● 手 紙 〈昭和31年6月20日消印 〉 差出人=小山冨士夫先生 受取人=河野英男 初めの半分は、タイプ印刷で、それに、毛筆で、「小山冨士夫」「河野英男」とあります。(河野英男に「様」はありません) 拝啓 初夏新緑の候ますます御健勝のこととおよろこび申し上げます。 去る六月二日以来福井、京都、熊本、佐賀、山口県と長い旅をつづけ十五日無事帰宅致しました。 御地参上の節は皆様に一方ならぬ御世話に相成り厚く御礼申し上げます。 一筆とりあえず御礼まで。 六月十八日 小山冨士夫 河野英男 このたびは一方ならぬ御世話に相成り御蔭様にて宿願となっていました萩焼の見学も出来、一通りの概念を得られました。 作品としては坂倉新兵衛氏が最も優れていると思います。三輪休雪氏も人物作品ともに魅力を感じます。先ず御両氏を県の無形文化財に御指定されることが適当ではないかと存じます。 重要無形文化財の指定は有田・京都並□製陶地のことも考慮の上、坂倉氏の技術を先ず指定したい下心ですがいづれ他の方とも相談の上方針定めたいと思っています。 厚く厚く御礼申上げます。 |
晩年の12代坂倉新兵衛氏。 右側の方は、「萩焼」に理解の深かった岡崎茂樹氏です。 新兵衛氏の、「重要無形文化財(人間国宝)」への「指定申請」は、昭和31年(76歳)、「記録選択」認定は昭和32年3月(数え≠フ77歳)ですから、用≠ゥら芸≠ヨの転換は時間的に%しく、技≠フ人として、その生涯を終えられたのです。 その死は、 昭和35年10月 東京高島屋に於いて「秀作個展」開催 と、お元気だったのに、 昭和35年11月27日、脳溢血により病臥の状態になられ、 昭和35年12月3日、午後11時に亡くなられるというように、突然のものでした。 |
● 「関連」した「ページ」 ─ 私の「ページ」の抜粋>氈@ 「萩焼」のindex ↑ 私の「萩焼」に関する「調査・研究」を一覧にし、「リンク」によって、「アクセス」していただくようにした「ページ」です。
昭和二、三十年代に、「萩焼」に「仕事」として係わった父=英男ですが、残念ながら=A疑問のあることが流布≠オているため、晩年、父の「秘書」的な立場にあった私が、後世に、出来る限り=u正しい」ものをと、「作成」したものです。
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