代 |
尊 称 |
示 寂 |
備 考 |
開山
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頭室長源 大和尚
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万治九年(1658)
戊戊八月十八日
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真如(妙喜)十四世
宮野洞泉寺開山
1640年寛永十七年開創 |
二世
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一峰宗逸 大和尚
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享保元年(1716)
丙申八月十七日
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真如(妙喜)十五世
元禄十四年(1701)妙喜寺伽藍再興 |
三世
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泰翁寂隠 大和尚
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宝暦三年(1753)
癸酉六月二十七日
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真如(妙喜)十六世
同嗣?
宮野竜華輪番中興梅厳丹嶺 |
四世
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戒雲不高 大和尚
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享保十八年(1733)
七月二十二日
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同嗣?
三世 泰翁寂隠大和尚
おそらくは三世までを拝請したのでは(二十五世考) |
五世
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梅鉄雲嶺 大和尚
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宝暦六年(1756)
五月二十五日 |
防長社寺由来(山口文書館)では三世と記述 |
六世
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無外心了 大和尚
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天明三年(1783)
十二月二十二日 |
地福 桂院十一世
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七世
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牆外九道 大和尚
(牆に近い 上に出ていず巫 九は兀?) |
天明五年(1756)
八月十四日
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八世
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竹翁快心 大和尚
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宝暦六年(1756)
五月二十三日 |
大徳十三世?
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九世
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大見道林 大和尚
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寛政七年(1795)
十二月十八日
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生雲 瑞雲十一世?
安永三年(1744)
十二月十八日 |
十世
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實参普外 大和尚
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天明七年(1787)
九月二十七日 |
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十一世
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即如随仙 大和尚
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文化元年子(1803)
四月二十日 |
三谷 長向八世
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十二世 |
丹山鳳毛 大和尚 |
不詳 |
経本では十四世 |
十三世 |
蘭山祖庭 大和尚 |
不詳 |
経本では十三世 |
十四世
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不響聞谷 大和尚
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天保七年申(1836)
一月一日
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記録では十二世
山口平井出身
福岡(円照寺 石崎村)山口(泉香寺 恒富村・・永福寺末寺) (金連寺 伊佐江村)(大岩住 神田村) |
十五世
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円山大光 大和尚
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嘉永元年(1848)
五月十七日
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大津郡向津浦出身
向津庵?枝和尚に師事
徳地林光寺
大分多福住(豊後高田) |
十六世
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萬原了松 大和尚
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元治二年(1865)
一月三十一日 |
徳地 地蔵寺にて遷化
七十四歳 |
十七世
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一山覚門 大和尚
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明治十三年(1877)
九月十八日
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白石伊左エ門次男
豊浦郡阿川村白石梅吉宅にて示寂 |
十八世
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悦翁道本 大和尚
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明治十六年(1883)
十二月十一日 |
徳地 西宗寺にて示寂
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十九世
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大覚悦道 大和尚
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大正六年(1917)
十二月二十四日
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萬延元年(1860)申歳三月庫裡再建 法地起立
中郷大海家にて示寂
俗名 大海直人 |
二十世
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探道玄幽 大和尚
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明治三十年(1897)
九月五日 |
萩の乱の記録に「明治九年十一月四日 兵隊今朝中郷海禅寺住職城戸探道と女一人を縛る(略)四日官軍一分隊、篠目中郷の間道にあたる海禅寺に屯し」(出典:阿東町制施行五十年史)たぶん賊軍をかくまった罪かなにかで? |
二十一世
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常満覚道 大和尚
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昭和九年(1934)
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昭和七年二月二十一日退隠
防府市高砂寓居にて示寂
山口県寺院名鑑編集協力 |
二十二世
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無得碩禅 大和尚
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昭和十二年(1937)
九月十四日
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山口市嘉川出身
徳佐 泉福寺広中樵一 徒
昭和九年三月十一日退隠
北支天津病院にて戦傷死29歳 |
二十三世
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道本明哲 大和尚
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昭和十二年(1937)
八月二十七日
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大分県森町出身
萩 海潮寺 木村隆法 徒
北支にて戦死 28歳 |
二十四世
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天外大成 大和尚
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明治二十三年一月二十一日 御幡鶴松・サエ
幼名 九郎
昭和四十一年(1966)
一月二十四日
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大分県宇佐郡院内出身
愛媛県喜多郡高昌寺で木村隆法師に就いて得度。大分県宇佐郡院内村龍岩寺で中津眠龍師に師事。島根県津和野永明寺に七年。横浜の総持寺僧堂に三年。昭和四年二月二十八日に安養山臨川寺住職拝名。
生雲銅 臨川寺二十一世
(昭和四年二月晋山)
本堂改装・客殿・地蔵堂新築 |
二十五世
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一天高光 大和尚
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大正十四年三月二十三日 山川藤松・マサ
平成十八年七月十四日
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熊本県天草出身
幼少にて両親と死別
十三歳 海潮寺の徒弟
昭和二十七年 御幡婿養子
昭和五十六年 妙喜寺(兼務)
昭和六十一年 納屋改修
平成十八年 兼務先の妙喜寺にて遷化 |
二十六世
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