X'masシーズンになると、スマックス病院でも各病棟が競ってクリスマスレクリエーションが始まる。
「そら貴方、あたしは2回目だから分かりますよ。誰があれに扮しているかなんて」
「イエね、いきなり真っ赤な大きなモンが飛び込んできて。驚きましたよ、実際のとこ。
もうちょっとで、粗相するかと思うくらいでしたもの」
「去年のあたしみたいなモノですわ、それって」
「でも、よーく見たら。ねエ、あたしたち担当のセンセって分かっちゃいますわ」
「あのお腹は、ねエ。あのセンセしか・・・。いくら白いヒゲで顔が見えなくても」
「それに、ワッハッハのあの声。いつも、どうかねー・・・の声ですもの」
「気がつかないフリするのも、患者としての務めかも知れませんわ」
MIHIサンタが登場する様になって、6年目の冬を迎えた患者食堂。
殆どが車いすでたまに肘掛け椅子の患者と、その後ろに患者家族の総勢30人。
前方と周囲におよそ10名のスタッフと、大きな赤い塊1個。
タンバリンやカスタネット、リコーダーに電子ピアノはちょっとしたコンサート。
クリスマスソングを聴きながら、それぞれの胸中でそれぞれの人生模様が呟かれた。
(1)金森ハツ(仮名)の告白
「あと1ヶ月で母の誕生日なんです、その日が越せますでしょうか。なんとかして下さい」そう言って涙を浮かべながらセンセにお願いしたのは、私の長男です。弟は親より先ににガンでなくなり、息子は1人になってしまいました。あの子は直に70を迎えますが、毎日私のことを気にかけてくれて有り難いことです。
あたしは金森ハツ(仮名)と言いまして、農家に嫁に来て60年ほどが過ぎました。10年前に2度の脳梗塞を患い寝たきりになってから、お国の政策とやらで病院を転々として。6年前から飲み込みが悪くなり、3度の肺炎を機会に胃瘻の手術を受けた96才です。
この胃瘻はお腹に小さな穴を開けて、外から栄養を注入するんです。手術自体は1時間もかかりませんし、局所麻酔で胃カメラを使います。外国じゃ日本ほどは胃瘻で長生きさせないそうですが、宗教とか国民性の問題でしょうか。
今まではご飯の度にお世話する方が、とっても気を遣いながらスプーンを運んでいました。いつも私の食事は普通の方の2倍はかかるので、常々申し訳なく思っておりました。でもこの胃瘻を使い始めて、ボタンと呼んでる器具に繋げば2時間少々で終わります。食事で咽せることもなくなりましたが、唾液は出ますので喉元にたまってゴロゴロ言います。
お風呂も入れるし、車いすで散歩することも出来ます。まあ散歩とは言っても息子に押して貰ってですけど、桜の季節は良かったです。息子が頬を撫でたのかと思ったら、舞い降りた花びらだったと聞いて。驚くやら嬉しいやら、こんな気持ちになったのは何年ぶりでしょう。
1日に2度の栄養補給と、間で水分補給がありそれで充分なんだそうです。美味しいとか塩味って何だったか、思い出せなくなったのは歳のせいでしょうか?そうやってあと何年生きて行くのでしょう、息子も歳を取り気にかかっております。
なんせ心臓に持病を抱えておりますので、見舞いに来た顔を見ると安心します。せめてあたしより先に逝かないようにと、麻痺して動かない手を合わせております。あたしの時の流れはとってもゆっくりですが、お世話をしていただく方達は忙しそう。孫と同じ歳なのに、ジイバアの下の世話を何気ない顔でしてくれます。
あんまり良い給料じゃないので、夫婦共働きをしないといけないんだそうです。最近はあたしらを「医療難民」と呼ぶことにさせた政治家さんに、お願いしたいモンです。介護士さんと仰る方の給料が、もう少し上がるようにはならんモンかと。
あたし金森ハツの担当はMIHIセンセで、おヒマと見えて毎日回診されます。1ヶ月に5,6回、朝早く回診をされますが、当直室の寝心地が悪いのでしょうか。MIHIセンセが早朝5時過ぎに回診する頃、あたしは目が覚めてるんです。
聴診器を息で気持ち程度暖めてから胸に当てるんですが、直ぐ分かります。それと同時に腕の皮膚を2本の指で摘むのは、およそ15秒程度でしょうか。薄目を開けてセンセを見れば、秋だというのに額にうっすら汗をかいてらっしゃいます。
看護婦さんの話が聞こえて知ったことで、驚いたことがあります。冷え込みが強かった今朝だと言うのに、出勤してきたMIHIセンセは短パンだったそうです。担当のセンセはもう少し体に気をつけていただかないと、心穏やかに寝てられません。
今日のレクでセンセからいただいたプレゼントは、真っ赤な毛糸の靴下でした。直ぐ履かせていただいたんですけど、温かくてよろしゅうございます。来年のプレゼントをいただけるまで息をしていたら、ミカン色の靴下にしてもらおうかと思ってます。
(2) 武田ミヨシ(仮名)の告白
そうですね、私がMIHIセンセと初めて会ったのはかれこれ17年前なんです。70才になったばかりの秋でしたが、風邪をひいて熱と咳が出始めて3日目。とうとう持病の喘息が夜中に出て一睡も出来ず、息子に連れて行って貰った病院でした。
待合室で横になっておりましたところへ、トイレでも行ってらっしゃったんでしょう。直ぐ横を通りかかった気配がして、誰かが近寄ってきたんですわ。
「もしもし、大丈夫?あらら、喘息発作やないの。アノー、お待ちの皆さん。こちらの方がエラそうなので、先に診てあげますね。ハイどうぞ」そう言って、看護婦さんを呼んでいただいて点滴をして貰ったら。
1本終わる頃には、人心地が付いて喋られるようになったし。上を向いて寝てる事が出来るようになって、ずいぶん楽になったモノですわ。それから、ずーっとMIHIセンセの外来に通い始めたんです。
今は発作が出ないけど、MIHIセンセご兄弟は小児喘息だったそうです。弱々のお子さん時代の見る影もなく、体格がよろしいんですが昨今はメタボナントカで。ダイエットをしていただきたいと、常々思っております。
6年前にMIHIセンセが転勤になって、幸い通えるところだったので。そのまま付いていって、そのうち肺気腫なんて難しい病気に取り憑かれて。家で酸素を吸わなきゃならなくなり、息子の仕事が忙しくなって通院が出来なくなって。
MIHIセンセは、20年前から訪問診療って言う往診をされてて。とうとうあたしもお願いして、月1回薬を持ってきて診察していただいて。「センセの顔を見ると良くなるんじゃけど、帰ると胸がエラくなる」言うたら。
「じゃあ、武田さんとこに住んで貰おうか?」と看護婦さんが言うと。「そらエエけど、晩酌と風呂上がりは焼酎は欠かせんのよ。この家にあるんかね?」「息子はお酒は飲まないから、アルコールはないんじゃ」「そんな生活じゃ、ワシ体をこわすかもオ」
お酒を飲み過ぎて体をこわすのが心配なMIHIセンセは、あと5年で定年らしい。お医者を続けるんじゃったら、次の所を聞いておくように息子には言っておるんじゃ。あたしが生きている間は、元気でいて貰わなきゃイカンから。往診で来る看護婦さんに頼んどこ、「酒はほどほどに」って奥さんに言うて貰うんじゃ。今日はデイケアに来ていて、お誘いがあったんで病棟のクリスマス会に参加させてもろうてます。これが終わるとバスが送ってくれます。こんな楽しいことがあるんなら、訪問診療じゃなくて入院させていただこうかしら。
(3)大山田ゲン(仮名)の悩み
96ともなると、下の感覚は鈍くなるし物忘れなんかあって普通じゃろ?事件が起こった日は正確にはワカランが、それ程は経ってないと思うんじゃ。朝飯を食べて日向ぼっこをしながらウトウトしておったら、なんかケツがむずむずしてな。
何じゃろ?思うてケツに手を突っ込んだら、何かが触るんで手を引っこ抜いたら。えろう臭いのんが着いておってな、よー見たらあんた。黄色くて臭いモンじゃ。しもうたア思て手を洗いに行こうと立ち上がったときに、ちょいとよろけてな。
おっとっとで壁に手が着いて、その後で衣紋掛けにかけてあった孫の上着につかまって。殆ど手の黄色いのは見えんようになったけど、臭いはあるわな。トイレに行って始末した後、洗面所で手を綺麗にしとったら買い物から嫁が帰ってきた。
壁と上着の臭いは誰でも気がつくくらいの臭いじゃから、大騒ぎになってな。「じいちゃんが痴呆になったア!」言うて、その晩寝たふりをしておったらな。家族が集まってヒソヒソ、施設とか病院とか、取りあえず精神科とか聞こえるんじゃ。
翌朝みんなに顔を合わせたときは、忘れたふりするのがエかろうと思ってな。「何かあったんか?飯はマダかいな」って言ったら、「さっき食べたでしょ」って嫁が。「そうかいの。じゃあ、昼飯にしよ」って言ったら、「まだ2時間ある」って女房が。
その日の仕事を休んだ息子が、なんたら精神科にワシを連れて行って。看護婦さんが何とか言うテストをしたんじゃ、眠たいから適当に答えたら。「センセ、長谷川式14点です」って、紙を見せながら言うとった。
この間のことを聞いたセンセが、「アルツハイマーですね、お薬出しましょう」。それで家へ帰ってやっと昼飯にありついて、みんなも安心したらしい。それから3、4ヶ月は経ったろうか、最初に医者に行ったのが春で今は秋じゃから。
何とはなしに胸がえろうなって、歩けなくなるし元気も出んようになって。とうとう車いすのお世話になる頃には、下の感覚も惚けてきてな。これじゃ面倒見切れん言うて、MIHIセンセとこへ入院したワケじゃ。
ワシを診察したMIHIセンセが「何で脈が48しかないんやろか?」って言うんじゃ。色々調べてくれて、結局「アルツハイマーの薬が原因じゃろ」言うてな。ワシと色々話をし直して、「止めようや」言うてその薬を止めたワケじゃ。
そうしたら「ゲンさん、脈が65になったで」って言うんで。そう言や胸がえろう無いような気になってきて、リハビリも出来るし。うちのモンに「アルツハイマーの治療とQOL」とかなんとか、難しい話をしたらしい。
入院して3ヶ月経ったら、ヨロヨロするけど杖もイランで歩けるようになって。でも息子の嫁が仕事に出なきゃならんようになってな。聞いたら、景気が悪いらしい。施設にはいるのが決まったんじゃけど、介護度が軽くなったのが難儀なんじゃ。
家におった時の介護度は5じゃったが、これだけ良くなるとイケンらしい。MIHIセンセは3か4じゃろって言うから、あんまり軽くなると施設が嫌がるらしいで。あと4回正月が来たらワシも100じゃけど、かと言って簡単に死ねんし困っとるんじゃ。
MIHIセンセが言うとったけど、アルツハイマーの薬はエエもんらしい。物忘れがさほど進まんで、今までしてきた絵を描くようになった患者が居るそうな。ワシにはアルツハイマーの薬が無い方が、すこぶる具合がエエんじゃが。
ずーっと施設に居れるためには、胸がえらいけどあの薬を飲んだ方がエエんじゃろか?MIHIセンセは、「悩んだ結果、あの薬を止めて良かったねー」って言うんじゃけどな。見舞いに来た息子と女房の顔を見る度に、ワシは悩んどるんじゃ。それにしてもMIHIセンセはエエなー、あれほど気楽に生きてるセンセはオランじゃろ。元気じゃったら、来年は何処かの施設でクリスマスとか言う宴会じゃろ。
(4)山上ウメ(仮名)の悩み
「おろ?今日はスッピンじゃから、マスクしてんの?賢明な判断や」とか、「凶器の前歯、マスクしても分かっちゃうねー。なんでやろ」とか。「顔半分のマスクでも、口が横からはみ出してるやんか」なんて。「後ろ姿でQちゃんって、直ぐ分かるモンなー。あ、マスクの大きさはは関係ない」なんて言うてからに。ああいうのをパワハラって言うんじゃないですか?お慎み遊ばせって、注意しましょ。
申し遅れましたが私は山上ウメと申しまして、先月87才になりました。なんでも糖尿病があって、他所の病院で注射をしていたんですけど。MIHIセンセが、飲み薬じゃ無理やろか?言うて頑張っていただいたけど。
膵臓がずいぶん弱っているらしくて、飲み薬じゃ血糖を下げられなかったみたいです。食事療法って言ってもこの歳ですから、若い時みたいにバクバク食べられないし。病院で出る1200キロカロリーでも、あたしには多いくらいで少し残してますわ。
飲み薬にこだわっていただいたのには理由がありましてね、個人的な理由なんですけど。体が弱い息子が1人いるんですが、景気が悪くなっても辞めさせられずに済んだんです。最近はリストラって言うらしいですね、人減らしのことでしょ?
田舎に家があって。あ、家と言うほど立派なものじゃないお恥ずかしいものですけど。兵隊にとられるまでは田畑を耕してまして、三男だった主人がボロ家を建てたんです。終戦直前に戦地から帰る船が攻撃されて、死亡通知だけで遺骨も返ってきませんでした。
あたしが病気をするまでは息子と二人暮らしで、農業じゃ食べて行けないから。息子は鉄工所に勤めて朝から晩まで仕事ですから、田畑は荒れ放題でした。近所の若いモンはみんな都会へ出て行って、年寄りばかりが細々と農業をする有様。
いっそ田畑を1つにして、会社組織にすればと言う話もありましたが直ぐ立ち消え。自分の代で田畑を手放すことに抵抗があるのは、何処の年寄りも同じです。給食でパンに慣れた若いモンは、米を食べることがあまりなくなりましたから。
米を作っても売れないんだそうです、その上に外国から買うらしいですね。外国から穀物を売ってくれなくなったら、いつか飢え死にするんじゃないでしょうか。そうなる前にあたしにはお迎えが来るでしょうから、それ程心配はしていないんですが。
孫やひ孫のことを思うとちょいと心配ですけど、取りあえず自分のことだけ考えます。あたしの目は殆ど使い物にならないくらいで、MIHIセンセに色々教えて貰ったんです。訪問看護師さんも考えました、あたしの田舎でも居るんですが訪問回数にも限りがあって。 365日朝晩一回注射に来てくれる方を探すのは、稲穂を見ただけで餅米を見分けるのと同じ。昔のあたしならちっとも難儀じゃないけど、普通はそれ程難しいと言うことなんです。そのうち訪問看護ステーションがもっと出来るなんて、いい加減なことを仰って。
出来ることなら、自分で注射を打ちたいんですけど。目が見えないのと小脳梗塞なんだそうで、何か一生懸命しよう思うと手が震えるんです。企図振戦って言うんだそうで、緊張すると酷くなるから楽な気持ちで!って言われてもねー。
糖尿の注射を打たなければ直ぐ死ねるんなら、明日家へ帰りますってあたしが言ったら。黙って帰すわけには行かないって、じゃあコロッと死ねる薬下さいもダメって仰るし。87才にもなってし残したことは1つもないからって言っても、そんなことは無いやろなんて。 あたしは知ってるんですよ。センセは血糖がもう少しって、あたしにウソを言ってるのを。お風呂に行く時に「山上さんの血糖エエやんか。でも在宅はなー」って、聞こえましたわよ。あの声はゼッタイMIHIセンセでしたし、もう一人は主任さんでした。あたし悩みます。でもね。真っ赤なMIHIセンセから渡された黄色い手袋、あたしこの色が好きなんでとっても嬉しゅうございます。
(5)吉川ウネ(仮名)の憂鬱
MIHIセンセに診てもらうようになって、何年になったんじゃろか。来月で97にもなるんやから、5年くらいの違いは何でもないことじゃろ?確か8年前にレビーなんたら言う病気で、足元がおぼつかなくなってノ。
近所のお医者に行ったら、「あんた、パーキンソンじゃから」って言われて。薬を貰ったけどさほどの効き目もなくて、だんだん動きが悪うなってからに。センセが、「これじゃ、一人暮らしはむりじゃろ!」で紹介状を渡されて入院じゃ。
日が落ちてきて辺りが暗くなると、病室の戸が開いてざんばら頭の落ち武者が3人。あたしの横に来て、ずーっと立って見下ろすから言うワケよ。「あんたらは、どちらさんですか?ミョーな格好をして」にも黙っとるだけ。
天井の蛍光灯が付くと驚くんじゃ、天井から100匹とは言わん数のヘビがぶら下がって。その上、ベッドの上にはムカデみたいな虫がぎょうさんはい回っていて。「助けてくれエー」あたしの声に驚いた介護士さんが、すっ飛んできて。
「どうしたんねッ!」に、そのことを言ったら。「何処にもそんなモン居らんけど」って言うんじゃが、あたしには見えるんじゃ。その晩は当直のセンセの指示で安定剤を貰って、真夜中の巡回は覚えて居らん。
夜勤の看護婦さんが、一部始終をMIHIセンセに報告したんで。回診に来た時、あたしの話を聞いて言うんじゃ。「吉川さん、パーキンソンの薬止めようか。副作用みたいじゃし」
そう言われても、あたしには何と応えて良いかワカランし。「あのね、どうもパーキンソンじゃなくて。吉川さんは、レビー小体病と思うんよ。凄ーく簡単に言うたら、パーキンソン病とアルツハイマー病を足して2で割ったような。 もしそうなら、ワシが経験した3人目や。あの薬は、あんまり効かんと思うし」
お薬を止めて1週間もせんうちに、落ち武者も蛇やムカデも何処かに行ってしもうた。あれは一体なんじゃったんじゃろ、やっぱ薬のせいじゃろか?それとも、MIHIセンセが全部やっつけてくれたんじゃろか?
よろよろ歩きになってから、もう10年になるかノー。寝込んでからなら、6年じゃけど。いくらリハビリをしてもろうても、人間の体はだんだん縮んでくるんじゃろか。手足も硬くなってきて、介護士さんが手足を伸ばしてくれるけど病気には勝てんね。
足底板を入れて貰っても、足先はバレリーナみたいにつま先立つようになるし。体中の関節が油ぎれを起こして来るから困ったノー、歳は取りたくないモンじゃ。早くレビーなんたら言うあたしの病気を治す薬を、誰か発明してくれんじゃろうか。もう一度でエエから、桜の下で花見がしたいモンじゃが。無理かノー。そうじゃ、今度はMIHIセンセにレビー何タラ言う病気を治す薬をプレゼントしてもらおうかいノー。
(6)秋田タケジ(仮名)の不安
丁度1年になるかノー、MIHIセンセがワシの担当になって。他所の病院でC型肝炎から発症したらしい肝硬変と言われて、色んな薬を飲まされて。病状が安定したら救急の病院には置いて貰えんから、こっちへ変わってきたんじゃ。
最初の頃は足がちょっと腫れておったけど、あんまり腫れんようになって。その上リハビリのおかげで、寝床から車いすに移動するくらいなんてこと無くなり。部屋の中なら伝い歩きも出来るようになったんじゃ、そらワシも頑張ったで。
ワシが帰る家には面倒を見てくれそうなのが1人も居らんから、困るんじゃ。MIHIセンセんとこの病院も、死ぬまで置いては貰えんらしいし。流浪の民みたいなモンじゃな、ワシらみたいな年寄りの患者は。家はあるけど、家無き子じゃのうて家無きジイじゃが。
何でも世の中には、「介護難民」なんて言う言葉が流行ってるらしいが。ワシらをそんなミョーな名前で呼ぶようになったのは、一体誰のせいなんじゃろか。そら医学が発達すれば長生きするから、年寄りが増えるのは当たり前じゃろ?
年寄りは色んな病気を持っとるから、金もかかるわい。じゃからって言って、金の切れ目が縁の切れ目じゃあるまいし。金かかるヤツは死ねって言わんばかりの、ワシらから言わせるとイジメじゃね。
MIHIセンセらの世代がいなくなる頃には、年寄りがずいぶん減ってるはずじゃ。MIHIセンセが居らんようになるからと言う理由じゃないけど、静かになるじゃろなー。ワシの孫が年寄りになる頃は、MIHIセンセにも孫が産まれてるじゃろし。
あの世から見られるモンなら見てみたいと思うのは、ワシだけじゃろか?そのうち日本の人口もずいぶん減って、ワシの田舎じゃ空き家が増えるじゃろなー。むかし女房とアメリカ映画で見た、ゴーストタウンって言うヤツが一杯出来るかもナー。
そうなる前にとっくにこの世とお別れしてるから、それ程心配せんでエエけど。大事なことを忘れておったわい、自分のことを心配せなアカンじゃった。明日の朝10時に1年間世話になったMIHIセンセの病院から、次の病院に変わるんじゃ。
次の病院は何時まで居られるんじゃろ、その前にお迎えが来てくれるかも知れんし。こんな世の中に誰がした?なんてな、歌でも歌いながら送ってもらおうかノ。なるようにしかナランことは分かって居るんじゃが、やっぱ心配じゃね。MIHIセンセは心配せんのやろか?人ごとながら、ワシも心配しとる。不安じゃノー。あれだけサンタで浮かれてりゃ、余計な心配かも知れんのー。んでもMIHIセンセの信条は「お気楽・適当」って言うんじゃから、まっエエか。メリークリスマスじゃ。
(7)早乙女ヤスエ(仮名)の声
「あーん、ああーん」とか、「フヒフヒ」とか、「フエ−ッ、フエ」とか。ものが言えなくても声は出るから、静まった夕暮れの病棟は声だけ聞けば賑わってます。担当も1年を超えるくらいお付き合いが長くなると、トーンで体調が分かるんだそうです。
私に言わせりゃ同室の3人は、意味が分からない声という言い方をすれば同じ。それぞれ違うことを言うけど、それは同時だったりバラバラや時間差有りなど様々です。申し遅れましたがあたしは早乙女ヤスエと申しまして、5年前に脳梗塞を患いましてね。
救急病院で3週間お世話になって、歳に不足がないって言われて退院しなさいって。保存的治療って言うんですか、点滴してましたけど。もう、治療も終わりだそうで。なんせ貴方、考えても見て下さいよ。先月で、98才ですからねー。
リハビリをしたところで、スタスタ歩けるワケじゃないでしょ?98才の元通りになっても、それなりにしか回復しないでしょうし。1週間も寝てりゃ、そうでなくても不自由なところへ不自由が重なって。
もうどうしようもないじゃございませんか、若返りの薬でもあれば別ですけど。「どうする?」って言った家のモンに言うたんですよ、「あー、あエー」って。そしたら何を勘違いしたのか分かりませんが、センセに言ったそうですよ。
「本人が家が良いって言ってるから、連れて帰る」って。「じゃあ、ここで胃瘻を作って。それが安定したら、お家に帰りましょう。 それまでは、MIHIセンセんとこでお世話になって」がご返事でした。
MIHIセンセんとこで2ヶ月ほどお世話になってる間に、胃瘻の扱い方を家族が習って。色んな事があって、退院の頃には「あーん、ああーん」しか言えんようになってましたね。退院と同時に、1ヶ月に1回決まった日に訪問診療って言う往診が始まったんです。
箱入りの経管栄養剤を1ヶ月分4箱と、血圧の薬が1種類ですけどお持ちになって。ナンでも、MIHIセンセは今年の夏に芝刈りで痛めた腰を労ってらして。重いものを運ぶ時は、力自慢の看護婦さんが活躍しているみたいです。
玄関を入る手前5mから、あたしの声が聞こえるらしく。「今日は早乙女さん、絶好調じゃね」って仰って、入って来られることもあるし。バイタルサインって言うんですか、看護婦さんが血圧や熱を測る前に仰るんです。「今日は熱でもあるんね?」で測ってみると、確かに37.5度だったり。「このところ便秘かね?」には家のモンが、「4、5日出ておりません」だったり。あたしの「あーん、ああーん」だけで、どうして体調が分かるんでしょうか?まさかとは思いますが、MIHIセンセはあたしのストーカーじゃないでしょうね?イヤですよ、真っ赤な服着てストーカーは。目立ちすぎでしょッ。
(8)千崎五六太(仮名)の我慢
そらあんた、ポチャーッとした手でワシのしわくちゃな手を握りしめて。「スマン、ちょっとだけがマンしてくれんね。この通り、お願いッ。頼むッ」なんてな。イヤとも言えんし、暴れるわけにも行かんわな。それが、一宿一飯の恩義ちゅーもんじゃろ。看護婦さんはそんな処置をしたら、ワシが嫌がって暴れて大騒ぎするって思うてたらしい。確かにそれは当たっとるけど、まさかあそこまでMIHIセンセに拝み倒されるとはのー。
あ、申し遅れたが。ワシは、COPDとか言う病気を貰ってかれこれ20年になるんじゃ。2ヶ月前に、ちいと動いても息が苦しゅうなってMIHIセンセにお世話になったワケじゃ。よる年波には勝てずお見舞いのモンが「元気出して」言うけど、そらあんた無理。
飯を食う気も起こらんから、しばらく点滴のお世話になってると。人間っちゃ不思議なことに、89年も飲んできた水をどうやって飲み込むのか忘れるモンじゃ。こらイカンって、MIHIセンセが言語聴覚士のセンセに頼んでくれて。若いべっぴんさんが、アイスマッサージとか色んなことをやってくれるんじゃ。その甲斐もなくやたら咽せるモンで、5回目でお手上げの報告をしたそうな。
そんなこんなで、今日を迎えたわけよ。太ももの根本から管を入れる前に、ワシの膀胱に管を入れようとしたんじゃけど。男にしかない前立腺っちゅーもんが邪魔をする、ぐぐっと突っ込むと痛い。「ワシは忘れられんくらい痛い」って言うたら、看護婦さんが気の毒がって。
側に座っていたMIHIセンセがいきなり立ち上がって、言うんじゃ。「千崎さん。2つ痛いのより、1つ気持ちが悪い方がましやろ?」って。「そらそうには違いないが、どっちもイヤじゃ」言うたら、「男はどっちか」じゃと。
仕方がないから1つの方を選んで、看護婦さんが恐る恐る始めたんじゃ。「クーッ」とか言うたらMIHIセンセが、「スマン、ワシが悪いんじゃ」言うから。手を握り替えしてな。あんた、こともあろうに作り笑いしてもたがね。
ワシの人生の中であれほど気分の悪い時に笑ったのは、最初で最後じゃろて。入らなくて突っつき廻された点滴も卒業したし、咽せながらゼリーを食べんでエエし。さっき来た娘にICとか言う病状説明をしたそうで、4,5枚説明の紙を持っとった。
帰り際に言うことがエエ、ゼッタイ鼻の管を抜いちゃイカンよって。当たり前じゃ、また入れ直されるかと思ったらぞっとするで。これくらいの我慢は、戦争中の苦労を思えば大したことはないで。
MIHIセンセがちょっと前に来て、しばらく我慢してねって言うとった。一体、何時まで我慢すればエエんじゃろ?リハビリの予定を考えてるらしいけどな。クシャミして、啜ったうどんが鼻に引っかかっても気分が悪いのに。あんな管を何度も鼻の穴に突っ込まれて、たまるもんかッ!意地でも我慢じゃッ。こんな管を1本、MIHIセンセにプレゼントしようかの。
(9)忠山元枝(仮名)のさよなら
センセ。あたしは98才ですよ、長く生き過ぎましたワ。そろそろお別れしても良いと思ってたんです。今までお世話になった病院のセンセは、歳に不足はないから食べたいだけ食べれば良いって仰って。でも病状が安定したら長くは居られないと、家族と話し合った結果MIHIセンセんとこでお世話になり始めたんです。
MIHIセンセによると、心臓弁膜症と慢性心不全と言う診断をいただきました。それもターミナルとかで、あたしはバスの発着場なんでしょうか?簡単に言うと心臓って言う電気ポンプの具合が悪くなったから、全身に血が回りにくくなってるそうです。そらそうでしょ、あなた。どんなに良い機械でも98年も使えば具合も悪くなるし、部品も旧くなって修理が効かないから。そうなったら、機械ならフツーはお払い箱でしょ?
入院した時のあたしの検査結果を見て、アルブミンって言うのが2.2g/dlしか無いとか。これって、栄養状態が凄く悪いことを意味してるんですって。MIHIセンセの半分以下って仰るけど、比べる相手が違うでしょッ!あっちの看護師さんがあたしの栄養量を計算したら、せいぜい1日に200キロカロリーだったそうですから。当たり前のことですわ。それにMIHIセンセがあたしの腕の皮膚を摘んで、脱水症もあるって仰って。こんな状態で点滴ばっかりじゃ、全身が浮腫んじゃうからもう少し何とか栄養をつけないとイカンとか。
胃瘻って言うらしいんですけど、いまさら胃に穴を開けて栄養を注入してもねエ。ベッドで寝てる以外に出来ることはないし、それ程多くの栄養は必要ないでしょ?点滴って言っても血管は細いし、血管の壁が弱いから直ぐ漏れて刺し変えるんで痛くてたまらないわ。だからといって、細いチューブを肩口から入れるのもナンだし。足の付け根から入れるなんて、これでもあたしはレディーですわよ。
MIHIセンセなりに色々悩んでいただいて、鼻から管を入れて栄養を胃の中へ送り込むことにしたんだそうです。MIHIセンセだって仰ってたでしょ。鼻からうどんを啜れって言われても、気持ちが悪いのにスイマセンって。栄養が入りきるまで管を入れっぱなしにするなんて、惨いじゃございませんか。回診の時に、いくらゴメンねって言われても。謝ったら良いってモンじゃないでしょ?
オランダの「生命終結」や「生命短縮」と言うとても積極的な安楽死は、日本の人口に当てはめると年間約15万人になるんだそうです。日本じゃ未だしないらしいけど、そのうち・・・。あたしは、充分お役を果たしましたので。しばらくゆっくり寝かせていただきますわ、邪魔しないで下さいね。さよなら、MIHIセンセ。深夜勤務のナースが忠山さんの病室の名札が取り外したのに気付いたのは、早朝5時に車いすでトイレに行った金森ハツさんだった。
師走のイベントの中で悲喜こもごもの呟きが、賑やかな歌にかき消されていった。
「では最後にジングルベルを歌って、お開きにしたいと思いまーす」
「せえのー、ジングルベール、ジングルベール鈴が鳴るウー」