平成19年8月26日 公開
平成20年4月20日 更新
三輪休和氏からの「入選」の連絡
◎ 「入選作」は井戸茶碗=¥コ和31年10月3日付「はがき」
差出人=十代三輪休雪氏
受取人=河野英男
前略 第二回産業工芸展(通産省東京経済新聞後援)九月二十五日より三十日迄上野松阪屋(旧丸技作品展昨年小生入賞の分)に於て本年も塩筒茶碗の新聞社賞(七名)中に入賞只今通知がありました。萩焼関係ではこの一点丈であります。
三越の方は一号井戸茶碗が入選でした。これで□□模様も面白いと思ひます。恐らく一種目では一点丈の入選ではないかと思ひます。小生は八日の急行筑紫で九日朝入京します。又□観の上様子を御□□ます。
草々
──── 解説 ───────────────────────
この「第3回日本伝統工芸展」には、12代坂倉新兵衛氏、休和氏両氏ともに、2点≠クつ出展し、その2点≠ニもが「入選」し、展示されていたのですが、上京される前に、『図録』を先に手にされた段階で、休和氏が「はがき」で連絡してこられた「はがき」です。
『図録』の写真の掲載は、「入選作品」のすべてを掲載するわけではないのです。 (このことは、この「3回展」の『図録』以外にもいえることです。)
@ この「はがき」の中に恐らく一種目では一点丈の入選ではないかと思ひますとあることからも、「落選」する不安≠ネどはまったくなかったことがわかると思います。実際は、2点≠ニも「入選」していたのですが、この『図録』に一点しか掲載されていないということで、「入選」していないのは、一種目では一点丈の入選≠ニいうことなのだろうと、腕の問題ではなかろう≠ニ推測されているのです。
小山先生のお勧めのもと、「萩焼の力=vをアピール≠キるのが目的≠フ応募だったことがわかっていただけると思います。
A 一種目では一点丈の入選ではないかとあることから、もう一点も「抹茶茶碗」であったことは間違いなく、さらに一号井戸茶碗≠ニあることから、それも「井戸茶碗」であったということが伺えます。 (但し、父=英男は、この「第3回展」を見るために上京をしていませんし、休和氏に確認していないと言いましたので、推測≠ナす。)
当時、我が家には「電話」を引いていなかったこともあって、休和氏に限らず、陶工・陶芸家の方々は、こと細かに、「手紙」や「はがき」をくださっています。そして、そのほとんどすべてを父は、整理して残しているのです。