仏教歴史 悲劇と思われる事象とは
年代       内容                        補足
紀元前400年頃

 
釈迦族のゴータマ・シッダールタが悟りを得てブッダ(お釈迦様)になられる
 
現在に残る碑文や史跡から史実とされているが詳細は伝承によるもの
不明       お釈迦様を慕って多くの人が参集し仏教教団が成立  
不明      
 
釈迦国の滅亡                   
 
この頃女性の出家者をお釈迦様が認めたとされる
不明       お釈迦様が逝去される 遺骨が分配され塔が建立される(塔 ストゥーパ これが卒塔婆 塔婆の語源とされる)
不明      
 
第一回結集                    
 
教えられた内容の確認 伝承なので史実は不明 経と律の誕生 後 解説として 論が成立(経蔵・律蔵・律蔵 あわせて三蔵 これは後の名称)
不明      


 
第二回結集                    


 
教えられた内容の確認 伝承なので史実は不明 第三回も計画された様子だが広範囲に広まっていたので断念された様子
不明      

 
上座部(長老)と大衆(多くの修行者)の分離    

 
諸説あり:長老が精舎に帰ってきた時に残った僧達が貨幣を数えていたことを叱責したことに始まるとかいろいろ 規則(律)が時代の変化にそぐわない状態になってきたのが主な原因かもしれない
不明       部派仏教に分裂  
不明      


 
大乗仏教の発達 初期から出家者でないと悟りは得られないのかという疑問があった。お釈迦様は否定されなかったが出家が最善の道と考えられたというように理解されている。なぜなら悟りを得られてそれを多くの人に伝えることを決心されて巷に出ていかれたから。 出家者だけが悟りを得られるのではないという考え方が一般に浸透する。
 
紀元前332年  インドマウリア朝時代 仏教 国教として保護     アジア圏内に仏教が伝播する
紀元前180年  大乗仏教の碑文が建てられた  
紀元前185年頃 インド(シュンガ期)で仏教弾圧か?仏教の衰退    歴史的な証拠は確認されていない
紀元前100年頃 安世高(148年?-?180年)に よる仏典の中国語翻訳  
30年      クシャーナ朝 ガンダーラ遺跡            ガンダーラ仏教写本:経本の最初
147年    
 
シルクロードを通して中国に仏教が伝わる:仏教が中国語に翻訳されはじめる
 
300年頃    韓国に仏教伝播  
400年頃    インド:エフタル朝 アフガニスタンで仏教が繁栄  
405年     法顕インド訪問  
430年頃   
 
インド:グプタ朝 新たな流れとして密教が喧伝されはじめる
 
500年頃    韓国:百済王朝 仏教を保護  
520年頃    達磨中国へ赴く 禅宗の始祖とされる  
528年頃    慧可 入門 禅宗の第二祖と呼称されている  
529年頃   
 
達磨大師死去                    達磨大師の人気を妬んだ者達によって毒殺の伝承があるが不明
6世紀頃     日本:百済から仏教が伝わる  
7世紀     
 
中国から玄奘がインドに赴く  中国に正式に仏教が伝わる元となる 西遊記の三蔵法師のモデルとされたみたいです
7世紀後半    チベットに仏教伝播 独自の発展をとげる(チベット仏教)  
8世紀頃    
 
中国:唐王朝 仏教の繁栄 空海 最澄 中国へ 日本で仏教を広める
 
845年     中国:仏教弾圧  
10世紀頃    中国:宋王朝 仏教 興隆 日本に伝播  
1185年頃   日本:既存の仏教への批判が高まる 鎌倉仏教の萌芽  
1193年頃   イスラム教徒インドへ  
1223年    道元禅師 中国へ  
1227年   
 
帰国:正伝の仏教として座禅をメインとした教えを伝え始める
 
1234年    既存の仏教から弾圧される 能登へ赴く  
1240年    チベット仏教 モンゴルへ伝播  
1253年    道元禅師逝去  
13世紀初頭  
 
イスラム教国ゴール朝のインド侵入  インド仏教は1600年の歴史を終えて滅亡
 
1571年    織田信長 比叡山焼き討ち  
1868年   
 
神仏分離令 全国に廃仏毀釈の運動が起こる 寺院・塔が処分された 山口県でも神社とお寺が分離されたり戸統廃合が行われた
1959年    チベット動乱 ダライラマ インドへ亡命  
2011年    ダライラマ 日本で講演  
現在      
 
葬式仏教と揶揄された日本の仏教に関しての見直しがはじまっている