■うきうきおじさんのひとり言
自分の想いを相手に伝えることはなかなか難しいですよね。だからついついひとり言そんなひとり言を2001年2月から3月にかけて9週9話、事もあろう事か山口新聞の「東流西流」に自分の想いをちょっとばかり・・・!マー気が向いたら読んで見てください。
第1話           安請け合い
皆さんもくありませんか。こんな事お願い出来ませんかと頼まれて後先考えずに「ヨシャええで」とか「ハイ分かりました。やらしてもらいましょう」とか「ハイヨまかしとけ」と言って受けてしまう事がいわゆる世間でよく言う安請け合いというやつです。僕も頼まれると「ええですよ」と言ってしまう。そしていつものことですが受けてしまって「こりゃとんでもない事を受けてしもーたのーどうしょうかいのー」と思ってしまいます自分ながら懲りない奴めと思います。
ところが神は僕を見捨ててはいないのです。必ず良きスタッフ助言者が現れて何とか出来たもんでした。とことが今回は、いつものように「ええですよ」と受けたものの、どこかの国の誰かさんのように書いてくれる人がいて読むだけでいいのであればよいのですがね。
今回は誰かさんが現れるのを待つわけにはいきません。
自分の想いです。神さまも「自分のことじゃ自分でやれ」と言っているようです。「どうしょ大変じゃ大変じゃ」と何回言ってもどうにもなりません。55年の年月を重ねてきた自分の想いを皆さんの心の中に少しでも届けることが出来たらいいなと思っています。
             自分再発見の旅に出ます
第2話        歩行中毒
歩行中毒と書いて「アルコーちゅうどく」と読みます。
歩く時に歩こー、歩こーと言いながら歩くからです。(うそかな?)ともかく歩くことが好きで「どこかに歩くイベントがないか」「どっかに歩くのによい所がないか」といつも歩くことが、,頭の中にある人のことを言います。 かくいう私もその仲間。きっかけは宇部で過ごした大学時代,ワンダーホーゲル部に入部したこと。先輩に「今日歩く」と言われ列車に乗り着いた所が長門仙崎駅。先輩が言うには美祢線沿いに美祢、小野田を通って宇部に帰るとのこと。同期の5人思わず「エッ!!」よし頑張って宇部まで帰るぞと言ったものの,意気込みは最初だけ。そのうち眠たくなる、足に豆ができ痛みが・・・。おまけに雨まで降ってくる。
誰が言い出したか覚えていないが「もう止めようか」とうとう小野田でリタイヤ56KM、昭和39年のことでした。「もーあれーな、えらい事はすまーで」と仲間達と話したものの、時が過ぎるとあのえらさはどこへ行ったやら、歩行中の楽しかったことだけが思い出され「おい!また歩こうや」と歩行中毒になりました。
メデタシ!! メデタシ!!。皆さんも「歩こー、歩こー」と言いながら歩く仲間になって一緒に歩いて下さい。
           四季折々の秋吉台,いいですよ
 
第3話          人と歩く 人として歩く
歩行中毒になって38年。歩き始めた頃は,脚力の強さが完歩する条件と思っていました。
しかしある歩行行事に参加するようになって、それだけではないと思い始めました。「小豆島一周24時間100km歩行」24時間以内に小豆島を一周(100キロ)歩きます。ペンションをオープンして参加できなくなるまで、13回参加しました。
最初の参加は89.4キロでリタイヤ。その時は限界と思いましたが、後になればなるほど「もう少し頑張れば歩けたのではないか」という想いがいつまでも心の中に残りました。
リタイヤした悔しさ、後悔はリタイヤした者にしかわかりません。
それを打ち消すには完歩した時の、言葉では表すことができない喜びしかありません。翌年,再度のチャレンジ。前回と違ったのは一緒に歩いてくれた仲間達がいたこと。23時間52分かかってゴール。そのとき初めて、一緒に歩いてくれた仲間の優しさを感じました。
仲間の優しさがそれからの僕の歩くスタイルを変えてくれました。
リタイヤすることは決して挫折ではありません。そこから新たな一歩を踏み出し、人として歩き始めることができるのでは。
            人と歩く 人として歩く
    この言葉を心に抱き、これからも歩き続けたいと思います
 
第4話          小豆島
僕の歩くことへの思い,スタイルを変えてくれた小豆島100キロ歩行。
13回参加しているといろいろな素晴らしい出会いがあります。
9回目のとき、坂出市から参加した母娘とずーと一緒に歩きました90キロを過ぎて母娘の歩くペースがおち,足も思うように上がらなくなっていました(僕も人のことが言えるような状態ではありませんでしたが)。そのとき母親が当時はやっていた「踊るポンポコリン」を歌いだし,一生懸命娘の手を握りしっかりと歩き始めました。
一緒に歩いていた仲間達も逆に元気付けられ、23時間52分で10人が一緒にゴールしました。
後日手紙をいただき「励ましの言葉をかけてもらいながら,ずっともう駄目だもう駄目だと思いながら歩いていました本当にもう駄目だと感じたとき,しっかりつないだ娘の小さな手のぬくもりに気付き,娘も一生懸命頑張っているのだ、私も頑張らねばと急に力がわいてきました。
娘とのきずなを再確認できたのも皆さんのお蔭です」とありました。母は強いですね小学6年の娘さん直ちゃんからも「暗くなっておじちゃんが私の足元を懐中電灯で照らしてくれたので、無事ゴールできました一緒に歩いて励ましてくれてありがとう。 クラスのみんなに100キロ歩いたことを自慢したいと思います」と書いてくれましたこんな出会いがいっぱいあるから楽しいのです。
 
第5話          岩日夜間歩行
岩国市で会社員をしていた18年前「岩日夜間歩行」という歩行行事を始めた。当時は岩日線(岩国市--錦町)が存続か廃止かで論議されていて、それじゃ岩日線が地域にとっていかに必要で大事なものか考えてみないか?とスタート。
当時の僕は36歳で心身ともにばりばりだったが、18年もたつと・・・・。
だが回を重ねていくうちに、歩行・参加者をサポートする車・食事などのスタッフ仲間の役割分担も自然に決まっていきました。
毎年「今年もよろしく」の一言で駆けつけてくれ、本当に感謝しています。
さて、この歩行の特徴は障害を持つ人の参加も受け付けることです。
しかし、障害を持つからといって特別扱いはしません。
42キロという凄い道のりを完歩する気持ちを持つ人に特別扱いをする事は失礼だと思っています。
車椅子の人、視覚障害の人,聴覚障害の人皆さん一参加者です。
完歩した視覚障害の人が言いました。『完歩して自分に自信がついたし一緒に頑張りましょうと言われて皆の中にいるんだ、仲間なんだ」と。
同時に他の参加者も「ものすごく励みになった」と言います。
年一回の同窓会の雰囲気で、皆さんと会うのが楽しみと言う人、完歩すると、これで一年元気に過ごせると言う人。
参加した人のいろいろな声を聞くと、これからも出来るだけ続けていかなければとおもいます。
皆さんも是非参加してみて下さい。お待ちしています!!

       岩日夜間歩行 スローガン
               "歩いた数だけ強くなれる
                    振り返った数だけ優しくなれる"
 
第6話          秋吉台
経営するペンションの近くに日本一のカルスト台地秋吉台がある。
というよりも秋吉台の麓にペンションが在るというべきかな今その秋吉台がひん死の状態に陥っています。皆さんは秋吉台から何を思い浮かべますか?
青い空、風にたなびく草原、その中に乱立する石灰岩。
そんな風景を想像されるのではないかと思います。
確かにカルストロード(秋吉台を縦断している道路)周辺ではそんな風景が広がっています。でも、それはほんの一部です。
秋吉台は広大です。
少し足をのばして奥に足を踏み入れると風景は一変します。
エッ!これが秋吉台?雑木が生い茂り,荒廃した台地があちらこちらに広がっています。前秋吉台博物館館長の庫本正先生がよく訴えておられます。「今、秋吉台の草原が消えようとしています。
皆さん、よく考えてください。草原が消えるということは、草原だけではなくてその草原で営みをしている小動物,繁殖している植物等命を育んでいるすべてのものが消えていくということなのです。
今こそ、秋吉台の草原を守っていくにはどうすれば良いか人々の知恵を集めるべきではないでしょうか」と。その通りだと思います。
それにはまず我々地元の者が秋吉台への思いを再認識して、秋吉台のメッセージを広く地域外へ伝えるべきではないでしょうか。
 
第7話          秋吉台物語
西暦2×××年、カルストロードを走る観光バスの車内、ガイドさんが 「昔この道の左右には見渡す限り草原が広がり、四季折々装いを変えて訪れる人々を楽しませていました。
今、当時の面影を残している場所は残念ながらありません。
その当時、台上で唯一木が茂っていた長者が森という場所はこの付近と思われます」。こんな日が来るのもなきにしもあらずかな?
秋吉台の森林化。毎年2月にある山焼き。ペンションでは4年前から火入れ体験を企画していますが、燃えにくい場所が年々増えていてこれも一つの要因かもしれません。
防火帯を作る火道切りという作業も大変です。
同時に燃えにくい所を燃えやすくする作業(今はほとんどされていませんが)も同じように大変なのではないでしょうか。
地域住民や秋吉台に関わる人の力だけでは秋吉台はあまりにも広大で、多くの人々の力が長く必要です。多くの人々の関心を集めるには秋吉台に今までと一味違う楽しさを加味してみたら・・・・・。
台上にいろいろなエリアを設けてみたらどうでしょうか花のゾーン、樹木のゾーン、ウォーキングゾーン、バリヤフリーゾーン、荒廃ゾーンなどなど。
年中いろいろな楽しみが味わえる台地になればもっと多くの人々の目が向けられるのではと思うのですが。     **難しいかな!!**
 
第8話          ボランティア
ボランティア、最近やたらとよく耳にする言葉。障害を持つ人、災害にあった人、荒れた環境の改善に手助けをする。
はて、それってボランティア・・・?
ボランティア研修会に招かれるたびに、必ずする話があります。
これは、あくまでもボランティアという活動に対する僕の思いですから人それぞれ、思いもそれぞれ。
だからやり方、受け方も千差万別、違って当たり前。そう思って聞いてくださいと前置きして。
ボランティア活動をしている人に「あなたは何を一番心がけていますか」と聞きますと「相手の気持ちになってやらしてもらっています」との答えが多い。
しかし本当に相手の気持ちになれますか。
相手と同じ状態でなく、いつでも直ぐ自分に戻れるのです。
相手の気持ちになったつもりのうぬぼれはありませんか。
ではどうすればよいか?相手を一生懸命見つめてあげることでは。
しかも見て見ぬふりではなしに見ぬふりして見るですそうすれば相手の思いは必ず伝わってくると思い
ます。
とは言うものの相手と自分の思いが、なかなかビッタリいかないのがこの活動の難しいところです。
まぁ-取り合えず第一歩は自己満足、自分の存在感でいきましょう。
でも出来ればこうありたい。
      良いことをして,さらりと忘れること
もう一度念のため、これは僕の思いです!!
 
第9話          元気玉募集中
今必要なものは? とかく気が滅入りがちなこの時代,がむしゃらに突っ走る元気さかな。  7月14日から阿知須きらら浜で行われる21世紀未来博。
明治維新発祥の地、この山口県で歴史を動かした維新魂を心に秘めた元気玉を持ち、東・西・北の地から南のきらら浜に集結しようというウォークイベントを歩行中毒の仲間たちと進めています。
取り掛かりから実施までの期間が非常に短く,仲間たちとともに、いろいろな制約,大変な苦労ともどかしさのなか、5月11日から歩行スタートとなりましたまあ、苦労が多ければ多いほどゴール地点に立った時の感動は大きいものになるとはいうけれどね。
エッ!そんな企画知らないよとおっしゃいますか。
そうでしょうね。それが今の一番の苦労の種なのです。
東流西流をご覧になった皆さんお願いです。ぜひ皆さんの友人知人の方に「こんなイベントがあるんと」とPRをして下さいませんか。
大きい元気玉、中くらいの元気玉、小ちゃな元気玉を各地からきらら浜に持ち寄り、わが故郷山口県を元気玉一色に塗りかえましょう(どんな色になるのかな)。皆さんの元気玉、待っています!!
          きららウォーク2001
     岩国<錦帯橋>      5月11日スタート
     下関<東行庵>      5月12日スタート
     萩  <萩城跡>      5月13日スタート
     山口<県  庁>      6月 2日スタート

 
第1話「安請け合い」から第9話「元気玉、募集中!」まで長きにわたりお付き合いありがとうございました。
今回でおじさんのひとり言を終了させていただきます。
        おじさんのひとり言にコメントお待ちしています 
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