台風アドベンチャーファミリー
その日、台風が来ることは当然分かっていた。
今年は台風の当たり年であった。
その前週に来た「猛威のある台風」というのが大したことなかった。
このアジトに居を移して約3年。
台風に対しては堅牢な家だと思っていた。
その日の朝、メーカーオプション(=嫁)はパートに出勤した。
おじゃ魔女(=娘)の幼稚園は休園だった。
俺はハローワークの認定日だった。
認定日はその日に行かねば失業給付金が貰えない、
雨、風でも関係ないだろうな〜と思い、おじゃ魔女(=娘)と出動。
朝9時である。
すでに「台風だな」と思わせる強風が吹いている。
ハローワークは人が少なかった。
電話は鳴りっぱなしである。
職員もさすがに「台風後でいいですから」と返事している。
待たされることなく、手続きを終えた。
おじゃ魔女(=娘)が「お母さんに会いたい」と言う。
メーカーオプション(=嫁)の勤務先の大型ショッピングセンターに行く。
メーカーオプション(=嫁)が居ないので、家に帰った。
帰宅 10時。
停電している。
俺とおじゃ魔女(=娘)は裏の納戸で本を読み出した。
納戸の屋根はビニルトタンでまだ明るいからだ。
コーヒーを飲もうと母屋に入ってびっくり!
和室が雨漏りしているではないか?
天井裏に上がる。
暗いはずの天井裏が所々、明るい。
瓦が飛んで、そこから木漏れ日?が。
それからは、もう手遅れだった。
10;15 和室1 浸水
11;00 和室2 浸水
11;15 リビング 浸水
11;20 パソコン部屋浸水
11;25 ガレージ事務所 トタン装甲被弾
パソコンは助けられるモノは浸水していない浴室へ入れた。
コピー機やプリンタはほったらかしだ。
俺とおじゃ魔女(=娘)は廊下でふるえていた。
メーカーオプション(=嫁)も帰ってこない。
電話も通じない。
電池で聞けるラジオもない。
救いだったのはおじゃ魔女(=娘)が泣かなかったことだ。
気丈に振る舞っていた。
パニックになっていなかった。
このとき、俺は「死」を意識した。
家の倒壊。
地滑り。
そんなことが起きそうな台風の風雨であった。
雨戸を閉ざし、照明のない、暗い家の中。
14;00 メーカーオプション(=嫁)から携帯へ入電。
そこで初めておじゃ魔女(=娘)は泣いた。
15;00 メーカーオプション(=嫁)帰宅
泣いた。
停電は3日間で終わった。
今回の電力会社の復旧に対する行動は素早く、賞賛に値した。
電話は1週間かかった。
電話会社は整理統合で、危機管理能力の低下は否めなかった。
ケーブルテレビも1週間かかって復旧。
市からは給水車も出た。
自衛隊も災害派遣で来たが、何をくれるのか分からず、隊員がかわいそうだった。
現在(10/17)に至るも、和室の畳は上がっている。
屋根だけが新しくなった。
復興への道のりは遠い。