周防大島町(すおうおおしまちょう)の史跡

@大島(おおしま)
西蓮寺
さいれんじ


四境戦争大島口の戦で、第二奇兵隊の本陣となったところです。この戦争で一時は、幕府軍側の松山藩に久賀、安下庄を占領されましたが、毛利元就の命日である6月14日に林半七、世良修蔵らの率いる第二騎兵隊が逆襲し、長州藩に勝利をもたらしました。

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四境之役大島口本陣
しきょうのえきおおしまぐちほんじん


西蓮寺の境内に、ここが本陣であったことを示す石碑があります。

A久賀(くか)
追原古戦場跡
おいばらこせんじょうあと


四境戦争大島口の戦で、幕府軍は現在の明治百年記念公園の近くに上陸しました。公園の中には、戦場だったことを示す石碑等があります。

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覚法寺
かくほうじ


大洲鉄然(おおずてつねん)は、1834年(天保5)11月5日、覚法寺の大洲雪道の次男として生まれました。四境戦争大島口の戦の際は、僧侶を組織して護国団を作り、農兵と協力して幕府軍に対抗しました。

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大洲鉄然生誕地
おおずてつねんせいたんち


覚法寺の前に石碑が建てられています。


久屋寺
きゅうおくじ


四境戦争大島口の戦いの際、一時本陣となったところす。

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維新墓地
いしんぼち


第二奇兵隊の参謀であった楢崎剛十郎(ならざきごうじゅうろう)ら、四境戦争、戊辰戦争で命を落とした23人の墓です。八田山公園(やだやまこうえん)の大島護国神社にあります。

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B橘(たちばな)
快念寺
かいねんじ


四境戦争で松山藩の陣所となりました。

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安楽寺
あんらくじ


ここも快念寺と同様、四境戦争で松山藩の陣所となりました。

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普門寺
ふもんじ


四境戦争で、地元、村上河内の軍勢が本陣を置いた寺です。

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西正寺
さいしょうじ


日前村(ひくまえむら)狙撃隊の屯所となったところです。

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C東和(とうわ)
青木周弼 研蔵生誕の地
あおきしゅうすけ けんぞうせいたんのち


青木周弼は長州藩の藩医です。大坂、江戸で医学を学び、長崎でシーボルトに入門しました。また、青木研蔵は周弼の弟で、長州藩の侍医でした。

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浄西寺の砲弾跡
じょうさいじのほうだんあと


四境戦争で、幕府の命令を受けた松山藩は大砲を撃ち込んで油宇(ゆう)に上陸しました。そして、この時の砲撃で浄西寺が被弾しました。

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