酒は静かに飲むべかりけり  ( By.カズさん )


日常
カズ


外回りがようやく終わって事務所に戻る。
さすがに宵の口、みんな帰っているようす。
電気は煌々とついているのだけど。
夏だというのにひんやりした部屋。
今日は大口の契約、取れたんやけど。
3時間も粘って。
盛り上がらない気分で自分の椅子にへたり込む。
ステンテススチールの机が私を冷たく包む。

そのとき、部屋の扉が開く。
私と入って来た男が目を合わせる。
男の目に一瞬浮かんだものは。
狼狽?
困惑?
「・・・神尾君か。」
ここの営業所の所長。私の直属の上司。
「まだ帰ってられなかったのですか?」
「まあ、な。ちょっとヤボ用でな。」
苦笑い。
私は今日のセールス結果を報告する。
「ほう。あの契約を取れたか。」
所長が驚く。普段「鬼」と呼ばれる社内でも評判の辣腕セールスパースン。
ちょっとやそっとの契約では驚きもしないのだけれども。
「まあ、神尾君ならできると思ったけど、な。」
これでも誉めているつもりなのだ。いつものことなのだけども。
大体難しい案件になると必ず私をその中に絡ませる。
営業所の中では一番長く勤めているし、
私も弱肉強食の中で追い出されないようそれなりの、
否、 まだまだ現役第一線のセールスパースンとして誇れるだけの実績を積んできたつもりだ。
それでも滅多に誉められないが、目にはかけてくれているのだろう。
「それだけですか。張り合いのない・・・」
と嘆いて見せるのもいつものこと。
所長の目は笑っていた。

「さて、帰りましょうか。」
デスクワークを片付けた後、私は所長に声をかける。
途端に所長の目がさっきの、部屋に入って来たときの表情に変わる。
「いや・・・その・・・」
明らかに困惑。
「部下のあれだけの努力とその充分すぎる成果をねぎらってやれないとでも?嫌われま
すよ、上に立つもんとして。」
関西弁に戻ってきている自分。
「遅くまで一人で事務所におったら光熱費も無駄やないですか。いつも言ってるやないですか、「経費削減」って。」
「まあ、それはそうなんだが・・・」
「疲れ溜まって仕事しても効率なんか上がりませんよ。それより・・・」
所長に駄目押しの呪縛。
「ぱーっと飲んでさっさと寝て,明日すっきりと仕事しましょ。」
有無を言わさず所長の肩を持つ。
相手の顔は見ない。それが私の酒席の誘い方だった。

最初の居酒屋でさんざ飲み食いして2時間。
ひと息ついたところで所長が腰を上げかける。
「神尾君,そろそろ・・・」
「何言うてるんですか?まだ宵の口やないですか。」
言いかけた言葉をさっと奪う。
「部下の今日の大仕事,こんくらいじゃねぎらえません。」
あくまでも明るく押し戻す。
「でも・・・あんまり遅いと・・・」
所長は困惑そうである。
「じゃ、場所変えましょ。そうや・・・」
所長から顔を逸らすように思案する。
「この前出来たスナックがあるんですよ。こじんまりして綺麗やし,ママさんが評判の美人で。」
そうして急いで勘定を済ませ,2件目に引っ張っていった。

「ありがとうございました。」
ママが戸口まで送ってくれる。開店して日は浅いが,すっかり常連様だ。
結局所長は途中で「あんまり遅くなると家族が心配するから」と帰ってしまった。
「家族が心配、か。」私はごちる。
「もうそんな歳やあらへんやろう。」
お酒の興も醒める。でも。
「家族が・・・待ってんか。」
グラスに向かってつぶやいてしまった。
それから暫くカウンター席でキープしたブランディをゆっくりあおる。
おかけでボトルも少ししか減らない。いいことや。
「神尾さん、身体、大丈夫?」
このところのママの口癖である。
「大丈夫ですよー。足取りは。」
帰りがけにミネラルウオーターを一瓶飲み干したので意識はしゃんとしてきた。
ママが心配なのは身体だけやないんやろう。痛いほど分かってる。おせっかいやけど。
「また、明日。」
ママと別れて夜道を歩く。会社のバイク置き場までの距離がいい酔い醒ましになる。

そんな日は毎日。
誰かを誘って飲みに行っても帰りはいつも一人。
誘ってもつれない返事も少なくなかった。

「神尾さん、家族のほうは大丈夫?」
遅うまで飲んでると必ず誰かが聞いてくる。
私の返事は決まってる。
「あの娘はしっかり者やから、私がおらんでも家のことやってくれてるから。」
それでもみんな心配してくれてる。
おせっかいや。今更早よ帰っても何すればいいんや。
あの娘の居場所を狭もうするだけやないか・・・

一人でカウンターで飲む酒は寂しい。
でも、みんなを無理に誘って飲む酒は美味しくない。

寂しい酒は美味しいんか?

目の前に愛車のバイクがあった。
ヘルメットをかぶり、エンジンをかける。
夜風に当たってすっきりさせよ。
観鈴の一人眠る我が家に向かって,私はバイクを駆けらせる。



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