Essay 〜書きおろし〜  Mika ISHIKAWA
山口新聞「東流西流」連載
「モノづくり」
 今年(2001年)の夏、障害者と健常者のサポーターが一緒に「車いすで着られる浴衣」を作った。実際に縫製を行ったのはサポーターの人たち。では、障害者は何をしたのか。着心地を発言したり、アイデアを出したり、注文を付けたり。自分の手で作ることだけが「作る」行為ではない。「こんなモノがあったら」とか「ココがこうなら」と思うことは誰にでもある。多くの県民の皆さんから浴衣を提供していただき、介助サポーターの人と一緒に浴衣を着て夏祭りに参加することが出来た。縫製サポーターの人とのコミュニケーションを交えながら出来上がった「浴衣」は活動の成果であるが、それ以上に大切なのは出来上がるまでの過程である。浴衣を着たいと思い、自分なりの意見を発言、メンバーとの出会い・協力などがその浴衣にはこもっている。作るのに関わった人、そしてその人たちの思いというものを見てもらいたい。そこには様々な困難やドラマもいっぱいあるはず。今回の浴衣は、モノを作る専門の人から見れば不十分なところなどもあるかもしれないが、一枚の浴衣に何人もの思いがこめられている、何にもかえられないものなのだ。応援してくれた人に感謝しながら、このような活動を続けたい。


「マナー」
 高齢社会を迎え、介護保険制度が施行されて施設福祉から在宅福祉に移行してきた。家族がおじいちゃんやおばあちゃんの車椅子を押す光景を目にする。大きなスーパーでは、車椅子用の駐車場確保がなされて利用しやすくなったのか、休日ともなれば混むことすらある。ともあれ、車椅子に乗ったおじいちゃんやおばあちゃん、障害を持つ人などが家族と外出するのは、微笑ましく嬉しいことである。しかし、混んでいる時ほど、車椅子とは無縁の人の駐車が見られる。車椅子を使う人との関わりがないのだろう「車椅子用駐車場」の意味を理解していない人が多いことが残念である。入り口に近い、トイレに行きたい、疲れている。止めたくなる気持ちは分かる。だが、「車椅子用駐車場」は、他の駐車場よりも枠が広い。これはドアをいっぱいに広げ、そこに車椅子を置かないといけないからである。建物に近いところにあるのは、雨の日に傘を差したり、荷物を持って車椅子をこぐことができないからなのだ。だから、今まで知らなかった人はこれを機に知ってもらい、気付いてもらえば良い。「他が空いていないから仕方ない」「ちょっとだから」「もう一台あるから私一台くらい」の気持ちは捨てて、これからは最低限のマナーとして守ってほしい。そこにしか止めることのできない人は、そこが空くまで待ち続けるしかないのだ。


「私をバスに乗せて!」
 車イス夫婦の京都旅行。古都を散策し、漬物を食べ、舞妓さんを見て感激。だが一番の思い出は、題して「私たちをバスに乗せて!」珍事。JRで嵯峨野まで行き、トロッコ列車に乗った。下車後、嵐山・渡月橋周辺を車イスで観光。その間2キロ程度の移動で疲れはピークに。再び駅まで戻る元気はなく、視線は自然と目の前を走るバスへ。「車イスマークが貼ってあるから大丈夫、乗れるだろう!」これが珍事のはじまり。バス停で待つこと数分、バスがきた。マークは貼ってあるが、段差があり乗れない。見れば、車イス用の呼び出しブザーがある。「押せばどうにかなる」と、必死で手を伸ばすが、無情にも行ってしまった。あーぁ…。次のバスでもチャレンジしたが、またもや無視。「あのマークは?乗れるバスがないかも。帰れないかも」という不安。しかし、待ち時間だけは短い、さすが京都である。三台連続で段差の高い車輌、自力では乗れない。二人は一大決心、声を張り上げて「乗ります。乗せてください!」と叫んだ。すると、通りがかりの人が後ろから持ち上げ、乗客が中から抱えあげてくれた。お蔭でバスに乗ることができた。感謝!不自由はあるが、日本も捨てたものではないと感じながら、喜びを実感。後に二人で考えた…「高い所にあるブザーは立っている人でないと押せないよね?付き添いの介助者用かな?」 


「転身(心)」
 私は六年前に階段から転落し、車椅子を使う生活になった。身体は不自由になったが、心は以前よりも豊かになったのではないかと最近思う。今に至るまでには辛い経験を沢山した。それは、昨日まで行けていた所が車いすでは行けなくなったり、友達と疎遠になったり…。外に出ると「車いすに乗っていて大変ね」とか「まあ、かわいそうに」「明るいからいいわね」「がんばってね」などといわれる。私の笑みは、同情されないための精一杯の作り笑い(笑)。心の中では「今十分がんばってるよ」と叫んできた。何気なくかけられたことばが、私にはとても重かった。そんな中、夫と知り合い、彼の「やろうよ。諦めたらダメ」という口癖に影響されてからは、周りのことばを気にせず外出もたくさんするようになった元々人見知りをする性格で、初めての人に声をかけることが苦手だったが、最近は、困ったときには素直に声をかけることができるようになった。そして、自分の経験を通して他人を思いやる心が持てるようになった。バリアをクリアしたり、新しい友達ができたり、今まで気がつかなかったことに気付いたり…その喜びは、私自身を豊かにしている。


「この社会は平等!?」
 平等ってなんだろう?最近よく疑問に思う。例えば山口市のコミュニティバス。百円払えば誰でも乗れるはずだが、二段ほど階段があるために乗る事のできない人がいる。介護保険。要介護認定を受ければ一割負担で利用できるが、その一割が払えずに利用しない(できない)人がいることを新聞の記事で見た。これって本当にみんなに平等なのかな?バスにしても、介護保険にしても、利用できるが結果として利用しないのは本人の意思である。だが最初から利用できないのは平等とはいえないような気がする。憲法第14条に「すべて国民は、法の下に平等であって…」と記載されている。職業、信仰、趣味、行楽、食事などなど、性格も違えば好みも違う。平等といってもみんなが同じ事をするという意味ではなく、個人が自分の意思で選択をできるかが問題だ。私もバスに乗りたいが、乗れないひとり。だが、違うところに行けば、車の運転ができていいねとか、学校に行けていいねといわれる。世の中不平等だと思い、他人を羨ましがっていた自分が、今度は平等じゃないと思われ、羨ましがられる。とても複雑な気分。何らかの不利益を被っている人は、障害者だけではない。その人たちが不利益を被っていない人との公平を保つために、そして自己選択・自己決定できるようにの計らいが必要だと私は思う。


「地域の中で」
 私と夫は車イスを利用している。自分らしく自由でいるために、様々な人に支えられて暮らしている。二人が一番大切だと思っているのは地域とのつながり。生活を始めるにあたり町内の人たちへは、私たちにできないことを曖昧にせず、先ずきちんと伝えた。そして、できることで地域に参加したいと相談した。みなさんも理解してくれ、「できることをしてくれたらいいよ」といってもらった。ごみ出しをしていたある朝のこと。「ついでのことだから、わざわざ持ってこなくても家の前に置いていたら一緒に出しますよ。声をかけていいものかと、前から迷ってたんよ」と、近所の女性が声をかけてくれた。温もりを感じ、嬉しかった。以来、すっかりお世話になっている。引っ越してくる前は、「障害を持ちながら地域で暮らすことは干渉を受けるのではないか、また地域の人たちに受け入れてもらえないのではないか」と自分自身が随分構えていたように思うし、不安も持っていた。だが、実際に触れ合い、交流を持つと、そのことの大切さが身に染みた。十してもらっても一しか返せないかも知れない。例え返せることは一であっても、一が私にできることである限り、私はその一に私の精一杯の気持ちを込めて地域に参加していきたい。この恵まれた環境(近所の人たちの温かさ)に感謝つつ、私らしさを存分に出していきたい。


「リストを片手に」
 私の趣味は夫と一緒に出かける「無計画で気ままな旅行」。旅しているときが何より幸せなひと時。お金をかけずに、一日も長く、そして、なるべくいろいろな所へと、ちょっと欲ばり。一日目は弁当を作り、着替えを積んでマイカーでという超ケチケチぶり。予定を立てないのは私らしさ。でも一つだけ準備が必要なのは、車いすで使える宿のリスト。本当は好きな街で好みの宿をみつけて気ままに過ごしたい。だけど、私たちが使える部屋がある宿はまだまだ少ない。リストを持っての旅を始めたのは、新婚旅行から。車で清里高原や安曇野まで行った。清里はリゾート地なので、かわいいペンションがたくさんあると聞いていた。「高原のペンションに泊まりたい」と夕方近くに思いつき、あわてて調べてみたら、「車いすでOK」と紹介されているのはたったの二軒だけ。「空いてたらいいね」と二人は話し、携帯電話で問い合わせたことをよく覚えている。運良く空いていて、そのうちの一軒に泊まることができた。新婚旅行であることと山口から来たことを伝えると、オーナー夫婦は喜んで、記念にワインをプレゼントしてくれた。「このワインは10年後に飲もうね。それまでケガや病気をしないよう、二人とも元気で、たくさん旅しようね」と話している。そのためにも、バリアフリーの宿が増えることを心から願っている。


「私の住居論」
 私は通勤中の事故で、車いすを使うようになった。何不自由のない毎日から、その日を境に、食事や入浴、外出といった日常生活動作が困難になった。その後、ケガの症状が安定してからは、一人暮らしをしたいと思いはじめた。しかし、使える物件はなかなか見つからなかった。結婚するにあたり、新居のアパート探しの際も大変苦労した。何とか玄関だけでも入れればと思い、ようやく見つけたところも、立っている人を基準にした造りなので使いにくかった。生活をするだけでパワーを使い果たし、余暇を楽しむ余裕すらなかった。そのとき、はじめて住環境の大切さを真剣に考えた。ハード面はもちろんだが、私自身がサポートを受けてはじめて「人は皆、一人では生きていくことができない」ことに気付き、地域とのつながりの大切さを実感した。室内空間だけではなく、家の中と外との行き来が苦にならない環境づくりが大切。孤独ほど寂しいことはない。私が取得した資格「福祉住環境コーディネーター」は、建築と福祉、両方の分野を専門とし、障害者や高齢者の住環境整備の提案を担う。今後、自分の経験を活かし、活動していくつもりだ。同じ当事者の立場として、相談者が楽しく充実した日々を送れることを目指したい。社会から分断されるのではなく、地域の人と一緒に暮らしていくことを共に考えていきたい。