被爆二世集団訴訟

被爆二世の現状と課題
―被爆二世集団訴訟にご支援ご協力をお願いしますー
 全国被爆二世団体連絡協議会 副会長 寺中正樹
はじめに
 米軍による原爆投下から72年が経った。被爆者の平均年齢が80歳を越えて死去したり、高齢のため被爆体験を伝えることができなくなっている。
 全国被爆二世団体連絡協議会(全国被爆二世協)は、1988年の結成以来、被爆体験の継承、被爆二世・三世への援護法の適用、在外被爆者・二世との連帯などを掲げて闘い続けてきた。
 そして今、被爆二世が全国各地で戦争や核の被害を許さないために立ち上がり、核被害の実相を社会に訴えてきている。

歴史的一歩、被爆二世集団訴訟の開始
 被爆二世が全国に約50万人存在すると言われている。しかし、国は一度も被爆二世の実態調査をしたことが無いので、正確な人数はわかっていない。今、国が被爆二世に行っているのは、単年度措置のガン検診も無い健康診断のみだ。
 私たちは、日本の被爆者や在外被爆者が裁判を通じて、生きる権利を勝ち取ってきた歴史に学び、本年2月被爆二世集団訴訟に立ち上がった。
 全国被爆二世協は、歴史的な一歩を踏み出したのだ。2月17日広島地裁に22人が、2月20日長崎地裁に25人が「原爆被爆二世の援護を求める集団訴訟(被爆二世集団訴訟)」を提訴した。原爆放射線の次世代への影響を問い、国の立法による援護対策を求める初めての訴訟だ。
 この訴訟は、原爆被爆二世の問題にとどまらず、世界の核被害者の次の世代の問題解決につながる。核兵器の非人道性の最たるものの一つが放射線の次世代への影響であることを訴えたい。このことが世界の共通認識となれば、核(原発も含む)を廃絶する大きな力になるはずだ。
 被爆者や被爆二世の現実を知らない人達に、被爆者や被爆二世がどのように原爆被害の恐怖と闘いながら、自らの人生に誇りを持って生きてきたかを知って欲しい。

二度にわたる被爆二世の意見陳述と弁護団の奮闘
 第1回口頭弁論は広島地裁で5月9日、長崎地裁で6月5日に行われた。
 広島地裁では、中学校教諭の占部正弘さんは、黒いシミや声のかすれが、父親の被爆後の症状と似ており原爆の影響ではないかと心配していることや直接生死には関係なくても健康不安を持っている被爆二世がいることを知って欲しいと話された。
 平野事務局長は、全国被爆二世協の運動の歴史と、現時点での放射線影響研究所の調査結果を根拠に放射線の影響を過小評価して、被爆二世の健康被害の現実に向き合おうとしない国の姿勢を徹底的に批判した。
 在間弁護士は、国が核兵器の放射線による被害を戦後70年以上にわたって、いかに隠ぺいしてきたかを、原爆二法の成立過程から1995年に成立した被爆者援護法の制定に至るまでの歴史、そして原爆症認定集団訴訟や在外被爆者訴訟の歴史を紐解く中で、明らかにした。つまり本来被爆者として援護の対象にされるべき被爆二世が、その埒外に置かれてきたことが違法であると訴えたのだ。
第2回口頭弁論と追加提訴第1回口頭弁論は、広島で8月22日、長崎では9月26日に行われた。現在追加提訴者を合わせて、広島原告26名、長崎原告26名となった。
 広島地裁では、山口県在住の森田修さんが、提訴の報道を偶然テレビで見て、自分も二世として何かをしなければいけないと思い、原告に加わる決断をしたことや、幼少の頃から病弱で、5歳年下の弟もほぼ同じ時期に前立腺がんと狭心症を発症したことで、被爆の影響ではないかと不安になったことなどを述べた。
 提訴や裁判のニュースが報道されると、全国被爆二世協には相談のメールや電話が来た。二世自身の病気だけではなく、子ども(三世)についての不安もせつせつと訴えてくる。これまで誰にも言えなかった健康不安を訴える場所ができた。この裁判は被爆二世の拠り所にもなっている。

被告国の主張を打ち砕こう!
 私たち被爆二世の訴えに対して、被告国は9月26日長崎地裁と10月26日広島地裁において原告の請求の棄却を求める答弁書を陳述した。
 その中で被告国は、@被爆二世を被爆者援護法の適用対象としない立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受ける余地はない。A親が原爆の放射能に被曝したことによって被爆二世が発がんリスク増加など遺伝的影響を受けることは科学的に証明されておらず、被爆二世が親の放射線被曝による遺伝的影響を受けることを前提として被爆者援護法が憲法違反であるとする原告らの主張は、前提を欠き失当である,と主張した。
 私たちは、この国の主張を認めることはできない。徹底して反論し、私たち被爆二世の現実を社会に知らせていく。皆さん、被爆二世集団訴訟へのご支援、ご協力を!



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