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今年も山口砂金研究会の熱い夏がやってくるはずだった。しかし、世の中そんなに甘くなかった。まず、
愛知県津具に小手調べのつもりで砂金掘りに行った。が、雨は降るし、増水はしている。結局、砂金を1個も採ることが出来なかった。次回のリベンジのため
に、川底が岩盤の場所を確認しただけだった。 |
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落ち込む気持ちを盛り上げるには食べるしかない。駒ヶ根市に移動して、名物「ソースカツ丼」をガッツ
リ食べた。元気が出た!! |
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この日の宿泊は、道の駅「南アルプスむら長谷」時間が無かったので行かなかったが、この付近の峠に
「ゼロ磁気」のパワーすぽっtがあるらしい。 |
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翌日は北上して国宝「松本城」見物。 |
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南下していると、garimpoさん注目の洗馬という地名が目に入った。時間が無い中、何とか粉金3
個ゲット。 |
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木曽路を南下しつつ宿場町を楽しんだ。目覚めの寝床を目ざしたが、場所がよくわからなかったので、そ
こよりいい景色という場所に行く。 |
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柿其渓谷にも行く。 |
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この日の昼食は「鳥トマ丼」これもなかなかの味だった。 |
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翌日はこの旅メイン。中山道を馬籠宿から妻籠宿まで歩いた。出発は馬籠宿。石畳の道は風情があった。 |
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馬籠峠までの上り坂。周囲の景色は最高。 |
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そして、無事峠まで到着。 |
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江戸時代の人も同じように歩いたかと思うと、歴史を感じた。 |
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そして、妻籠宿到着。しかし、馬籠に戻るバスが約2時間ない。ただ、これは想定内だった。予定通り、
会長だけ自転車で戻ることになった。 |
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しかし、世の中そんなに甘くなかった。だらだら続く上り坂は、夏の日差しとともに、体力を奪っていっ
た。不幸なことに、ペットボトルのお茶も残り少なかった。約40分ぐらい走ったとき、ついに心が折れてしまった。自転車を押して約5分峠の頂上に着いた。
ただ、そこからは一気に馬籠宿までGo。人生、下り坂最高!! |
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午前中に予定が終了したので、中津川に戻り、隠れ主目的のトパーズ採取へ行く。そして、またまた世の
中そんなに甘くなかった。まずは、トパーズの現物を見に博物館へ行く。そして、採れそうな小さな沢に入るも、全く採れず。 |
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そこで、あらかじめ調べておいた沢に行くものの、どこを掘ったらいいのかわからなかった。とりあえ
ず、比重が少し大きいということで、砂金掘りと同じ要領で掘ってみるものの、なかなかトパーズらしいものが採れない。すると、ざるの上に透明な鉱物が急に
現れた。四角錐ならOK。数を数えると・・・3? 拡大してみると、面の間にそれぞれもう一つの面が見えた。残念、水晶だった。結局、途中で体力もつき、
時間も尽きたのでトパーズは採れずじまい。世の中そんなに甘くなかった。 |
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翌日は、千畳敷カール見物に行った。しかし、駒ヶ岳
ロープウェー乗り場までバスでの移動。曲がりくねった山道を30分移動する間に、すっかりバス酔いし、へろへろの状態で千畳敷カールへ到着。世の中そんな
に甘くなかった。 |
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しかし、そこは絶景!山の緑と花崗岩の白、そして空の青のコントラストは本当にすばらしかった。 |
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高度は約2500m。 |
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山を下りて、近くにあるマルスウイスキーの工場見学に行く。 |
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敷地内には何やら見たことのある物体が。そう、北海道余市にあるニッカウィスキーでみたポットスチル
だ。 |
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そして、世間であまり知られていない事実を知った。なんと、ニッカウィスキーの竹鶴政孝氏とマルスウ
イスキーの岩井喜一郎氏につながりがあるということだった。この二人、上司と部下だった。国営放送のドラマに当てはめると、岩井さんは住吉酒造の西川きよ
しだ。 |
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竹鶴氏をウィスキー研究のためにイギリスに送り出したのが岩井氏。 |
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帰国した竹鶴氏が作成したレポートを受け取るものの、会社がウィスキー製造計画を中止したため、竹鶴
氏は退社。その後、サントリーでウィスキーを製造することとなる。 |
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その後、岩井氏が本坊酒造に顧問として就任し、竹鶴レポートを元にしてポットスチルを作成し、ウィス
キー製造を始めた。初めに見たポットスチル、どうりで同じはずだ。 |
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次は伊那食品工業のかんてんぱぱガーデンへ行く。あまり期待していなかったが、予想をいい意味で裏切
るなかなかの場所だった。ここは、美術館や広い庭園、湧き水汲み場やお食事処、そして直売所などがあり、楽しい場所だった。 |
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その日の昼食は冷やし中華風寒天麺。これがなかなかいける。当然、直売所で寒天製品を購入した。
たるんだお腹に気合いを入れ、砂金掘りにより専念できる体をつくるために! 世の中そんなに甘くない?
そして、山口砂金研究会の熱い夏は目立った成果もなく終わった。
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