活動報告

日本の戦争責任、侵略、加害の事実をわきまえないと理解が得られない
− 第37回戦争と原爆の遺構めぐり −
 長崎県被爆二世の会では、7月23日14時から長崎県勤労福祉会館3階大会議室で「第37回戦争と原爆の遺構めぐり」を開催しました。今回は、長崎原爆資料館の加害展示の見直しが問題となっているなか、今年3月まで長崎原爆資料館運営審議会会長を務められた元NBC放送記者で、被爆者の舩山忠弘さんから「私の被爆体験と原爆体験」と題してお話を伺いました。お話の主な内容は以下のとおりでした。
 「満85歳。被爆者で聴覚障害者。NBCで警察や被爆者の取材、ドキュメンタリーの制作に携わる。在職中57歳の時、右耳が失聴。少し難聴の左耳に補聴器を装用して復帰する。退職後も被爆者証言ビデオを制作。長崎平和推進協会副理事長などを務める。/1938年生まれ、8人きょうだいの7番目。

 丸尾町の自宅が強制疎開に。1944年12月、山里国民学校近くに疎開のはずが、長与の社宅へ。7歳の時に、爆心地から約6キロの長与村(現長与町)の自宅で被爆。閃光と爆風の直撃。/山里に疎開していたら、私も”あの子”になっていたかも。私の身代わりで亡くなった人がいるかも。そういう思いで原爆報道にのめり込んでいった。/被爆の遺伝的影響を過大評価すれば、差別や偏見を助長し兼ねない。過小評価すれば、援護がなおざりにされる。二律背反の立場にある。動物実験の結果、有意差があり、遺伝的影響が疑われ、裁判所も可能性を否定しない。刑法の”疑わしきは罰せず”に照らし、援護するのが行政の責務。被爆の実相の継承など被爆二世の役割は重い。/1995年、戦後50年の村山内閣の『村山談話』が政府の基本方針。「国策を誤り、戦争への道を突き進んで、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって諸国民に多大な損害と苦痛を与えたことを反省し、謝罪を表明します。」日本の戦争責任に関するNBCのアンケート調査(1996年)では加害展示賛成75%、反対18%だった。被爆の実相と核兵器の廃絶を諸外国に訴えていくには、日本の戦争責任、侵略、加害の事実を弁(わきま)えないと理解が得られない。/核兵器を使用させないために、絶対に戦争しないこと。戦争はすべて悪、悲劇しかもたらさない。緊張緩和が大事。不戦の誓いを!/報道は不偏不党ながら、核抑止論に沿うのではなく、核兵器絶対悪、核兵器の存在を否定する立場に立った主体的な報道を。」
 原爆は戦争の中で投下されたものであり、核兵器の廃絶、不使用は絶対に戦争をしないことが前提であると思われている舩山さんのお話は、私たちの運動の原点にもつながる貴重なお話でした。

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