通るような人形の表情がいにしえの文化に私たちを誘ってくれます。
「十二支鈴」
二十数年にわたって毎年の干支の鈴を造り続けています。
来年が干支のうさぎのように飛躍の年になることを願っています。


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