通称 左近桜
場所 玖珂郡錦町向畑
錦町広瀬から国道434号線で徳山方向へ、広瀬の町を出た
すぐに町道向畑の表示が出ている。そこから左側の山道を
登って行くが、道が狭く、車の離合も難しい。徒歩をおすすめ
する。(徒歩では反対側の周南市須万長谷から上がる林道の
方が近い。この方も道が狭く、車の離合がむつかしい。)
指定 町天然記念物(1984)
大きさ 4.95m(目通り)約23m(高さ)地上2m付近の枝は脱落し、
復元すればさらに幹周大なるものであろう。
岡「山口県の巨樹資料」
6.50m(根周り)2支幹折損。(三宅2004)
種の概要 38再
バラ科・落葉高木。本州、四国、九州、朝鮮半島(済州島)の主として温帯域に分布するが、庭園樹としてよく栽培され、寿命も長く、大きいものは幹周約11.30m(3.60m径)に達する。鹿児島県大口市奥十曽のものが幹周10.80mで最大。ソメイヨシノに較べ花期が少し早く、花は萼筒がふくらみ、上部はくびれたつぼ形、萼と花柄に開出する毛があるなどの特徴がある。
由緒ほか
「左近桜」は近年の命名らしく、もとは荒神様といったものらしい。(岡国夫メモ)(この地を開いた広実氏の祖広実左近頭に因んだものらしい)近年出版された「錦町史民俗編
山と里と人と暮らし」金谷匡人ほか(1995)に、森田裕子さんの記事があり、この桜は昭和37年ごろまでは「澄屋の荒神様」と呼んでいたといい、澄屋は森田家の屋号ということが記されている。
数年前相当弱っている状況だったが、平成16年春の状況では周りが整理され、樹勢も回復と思えた。ただ、前面に電線が走っており興無しである。近くに町指定天・記のカツラの立派な石柱があるが、どこにあるのか分からない。