長門市(ながとし)の史跡

@湯本(ゆもと)
大寧寺
たいねいじ


大内氏・毛利氏の菩提寺、大内義隆(よしたか)・上杉憲実(のりざね)などの終焉の地として有名なお寺です。

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A俵山(たわらやま)
来嶋又兵衛旧宅
きじままたべえきゅうたく


来嶋又兵衛は、20歳の時に来嶋政常の養子としてここに来ました。結婚をして1年後には、妻タケの実家である厚保村(現、美祢市西厚保町本郷)の来嶋清三郎宅横に家を新築し、ここを出て行きました。

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B三隅(みすみ)
三隅山荘
みすみさんそう


村田清風が長州藩の藩政を退いた後に、63歳から73歳までを過ごした旧宅です。清風はここに尊聖堂(そんせいどう)という私塾を開き、子弟の教育にあたりました。

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村田清風の墓
むらたせいふうのはか


村田清風は1855年(安政2)5月26日、中風により萩の別宅で亡くなりました。享年73歳。

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周布政之助旧宅跡
すふまさのすけきゅうたくあと


周布は、生後まもなく父が亡くなったために、母の出身地である三隅町の村田家に移り住みました。家は村田清風の三隅山荘から近い場所にありました。現在、建物は残っていません。

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周布政之助の墓
すふまさのすけのはか


旧宅跡から車で2〜3分のところにある、小高い山の上にあります。車では上がれませんが、歩いて5分ぐらいで着きます。下に案内板があります。

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C油谷(ゆや)
先大津宰判勘場跡
さきのおおつさいはんかんばあと


現在の菱海中学校の敷地内に、先大津宰判の勘場がありました。

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