介護認定審査会の研修会は、失望と安堵が入り交じって帰ってきた。
解決できないままの問題点は、一次判定ソフトのバグを残したまま来たことだ。
まっ良いか!と見切り発車した介護認定作業だから、いつか破綻するのは目に見えていて。
案の定、「要介護1と要支援の境目が曖昧で」結局「要介護1」が増えた。
「非該当」よりは「要支援」のほうが手厚いかも?と、戸惑いながら「要支援」も増えて。
多くの委員が数年で入れ替わり、「一次判定は、金科玉条」へ幻影が現実になった。
想定した以上に介護保険の費用が増えたから、少々保険料を上げても追っつかない。
慌てた政府は、経済的根拠で「要支援」の使える介護費利用限度額を下げて見せた。
しかし「要介護1」からいきなり「要支援」では、国民の反発を買う。
一次判定ソフトを見直すと言われ続けて、8年目にしてやっと手をつけたと思ったが。
さにあらず、バグの修正は「科学的」と呼ぶ”ねじ伏せの論理”が見えた。
「それを基にして、介護認定審査会でやってみてネ」と、お茶を濁す構えだ。
要支援を2つに分けて、「要介護1」からこじつけて作った「要支援2」に誘導する。
緩衝地帯を1年取るので、2年後には多くの施設やお年寄りと家族から悲鳴が上がるだろう。
介護認定が始まって休むことなく認定作業をして、さらに深くなった印象がある。
データは取っていないが、一次判定は「要介護3」と「要介護4」の境目が曖昧だ。
個人的印象だが、8年近く過ごしてきたのだから当たらずといえども遠からずであろう。
問題となるケースが多くないのと、1段階差の利用限度額に大きな差がないと思っているのか。
それとも、介護保険システムに及ぼす影響が大きくないと考えているのか。
手をつけることなく、すんなり通りすぎて。「今回はこのくらいにしておいてやろう」だ。
バブル期じゃなくても、お年寄りは安心して施設や病院にいることが出来たし。
時々訪れる家族より、同僚(同じ病棟の患者さん達)と気楽な会話が進んだ。
国から退院を強要されることもなく、人生の最後を病院の上で締めくくることが出来た。
それが幸せとは言わないけれど、今の介護保険より昔の方が「まし」だと思う。
相変わらず「シルバー受難の時代」は悪化し、安心して歳を取れない不安が募る。
介護認定は患者と介護認定委員の中で、調査委員と医師の意見書の情報だけが頼り。
この伝言ゲームの落とし穴を、「科学的?ロジック」と「統計のマジック」で埋める?
生の患者を診ずに判定しなければならないのは仕方がないが、代償があまりにも大きい。
介護認定では、調査員も認定委員も「共同幻想」を見ているのだろうか?
作為的もしくは政治的に、幻影を見させられているのかも知れない。
そう思っていたら、「介護保険見直し」の意見記事がまた出ていた朝。
介護に金がかかるとは言っても、人生の先輩への恩返しと思えば安いもの。
先進7カ国で比較する対GNPからすれば、もっと出しても良いくらいだ。
税金の無駄遣いを止めて、全ての法人からまんべんなく税金を取ればまかなえるはず。
金ぴかのお社を見ると腹が立つ宗教法人は、税金逃れをさせて良いと思う方がオカシイ。
ユダヤ教徒は収入の1割を他人のために使うらしいが、ちょっと見習っても罰は当たらぬ。
宗教心はないけど、宗教観はあると思っている罰当たりは私です。
今日仕上げようと思っていたのは、先日の介護保険関係講習会のこと。
どうかして、要介護度1を要支援2まで作って介護保険に関する費用を減らそうと目論むから。
言い訳がましくやたら無理があり、カオスにはまった介護審査会が続出するはず。
まさか決着はディベートか?それとも殴り合いでもしろと言うのかねー?
無理を押し出す講習会資料に2度目を通し、フローチャートにしてみたらどうかな?と。
先ずは形から入るのが常套手段、ネットからフリーソフトを探してきたのは良いけれど。
保存ファイル形式がxml形式か独自のもので、他ソフトと使い回しにくい不自由さ。
仕方なくエクセルで、フローチャートを作り始めたのは良いけれど。
画面で見る出来映えと印刷物が、ちょいと違うのが気に入らない。
いじくっては印刷をくり返すうちに飽きてきて、目を覚ます信条の1つ「適当」。
審査委員のナースと毒とるに作品を見せれば、「そうですよねー」しか返ってこない。
あとは市役所担当に見せて批判を仰ぐしかないと、再び「適当」が「休め!」を指示。
介護保険の行方を見ていると、感謝とか品格が少しずつ失われてゆくような気がする。
<極論>介護保険は「共同幻想」を見ているのか?
介護認定審査会の研修会は、失望と安堵が入り交じって終わった。
解決できない大きな問題は、一次判定ソフトのバグを残したまま来たことだ。
まっ良いか!と見切り発車した介護認定だから、いつか破綻するのは目に見えていて。
案の定「要介護1と要支援の境目が曖昧」で、結局「要介護1」が増えた。
「要支援」になると、お年寄りが施設から出なければ行けない事が理由の一つだ。
しかも「非該当」よりは「要支援」のほうが手厚いかも?と思うのは人情である。
戸惑いながら「要支援」も増えて来るし、多くの委員が数年で入れ替わる。
幻の「一次判定は金科玉条」が現実にすり替わるのに、さほど時間を必要としない。
想定した以上に介護保険の公的負担が増えたから、少々保険料を上げても追っつかない。
慌てた政府は、経済的根拠で「要支援」の使える介護費利用限度額を下げて見せた。
しかし「要介護1」からいきなり「要支援」では、国民の反発を買うのは必定。
一次判定ソフトを見直すと言われ続けて、8年目にやっと手をつけたと思ったのだが。
さにあらずバグの修正は「統計」とか「科学的」と呼ぶ、ねじ伏せの論理が再び現れた。
博打打ちのためのツールが起源の「統計」が、イカサマツールにならなければ良いが。
今回は「騙されたと思って、介護認定審査会でやってみてヨ」と、お茶を濁す構えだ。
介護認定が始まって休むことなく認定作業をして、さらに深くなった印象がある。
データは取っていないが、一次判定は「要介護3」と「要介護4」の境目が曖昧だ。
個人的印象だが、8年近く過ごしてきたのだから当たらずといえども遠からずであろう。
問題となるケースは「要支援」や「要介護1」ほど多くない。
1段階差の利用限度額に大きな差がないと思うのか。
それとも、介護保険システムに及ぼす影響が大きくないと考えているのか。
大して手をつけることなく通りすぎて、「このくらいにしておいてやろう」なのか?
今までの7段階(非該当・要支援・要介護1−5)の要支援を、3つに分けただけ?
要支援を2つに分けて、「要介護1」からこじつけて作った「要支援2」に誘導する。
レーダーチャートを見る限りでは、「要支援2」は昔の「要介護1」に近似し。
新しい「要介護1」はハードルが上がって、昔の「要介護2」に接近した。
介護認定は患者と介護認定委員の間で、調査委員と医師の意見書で情報が伝えられる。
伝言ゲームの落とし穴を、ブラックボックス的「科学的ロジック」と「統計のマジック」で押さえ込むのか?
生の患者を診ずに判定しなければならないのは仕方がないが、代償があまりにも大きい。
介護保険では、調査員も認定委員も「共同幻想」を見ているのかも知れない。
介護保険が、作為的か悪く言い換えれば政治的な幻影でないことを祈るだけである。
緩衝地帯を1年取り、2年後には多くの施設やお年寄りと家族から悲鳴が上がるだろう。
介護保険が導入前は、お年寄りには施設や病院に少なくとも居場所があった。
時々訪れる家族より、同僚(同じ病棟の患者さん達)と気楽な会話が進んだ。
国から退院を強要されることもなく、人生の最後を病院の上で締めくくることが出来た。
それが幸せとは言わないけれど、介護保険より昔の方が「まし」だと思う。
G7諸国の中で圧倒的に医療費が少ないのに、「医療費高騰」と騙す政治家は許せない。
貴方たちのおかげで、「シルバー受難の時代」は悪化する一方だ。
ヤツらがいつかしっぺ返しをくらわねば、神も仏もないモンだ。
−−−−−−−−
と言うことで、色々資料を作っちゃいました。
今回はPDFファイルにもしてみましたので、使えそうならご自由にどうぞ。
1;要介護度1の新解釈要介護度1の新解釈の肝;pdfファイル
2;要介護度1相当の簡単判定フローチャート要介護度1相当判定フローチャート
3;要支援2のレーダーチャート要支援2のレーダーチャート
4;要介護度1のレーダーチャート新要介護度1のレーダーチャート