水戸黄門


第一回はご存知、『水戸黄門』です。TBSで30年以上続く長寿番組です。
2005年11月現在で第35部まで放送されております。
 
ではその歴史と私の感想を黄門様別に、振り返ってみましょう。
(後半、多少批判が入りますが、ご容赦ください)

第一期 東野英治郎黄門 (第一部〜第十三部)
初代にして、最高の黄門役、東野英冶郎時代です。
このときから、佐野期までの水戸黄門の基礎が出来上がりました。
この時に助さん、格さん、風車の弥七、霞のお新、うっかり八兵衛などのレギュラー陣が揃いました。
また、この頃には格さんの妻深雪(第一部)や子の格之助、助さんの妻志乃(第九部)が出ておりました。

黄門様の風貌も見るからに「田舎の百姓爺い」(悪代官談)然としており、田舎臭く、人懐こい黄門様でした。
行動も後の黄門に比べると比較的無邪気で、八兵衛とつるんでの失敗なんかも多くありました。
話の内容にしても、刺客が峻烈で緊張感があるものでした。
 
第二期 西村晃黄門 (第十四部〜第二十一部)
別名「シティ黄門」と言われた黄門様です。
西村氏自体が都会的で小綺麗な風貌で、黄門様の行動も軽率なものは少なくなって行きました。
また、この頃に霞のお新に代わってかげろうお銀、柘植の飛猿が出てまいりました。

第三期 佐野浅夫黄門 (第二十二部〜第二十八部)
管理人の世代は、丁度、西村黄門から、この佐野黄門を見ていた時期です。
だんだんと話の内容に緊張感がなくなってきた時期でもあります。
とはいえ、可もなく不可もなくといった感じです。

第四期 石坂浩二黄門 (第二十九部〜第三十部)
私に言わせれば、この時期の水戸黄門は論外です。
マンネリ打破なぞと言って、髭のない黄門をやってみたり、
出演者を総換え(由美かおるは残る)したりとろくでもないことをして、「水戸黄門」をぶち壊した頃です。

また役の性格付けの中途半端でした。
例として、コロッケ氏が素破の次郎坊という刺客のような役どころで出演しました。
その役が悪に徹するわけでもなく、その回その回で真面目に刺客を務めたり、
黄門様を援護したりと感情が一定せず、妙な具合で歯痒いような感じを受けました。

第五期 里見浩太郎黄門 (第三十一部〜現在)
この黄門様は見てくれが立派過ぎ、体格も良過ぎます。
これでは、「越後の縮緬問屋の隠居」には見えません。
その上、黄門様が高潔すぎて、東野黄門のような庶民っぽさがなく、
雲の上の人のような感じを受けてしまいます。

内容としては、石坂期の反省からか、昔の水戸黄門に戻ろうとした節が見受けられますが、
八兵衛の代わりと思われる千太などいかんせん中途半端です。
忍びについてはもっとひどく、鬼若だのなんだのと変なのが増え、
それが技も何もないただの力自慢と言うから目も当てられません。
宿敵の夜叉王丸なんてのも出てきて、これが、術で以って身を消すと言う、
もう子供の忍術映画やSFの様なことをしたりと、わけの分からないことになっています。
 
これからの水戸黄門
私の意見としては、「水戸黄門」は早いうちに止めるべきであると思います。
その理由として、上記をお読みいただくとお分かりかもしれませんが、
今の水戸黄門には昔ながらの「良い水戸黄門」らしさが一片も残っていないのです。
「庶民の黄門さん」が「天下の黄門様」になってしまっては、水戸黄門の意義がありません。
それのみならず、どこを勘違いしたか、CGバリバリの忍術合戦まで始めてしまい、
着々と時代劇の品格を貶めているのは明らかであります。

こうなってしまっては、少しでも傷が小さいうちに(もうだいぶ大きくなってしまいましたが)
退くのが一番の策であると、こう思っているものであります。




・水戸黄門こぼれ話
日本では人気の『水戸黄門』ですが、過去にアメリカで放送したことがあったそうです。
日本の『水戸黄門』をそのまま放送したので、当然おなじみの印籠シーンがありました。
「控えおろう」と印籠を出すと、皆が平伏するあのシーンです。
それがどうにもアメリカ人には理解できなかったそうです。

「なぜ、あの小さな箱(印籠)を出すだけで、それまで抵抗していたサムライが突然跪いてしまうのだろうか。」

水戸黄門を見た人々は頭を悩ませました。いろいろ考えましたが良く分かりません。
しかし、ある時一人の人が言いました。

「わかった。あの箱はニホンのハイテク技術を結集してできたもので、
『ヒカエオロウ』と言ってかざすと、人を跪かせるビームが出るんだ!」


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