久方ぶりの時代劇細見更新です。今回のお題は「時代劇は何故衰退したる乎」
日本における時代劇の歴史を追いながらその理由を解き明かしてまいります。
1.活動写真時代
まずは時代劇というよりもむしろ活動写真草創期であります。
活動写真の横田商会に所属していた牧野省三という人、この人が日本に活動写真という新しい文化を広めました。
日本映画の父ともいわれるこの人は監督として主に時代劇を撮りました。
さて、監督がいても映画制作のためには役者が必要です。
しかも新文化の目玉となる、いわばスタァが必要であります。
そこで牧野監督が発掘したのが、草創期最大のスタァ・尾上松之助でした。
牧野省三監督『碁盤忠信』でデビューした彼は瞬く間に活動のスタァとなりました。
活動写真も目玉も目玉、つけられたあだ名も「目玉の松っちゃん」
まだ歌舞伎の形が時代劇にも残っていた時代でして、
主演の松之助が見得を切るときにグッと開く大きな目玉からそう呼ばれるようになったのです。
演じた作品は、水戸黄門や忠臣蔵の大石、猿飛佐助など、ほとんど全てが完全無欠のヒーロー。
ずっとそういう作品ばかり続くと、見るほうにも飽きが出てまいります。いわゆるマンネリ化。
しかも、生涯作品数は1000を越すといわれるほど多く撮ったのですが、
これは言い換えればそれだけ短期間で撮りまくったということ。
松之助の乱造濫発であったのです。
そのため、段々と人気は衰えてまいりまして、新人の阪東妻三郎ら七剣聖の時代へ移ってまいります。
2.七剣聖時代
この項、まずは七剣聖の紹介から参りましょう。
七剣聖とはすなわち、嵐寛寿朗・市川右太衛門・大河内傳次郎・片岡千恵蔵・月形龍之介・阪東妻三郎・林長二郎ら
当時の7大スタァの総称であります。
この時代の作品の傾向として、松之助映画への反発が見えます。
松之助の英雄譚作品から傾向映画方面の作品が多く作られるようになってまいりました。
傾向映画というのは、人間の内面、特に苦悩や苦しみですね。
役者も監督もみんな若かったためか、若者の青春の苦しみが多いですね。
また、この時期起こった大変革として映画のトーキー化が挙げられます。
役者の声が聞けるようになったんですね。
これによって、大河内傳次郎の「シェイは丹下、名はシャゼン」なんてのが世に広まったわけです。
また、ミュージカル映画という新しい分野も出てまいりました。
代表的なのは『鴛鴦歌合戦』ですね。
傾向映画と書きましたが勿論普通の『水戸黄門』なんかの作品も作られています。
山本嘉一の『水戸黄門』や、阪妻の『忠臣蔵天の巻・地の巻』という名作も出ました。
そういった両刀遣いの時代だったわけですね。
その後、太平洋戦争が激しくなってきた頃、映画会社の大合併がありまして、
東宝、松竹、大映の三社となりました。
戦中はこれといったあれもなく終わりまして、次の項へ移ります。
3.戦後時代劇黄金時代
戦争が終わりまして、やっと国策映画からはなれられると思ってもそうは行きません。
GHQがデンと居りまして、なんとチャンバラ禁止令が出されたのです。
以降、昭和27年までチャンバラ時代劇を作ることは出来ませんでした。
この空白が戦前と戦後の時代劇を分断したわけです。
役者も同じく、チャンバラの出来ない時代劇俳優は牙を抜かれた虎も同然ですから、難渋しました。
長谷川一夫(林長二郎)あたりは適当にメロドラマでも撮ればよかったのですが、他はそうは行かない。
とはいっても役者を遊ばせておくわけには行かないというので作られたのが、
片岡千恵蔵の『多羅尾伴内』であったり市川右太衛門の『にっぽんGメン』だったりします。
しかし、彼らのように上手く時代の波に乗れず、そのまま沈んでしまった俳優も多々おりました。
そのなかで代表的なのが市川百々之助です。
戦前は立ち回りの最中にチラリとふんどしを覗かせたところから、
「フンドシ百々ちゃん」のあだ名が付いて人気でしたが、この空白の時期に凋落。
時代劇が復活した頃には、ほとんど台詞のないワキに回されてしまいました。
GHQの政策の裏にはこういう人もいたということです。
で、GHQが日本から去りましてまた時代劇作りが再開されます。
それまで抑えられていた反動からか、大いに時代劇人気が高まりました。
昭和時代劇黄金時代の幕開けです。
この当時時代劇を主に作っていたのは、大映、東宝そして東映です。
なかでも東映の作品は観客動員数も多く、
「黒澤東宝、映画は大映、お客東映、いつでも座れる松竹映画、どこかでやってる新東宝」
といわれたほどでありました。
王者東映のときでありました。。
ではなぜ東映が時代劇界で王者足り得たのでしょうか。
それはひとえに役者の層の厚さにあります。
片岡千恵蔵、市川右太衛門をはじめ、戦前時代劇主力俳優の大半が東映に流れたのです。
参考資料としていかに昭和30年代における大手5社の代表的な俳優陣を紹介します。
東映:片岡千恵蔵・市川右太衛門・大河内傳次郎・月形龍之介・大友柳太朗・進藤英太郎
山形勲・中村錦之助・東千代之助・伏見扇太朗
大映:長谷川一夫・市川雷蔵・勝新太郎・京マチ子・中村玉緒・藤村志保
日活:石原裕次郎・小林旭・宍戸錠・吉永小百合
東宝:森繁久彌・三木のり平・小林圭樹・伊藤雄之助・原節子・沢村貞子
松竹:笠智衆・岸恵子・津川雅彦
4.そして衰退へ
当たりに当たった時代劇ですが、時が経過するに連れてその人気も落ちてまいります。
その原因として考えられるのが、「(東映)時代劇のアタリ・ショック」であります。
当たるからというので、娯楽作品ばかり濫発した東映。
内容のマンネリ化、決してほめられない内容の作品も配給せざるをえませんでした。
その後、時代劇の東映はヤクザ映画の東映となりました。
ここに時代劇黄金時代の終焉が訪れたのです。
また、もう少し経つと今度は映画産業自体が衰えてまいりまして、ドラマの舞台はテレビになりました。
勿論時代劇もテレビに入っていきます。
しかし、テレビ作品となると映画とは違い、制作費は安く抑えなければなりませんし、
数も多く造らねばなりません。制作期間も映画よりだいぶ短くなります。
これによって、内容の濃い作りこまれた時代劇というものが、環境から見ても作り辛くなってきました。
そして結局テレビ界でも現在のように時代劇は風前の灯。
かようなる状況にあるのであります。
5.時代劇復興のための対策
では、時代劇を復興させるのはどうすればいいのでしょうか。
私が提言するのは2点。
1点目は、ただの「俳優」ではない「時代劇俳優」の育成、です。
今現在、時代劇を撮る俳優は一部を除いてほとんどが現代劇の片手間での出演です。
この状況を打破し、時代劇専門の時代劇のための時代劇俳優を育てることが必要なのです。
殺陣を上手に立派にこなすことは勿論、箸の上げ下げ、ご飯の食べ方、酒の飲み方
歩き方、腰の曲げ方などの所作も十分分かり、且つ言葉のアクセントも時代劇としてのそれであるという俳優です。
時代劇役者としての誇りを持った俳優がいて欲しいのです。
もう1点が、「脚本」です。
これは時代劇だけにいえることではありませんが、よい芝居を作るにはよい脚本が必要です。
下手な脚本で大監督が撮っても出来た作品はそれなりでしょう。
しかし、よい脚本があればたとえ変な監督が撮ってもよい作品になるのです。
いい監督が撮れば尚のことです。
つまり、脚本へもっとお金をかけねばならないのであります。
時代劇の脚本を書くは現代劇と違い、歴史的な知識も必要です。
歴史の中を泳ぐセンスも必要です。
そういった能力を持つ人材を見つけ、脚本を書かせ、そして撮る。これが必要なのであります。
そのために、もっとお金をかけてよい脚本を探し出してはどうでしょうか。
いかがでございましたでしょうか。
今回は趣向を変えましてこのような形でお送りいたしました。
とにかく私は時代劇の火がこのまま消えていくのは日本という国として大きな損失であると思うのです。
この大きなる文化が消えることのないようただただ願うばかりであります。
【参考文献】
岩本憲児 編(2005)『時代劇伝説―チャンバラ映画の輝き』森話社
中村房吉 (1995)『目玉の松ちゃん―尾上松之助の世界』岡山文庫
名和弓雄
(2001) 『時代劇を斬る』河出書房新社
福本清三 他(2003)『どこかで誰かが見ていてくれる―日本一の斬られ役 福本清三』
集英社文庫
福本清三 他(2004)『おちおち死んでられまへん―斬られ役ハリウッドへ行く』集英社
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