グリニッジ
グリニッジ
今度の仕事も一応全部終了なので、飛行機を待つわずかの間、こちらを少しばかり回る時間がやってきた。今回はグリニッジに行ってみよう。昔はロンドンブリッジから国鉄でいくのがメインルートだったのが、今や地下鉄とDLR(ドックランドライトレール)を乗り継げばすぐ。グリニッジもカティーサーク号の前でおろしてくれるので、とっても便利になった。
グリニッジの地名、由来はロンドンとの対比から始まった。ロンドンが「月の町」の名前からきたのに対し、グリニッジは「太陽の町」。グリニッジの綴りは「Greenwich」なのだが、綴られると正しく読むのが難しい。「wich」の語尾は、読み方にいろいろバリエーションがあって、一筋縄ではいかない。同じ読み方に「Norwich」があるが、これも「ノリッジ」が正しい読みで、「ノーウィッチ」は間違い。同じイーストアングリアに「Ipswich」という田舎町があるが、こっちは「イプスイッチ」と読むから、難しい。ま、こういう綴りの「w」と「h」は読まないことが多いから、知っておくと役立つ。
グリニッジは言うまでもなく、海の町。海軍大学や天文台があるのはその名残。海軍大学は「坂の上の雲」のドラマで出てきたので、見た人も多いと思う。ホールだけでなく建物も堂々たるもので、海軍国英国のルーツはここにあり、である。明治の人はすごいなと思う。こういう堂々たるところに、いきなり「いってこい」と命令をうけ、それを臆することなく遂行して我が国に知識と技術と、そして何よりおおきな「人脈」をもたらした。その努力たるや想像を絶する。何しろ一人である。いまなら通じる電話もメールもない時代である。言葉も文化も習慣もよくわからない中で、一人で何から何までするのは、すごいことだ。それをやってのけてきたのであるから、明治期の人たちの優秀さを、壮大なダイニングホールの中で改めて感じ入った。
グリニッジ天文台は海軍大学を望む丘の上。見晴らしの良い場所に、それはある。世界の標準時は今も「Greenwich mean time(GMT)」とその名を残す。子午線(Mederian)を決めたその場所は、観光客が地面におかれた子午線をまたいで記念写真を撮る格好のスポット。1グループあたり、何枚も何枚もポーズを変えて写真を撮るものだから、長い列ができあがる。写真は広い世界の中でも、ここでしかとれないので、我慢して並んでいる。イギリスの博物館のおもしろいところは、当時の衣装を扮した役者さんが、博物館の由来やエピソードをおもしろく説明してくれること。15分から30分続くこの「一人芝居」はいろんなことを単に教えてくれるだけじゃなくて、ユーモアやジョークたっぷりに、話してくれる。何でも子午線をロンドンを基準に決めた会議では、奇跡的に世界中のほぼ全部が賛成し、反対した国も、どこにしていいのか対案がなかったらしい。たった一つだけ反対して対案を持っていたのはフランスらしいが、もしそうなってたら、子午線には「ガーリック」の香りがしてただろう、なんてジョークも。天文台は今も午後1時に「標準時計」を合わせるための合図を出すが、これもあんまり正確じゃないらしい(時分秒はもちろんあっているそうだが)。
船乗りにとって、「いつ」「どこに」いるかを知るのはとても大切。そのためには「正確なロンドンの時間」と「正確な星座の測定」が欠かせない。星座の測定は、いいとして、正確な時間を知るためには、長い航海中に狂わない時計を持つのが必須となった。今は原子時計で時を刻むが、昔のロンドンでは時計の技術が大きく進歩して、「狂わない精密時計」がたくさん作られた。これがイギリスの航海術や海軍力に大きな力を与えた原動力となった。
天文台は観光客でいっぱい。行き来する坂では多数の東洋人の大学生とおぼしきグループとすれ違ったが、そのどれ一つをとっても日本語は聞こえてこなかった。今や留学にしても旅行にしても日本人は絶滅状態である。じゃ、日本人は絵画いっ旅行に行かないのか?そんなことはない。グリニッジを歩いていたら、貸し切りの赤いロンドンバスが「LOOKJTB」のサインを掲げて通過した。そうなのだ、日本人の海外旅行は、観光バスで「上げ膳据え膳」。町の中に入ることは一切せず、観光スポットとお土産物やさんだけを回る、「かごの鳥旅行」。国内旅行とまったく変わらず、あるいはそれ以下か。いくら言葉が苦手、たって、これじゃなんのために高いお金を払ってでかけているんだか、わからない。自分の足で歩くのが基本なのに。日本人の若い人が「0」なのがこの先将来を暗く感じた。20年もすれば、海外では働く日本人は絶滅してはいないだろうか?
海事博物館の2階(1st floor)にはGreat Mapがあって、30m四方もある大きな世界地図がフロアいっぱいに描かれている。これくらいの地図になると、日本と英国はリアルに遠い。本当に遙か彼方だ。地図の上で今までいったことがあるところに「歩いて」いく。ここ10年(そう、本当に今でちょうど10年)で、とてもたくさんのところに行ったのを実感する。ロシアもいった、カリブにもいった、大西洋にも行った。この仕事、これこそが醍醐味なのだろう。そしてこのおおきな地図の上で、離れたところに何人ものお友達を作れたことが、誇らしい。奇跡のようなこの出来事に改めて感動した。海外で活躍するためのその第一歩は、途方もなく離れた時空を超え、堅い人脈を築くこと、まさにそれなのだ。
2013年8月11日日曜日