活動報告

第39回戦争と原爆の遺構めぐり
医療費の問題ではなく 人権の問題だ

 長崎県被爆二世の会では、1月18日(土)14時から、長崎地区労働福祉会館5階講堂において、第39回戦争と原爆の遺構めぐりを開催し、「被爆体験者」の岩永千代子(被爆体験者訴訟の原告団長)さん、松尾榮千子さんからお話を伺いました。(爆心地から12km圏内でも旧長崎市でなかったところは被爆地域として認められていない。)

 岩永千代子さんのお話:私は、深堀(爆心地から約11kmの旧三和町・深堀村)というところで4年生の時に被爆した。母と姉と3人でサツマイモのつるお越しをして、その後家に帰っているところで原爆に遭い死んだと思った。
 2002年に被爆体験者事業が始まったが、「オカシカネー」と旧三和町の町長へ要望、居住要件撤廃運動から始めた。そして、式見、深堀、諫早、大村、喜々津、網場など各地区へ聴き取り活動に行ったが、いろんな病気で亡くなっていた。
 2007年11月「被爆体験者」は被爆者だと提訴。原告は22名から395名へ。そして、2017年12月18日最高裁判決。入市被爆者1名が勝訴し、387名が敗訴。決して私たちは間違っていないと言い続けてきた。弁護士から「もう一回やるでしょう」と言われたが、「総会で決めなければ」と言った。しかし原告の一人から「岩永さんやらんばたい」と言われ、自分一人ででもやろうと言い聞かせた。
 2018年6月21日28名で再提訴。絶対に間違っていないという思いで再出発した。2024年9月9日、長崎地裁判決。2陣と合同で44名中15名が勝訴、29名が敗訴。8月9日に岸田首相は合理的な解決といったが、合理的な解決ではない。私たちの闘いは皆さんの同情をかうような問題ではない。これは医療費の問題ではなく人権の問題だ。長崎県・市は控訴。私たちも9月24日に福岡高裁へ控訴した。
 一番伝えたいことは私たちの疾病はなぜ起きたか。放射性微粒子に依る怖い内部被曝。内部被曝はこうして起きた。井戸水、川の水、岩場の溜め水をそのまま飲み続け、灰や雨を身体に受け、目に見えない汚染された空気を吸い、また、放射線が付着した農産物を平気で食していた。これが、白血病、癌等晩発(ばんぱつ)性疾患に罹患している原因である。
 (その後、「被爆体験者」:松崎マユさん、谷口久子さんのことを紹介。同席された松尾榮千子さんが自らの体験を語り、「政府は「被爆体験者」としたが、被爆を体験しただけではなく、私たちは内部被曝者だ」と訴えた。)
 (長崎大学の高辻名誉教授の絵を紹介し、「放射性物質の吸入摂取・経口摂取」「動物実験で肺に見られる症状」「繊維化」「放射線被ばくの健康影響の主原因DNA切断」について説明。)
 運動に関わって、人間の使命とは何かと考える。奪い合ってはならない。対話が必要である。
 長崎を最後の被爆地にというメッセージを強く発信すべき。これからの子どもたちに公教育の中にどういう生き方をすべきかカリキュラムとして位置付けてほしい。

 はじめて「被爆体験者」のお話を伺いましたが、2月18日の控訴審第1回口頭弁論を前に、参加者の中で被爆体験者の皆さんを支援していこうということが確認できました。
(文責:長崎県被爆二世の会事務局長 崎山昇)

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