活動報告

私は戦争をなくしたい
− 第36回戦争と原爆の遺構めぐり −
  長崎県被爆二世の会(会長:丸尾育朗)では、12月4日(日)「第36回戦争と原爆の遺構めぐり」を行い、被爆二世や市民、7人が参加しました。被爆者から被爆した現地で、被爆体験や思いを伺い、継承活動に活かしていこうと被爆60年を機に始めましたが、今回は、3月に解散した長崎県被爆者手帳友愛会の副会長だったM田眞治さんに被爆した現地、旧手熊小学校の跡地でお話を伺いました。
  「私は手熊小学校2年生の時に原爆に遭った。眼を射るような閃光、稲光のような光、それが5.5km離れた場所まで、届いた。その後に台風並みの爆風が届く。原爆の怖さは大変なものだと思う。本当に怖い。原爆が落ちたところ、1.5kmとか、2kmで原爆に遭った人たちは、非常に残酷な地獄絵みたいだったと、後で聞いている。原爆は戦争があろうとも絶対に使ってはいけない。原爆、核兵器廃絶も大事。しかし、その前に私は戦争をなくしたい。戦争反対者です。
今の二世、三世に期待するのは、ネットワークやオンラインで世界の子どもたちに向けて平和とは何か、話をしていただきたい。そうすれば、必ず世界の国から原爆を、戦争をなくすことができると思っている。戦争は外交など話し合いでないと止めることはできない。どうしてもこの世界から戦争をなくしてほしい。そういう願いが一番強い。今、二世、三世の皆さんに期待することは世界にそういうことを発信してもらいたい。
 私は、中島前会長から手伝だってくれないかと言われて、友愛会に携わることになった。私が副会長をしたのは令和元年、2年、3年の3年間だけだが、一生懸命、核兵器廃絶や、被爆者の救済、被爆者が全員手帳をもらえるように、被爆体験者が被爆者手帳をもらえるように運動してきた。もっと政治家が被爆者のことを考えてほしい。政治が動かないと何も動かない。政治家が戦争のない国を作ろうという話をどうしてしてくれないのか。やっぱり政治でなければ平和な世界は築くことはできないのではないかと思う。
これからも一被爆者として、二世の会を応援したい。」
 また、M田さんは、原爆投下から1週間か10日後、近所の家に避難してきた女性の叫び声「お母さん早く逃げて。瓦が落ちてくる。後ろに火が。早く逃げてお母さん。」が未だに忘れることができないと涙ながらに話されました。そして、今後平和公園で行われている反核9の日座り込みや、長崎県被爆者手帳友の会が毎月9の日の11時2分に行っている「長崎の鐘」打鐘に参加したいとの意向を示され、核も戦争もない社会の実現に向けて共に頑張って行くことを確認しました。
(文責:長崎県被爆二世の会事務局長崎山昇)

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