西洋暦 | 和暦 | 歴史 | 篠目の記録 | 海禅寺関連 |
中生代白亜紀後期 | 阿武層群形成(中生代火山岩) | |||
BC1500万年 | 日本海形成 | |||
篠目-津和野-益田 津和野川形成 | ||||
BC20万年 | 新世代洪積世後期 | 青野火山群火山活動で古徳佐湖が形成 | ||
BC3万年 | 古徳佐湖消滅 | |||
縄文時代 | 渡川の上の原(原遺跡 九州や瀬戸内海の土器) | |||
251 | 景行2年(10年) | 景行天皇即位・味波々命(うましははのみこと)阿武国造 | ||
277 | 景行27年 | 日本武尊熊襲を平定 | ||
538 | 仏教公伝 | |||
592 | 推古 | 聖徳太子摂政となる | ||
607 | 推古5年 | 法隆寺創建 | ||
663 | 斎明8年 | 白村江の戦い | ||
646 | 大化 | 大化の改新詔発布 | ||
685 | 天武14年 | 山陽使者、国司・群司・百姓の巡察 | ||
694 | 持統4年 | 藤原京遷都 | ||
698 | 文武2年 | 周芳国、銅鉱を献上 | ||
699 | 朱鳥13年 | 役小角大祓 | ||
701 | 大宝元年 | 大宝律令制定・施工 飛鳥時代 |
8・11周防・長門など17国に蝗害 大風 | |
710 | 元明3年 | 平城京遷都 | ||
737 | 天平9年 | 奈良時代・藤原不比等の四子死亡 | 疫病流行 | |
747 | 天平19年 | 東大寺盧舎那仏建造の銅の進上開始 | ||
765 | 天平宝字8年 | 道鏡太政大臣禅師 | ||
790 | 桓武13年 | 平安京遷都 | ||
797 | 平安時代 | 坂上田村麻呂征夷大将軍 | ||
806 | 大同元年 | 蔵目喜銅の採掘? 空海帰国真言宗を伝える |
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838 | 承和5年 | 守庚申の記述「入唐求法巡礼行」 | ||
853 | 仁寿3年 | 疱瘡流行 | ||
901 | 延喜元年 | 菅原道真大宰府へ | ||
935 | 朱雀5年 | 平将門の乱 | ||
870 | 貞観11年 | 阿倍清明天文博士 | ||
1011 | 寛弘8年 | 紫式部「源氏物語」 | ||
1167 | 仁安2年 | 平清盛正太政大臣 | ||
1180 | 治承4年 | 源頼朝伊豆で挙兵 | ||
1185 | 文治元年 | 平家壇ノ浦の戦で滅亡 | 落ち武者篠生に(言い伝え) | |
1200 | 正治2年 | 道元誕生1/19 | ||
1214 | 建保2年 | 道元出家(天台座主公円に師事) | ||
1219 | 承久元年 | 源実朝暗殺 | ||
1223 | 貞応2年 | 道元、曹洞宗天童如浄に印可を受ける | ||
1228 | 安貞2年 | 道元帰国 | ||
1224 | 寛元2年 | 道元、傘松に大佛寺を開く(後の永平寺) | ||
1253 | 建長5年 | 道元没享年54歳 | ||
1274 | 文永12年 | 文永の役 | ||
1281 | 弘安4年 | 弘安の役 | ||
1295 | 永仁3年 | 現細野神社の場所に天満宮を山城北野より遷座 | ||
1338 | 延元3年 | 足利尊氏征夷大将軍 | ||
1378 | 天授4年 | 足利義満室町に花の御所造営 | ||
1399 | 応永6年 | 応永の乱:大内義弘討死・弟弘茂周防・長門を受領 | ||
1467 | 応仁元年 | 応仁の乱 | ||
1470 | 文明2年 | 室町時代 | 渡川の名称登場(大乗院寺社雑記) 篠目・渡川で陶軍と吉見信頼交戦・細野神社炎上 |
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1482 | 文明4年 | 大内政弘、吉見信頼と陶弘護が宴席で相刺して死亡 | ||
1492 | 明応元年 | 戦国時代 | ||
1493 | 明応2年 | 大内政弘 | 龍吟庵(海禅寺の前身)開創(口伝) | |
1522 | 大永2年 | 大内義興、尼子経久を攻める | ||
1525 | 大永5年 | 島津忠良、武具を琉球王に献上 | 大内義興渡川城を築城または修理 同じ頃、親睦の台ケ原 河野隆風の城が? 城平(台ケ原城主槇野隆安家臣大田氏の居城?) |
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1530 | 享録3年 | 幕府徳政令発布 大内氏遣明船を種子島で建造 |
細野神社(生雲八幡宮より分霊・宇佐八幡宮より遷座) | |
1549 | 天文18年 | キリスト教伝来 | ||
1550 | 天文19年 | サビエル大内義隆に謁見 | ||
1551 | 天文20年 | 山口市内大道寺教会へ 大内義隆大寧寺で自刃 |
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1557 | 弘治3年 | 陶晴賢滅亡 | 渡川城は廃城へ | |
1558 | 弘治4年・永録元年 | 肝付氏、北郷時久を討つ | 安新兵衛門尉吉金(吉見氏の武将)の父氏稔が陶氏追悼の恩賞として細野二石を得た。子は細野のお寺にお経を納めている | |
1560 | 永録3年 | 桶狭間の戦:信長、今川義元を破る | ||
1572 | 元亀3年 | 三方ガ原の戦 | 生雲郷細野村希運院(奥書) 広沢寺所蔵大般若経 細野村の存在が確認できる資料 |
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1573 | 天正元年 | 足利幕府滅びる:安土桃山時代 | ||
1582 | 天正10年 | 本能寺の変 | ||
1590 | 天正18年 | 豊臣秀吉天下統一 | ||
1592 | 文禄元年 | 文禄の役(秀吉朝鮮を攻める) | ||
1596 | 慶長元年 | 秀吉明使を追う | ||
1600 | 慶長5年 | 関ケ原の役 | ||
1603 | 慶長8年 | 徳川家康征夷大将軍に | ||
1610 | 慶長15年 | 蔵目喜銅山の名称(検見帳)登場 | 篠目村:生雲郷と合石(検地帳記載) 篠目村の記述なし |
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1612 | キリスト教禁止令 | |||
1613 | 慶長18年 | 平戸にイギリス商館建設キリスト教布教禁止 | 阿武郡篠目村二十六石九斗余(佐世元嘉に宛てた毛利輝元知行状(閥閲録) | |
1615 | 慶長20年・元和元年 | 一国一城令 | ||
1619 | 元和5年 | 御三家成立 | 堅田元慶、篠目村を領有 | |
1622 | 元和8年 | キリスト教徒55人長崎で処刑 | 堅田氏の供養塔建立 | |
1623 | 元和9年 | 徳川家光将軍となる | ||
1624 | 寛永元年 | スペイン人の来航禁止 | ||
1625 | 寛永2年 | 僧天海寛永寺創設 | 阿武郡(十八郷)生雲郷の中に篠目・細野の記述 堅田氏の細野領有終了 |
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1629 | 寛永6年 | 紫衣事件:大徳寺の沢庵ら流刑 | ||
1631 | 寛永8年 | 朱印船の制を設ける | 新寺建立禁止令 | |
1637 | 寛永14年 | 島原の乱 | ||
1638 | 寛永15年 | キリスト教禁止令 | ||
1639 | 寛永16年 | 鎖国令 | ||
1640 | 寛永17年 | |||
1643 | 寛永20年 | 田畑永代売買禁止令 | 10月12日妙信寺創建 | 頭室長源、宮野に洞泉寺を開創 |
1644 | 正保元年 | 幕府明の救援要求を拒む | ||
1648 | 慶安元年 | 私鋳銭禁止令 | ||
1650 | 慶安3年 | 大雨で鹿児島城大破 | 記録(篠目・細野は山口宰判に所属中)いつからは不明、生雲東分は奥阿武宰判に所属 | 龍吟庵を禅宗の寺とし龍吟山海禅寺と改称 |
1651 | 慶安4年 | 由井正雪謀反 | 18宰判制度制定 | |
1652 | 承応元年 | 承応事件 | ||
1655 | 明歴元年 | 長崎貿易を相対貿易とする | ||
1658 | 万治元年 | 内検丈量終了 | 頭室長源没 | |
1661 | 寛文元年 | 徳川綱重を甲府・綱吉を館林に | ||
1665 | 寛文5年 | 諸宗寺院法度・諸社神主法度を制定 | 宗門改帳作成を指示 | |
1671 | 寛文11年 | 河村瑞軒東回り航路開設 | 宗門人別改制定 | |
1673 | 延宝元年 | 分地制限令 | ||
1681 | 天和元年 | 評定所規則 | ||
1684 | 貞享元年 | 貞享歴を採用 | ||
1688 | 元禄元年 | 柳沢吉安側用人へ | ||
1691 | 元禄4年 | 住友友芳 別子銅山開発 | 御堂原たたら川 製鉄所 鉱山師(野村助五郎)の記録 | |
1694 | 元禄8年 | 松尾芭蕉没(1893奥の細道) | ||
1699 | 元禄12年 | 阿武郡(一庄三十六村)渡川・篠目・細野の記述(郷帳) 篠目村は山口宰判 |
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1702 | 元禄15年 | 赤穂浪士仇討ち | ||
1703 | 元禄16年 | 中郷向山に三界万霊塔を建立。観音堂も? | ||
1704 | 宝永元年 | |||
1705 | 宝永2年 | お陰参り流行 | ||
1711 | 正徳元年 | 新井白石、朝鮮使の待遇を改める | ||
1714 | 正徳4年 | 真如寺十五世一峰宗逸、真如寺伽藍再建 | ||
1716 | 享保元年 | 徳川吉宗将軍へ | 海禅寺二世一峰宗逸没8/17 | |
1728 | 享保13年 | 見沼代用水完成 | 細野村は篠目村と合併か(地下上申)以降細野村の記述なし。 | |
1733 | 享保18年 | 米価高騰打ち壊し | 四世中興戒雲不高没7/28 | |
1736 | 元文元年 | 正徳金銀を改鋳 | ||
1740 | 元文5年 | 吉宗の4男一橋家創設 | 篠目村の記述(地下上申) | |
1741 | 寛保元年 | 幕府、強訴・徒党・逃散仕置の規定 | ||
1744 | 延享元年 | 御触書寛保集成 | ||
1748 | 寛延元年 | 長崎貿易活発化 | ||
1751 | 宝暦元年 | 蔵目喜村の名称(地下上申)徳川吉宗没 | ||
1752 | 宝暦2年 | 長州藩藩政改革 | 篠目村庄屋 吉賀十郎兵衛の記述 | |
1753 | 宝歴3年 | 三世泰翁寂隠(真如寺十六世)没6/27 | ||
1756 | 宝歴6年 | 武田出雲没「仮名手本忠臣蔵」 | 五世梅鉄雲嶺没5/25 八世竹翁快心没5/23 |
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1762 | 宝歴12年 | 寺院への田畑寄進禁止令 | ||
1764 | 明和元年 | 武蔵・下野百姓一揆 | ||
1765 | 明和2年 | 五匁銀新鋳 | 文殊堂延命地蔵建立 | |
1772 | 安永元年 | 江戸大火 | ||
1774 | 安永3年 | 杉田玄白「解体新書」 | ||
1781 | 天明元年 | |||
1782 | 天明2年 | 天明の大飢饉~1787 | ||
1783 | 天明3年 | 浅間山噴火 | 六世無外心了(地福桂光院十一世)没12/22 | |
1785 | 天明5年 | 七世墻外兀道没8/14 | ||
1787 | 天明7年 | 十世實参普外没9/27 | ||
1789 | 寛政元年 | 棄捐令(旗本・御家人の負債免除) | ||
1795 | 寛政7年 | 九世大見道林没12/18 | ||
1801 | 享和元年 | 百姓・町人に対する名字・帯刀禁止令 | ||
1804 | 文化元年 | ロシア使節長崎へ | 細野の柴崎相模(読書・習字)の塾開講~安政4年 | 十一世即如随仙没4/20 |
1806 | 文化3年 | 江戸芝の大火 | 渡川延命地蔵建立(9月27日) | |
1811 | 文化8年 | 伊能忠敬2月6日海禅寺宿泊 | ||
1812 | 文化9年 | ロシア船、高田屋嘉兵衛を拿捕 | 中郷の野田春三(読書・習字)の塾開講~天保9年 | |
1818 | 文政元年 | 伊能忠敬没 | ||
1823 | 文政6年 | シーボルト長崎に着任 | 細野神社境内へ岩戸社創設(橋本にたったものを遷座) 杉ケ峠(田代から仁保)5月14日延命地蔵建立 徊国 船木槌右衛門 |
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1826 | 文政9年 | 島津斉彬シーボルトと会見 | 見附の龍門の滝に大元社を遷座か?創設の碑あり | |
1830 | 天保元年 | 伊勢お陰参り流行 | ||
1833 | 天保4年 | 天保の飢饉 | ||
1831 | 天保2年 | 天保一揆 防長一揆 |
細野の林岩男(読書・習字)塾開講~明治6年 8月7日(夕方より篠目村出張五軒こぶり八町越した)こぶりは何か不明 8月24日生雲蔵目喜より一揆勃発 山口宰判(検挙者16名うち有罪10名) |
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1836 | 天保7年 | 甲斐・三河・陸奥農民暴動 | 6月12日申歳の大水 水死者無数田畑家屋流失 | 十二世不響聞谷没1/1 |
1837 | 天保8年 | 大塩平八郎の乱 | ||
1841 | 天保12年 | 水野忠邦改革着手 | 風土注進案(長防風土記)作成 石州街道の記述あり宮野から大峠を越えて板見堂・城平・渡川山腹を通る道。一里塚も整備されていたらしいが現在不明。 | |
1842 | 天保13年 | 異国船薪水令 | 給料地および石高の記録あり。信常弥右衛門-大組(田代31石4升五合)・柳井弥平太-遠近付(大田屋敷四石三斗五升)・佐々木陽五郎-大組(岡草・奥叶・五味83石七斗一升六合)佐々木氏は在宅諸士で大田屋敷に屋敷を構えていた。他二人は他に給料地がある。本領は別にある。米倉(持坂・三谷・榎谷・千頭・大野・林)千頭の地名はすでに存在したことになる。篠目に宿場(駅)あり馬1匹人夫2名。目代所と呼ばれ畦頭と兼任 | 十三世蘭山祖庭没年不詳 十四世丹山鳳毛没年不詳 |
1844 | 弘化元年 | オランダ国書で開国を迫る | ||
1845 | 弘化2年 | 開国拒絶 | 篠目村(大野・岡草・嫁叶・大田屋敷・橋本・栖通・細野・田代・中郷・奥叶・見附・板見堂・林・大江河内(馬入道は細野に編入・大江河内が分離、楢原と大谷山は持坂に編入) 田畑総石高1069石:家数211軒:男406人:女328人:牛156頭:馬21頭 |
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1848 | 嘉永元年 | 十五世円山大光没5/17 | ||
1850 | 嘉永3年 | 佐賀藩反射炉をつくる | 細野の柴崎真澄(習字・算術)の塾を開講~万延元年 中郷の河内丈右衛門(読書・習字)の塾を開講~万延元年 |
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1853 | 嘉永6年 | ペリー浦賀来港 | ||
1854 | 安政元年 | 日米・日英・日露和親条約 | 渡川操船永代録(操船設置記念)橋にかわるものとして活躍 | |
1859 | 安政6年 | 吉田松蔭処刑 | 中郷の大海直人(習字)の塾を開講~明治元年 | |
1860 | 万延元年 | 桜田門外の変 | ||
1861 | 文久元年 | 毛利敬親公武合体を献議 | ||
1863 | 文久3年 | 高杉晋作が東行と改名 長州藩下関で外国船砲撃・薩英戦争 七卿長州落ち 奇兵隊創設(6月7日) |
大野の浜安四朗兵衛(読書・習字)の塾を開講~明治9年 | |
1864 | 元治元年 | 蛤御門の変:久坂玄瑞自刃(享年25) 第一回長州征伐 周布政之助(矢原吉富家にて自刃) |
十九世大覚悦道庫裡再建 | |
1865 | 慶応元年 | 絵堂大田の戦い | 1月23日奇兵隊篠目口に集結 奥阿武大隊(農兵)編成 |
十六世萬源良松没1/31 |
1866 | 慶応2年 15代徳川慶喜 |
第二次長州征伐(大島軍襲撃)四境戦争 薩長連合成立 |
5月29日大村益次郎生雲訪問 10月御堂原 宝性地蔵建立 |
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1867 | 慶応3年 | 王政復古 | ||
1868 | 慶応4年・明治元年 | 版籍奉還・廃藩置県 | ||
明治2年 | 地租改正 脱隊事件 | |||
1871 | 明治4年 | 篠目村は山口の管轄から脱して奥阿武郡部に編入 | 二十一世誕生 | |
1872 | 明治5年 | 大区小区制・学制 | 第二十一大区 第四小区(生雲村東分・篠目村) | |
1875 | 明治8年 | 樺太・千島交換条約 | 榎谷に生雲小学校榎谷支校開校(場所:松永巻耳氏旧宅。松永氏の祖先は私塾を開いていた伝聞あり) 生雲小学校篠目支校を五反田に開設 地名:大峠(おおたお)、板見堂(堂ケ峠どうがたお、乱橋みだれはし、井出ガ迫いでがさこ、大江河内おおえがわち)、林(蔵本)、十門ガ嶽じゅうもんがたけ、見附(河ガ峠かわがたお)、中郷(台河内、城川、寺門前、奥叶おくがの、市ケ原、五反田ごたんだ、落合おちやい、地神堂、上台)、田代、馬入道ばにゅうどう、平谷、細野(大林、まがり、片山、小林)、物見岳、休場やすみば、栖通、橋本(馬地うまぢ、市いち、台ガ原、嫁叶よめがの、岡草、城平じょうびら、大田屋敷(栩木とちのき)、大野(柄谷からたに) |
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1876 | 明治9年 | 廃刀令 | 渡川の厳島神社に建立二百数十年を記念した額が掲げられた。 萩の乱。11月、海禅寺に政府軍一個中隊。住職は捕縛される。賊軍に協力か?(探幽和尚)生雲・榎谷で激戦の末鎮圧 |
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1877 | 明治10年 | 西南戦争 | 榎谷支校は小学校へ改称(支校 持坂・大野・篠目) | 十七世一山覚門没9/18 |
1878 | 明治11年 | 郡区町村編制法公布 | 村区画変更で生雲小学校篠目支校を榎谷小学校篠目支校と改称 | |
明治12年 | 教育令 | |||
1880 | 明治13年 | 集会条例 | 中郷上台(目代所跡地)に篠目郵便取扱所が設置 篠生郵便局2月1日開設 |
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1881 | 明治14年 | 自由党結成 | 生雲小学校篠目支校は中郷へ移転 千頭の荒神社に三界万霊塔建立 |
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1883 | 明治16年 | 十八世悦翁道本没12/11 | ||
1884 | 明治17年 | 群馬事件・秩父事件 | 千頭に榎谷小学校移転。大野支校を廃止。知方小学校となる。 | |
1886 | 明治19年 | 小学校令 | 篠目郵便局と改称(中郷上台) 12月文殊大峠に国境の碑建立 |
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1888 | 明治21年 | 市制・町村制公布 | ||
1889 | 明治22年 | 大日本国憲法発布 | 生雲東分村と篠目村合併して篠生村へ。村会議員が選挙され村長と助役を選出 篠目郵便局は細野の林岩男宅に移転 |
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1892 | 明治25年 | 千島艦事件 | 知方小学校を篠生尋常小学校と改称 | |
1893 | 明治26年 | 横河・軽井沢アブト式線路 | 篠生八十八ケ所再制定(その前にあった?) | |
1894 | 明治27年 | 日清戦争~1895 | ||
1895 | 明治28年 | 下関条約・三国干渉 | 旧国道18号線の木戸道路開通(宮野の鳰地から文殊の神田) 細野:藤井史郎8/1日清戦争戦病死 |
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1897 | 明治30年 | 金本位制実施 | 古屋酔紅(古屋滝一)8月6日田代で誕生 | 二十世探道玄幽没9/5 |
1899 | 明治32年 | 治外法権撤廃 | 篠生郵便局貯金・為替業務開始 | |
1900 | 明治33年 | 義和団の乱 | 大野:浜安庫之進8/30北清事変従軍戦死(29) | 二十四世天外大成誕生 |
1901 | 明治34年 | 貴族院で増税案可決 | 篠生尋常小学校は大野に移転し篠生尋常高等学校となる。 篠目簡易小学校(知方小学校分校)が篠目尋常小学校として独立(通学区域:文殊・中郷・奥叶・田代・細野・台ケ原) |
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1904 | 明治37年 | 日露戦争~1905 | ||
1905 | 明治38年 | 日本海海戦・ポーツマス条約調印 | 3月に文殊から地福(鷹巣)道路改修。国道18号線と改称(篠生村の事業) 氏原大作(原 阜)3月20日文殊で誕生 細野:藤井秀一1/27日露戦争中国満州戦死(23) 親睦:蔵本唯一3/9日露戦争中国満州戦死(24) |
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1906 | 明治39年 | 鉄道国有法公布 | 篠目郵便局は御堂原に新築移転し篠生郵便局と改称 持坂小学校前に「文思安安」の碑設置 |
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1907 | 明治40年 | 小学六年制の義務教育開始 | 文殊:新見民蔵9/28美東町絵堂演習中病死(21) | |
1910 | 明治43年 | 大逆事件 | 千頭 河井清之進梨500本・リンゴ350本・桃200本を植え付ける | |
1912 | 大正元年 | 第一次護憲運動 | 勤労主義教育(馬淵山口県知事教育方針) | |
1913 | 大正2年 | 東北・北海道大凶作 | 1月田代トンネル工事(鹿島組の請負)着工 完成まで3年と11ケ月かかった。全長1897m。当時有数の長いトンネルであった。 安全祈願で田代の聖観音像建立(7月7日) |
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1914 | 大正3年 | 第一次世界大戦 | 山口自動運転社により山口・津和野間の路線バス運行開始 | |
1916 | 大正5年 | 大隈重信襲撃 | 篠生郵便局保険業務開始 | |
1917 | 大正6年 | 金輸出禁止 | 山崎自動車商会 篠目・津和野間の路線バス運行開始(一日一往復) 鉄道7月1日山口・篠目間開通 |
十九世大覚悦道没12/24 |
1918 | 大正7年 | 米騒動・スペイン風邪の流行 シベリア出兵 |
鉄道篠目-三谷間の鉄道が開通 この頃より花乃本聴秋が長門峡を訪れている。高島北海とともに長門峡開発に関わった。 8月19日、中郷・林の人々が篠目駅付近に集合、生雲分署長の説諭で解散。地主などの有志が会議を開き米二十七俵を一升32銭で販売(当時の相場一升42銭) |
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1919 | 大正8年 | 第一次世界大戦終結(ベルサイユ条約) | 中郷:向山市松9/11シベリア戦役ネクチンクス戦死(21) | |
1920 | 大正9年 | 第一回国勢調査 国際連盟加入 |
高島北海が8月より山根武亮とともに長門峡開発を開始 篠生村:599世帯・男子1339人・女子1225人 見附:久保八重熊(5/1)シベリア戦役(22) |
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1921 | 大正10年 | ワシントン会議 | 高島北海 長門耶馬渓を長門峡と命名 更新会結成(主に小学校教員) |
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1922 | 大正11年 | 日本共産党結成 | 篠目尋常小学校が篠目尋常高等学校へ。細野松ケ台へ移転。氏原大作(原 阜)地福尋常小学校の教師着任 御堂原飯の山、川上村有志 観音像建立 |
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1923 | 大正12年 | 関東大震災・虎の門事件(主犯山口県出身) | 11月長門峡開発記念碑建立(萩町外四箇村長長門峡管理組合) | |
1924 | 大正13年 | メートル法実施 | 長門峡 国の名勝指定 | |
1925 | 大正14年 | 二十五世一天高光誕生 | ||
1926 | 大正15年昭和元年 | 京都学連事件 | ||
1929 | 昭和4年 | 世界恐慌 | ||
1930 | 昭和5年 | ロンドン軍縮会議 | 篠目地区で八十八ケ所を再度編成。世話人(板見堂:小田彦吉・原 幸一、見附:梅田国蔵・白松仁吉、中郷:清水忠二・原田市兵衛、橋本:山本幸一・山根市五郎、嫁叶:畠中梅一、大野:浜安卯太郎・河村栄治郎、御堂原:河村惣吉、大田屋敷:児玉好蔵、林:原光蔵、細野:林恒介・佐々木平之進・窪田米蔵、田代:山根為一、 | 二十一世常満覚道、石門、塀を新設 |
1931 | 昭和6年 | 満州事変 | ||
1932 | 昭和7年 | 二十一世常満覚道退任 | ||
1933 | 昭和8年 | 国際連盟脱退 | ||
1934 | 昭和9年 | 篠生郵便局が電話業務を開始 細野:藤井静9/3中国満州奉天省法庫県戦死(26) |
二十一世常満覚道没 | |
1935 | 昭和10年 | 篠生郵便局が電信業務を開始 | ||
1936 | 昭和11年 | 二.二六事件 | ||
1937 | 昭和12年 | 日中戦争 | 中原中也。4月「冬の長門峡」を発表 細野:内田繁行5/19平壌上空戦死(21) 親睦:岩本明哲8/27中国北支長城線戦死(27) 大野:浜安二郎10/15中国山西省戦死(21) |
二十二世無得硯禅没(29)9/14 二十三世道本明哲没(28)8/27 |
1938 | 昭和13年 | 国家総動員法公布 | 部落制施工 細野:高野貞行1/8中国満州牡丹江省戦病死(21) 千頭:浦部勇8/1中国江蘇省銅山県戦死(30) |
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1939 | 昭和14年 | 米穀配給統制法施行 第ニ次世界大戦勃発 |
戦時統制路線バス各社統一(木炭ガス発生装置による運航・タイヤ・チューブ不足・運転手も応召で不足) 見附:山本正道(11/22)広東省蒲津村戦死(25) 中郷:久野保12/26中国広西省戦死(22) 親睦:三浦浅一8/20中国満州興安北省戦死(22) 御堂原:山根正一5/31中国浙江省戦死(25) |
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1940 | 昭和15年 | 日独伊三国同盟成立 | 中郷:篠原亀若6/22中国広西省戦死(21) | |
1941 | 昭和16年 | 日米開戦・太平洋戦争~1945 | 篠目尋常高等学校を国民学校と改称 お寺・火の見櫓の鐘や金属製品を供出 中郷:原友恵10/30中国江蘇省陸軍病院戦病死(28) 大野:田屋英雄12/10ハワイ真珠湾港外海戦潜水艦戦死(23) |
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1942 | 昭和17年 | 食料管理法施行 | 大野の発電所閉鎖へ 中郷:平尾武文7/4支那事変戦死(31) 田代:古谷幸雪2/16支那事変戦死(26) 御堂原:河井泰俊2/25スラビヤ上空戦死(25) |
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1943 | 昭和18年 | 田代:山根斌12/14フィリピン陸軍野戦病院戦病死(22) 細野:安田顕政11/21ニューギニア戦死(30) 細野:境篤8/17平壌戦死(23) 大野:河村末芳6/30中国満州牡丹江省戦病死(23) |
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1944 | 昭和19年 | 学徒集団疎開 | 篠生村、松根を集め運動場に窯をつくり松根油を採取 小学生松脂の採集 見附:山本勇2/6北満州牡丹江第一陸軍病院戦病死(33) 見附:岡富雄11/28ニューギニアイドレ野戦病院戦病死(30) 文殊:西村利迪2/6ビルマ戦死(27) 文殊:中原初一8/2ニューギニクニホン戦死(23) 文殊:山根峰太7/8サイパン島戦死(43) 中郷:篠原克之3/16北太平洋上戦死(24) 細野:大岡正朔12/26フィリピンレイテ島戦死(33) 細野:窪田正雄2/25南方作戦海上戦死(33) 細野:松下菊市6/25ニューギニア海軍病院戦病死(44) 細野:原二郎12/11フィリピンレイテ島戦死(21) 細野:林房晴10/19小笠原群島父島戦病死(37) 親睦:藤本春季8/31ソロモン群島海戦戦死(28) 大野:蔵本夏一7/18中国中支方面戦死(37) 御堂原:松原寿三郎10/26フィリピン方面戦死(37) 千頭:河村博徳5/12中国満州ハルピン戦病死(21) |
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1945 | 昭和20年 | 8月6日広島原爆投下 終戦 |
古屋酔紅5月3日死去。享年48歳。 8月6日 細野:藤井郁子広島ミッションスクール校庭被爆死(22) 大野:浜安修介広島市内被爆死(32) 見附:久保寿義5/20フィリピンポンドック戦死(21) 見附:山本助一2/22フィリピン海上戦死(25) 見附:弘中祥春2/25南方海上戦死(20) 文殊:新見武之7/17フィリピンレイテ方面戦死(22) 文殊:新見尚巳8/6岩手県花巻市野比海軍病院戦病死(19) 文殊:梅田貞信5/24沖縄県島尻郡大里村戦死(26) 中郷:児玉隆和7/21陸軍学徒報国隊島根県益田市事故死(15) 中郷:安田芳夫7/1フィリピンオブヤンサン戦死(24) 中郷:柴崎妙子8/14海軍学徒報国隊光海軍工廠にて被爆死(16) 細野:伊藤義光8/19タイメーホンソン県ホイポン村戦死(24) 細野:窪田義夫6/10沖縄本島米須戦死(26) 細野:境定2/24ソ連抑留中戦病死(20) 細野:内田理一6/22沖縄本島新垣戦死(24) 親睦:柴崎初義3/24東シナ海上戦死(34) 親睦:三浦高一8/14学徒動員光海軍工廠被爆(15) 大野:蔵本嶺男1/3フィリピンレイテ方面戦死(24) 大野:松田要7/15フィリピンレイテ方面戦死(27) 大野:浜安隆之5/25自宅療養中(24) 御堂原:河井秀晃12/6中国北京北部清華園戦病死(20) 御堂原:大前博1/15フィリピンルソン島戦死(24) 御堂原:大前孝三6/25沖縄本島戦死(24) 千頭:河村正己12/17ソ連抑留チタ地区収容所戦病死(37) |
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1946 | 昭和21年 | 日本国憲法公布 農地改革 |
小作撤廃 見附:梅田保彦1/22ソビエトアルタイカバルナウル州抑留中戦病死(21) 親睦:児玉音一2/22中国北支長城線戦死(27) 大野:大田市助2/20ジップヘーゲン駅戦病死(21) |
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1947 | 昭和22年 | 学校教育法(小・中義務化) | 篠目国民学校を篠目小学校と改称(学級数6・学年6・生徒数230人)。大野に篠生中学校創立~昭和43年 長門峡梨組合発足(組合長 田屋武雄) 友清リンゴ園発足 大野:原田薫11/1陸軍病院療養中終戦自宅で(23) 千頭:河井清11/29陸軍勤務中終戦療養中死亡(34) |
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1949 | 昭和24年 | 社会教育法施行 | 公民館設置 | |
1950 | 昭和25年 | 朝鮮戦争勃発 | 阿東町樹苗生産組合発足 長門峡、篠目駅前に診療所設置 |
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1952 | 昭和27年 | 生雲耕運機初始動 | 文殊:原田秀享(9/1)中国転戦中戦死 | |
1955 | 昭和30年 | 自由民主党結成 | 篠生・生雲・地福・徳佐・嘉年の五村合併。阿東町となる。篠生村は篠生地区と改称。篠生村役場は阿東町役場篠生支所となる。 篠生:677世帯・男子1610人・女子1579人 |
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1956 | 昭和31年 | 国連加盟・日ソ共同宣言 | 氏原大作12月31日死去。享年52歳。桂光院に墓地。 長門峡梨組合選果場建設 |
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1957 | 昭和32年 | 徳佐リンゴ園リンゴ狩り開始・なべ底景気 | 新阿東町庁舎完成 | |
1958 | 昭和33年 | 分収造林特別措置法施行 | 大野 村田正治 養鶏場開設 篠生:役牛365頭、馬20頭、緬羊6頭、山羊32頭、鶏1266羽 |
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1959 | 昭和34年 | 国民年金法施行 | 篠生地区渡川共同集荷・集所開設 | |
1960 | 昭和35年 | 集団移住促進事業指定(阿東町) | 昭和36年までに移住した町民98名 阿東町商工会発足 |
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1962 | 昭和37年 | 東大宇宙観測所ロケット打ち上げ | 50年ぶりの豪雪災害 | 本堂・客間改修・地蔵堂改築(二十四世) |
1963 | 昭和38年 | 日本初原子力発電に成功 | 豪雪(三八豪雪)・豪雨被害 | |
1964 | 昭和39年 | 桜郷鉱山閉山(蔵目喜) | ||
1965 | 昭和40年 | いざなぎ景気~45年 | 阿東町章を制定 | |
1966 | 昭和41年 | 集団移住促進事業指定(阿東町)解除 | 豪雨災害 | 二十四世天外大成(臨川寺二十一世)没(66)1/24 |
1967 | 昭和42年 | いたいいたい病問題化 | 12月国道9号線開通。18号線は廃止され県道や町道となる。 | |
1989 | 昭和64年平成元年 | 昭和天皇没 | ||
1995 | 平成7年 | 願成就温泉・阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件 | ||
1997 | 平成9年 | 山口県北部地震・消費税5% | ||
1999 | 平成11年 | 二十六世晋山式 | ||
2000 | 平成12年 | |||
2006 | 平成18年 | 二十五世一天高光没(81)7/14 | ||
2012 | 平成24年 | 安倍首相 | ||
2013 | 平成25年 | 富士山世界文化遺産 | ||
2014 | 平成26年 | 本堂・庫裡大改修開始 | ||
2015 | 平成27年 |