日本映画草創期から、時代劇と歌舞伎は深いつながりを持ってきました。
そういうわけで今回は『歌舞伎と時代劇』と題し、主に役者さんについて見てまいります。
映画草創期のスター・尾上松之助から、例の中村獅童まで、
歌舞伎界から入ってきた役者さんは数多く居られます。
時代別に見てまいりましょう。
【大正〜戦前期】
まず最初に入ってきたのは、先ほども述べました、尾上松之助です。
この人の場合は、歌舞伎でも階級の低い、旅回りのお芝居出身です。
いわゆる、東京の「歌舞伎座」とか、京都の「南座」なんかには出られない人だったわけですね。
その境遇を、偶然芝居を見ていたマキノ省三の目に止まって映画にスカウトされたわけです。
それから八面六臂の活躍をして、平成の今日までそれなりに名前を覚えられています。
さて、大正末期、昭和初期となりますと、『七剣聖時代』がやってまいります。
嵐寛寿郎・市川右太衛門・大河内伝次郎・片岡千恵蔵・
月形龍之介・長谷川一夫・阪東妻三郎ら七人です。
このうち、新派出身の月形と大河内を除いた5人は歌舞伎界出身です。
ではなぜ当時、多くの歌舞伎役者さんが映画に流れてきたのでしょうか。
すぐ思いつくのは、彼らは即戦力になったという点です。
まだ出来て間もない映画界では、熟練した俳優がいなかったのですね。
ですから、歌舞伎から連れてきた、と。
もう一つ大きな要因があります。
それは、『一旗上げにやってきた』というわけです。
ご存知のように、歌舞伎界は長年培われてきた堅苦しい伝統や、
名跡・正統といった厳しい世界であります。
そういった面が、血気盛んな若い役者には我慢できなかったのです。
そこで、新しくチャンスも多い『映画』に進出し、一旗挙げようと思ったわけですね。
そうして大当たりしたのが、上記の『七剣聖』だったのです。
脇役級でも、尾上松録や尾上華丈、市川中車といった面々もいます。
もちろん、夢破れて端役ばかりになったり、芝居をやめた人も数多くおられました。
【戦後〜昭和中期】
戦争が終わり、数年たってGHQも帰ってしまうと、再び時代劇に活気が戻ります。
その頃に出てきたのが、中村錦之介、大川橋蔵、市川雷蔵といった面々です。
この人たちも歌舞伎界から転進してきたわけです。
ちなみに、中村錦之介は例の中村獅童の叔父に当たる人物です。
また、松本幸四郎や市川団十郎、中村雁治郎といった大名跡も、
舞台の傍らに映画に出るようになってまいりました。
これは映画の芸術的価値が上がってきていたことの一つの証拠になると思われます。
【昭和末期〜平成】
この時代になると、映画というよりもテレビが力を持ってまいりました。
歌舞伎役者がテレビドラマで演じるようになったわけです。
先代・幸四郎の『鬼平犯科帳』、中村橋之助の『毛利元就』、
現代劇でも現・幸四郎が『古畑任三郎』に出たりと、活躍しています。
テレビという観点で見れば、最も活躍しているのは、中村勘三郎でしょう。
大河ドラマの『元禄繚乱』や、年末時代劇で河合継之助を演じましたし、
役者以外にも、BS2でトーク番組をやったりと、幅広くやっておられます。
最近でも、例の中村獅童や市川染五郎、市川海老蔵など、
若いのが歌舞伎とテレビと両立させてやっております。
歌舞伎と時代劇、時代劇のみならず映像産業では
これからもまだまだつながっていくものと思われます。
江戸期から日本の芸能として培われてきたその土台を
是非今後の時代劇のために使って頂けたらと思いつつ今回のお話は終わります。
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