蝦蛄と現代漁業と俺

人間というものは
「あのときは良い時代であった」
「あんときはもったいないことをしていたものだ」
悔恨を繰り返す生物だと思う。
大脳新皮質さえなければ、記憶中枢さなければ。
もっと、自由に生きられたものをと考えることがある。
俺と蝦蛄(シャコ)の関係がそれだ。
前項、海鼠について書いたように俺の生育環境は海辺だった。
1980年代初頭から90年にいたるまで確実に蝦蛄は邪魔者だった。
トロ箱でいくら、みたいな安価な食材であった、ように思う。
そして、大きかった。
こっちが子供だから、相対的に大きく見えた?
絶対に違うと断言できる。
親父や母親がシャコを持て余す姿を覚えているからだ。
蝦蛄は夏の食べ物だった。
大ざる一杯に蒸し上がった蝦蛄。
ゆでるという調理方法もあったが、うちでは蒸してた。
うまみが逃げるのではないかという、せこい考え方だ。
まだ、蟹ばさみ(プロレス技ではない)が普及していない時代の話だ。
蝦蛄の解体作業はカニの比ではなかった。
ケンのついた鎧。
足とは呼べない、多重式の足ひれ。
身にたどり着くまでのいつ終わるともしれない作業が続く。
いつも指を怪我した。
そして、身をしっかり取りきれずに食っていた。
当然、シャコの爪もすすらなかった。
シャコそのものの食える部分がもともと40%としたら、そのころの
俺が食えていたのはそのうちの60%くらいじゃないか?
新聞社の電話聞き取り調査の数字よりも悪い。
今思うと、蝦蛄を解体、食した覚えはあるがそれをおかずに食事した記憶がない。
身を食べるのでもう、疲労していたのではなかろうか?
時は現代、2004年に戻る。
今の蝦蛄は小さい。
多分、底引き網漁法の規定が変わったのではないかと思うほどだ。
もしかして、乱獲で大きなものがいないのかもしれない。
そして、安くはない。
蝦蛄の調理は今、俺の任務である。
加熱時間を計りながら絶妙の仕上がりを期す。
時間が早いと身が固まっていなくて、身離れしづらい。
時間が遅いと、固くなり過ぎてつまらない。
そして、カニばさみという利器を用いて解体し、寿司屋に出せる
ほどの綺麗な身を取り出す。
コツがあることに気が付いたのは1999年。
兄貴からの情報だった。
この蝦蛄に関しては、我が係属では、解体が男の仕事である。
兄弟そろうと、全員で解体にあたる。
家庭内水産加工業の発足である。
結果、女、子供に食わせてばかりで男共は食っていないという
へんな状況がおこる。
それでも、男達の顔は晴れやかだ。
シャコの身を綺麗に取り出せることに勝負の軸は変化した。
それは、1980年代に立派な蝦蛄たちを粗略に食っていた
俺達のシャコへの贖罪なのかもしれない。