万葉集 巻第5

#[番号]05/0793
#[題詞]雜歌 / <大>宰帥大伴卿報凶問歌一首 / 禍故重疊 凶問累集 永懐崩心之悲 獨流断腸之泣 但依兩君大助傾命纔継耳 [筆不盡言 古今所歎]
#[原文]余能奈可波 牟奈之伎母乃等 志流等伎子 伊与余麻須万須 加奈之可利家理
#[訓読]世間は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり
#[仮名],よのなかは,むなしきものと,しるときし,いよよますます,かなしかりけり
#[左注]神龜五年六月二十三日
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 太 -> 大 [紀][細] / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],作者:大伴旅人,哀悼,無常,仏教,太宰府,福岡,地名,神亀5年6月23日,年紀
#[訓異]
#[大意]
不幸が重なり悪い知らせが重なってくる。心が崩れるようなつらい思いを長くして、ここ太宰府で独り腸が切れるような苦しみの涙を流している。ただお二人の大なる助けによって傾いた寿命をわずかに継ぐばかりだ [筆舌を尽くさないのは昔から嘆くところである]

世の中が空しいものであると知る時に、いよいよますます悲しいことだとわかった

#{語釈]
禍故(くわこ)重疊(ちょうじょう)し、凶問累集す。永く崩心の悲しびを懐き、獨り断腸の泣を流す。但(ただ)兩君の大助に依りて、傾命を纔(わづか)に継けらく耳(のみ)。 [筆の言を盡くさぬは、古今歎く所]

大宰帥大伴卿  
>大伴旅人。神亀4年頃任官。天平2年11月大納言となり帰京
禍故 災い 不幸  太宰府赴任直後に妻大伴女郎が亡くなっている
凶問 悪い知らせ
兩君 稲公と胡麻呂か
重疊 大伴郎女の夫、宿奈麻呂の他界の知らせか

#[説明]
稲公と胡麻呂の名前で、宿奈麻呂の他界の知らせを受け取り、太宰府では妻大伴女郎が亡くなっているので、その返事として作ったか。
憶良にも披露している。


#[関連論文]


#[番号]05/0794
#[題詞]盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来 二鼠<競>走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖偕老違於要期 獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩 無由再見 嗚呼哀哉 / 愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無結 従来厭離此穢土 本願託生彼浄刹 / 日本挽歌一首
#[原文]大王能 等保乃朝廷等 斯良農比 筑紫國尓 泣子那須 斯多比枳摩斯提 伊企陀<尓>母 伊摩陀夜周米受 年月母 伊摩他阿良祢婆 許々呂由母 於母波奴阿比陀尓 宇知那(i)枳 許夜斯努礼 伊波牟須弊 世武須弊斯良尓 石木乎母 刀比佐氣斯良受 伊弊那良婆 迦多知波阿良牟乎 宇良賣斯企 伊毛乃美許等能 阿礼乎婆母 伊可尓世与等可 尓保鳥能 布多利那良(i)為 加多良比斯 許々呂曽牟企弖 伊弊社可利伊摩須

#[訓読]大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕ひ来まして 息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも 思はぬ間に うち靡き 臥やしぬれ 言はむすべ 為むすべ知らに 岩木をも 問ひ放け知らず 家ならば 形はあらむを 恨めしき 妹の命の 我れをばも いかにせよとか にほ鳥の ふたり並び居 語らひし 心背きて 家離りいます

#[仮名],おほきみの,とほのみかどと,しらぬひ,つくしのくにに,なくこなす,したひきまして,いきだにも,いまだやすめず,としつきも,いまだあらねば,こころゆも,おもはぬあひだに,うちなびき,こやしぬれ,いはむすべ,せむすべしらに,いはきをも,とひさけしらず,いへならば,かたちはあらむを,うらめしき,いものみことの,あれをばも,いかにせよとか,にほどりの,ふたりならびゐ,かたらひし,こころそむきて,いへざかりいます
#[左注](神龜五年七月廿一日 筑前國守山上憶良上)
#[校異]于 [紀][細] 乎 / <> -> 競 [西(右書)][紀][細] / 歌 [西] 謌 / <> -> 尓 [西(右書)][紀][細]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴旅人,仏教,無常,哀悼,亡妻,太宰府,福岡,枕詞,地名,神亀5年7月21日,年紀
#[訓異]
#[大意]大君の遠の朝廷として、不知火築紫の国に泣く子のように慕ってお来しになり、息も休めず年月もまだそうは経っていないのに心からも思わなかった間にうち靡き病気にお倒れになったので、どう言ってよいかどうしてよいかわからないうちに、言葉も言わない岩や木にも尋ねるがそれもわからないで、家だったならば姿だけはあったものだろうのに、恨めしい妹の命が自分をどのようにしようというのか、にほ鳥のように二人で並んでいてお互い話し合った気持ちに背いて家を離れていかれる

#{語釈]
盖(けだし)聞く、四生の起滅は夢の皆空しきが方(ごと)く、三界の漂流(へきる)は環の息(とど)まらざるが喩(ごと)し。所以(ゆゑ)に維摩大士も方丈に在りて、染疾(せんしつ)の患(うれへ)を懐(むだ)くこと有り。釋迦能仁は雙林に坐して、泥洹(ないおん)の苦しびを免(まぬが)れたまうこと無し。
故に知りぬ。二聖(にしょう)の至極すらに力負(りきふ)の尋ね至ることを拂(はら)ふこと能(あたは)ず。三千世界に誰か能く黒闇の捜(たづ)ね来ることを逃(のが)れむ、といふことを。二鼠(にそ)競(きほ)ひ走りて、度目(ともく)の鳥旦(あした)に飛び、四蛇争ひ侵(をか)して過隙(くわげき)の駒、夕に走る。嗟乎(ああ)痛きかも。
紅顏は三従と共に長逝す。素質は四徳と与(とも)に永滅す。何ぞ圖(はか)りきや。偕老は要期に違ひ、獨飛して半路に生かむとは。蘭室には屏風徒(いたづら)に張り、断腸の哀(かなしび)弥(いよいよ)痛し。枕頭には明鏡空しく懸かり、染筠(せんいん)の涙、逾(いよいよ)落つ。泉門一(ひと)たび掩(と)ざされて、再(また)見るに由(よし)無し。嗚呼(ああ)哀しきかな。
愛河の波浪は已先(すで)にして滅ぶ。
苦海の煩悩も亦結ぼほることなし。
従来(もとより)此の穢土を厭離す。
本願、生(しょう)を彼(そ)の浄刹(じょうせつ)に託(よ)せむ。

このように聞いている。全ての生物の誕生は夢が全てはかないのと同じであり、三界を漂うことは、丸い輪が回り続けて止まらないようなものである。だから維摩大士も方丈の居所にあって病気の苦しみを抱くことがある。釈迦も沙羅双樹に坐して涅槃の苦しみを免れることはなかった。
だから理解出来る。この二人の聖人ですら力負が尋ねて来ることから逃れることが出来ず、生死から逃れることが出来ない。この宇宙に誰が黒闇が尋ねて来ることをよく逃れることが出来ようか。二匹の鼠が競争するように時間が速く過ぎ、目の前を飛ぶ鳥は朝に飛び渡るように時間が速い。四匹の蛇である体の四つの要素がお互いを侵略して病気になり、隙間から見える馬が夕に走り、時間が瞬く間に過ぎる。ああひどいことだ。
美しい顔も三従とともに永眠し、白い肌は四徳とともに永久に無くなる。どうして予想出来ようか。共に老いる約束は違うことになり、連れを失った鳥のように人生の半ばを独りで行こうとは。よい香りのする部屋には屏風が空しく張られ、断腸の涙がますます落ち、枕元には澄んだ鏡が空しく懸かり、青だけを染めた悲しみの涙がますます落ちる。
黄泉路への門がひとたび閉ざされて再び死者の顔を見る手だてもない。ああ悲しいことである。
愛しい妻はすでに無く
苦しみの煩悩も行き着く先がない
もとより、この穢土を厭い離れ
仏の救いを願って、生を妻のいる浄土に行きたいと思うばかりである


四生の起滅 生物の誕生を言う仏教の教義。胎生(哺乳類)、卵生(鳥類)、湿生(魚、亀、蛙など)、化生(昆虫など)
三界 衆生が往来し、住む場所。欲界(欲の盛んな最下位の世界であり、現世))、色界(物質、肉体に執着する世界。欲界の上位)、無色界(精神だけの存在する至上の世界)漂流 衆生が迷いの路を転流すること
維摩大士 維摩詰(きつ)。釈迦と同時代の人。
方丈 維摩の居所。一丈(10尺。約10メートル)四方の部屋。
染疾の患 病気の苦しみ
雙林 釈迦が入滅した沙羅双樹の林
泥洹 涅槃。
力負 生死の逃れ難きことを言う。荘子「大宗師篇」「舟を谷に蔵し、山を沢に蔵す。之を固と謂ふ。然れども、夜半力者有りて、之を負ひて走らむに、昧なる者は知らざるなり。 力があって背負って行く者が必ずいる。
三千世界 須弥山を中心として一世界。千集まって小千世界。それが千集まって中千世界。それが千集まって大千世界。全ての宇宙を言う。
黒闇 黒闇天女。死や不幸の女神。生や幸福の女神の功徳天の妹。必ず対になる。涅槃経の聖行品
二鼠 白黒の二匹のネズミ。日月の喩え。経典に多い。
度目の鳥 目の前を飛びすぎる鳥。時間が速く経過する。
四蛇争ひ侵して 四匹の毒蛇。人体を構成する地水火風の四つの要素。四つの要素が侵害しあうと病気になり死ぬ。
過隙の駒 隙間から馬が走るのが見える。時間の早さの喩え。
三従 儀礼に見える婦徳。父、夫、子に従う女性の定め。
素質 白い肌
四徳 礼記。婦徳、婦言、婦容、婦功。婦人のとるべき四つの徳。
偕老 老いを共にすること。
要期 約束すること。
蘭室 よい香りのする部屋
明鏡 曇のない鏡
染筠 舜帝が亡くなった時に后の涙が青竹の皮をまだらに染めたという故事。
愛河の波浪  愛欲の浪という仏教語。妻への愛
本願 衆生を救済しようという仏本来の願い
浄刹 極楽浄土

岩木をも 問ひ放け知らず 言葉を言わない岩や木にも問いかけようとするが、それもわからず 途方にくれている様子


#[説明]山上憶良が旅人に謹上したもの。憶良自身の妻を亡くしたという考えもあるが、旅人の妻大伴郎女を亡くした旅人を慰めたもの。
仏教による無常観を序文に示しているが、歌は妻を亡くした夫の心の空しさと悲しみを描いたものとなっている。
題詞の日本挽歌とは、挽歌を日本の歌で示したというもの。挽歌という名称は文選にある。

#[関連論文]


#[番号]05/0795
#[題詞](盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来 二鼠<競>走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖偕老違於要期 獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩 無由再見 嗚呼哀哉 / 愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無結 従来厭離此穢土 本願託生彼浄刹 / 日本挽歌一首)反歌
#[原文]伊弊尓由伎弖 伊可尓可阿我世武 摩久良豆久 都摩夜左夫斯久 於母保由倍斯母
#[訓読]家に行きていかにか我がせむ枕付く妻屋寂しく思ほゆべしも
#[仮名],いへにゆきて,いかにかあがせむ,まくらづく,つまやさぶしく,おもほゆべしも
#[左注](神龜五年七月廿一日 筑前國守山上憶良上)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴旅人,仏教,無常,哀悼,亡妻,太宰府,福岡,地名,神亀5年7月21日,年紀
#[訓異]
#[大意]家に帰ってどのように自分はしようか。枕付く妻屋がさびしく思われることだろうなあ。
#{語釈]
枕付く 妻屋の枕詞。実景からくるもの。

#[説明]
人麻呂にも同様の歌(泣血哀慟歌)がある。
独り身になったさびしさを歌ったもの。
#[関連論文]


#[番号]05/0796
#[題詞]((盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来 二鼠<競>走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖偕老違於要期 獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩 無由再見 嗚呼哀哉 / 愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無結 従来厭離此穢土 本願託生彼浄刹 / 日本挽歌一首)反歌)
#[原文]伴之伎与之 加久乃未可良尓 之多比己之 伊毛我己許呂乃 須別毛須別那左
#[訓読]はしきよしかくのみからに慕ひ来し妹が心のすべもすべなさ
#[仮名],はしきよし,かくのみからに,したひこし,いもがこころの,すべもすべなさ
#[左注](神龜五年七月廿一日 筑前國守山上憶良上)
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴旅人,仏教,無常,哀悼,亡妻,太宰府,福岡,地名,神亀5年7月21日,年紀
#[訓異]
#[大意]悲しいなあ。こんなにまで慕って来た妹の気持ちのどうしようもないことだ
#{語釈]
#[説明]
妻が太宰府に来たばかりに死んでしまった自責の念が込められている。

#[関連論文]


#[番号]05/0797
#[題詞]((盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来 二鼠<競>走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖偕老違於要期 獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩 無由再見 嗚呼哀哉 / 愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無結 従来厭離此穢土 本願託生彼浄刹 / 日本挽歌一首)反歌)
#[原文]久夜斯可母 可久斯良摩世婆 阿乎尓与斯 久奴知許等其等 美世摩斯母乃乎
#[訓読]悔しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを
#[仮名],くやしかも,かくしらませば,あをによし,くぬちことごと,みせましものを
#[左注](神龜五年七月廿一日 筑前國守山上憶良上)
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴旅人,仏教,無常,哀悼,亡妻,太宰府,福岡,地名,神亀5年7月21日,年紀
#[訓異]
#[大意]悔しいことだ。このようになるとあらかじめ知っていたならば、あをによし国の中をことごとく連れて見せたものなのに
#{語釈]
あをによし 通常「奈良」にかかる枕詞。「国内」への係り方は未詳。
#[説明]
生前にもっと妻を楽しませればよかったという後悔の念がある。

#[関連論文]


#[番号]05/0798
#[題詞]((盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来 二鼠<競>走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖偕老違於要期 獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩 無由再見 嗚呼哀哉 / 愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無結 従来厭離此穢土 本願託生彼浄刹 / 日本挽歌一首)反歌)
#[原文]伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陀飛那久尓
#[訓読]妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに
#[仮名],いもがみし,あふちのはなは,ちりぬべし,わがなくなみた,いまだひなくに
#[左注](神龜五年七月廿一日 筑前國守山上憶良上)
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴旅人,仏教,無常,哀悼,亡妻,太宰府,福岡,地名,神亀5年7月21日,年紀
#[訓異]
#[大意]妹が見た楝の花は散ってしまうようだ。自分が泣く涙はまだ乾いていないのに
#{語釈]楝  栴檀。旧暦3月下旬から4月にかけて花が咲く

#[説明]
妻は楝の花が好きだったのか。或いは植物全般を愛でる性格の人だったか。
自分の気持ちは悲しみに留まっているのに、時間は非情にも一様に時間が流れていることへの悲しみ。物色の移ろいに通じる。

#[関連論文]


#[番号]05/0799
#[題詞]((盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来 二鼠<競>走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖偕老違於要期 獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩 無由再見 嗚呼哀哉 / 愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無結 従来厭離此穢土 本願託生彼浄刹 / 日本挽歌一首)反歌)
#[原文]大野山 紀利多知<和>多流 和何那宜久 於伎蘇乃可是尓 紀利多知和多流
#[訓読]大野山霧立ちわたる我が嘆くおきその風に霧立ちわたる
#[仮名],おほのやま,きりたちわたる,わがなげく,おきそのかぜに,きりたちわたる
#[左注]神龜五年七月廿一日 筑前國守山上憶良上
#[校異]<> -> 和 [西(右書)][類][紀]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴旅人,仏教,無常,哀悼,亡妻,太宰府,福岡,地名,神亀5年7月21日,年紀
#[訓異]
#[大意]大野山に霧が立ち渡る。自分が嘆くため息の風に霧が立ち渡る
#{語釈]
大野山 太宰府政庁の背後にある山。山城がある。
おきそ 息嘯(おきうそ)のつづまったもの。ため息

#[説明]
息が霧になることは、寒冷時に吐く息が白いことからの連想か。
記紀神話、誓約の段にもアマテラスとスサノヲの息吹が霧になる叙述がある。

#[関連論文]


#[番号]05/0800
#[題詞]令反<或>情歌一首[并序] / 或有人 知敬父母忘於侍養 不顧妻子軽於脱屣 自称<倍>俗先生 意氣雖揚青雲之上 身體猶在塵俗之中 未驗修行得道之聖 蓋是亡命山澤之民 所以指示三綱更開五教 遣之以歌令反其<或> 歌曰
#[原文]父母乎 美礼婆多布斗斯 妻子見礼婆 米具斯宇都久志 余能奈迦波 加久叙許等和理 母<智>騰利乃 可可良波志母与 由久弊斯良祢婆 宇既具都遠 奴伎都流其等久 布美奴伎提 由久智布比等波 伊波紀欲利 奈利提志比等迦 奈何名能良佐祢 阿米弊由迦婆 奈何麻尓麻尓 都智奈良婆 大王伊摩周 許能提羅周 日月能斯多波 雨麻久毛能 牟迦夫周伎波美 多尓具久能 佐和多流伎波美 企許斯遠周 久尓能麻保良叙 可尓迦久尓 保志伎麻尓麻尓 斯可尓波阿羅慈迦
#[訓読]父母を 見れば貴し 妻子見れば めぐし愛し 世間は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓を 脱き棄るごとく 踏み脱きて 行くちふ人は 石木より なり出し人か 汝が名告らさね 天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大君います この照らす 日月の下は 天雲の 向伏す極み たにぐくの さ渡る極み 聞こし食す 国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに しかにはあらじか
#[仮名],ちちははを,みればたふとし,めこみれば,めぐしうつくし,よのなかは,かくぞことわり,もちどりの,かからはしもよ,ゆくへしらねば,うけぐつを,ぬきつるごとく,ふみぬきて,ゆくちふひとは,いはきより,なりでしひとか,ながなのらさね,あめへゆかば,ながまにまに,つちならば,おほきみいます,このてらす,ひつきのしたは,あまくもの,むかぶすきはみ,たにぐくの,さわたるきはみ,きこしをす,くにのまほらぞ,かにかくに,ほしきまにまに,しかにはあらじか
#[左注](神龜五年七月廿一日於嘉摩郡撰定 筑前國守山上憶良)
#[校異]惑 -> 或 [紀][細] / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 畏 -> 倍 [紀] / 歌令 [西] 謌令 [西(訂正)] 歌令 / 惑 -> 或 [紀][細] / <> -> 智 [西(右書)][紀][細] / 可可 [紀][細][温] 可々
#[鄣W],作者:山上憶良,国司,逃亡民,儒教,教喩,道教,福岡,地名,神亀5年7月21日,年紀
#[訓異]
#[大意]父母を見ると尊い。妻子を見るといとおしく可愛らし。世の中はこれが道理である。鳥餅にかかった鳥のようにかかわっているのだ。人の行く先はわからないのだから。底の抜けた靴を脱ぎ捨てるように妻子を踏み抜いて行くという人は岩や木から生まれ出た人なのか。おまえの名前をおっしゃいなさい。天上へ行くならばおまえの心のままにしてもよいが、この地上は大君がいらっしゃる。日月が照らすこの地上は天雲の向かい伏す極みまで、蛙が谷を渡る極みまでお治めになる国の中心であるぞ。とにもかくにも心の望むままでもよいが、ものの道理は、そうではないか。

#{語釈]
或(まど)へる情(こおろ)を反さしむる歌一首[并序]

或有(ある)人、父母を敬ふことを知りて侍養を忘れ、妻子を顧みずして脱屣(だっし)よりも軽みす。自ら倍俗先生と称し、意氣は青雲の上に揚がると雖も、身體は猶塵俗の中に在り。未だ修行得道の聖に驗(しるし)あらず。蓋し是れ山澤に亡命する民ならんか。所以に三綱を指示し更に五教を開き、遣(おく)るにを歌を以てして其の或(まどひ)を反さしむ。歌に曰く、

ある人がいた。父母を敬うことを知ってはいるが孝養をすることを忘れており、妻子を顧みないで脱ぎ捨てた靴よりも軽く考えている。自らは俗に倍(そむ)く先生と称し、心意気は雲の上に上がると言っても、身体はなお俗塵の中にあって、まだ修行して道を得る聖としての効果はなかった。考えるにこれは山沢に亡命する民であろう。従って三綱を教示し、五経を開示して歌を贈ってその惑いを反さしめる。その歌に言うには

三綱 君臣、父子、夫婦の道
五教 父には義、母には慈、兄には友、弟には恭、子には孝。

かからわしもよ かかわり合う状態。
ゆくへ知らねば 人間はこの先のことはどうなるか予想がつかないのだから、お互い絆を作って助け合うことが大事なのだ

#[説明]
一般にこれより三群の長歌、短歌を嘉摩三部作と呼ばれる。最初は儒教による斉家(家の秩序を整える)によって逃亡を戒める歌。
律令制の重税による生活破綻する農民が土地を離れて逃亡し、浮浪民などになることは生産力の低下につながり社会問題となっていた。憶良は国司としての立場でその戒めを説いたということはすぐに推察出来るが、この歌は旅人に謹上しており、文学的な行為であることを前提に考えなければならない。
とすると都の為政者に伝わることを意識した国司としての徳治の役割を忠実に実行しているということを表明したもの。

#[関連論文]


#[番号]05/0801
#[題詞](令反<或>情歌一首[并序] / 或有人 知敬父母忘於侍養 不顧妻子軽於脱屣 自称<倍>俗先生 意氣雖揚青雲之上 身體猶在塵俗之中 未驗修行得道之聖 蓋是亡命山澤之民 所以指示三綱更開五教 遣之以歌令反其<或> 歌曰)反歌
#[原文]比佐迦多能 阿麻遅波等保斯 奈保<々々>尓 伊弊尓可弊利提 奈利乎斯麻佐尓
#[訓読]ひさかたの天道は遠しなほなほに家に帰りて業を為まさに
#[仮名],ひさかたの,あまぢはとほし,なほなほに,いへにかへりて,なりをしまさに
#[左注](神龜五年七月廿一日於嘉摩郡撰定 筑前國守山上憶良)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 奈保 -> 々々 [類][紀][細]
#[鄣W],作者:山上憶良,国司,逃亡民,儒教,教喩,道教,福岡,枕詞,地名,神亀5年7月21日,年紀
#[訓異]
#[大意]久方の天へ行く道は遠い。素直に家に帰って家業をしなさい
#{語釈]
なほなほに 素直に
しまさに しまさねと同じ。

#[説明]
国司として民に対する徳治の姿を示したもの。

#[関連論文]


#[番号]05/0802
#[題詞]思子等歌一首[并序] / 釋迦如来金口正説 等思衆生如羅睺羅 又説 愛無過子 至極大聖尚有愛子之心 況乎世間蒼生誰不愛子乎
#[原文]宇利<波><米婆> 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯提斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽 麻奈迦比尓 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農
#[訓読]瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来りしものぞ まなかひに もとなかかりて 安寐し寝なさぬ
#[仮名],うりはめば,こどもおもほゆ,くりはめば,ましてしぬはゆ,いづくより,きたりしものぞ,まなかひに,もとなかかりて,やすいしなさぬ
#[左注](神龜五年七月廿一日於嘉摩郡撰定 筑前國守山上憶良)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 婆 -> 波 [紀][細][温] / <> -> 米婆 [西(右書)][紀][細]
#[鄣W],作者:山上憶良,愛子,仏教,福岡,子供,植物,神亀5年7月21日,年紀,地名
#[訓異]
#[大意]瓜を食べると子供のことが思われる。栗を食べるとまして思い出さずにはいられない。どこからやって来たものなのだろうか。目尻にむやみに面影がかかって安眠もできない。
#{語釈]
思子等歌一首[并序]
釋迦如来の金口正説に、等しく衆生を思ふこと羅睺羅の如しと。又説きたまはく、愛は子に過ぎたるは無しと。至極の大聖すら尚ほ愛子の心有り。況んや世間の蒼生誰か子を愛さざらむや。

釈迦の説法に「等しく衆生を思うことは我が子羅睺羅のようだ」と。また説かれるのには「愛は子に過ぎるものはない」と。極めて尊い聖人ですらなお愛子の気持ちがある。まして世間の青人草は誰が子を愛さないということがあろうか。

金口正説 釈迦の説法
羅睺羅 釈迦の子  涅槃経
愛は子に過ぎたるは無し 仏典になし。愛は妄執として仏教では否定される

瓜 甜瓜 子供の好物
栗 高価なもの。四合(一升)8文(米5文) 子供の好物
いづくより 来りしものぞ  涅槃経「何処よりして来るや、去りて何処に至るや」
      契沖 いかなる過去の宿縁にて、我が子とむまれこしものを

#[説明]
第二作目。愛子の道理を説いたもの。
憶良の子どもであり子煩悩であるという見方がされてきたが、仏教的な縁による親子の普遍的道理を説いたもの。

#[関連論文]


#[番号]05/0803
#[題詞](思子等歌一首[并序] / 釋迦如来金口正説 等思衆生如羅睺羅 又説 愛無過子 至極大聖尚有愛子之心 況乎世間蒼生誰不愛子乎)反歌
#[原文]銀母 金母玉母 奈尓世武尓 麻佐礼留多可良 古尓斯迦米夜母
#[訓読]銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも
#[仮名],しろかねも,くがねもたまも,なにせむに,まされるたから,こにしかめやも
#[左注](神龜五年七月廿一日於嘉摩郡撰定 筑前國守山上憶良)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],作者:山上憶良,愛子,仏教,福岡,子供,神亀5年7月21日,年紀,地名
#[訓異]
#[大意]銀も金も玉も何ほどのものか。それに勝っている宝は子に及ぼうか
#{語釈]
#[説明]仏国土の荘厳な宝よりも子どもが至宝であるといって、愛子を説く。
#[関連論文]


#[番号]05/0804
#[題詞]哀世間難住歌一首[并序] / 易集難排八大辛苦 難遂易盡百年賞樂 古人所歎今亦及之 所以因作一章之歌 以撥二毛之歎 其歌曰
#[原文]世間能 周弊奈伎物能波 年月波 奈何流々其等斯 等利都々伎 意比久留<母>能波 毛々久佐尓 勢米余利伎多流 遠等咩良何 遠等咩佐備周等 可羅多麻乎 多母等尓麻可志 [或有此句云 之路多倍乃 袖布利可伴之 久礼奈為乃 阿可毛須蘇(i)伎] 余知古良等 手多豆佐波利提 阿蘇比家武 等伎能佐迦利乎 等々尾迦祢 周具斯野利都礼 美奈乃和多 迦具漏伎可美尓 伊都乃麻可 斯毛乃布利家武 久礼奈為能 [一云 尓能保奈須] 意母提乃宇倍尓 伊豆久由可 斯和何伎多利斯 [一云 都祢奈利之 恵麻比麻欲(i)伎 散久伴奈能 宇都呂比<尓>家利 余乃奈可伴 可久乃未奈良之] 麻周羅遠乃 遠刀古佐備周等 都流伎多智 許志尓刀利波枳 佐都由美乎 多尓伎利物知提 阿迦胡麻尓 志都久良宇知意伎 波比能利提 阿蘇比阿留伎斯 余乃奈迦野 都祢尓阿利家留 遠等咩良何 佐那周伊多斗乎 意斯比良伎 伊多度利与利提 麻<多麻>提乃 多麻提佐斯迦閇 佐祢斯欲能 伊久陀母阿羅祢婆 多都可豆<恵> 許志尓多何祢提 可由既婆 比等尓伊等波延 可久由既婆 比等尓邇久<麻>延 意余斯遠波 迦久能尾奈良志 多麻枳<波>流 伊能知遠志家騰 世武周弊母奈新

#[訓読]世間の すべなきものは 年月は 流るるごとし とり続き 追ひ来るものは 百種に 迫め寄り来る 娘子らが 娘子さびすと 唐玉を 手本に巻かし [白妙の 袖振り交はし 紅の 赤裳裾引き] よち子らと 手携はりて 遊びけむ 時の盛りを 留みかね 過ぐしやりつれ 蜷の腸 か黒き髪に いつの間か 霜の降りけむ 紅の [丹のほなす] 面の上に いづくゆか 皺が来りし [常なりし 笑まひ眉引き 咲く花の 移ろひにけり 世間は かくのみならし] ますらをの 男さびすと 剣太刀 腰に取り佩き さつ弓を 手握り持ちて 赤駒に 倭文鞍うち置き 這ひ乗りて 遊び歩きし 世間や 常にありける 娘子らが さ寝す板戸を 押し開き い辿り寄りて 真玉手の 玉手さし交へ さ寝し夜の いくだもあらねば 手束杖 腰にたがねて か行けば 人に厭はえ かく行けば 人に憎まえ 老よし男は かくのみならし たまきはる 命惜しけど 為むすべもなし
#[仮名],よのなかの,すべなきものは,としつきは,ながるるごとし,とりつつき,おひくるものは,ももくさに,せめよりきたる,をとめらが,をとめさびすと,からたまを,たもとにまかし,[しろたへの,そでふりかはし,くれなゐの,あかもすそひき],よちこらと,てたづさはりて,あそびけむ,ときのさかりを,とどみかね,すぐしやりつれ,みなのわた,かぐろきかみに,いつのまか,しものふりけむ,くれなゐの,[にのほなす],おもてのうへに,いづくゆか,しわがきたりし,[つねなりし,ゑまひまよびき,さくはなの,うつろひにけり,よのなかは,かくのみならし],ますらをの,をとこさびすと,つるぎたち,こしにとりはき,さつゆみを,たにぎりもちて,あかごまに,しつくらうちおき,はひのりて,あそびあるきし,よのなかや,つねにありける,をとめらが,さなすいたとを,おしひらき,いたどりよりて,またまでの,たまでさしかへ,さねしよの,いくだもあらねば,たつかづゑ,こしにたがねて,かゆけば,ひとにいとはえ,かくゆけば,ひとににくまえ,およしをは,かくのみならし,たまきはる,いのちをしけど,せむすべもなし
#[左注](神龜五年七月廿一日於嘉摩郡撰定 筑前國守山上憶良)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 歌 [西] 謌 / <> -> 母 [西(右書)][紀][細] / <> -> 尓 [西(右書)][紀][細] / <> -> 多麻 [西(右書)][細][温] / 慧 -> 恵 [紀][細] / 可 [西(右書)][矢][京] 可久 / <> -> 麻 [西(右書)][紀][細] / 麻 [紀][細](塙) 摩 / 婆 -> 波 [細][温]
#[鄣W],作者:山上憶良,仏教,無常,福岡,神亀5年7月21日,年紀,地名
#[訓異]
#[大意]
世の中のどうしようもないことは、年月が流れるように早いことである。そのあと続いて追いかけてくるものは様々な形で攻めて来る。娘子が娘子らしくするとして立派な唐玉を袂に巻いてお持ちになり[白妙の袖を振り交え]、紅の赤裳の裾を引いて同輩たちと手を取り合って遊んだ時の盛りを留めることが出来ないで、過ごしやってしまうと、蜷の腸のような真っ黒な髪にいつの間に霜が降ったのか。紅の[赤い目立つような]顔の上にもどこから皺がやって来たのか。[いつものような笑いや眉は咲く花のように変化してしまった。世の中はこのようなものであるらしい]。
ますらをの男らしくするとして剣太刀を腰に取り佩いて、狩猟の弓を手に握って持って、元気な馬にいつもの質素な鞍を置いて這い乗って遊び歩いた世の中はいつまでもあるだろうか。娘子のお休みになっている板戸を押し開いて、這って寄って若々しい美しい手を差し交わして寝た夜はいくらもないうちに、手束杖を腰にあてがってあちらに行くと人に嫌われ、こちらに行くと人に憎まれ、老人とはこのようなものらしい。たまきはる命は惜しいがどうしようもないことだ。
#{語釈]
世間の住(とど)まり難きを哀(かな)しぶる歌一首[并序]
集まり易く排け難きは八大辛苦なり。遂げ難く盡くし易いきは百年の賞樂なり。古人の歎く所今亦之に及ぶ。 所以に因りて作一章の歌を作り、以て二毛の歎きを撥ふ。其の歌に曰く

八大辛苦  生老病死。愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦(ごおんじょうく)心身の動きから起こる苦
百年 仏教の言う人間の寿命

よち子 同じ年頃の若い子。我同子 13/3307
老よし男 老いぼれた男

#[説明]仏教的無常観と老への嘆き。

#[関連論文]


#[番号]05/0805
#[題詞](哀世間難住歌一首[并序] / 易集難排八大辛苦 難遂易盡百年賞樂 古人所歎今亦及之 所以因作一章之歌 以撥二毛之歎 其歌曰)反歌
#[原文]等伎波奈周 <迦>久斯母何母等 意母閇騰母 余能許等奈礼婆 等登尾可祢都母
#[訓読]常磐なすかくしもがもと思へども世の事なれば留みかねつも
#[仮名],ときはなす,かくしもがもと,おもへども,よのことなれば,とどみかねつも
#[左注]神龜五年七月廿一日於嘉摩郡撰定 筑前國守山上憶良
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 加 -> 迦 [類][紀][温]
#[鄣W],作者:山上憶良,仏教,無常,福岡,地名,神亀5年7月21日,年紀
#[訓異]
#[大意]常磐のようにこのように永遠にと思うが、世の事であるので留めることが出来ないことだ
#{語釈]
嘉摩郡 福岡市嘉穂市。明治に嘉摩郡と穂波郡が合併。田川道から豊前国境近く。

#[説明]生への固執。以上嘉麻三部作は、生きる苦しみ、愛子、老の嘆きと生への執着を儒教、仏教の思想を借りてその普遍的な道理を知りながらも、人間への愛着を示す。
#[関連論文]


#[番号]05/0806
#[題詞]伏辱来書 具承芳旨 忽成隔漢之戀 復傷抱梁之意 唯羨去留無恙 遂待披雲耳 / 歌詞兩首 [<大>宰帥大伴卿]
#[原文]多都能馬母 伊麻勿愛弖之可 阿遠尓与志 奈良乃美夜古尓 由吉帝己牟丹米
#[訓読]龍の馬も今も得てしかあをによし奈良の都に行きて来むため
#[仮名],たつのまも,いまもえてしか,あをによし,ならのみやこに,ゆきてこむため
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 太 -> 大 [細][温]
#[鄣W],作者:大伴旅人,書簡,枕詞,望郷,恋情,贈答
#[訓異]
#[大意]龍のような馬も手に入れたいものだ。あをによし奈良の都に行ってそのまま帰ってくるために。
#{語釈]
伏して来書を辱(かたじけ)なみし、具(つぶさ)に芳旨を承はる。忽(たちまち)に隔漢(かくかん)の戀を成し、復(ま)た抱梁の意(こころ)を傷ましむ。唯(ただ)羨(ねが)はくは去留(きりう)恙(つつみ)なく、遂に披雲を待たまく耳(のみ)
歌詞兩首 [大宰帥大伴卿]
平伏して書簡をいただき、細かく主旨を承りました。忽ちに七夕のような恋情が起こり、同時に尾生のような思いにかられました。ただ願うことは都から去った者も留まっている者も何事もなく、やがてはまたお目にかかれることです。

来書  都の女性とのやりとりか。丹生女王か(4/553~4)
隔漢  天の川(漢水)を隔てている二星の恋い
抱梁  尾生の信のこと。橋梁の下の来るはずのない女を待ち続け、増水してくる川で来    る川で梁を抱いて溺れ死んだという尾生の故事。愚直の喩えに使われる。
去留  都に留まる相手と都を去った旅人のこと。
披雲  雲を掻き分けて晴天を見る。立派な人に会うこと。世説新語等

龍馬 丈八尺の駿馬

#[説明]誰への返書かは不明であるが、都人に対して返礼をしたもの。単に望郷的な思いでなく、来書の人に対する愛着の考えを示す。
#[関連論文]


#[番号]05/0807
#[題詞](伏辱来書 具承芳旨 忽成隔漢之戀 復傷抱梁之意 唯羨去留無恙 遂待披雲耳 / 歌詞兩首 [<大>宰帥大伴卿])
#[原文]宇豆都仁波 安布余志勿奈子 奴<婆>多麻能 用流能伊昧仁越 都伎提美延許曽
#[訓読]うつつには逢ふよしもなしぬばたまの夜の夢にを継ぎて見えこそ
#[仮名],うつつには,あふよしもなし,ぬばたまの,よるのいめにを,つぎてみえこそ
#[左注]
#[校異]波 -> 婆 [類][古][紀]
#[鄣W],作者:大伴旅人,書簡,夢,恋情,贈答
#[訓異]
#[大意]現実には会う手だてもない。ぬばたまの夜の夢に毎日見えて欲しい。
#{語釈]
#[説明]相手が思っているから夢を見るという古代的な「夢」でもなく、自分が思っているから見る「夢」でもない。「夢」が時空を越えた手段であると考えた旅人らしい発想に拠っている。
#[関連論文]


#[番号]05/0808
#[題詞](伏辱来書 具承芳旨 忽成隔漢之戀 復傷抱梁之意 唯羨去留無恙 遂待披雲耳 / 歌詞兩首 [<大>宰帥大伴卿]) / 答歌二首
#[原文]多都乃麻乎 阿礼波毛等米牟 阿遠尓与志 奈良乃美夜古邇 許牟比等乃多仁
#[訓読]龍の馬を我れは求めむあをによし奈良の都に来む人のたに
#[仮名],たつのまを,あれはもとめむ,あをによし,ならのみやこに,こむひとのたに
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 仁 [紀] 米
#[鄣W],作者:大伴旅人,書簡,枕詞,贈答
#[訓異]
#[大意]龍の馬を自分は探し出そう。あをによし奈良の都に来ようという人のために
#{語釈]
人 大伴旅人のころ。

#[説明]都人が答えたもの。文面は省略されている。
#[関連論文]


#[番号]05/0809
#[題詞]((伏辱来書 具承芳旨 忽成隔漢之戀 復傷抱梁之意 唯羨去留無恙 遂待披雲耳 / 歌詞兩首 [<大>宰帥大伴卿]) / 答歌二首)
#[原文]多陀尓阿波須 阿良久毛於保久 志岐多閇乃 麻久良佐良受提 伊米尓之美延牟
#[訓読]直に逢はずあらくも多く敷栲の枕去らずて夢にし見えむ
#[仮名],ただにあはず,あらくもおほく,しきたへの,まくらさらずて,いめにしみえむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:大伴旅人,書簡,枕詞,夢,贈答
#[訓異]
#[大意]直接には会わないでいることが多くて、敷妙の枕を離れずに毎日夢に見えるでしょう
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0810
#[題詞]大伴淡等謹状 / 梧桐日本琴一面 [對馬結石山孫枝] / 此琴夢化娘子曰 余託根遥嶋之崇<巒> 晞(o)九陽之休光 長帶烟霞逍遥山川之阿 遠望風波出入鴈木之間 唯恐 百年之後空朽溝壑 偶遭良匠散為小琴不顧質麁音少 恒希君子左琴 即歌曰
#[原文]伊可尓安良武 日能等伎尓可母 許恵之良武 比等能比射乃倍 和我麻久良可武
#[訓読]いかにあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上我が枕かむ
#[仮名],いかにあらむ,ひのときにかも,こゑしらむ,ひとのひざのへ,わがまくらかむ
#[左注]
#[校異]蠻 -> 巒 [紀][細][温] / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],作者:大伴旅人,創作,藤原房前,贈り物,老荘,朝隠,書簡,対馬,琴賦,天平1年10月7日,年紀
#[訓異]
#[大意]どのような日や時になったら音をよく知っている人の膝の上に自分は枕としていましょうか
#{語釈]
梧桐日本琴一面 [對馬結石山孫枝]
此の琴、夢に娘子に化(な)りて曰く、余(われ)根を遥嶋(ようとう)の崇巒(すうらん)に託し、幹を九陽の休光に晞(さら)す。長く烟霞を帯び、山川の阿(くま)を逍遙す。遠く風波を望み、鴈木の間に出入す。唯恐るらくは百年の後空しく溝壑に朽ちることを。偶(たまさか)に良き匠に遭ひ、散(き)られて小琴と為る。質麁(あら)く音少なきを顧みず、恒に君子の左琴となることを希(ねが)ふ。即ち歌に曰く、

この琴が夢の中で娘子となって言うのには、自分は、根を遠く遙かな高い山に下ろし、幹を大空の美しい光に曝していました。長い間霞に包まれていて、山川の端をうろついていました。遠く風や波を眺めていて役に立つか立たないかの間をさまよっていました。ただ恐れていたのは百年の後に空しく谷間で腐ってしまうことでした。たまたま良い匠に出会って伐られて小さな琴となりました。音質は悪く大きな音も出ませんが、君子の左琴として常備されることを願っています。そこで歌に言うのには


日本琴 和琴 6弦琴
對馬結石山 対馬の北端の山。
孫枝  切り株に生えてくる枝
遥嶋之崇<巒> 遙か遠くの高い山。対馬の結石山を言う。
(o)九陽之休光 九天(大空)の美しい光・休は美と同じ
鴈木之間 『荘子』山木篇  役に立つ者、立たないものの区別を言う。
溝壑 溝や谷

#[説明]
琴賦にヒントを得た旅人の創作。序文を付けるのは初唐王渤の形式に倣う。
旅人も贈った相手の房前も琴の名手であったというが、楽器が弾けるのは右書左琴を君子のたしなみとする儒教の影響で貴族として必須のことであった。

#[関連論文]


#[番号]05/0811
#[題詞](大伴淡等謹状 / 梧桐日本琴一面 [對馬結石山孫枝] / 此琴夢化娘子曰 余託根遥嶋之崇<巒> 晞(o)九陽之休光 長帶烟霞逍遥山川之阿 遠望風波出入鴈木之間 唯恐 百年之後空朽溝壑 偶遭良匠散為小琴不顧質麁音少 恒希君子左琴 即歌曰)僕報詩詠曰
#[原文]許等々波奴 樹尓波安里等母 宇流波之吉 伎美我手奈礼能 許等尓之安流倍志
#[訓読]言とはぬ木にはありともうるはしき君が手馴れの琴にしあるべし
#[仮名],こととはぬ,きにはありとも,うるはしき,きみがたなれの,ことにしあるべし
#[左注]琴娘子答曰 / 敬奉徳音 幸甚々々 片事覺 即感於夢言慨然不得止黙 故附公使聊以進御耳 [謹状不具] / 天平元年十月七日附使進上 / 謹通 中衛高明閤下 謹空
#[校異]止黙 [矢][京] 黙止
#[鄣W],作者:大伴旅人,創作,藤原房前,贈り物,老荘,朝隠,書簡,対馬,天平1年10月7日,年紀
#[訓異]
#[大意]言葉を話さない木であったとしても、立派なあなたの日常の琴であるでしょう。
#{語釈]
中衛高明閤 中衛府長官である
藤原房前。中衛府は、平安初期に近衛府に改組される。

#[説明]旅人が太宰府赴任中に長屋王の変が起こっているので、旅人が太宰府帥に任命されたのは、藤原氏の策謀であるという考えもあるが、旅人は個人的には房前とは親密な間柄であったか。長屋王の変を起こした中心人物は武智麻呂であったと思われるので、四兄弟が結束していたわけでもない。房前の子の八束は諸兄寄りで家持とも親交がある。
#[関連論文]


#[番号]05/0812
#[題詞]跪承芳音 嘉懽交深 乃知 龍門之恩復厚蓬身之上 戀望殊念常心百倍 謹和白雲之什以奏野鄙之歌 房前謹状
#[原文]許等騰波奴 紀尓茂安理等毛 和何世古我 多那礼之美巨騰 都地尓意加米移母
#[訓読]言とはぬ木にもありとも我が背子が手馴れの御琴地に置かめやも
#[仮名],こととはぬ,きにもありとも,わがせこが,たなれのみこと,つちにおかめやも
#[左注]謹通 尊門 [記室] / 十一月八日附還使大監
#[校異]閤 [紀] 閣 / 空 [西(訂正)] 言 / 歌 [西] 謌
#[鄣W],作者:藤原房前,大伴旅人,書簡,天平1年11月8日,年紀
#[訓異]
#[大意]言葉を話さない木であったとしても、我が背子の慣れ親しんだ琴を地面に置くことがありましょうか。
#{語釈]
跪(ひざまづ)きて芳音を承はり、嘉懽(かくわん)交(こもごも)深し。乃ち知る。龍門の恩、復た蓬身の上に厚しといふことを。戀望の殊念は、常の心に百倍す。謹みて白雲の什に和(こた)へ、以ちて野鄙の歌を奏(もう)す。房前謹状。

拝礼してあなたのお手紙をいただき、美しい文面と思いは両者深くあい混じり合っています。そこで知りました。立派な琴をいただいた恩は蓬のような我が身にいかに厚いかということを。あなたを恋い慕う格別の思いは、いつもの心の百倍です。謹んで白雲かなたの築紫からの詩編に唱和し、いやしい歌を申し上げます。房前謹んで申し上げる。

嘉懽    表現をすばらしいという気持ちと情誼を深いと感じる気持ち
龍門の恩  龍門は、黄河上流の地。琴材の桐の名産地。
殊念    ことさらな思い
白雲の什  白雲はるかに隔たった築紫からの詩編。什は、詩編(詩経等)

#[説明]房前の返書。型どおりのものという意見もあるが、房前はあまり歌が得意ではなかったか。
#[関連論文]


#[番号]05/0813
#[題詞]筑前國怡土郡深江村子負原 臨海丘上有二石 大者長一尺二寸六分 圍一尺八寸六分 重十八斤五兩 小者長一尺一寸 圍一尺八寸 重十六斤十兩 並皆堕圓状如鷄子 其美好者不可勝論 所謂(p)尺璧是也 [或云 此二石者肥前國彼杵郡平敷之石 當占而取之] 去深江驛家二十許里近在路頭 公私徃来 莫不下馬跪拜 古老相傳曰 徃者息長足日女命征討新羅國之時 用茲兩石挿著御袖之中以為鎮懐 [實是御裳中矣] 所以行人敬拜此石 乃作歌曰
#[原文]可既麻久波 阿夜尓可斯故斯 多良志比咩 可尾能弥許等 可良久尓遠 武氣多比良宜弖 弥許々呂遠 斯豆迷多麻布等 伊刀良斯弖 伊波比多麻比斯 麻多麻奈須 布多都能伊斯乎 世人尓 斯咩斯多麻比弖 余呂豆余尓 伊比都具可祢等 和多能曽許 意枳都布可延乃 宇奈可美乃 故布乃波良尓 美弖豆可良 意可志多麻比弖 可武奈何良 可武佐備伊麻須 久志美多麻 伊麻能遠都豆尓 多布刀伎呂可儛
#[訓読]かけまくは あやに畏し 足日女 神の命 韓国を 向け平らげて 御心を 鎮めたまふと い取らして 斎ひたまひし 真玉なす 二つの石を 世の人に 示したまひて 万代に 言ひ継ぐかねと 海の底 沖つ深江の 海上の 子負の原に 御手づから 置かしたまひて 神ながら 神さびいます 奇し御魂 今のをつづに 貴きろかむ
#[仮名],かけまくは,あやにかしこし,たらしひめ,かみのみこと,からくにを,むけたひらげて,みこころを,しづめたまふと,いとらして,いはひたまひし,またまなす,ふたつのいしを,よのひとに,しめしたまひて,よろづよに,いひつぐかねと,わたのそこ,おきつふかえの,うなかみの,こふのはらに,みてづから,おかしたまひて,かむながら,かむさびいます,くしみたま,いまのをつづに,たふときろかむ
#[左注](右事傳言那珂<郡>伊知郷蓑嶋人建部牛麻呂是也)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],作者:山上憶良,伝説,鎮懐石,神功皇后,福岡,古事記,地名
#[訓異]
#[大意]心に懸けるのも誠に恐れ多い帯姫である神の命が韓国を平定し、御心をお鎮めなさるとしてお取りになってお祭りなさった碧玉のような二つの石を世の中の人にお示しになり、いつまでも言い継ぐようにと海の底の沖の深い、深江の海のほとりの子負の原に自らの手でお置きになって神さながらに神としていらっしゃる霊妙な御魂である。今の現在までも貴いことである。
#{語釈]
筑前國怡土郡深江村子負原に、海に臨める丘の上に二つの石有り。大きなるは長さ一尺二寸六分、圍一尺八寸六分、重さ十八斤五兩、小さきは長さ一尺一寸、圍一尺八寸、重さ十六斤十兩。並びに皆堕圓(まろ)く状(かたち)は鷄(とり)の子の如し。其の美好(うるは)しきこと、勝(あ)げて論(い)ふべからず。所謂(いはゆる)(p)尺(けいせき)の璧(たま)是れなり。 [或いは、此の二つの石は肥前國彼杵郡平敷の石なり。占(うら)に當(あた)りて取ると云ふ。]
深江の驛家を去ること二十許里、路(みち)の頭(ほとり)に近く在り。公私の徃来に馬より下(お)りて跪拜(きはい)せずといふことなし。 古老相ひ傳へて曰く、徃者(いにしへ)息長足日女命、新羅國を征討したまひし時に、茲(こ)の兩(ふたつ)の石を用ちて御袖(おほみそで)の中(うち)に挿し著(はさ)みて鎮懐(しづめ)と為したまふ。 [實(まこと)は是れ御裳(おほみも)の中なり] 所以(ゆゑ)に行人此の石を敬拜す。乃ち歌を作りて曰く、


筑前國怡土郡深江村子負原  福岡県糸島郡二丈町深江
一尺二寸六分 38.2cm 小 33.3cm
周囲 56cm 54.5cm 54.5cm
十八斤五兩 11.1kg 9.6kg
(p)尺(けいせき)の璧 直径1尺(30c.)の玉。貴重な玉
肥前國彼杵郡平敷 長崎県東西彼杵郡、長崎市一帯。平敷は未詳。
鎮懐石 神功紀に三韓征伐の折に懐妊したので、2つの石を腹に当てて産み月を遅らせたとある。子は後の應神天皇。ちなみに防長風土注進案の際村(宇部市)平原八幡社の社伝として、鎮懐石の伝説を載せる。
貝原益軒の筑前の国新風土記に江戸時代に盗難に遭ったが、畑で発見されたとある。

#[説明]
鎮懐石伝説を歌の主題とする。石は現在不明。鎮懐石神社の祭神とも。
鎮懐石は、安産祈願の産泰信仰が元となっているか。

#[関連論文]


#[番号]05/0814
#[題詞](筑前國怡土郡深江村子負原 臨海丘上有二石 大者長一尺二寸六分 圍一尺八寸六分 重十八斤五兩 小者長一尺一寸 圍一尺八寸 重十六斤十兩 並皆堕圓状如鷄子 其美好者不可勝論 所謂(p)尺璧是也 [或云 此二石者肥前國彼杵郡平敷之石 當占而取之] 去深江驛家二十許里近在路頭 公私徃来 莫不下馬跪拜 古老相傳曰 徃者息長足日女命征討新羅國之時 用茲兩石挿著御袖之中以為鎮懐 [實是御裳中矣] 所以行人敬拜此石 乃作歌曰)
#[原文]阿米都知能 等母尓比佐斯久 伊比都夏等 許能久斯美多麻 志可志家良斯母
#[訓読]天地のともに久しく言ひ継げとこの奇し御魂敷かしけらしも
#[仮名],あめつちの,ともにひさしく,いひつげと,このくしみたま,しかしけらしも
#[左注]右事傳言那珂<郡>伊知郷蓑嶋人建部牛麻呂是也
#[校異]<> -> 郡 [西(右書)][紀][細][温]
#[鄣W],作者:山上憶良,伝説,鎮懐石,神功皇后,福岡,古事記,地名
#[訓異]
#[大意]天地とともに永遠に言い継げとこの霊妙な御魂はお置きになったらしい
#{語釈]
敷かし 敷き設ける 設置する。
那珂郡伊知郷蓑嶋人 福岡市博多区美野島付近
建部牛麻呂  伝未詳

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0815
#[題詞]梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠
#[原文]武都紀多知 波流能吉多良婆 可久斯許曽 烏梅乎乎<岐>都々 多努之岐乎倍米[大貳紀卿]
#[訓読]正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ[大貳紀卿]
#[仮名],むつきたち,はるのきたらば,かくしこそ,うめををきつつ,たのしきをへめ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 役 -> 促 [矢][京] / 詩 [細](塙) 請 / 利 -> 岐 [紀][細]
#[鄣W],梅花宴,作者:紀男人,琴歌譜,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,地名,植物,宴席
#[訓異]
#[大意]正月になり春がやって来たならばこのように梅を招きよせて歓を尽くそう
#{語釈]
天平二年正月十三日、帥老の宅に萃(あつ)まりて、宴會(うたげ)を申(の)ぶ。時に初春の令月にして、氣淑(よ)く、風和(やは)らぐ。梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後の香を薫(くゆ)らす。加以(しかのみにあらず)、曙(あした)の嶺(みね)に雲は移り、松は羅(うすぎぬ)を掛けて盖(きぬがさ)を傾(かたぶ)く。夕(ゆふべ)の岫(くき)に霧結び、鳥は縠(うすもの)に封(と)じらえて林に迷(まど)ふ。庭には新蝶舞ひ、空には歸る故鴈あり。
是(ここ)に天を盖(きぬがさ)にして地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝を促(ちか)づけ觴(さかづき)を飛ばす。言(げん)を一室の裏(うち)に忘れ、衿を煙霞の外に開く。淡然自ら放(ゆる)し、快然自ら足る。若(も)し翰苑に非ずは、何を以ちてか情(こころ)を攄(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古今夫れ何ぞ異ならむ。宜しく園梅を賦して聊か短詠を成すべし。

天平二年正月一三日に太宰帥旅人の家に集まって宴会を開いた。季節は初春のよい月であって気候はよく、風も温和である。梅は鏡の前の白粉を漂わしたように香り、蘭は珮玉の下の香袋を薫らせたようである。そればかりでなく明け方の山の峰に雲は移って、松は薄絹を掛けて絹傘を傾けたような面持ちでいる。夕方の山の谷には霧がただよって鳥は薄い網に閉じこめられて林に迷っている。庭には生まれたばかりの蝶が舞っていて、空には北へ帰る一羽の雁が飛んでいる。
こうした風景の中で、天を絹傘にし、地面を座席にしてお互い膝を近づけ杯を飛ばす。言葉を一室の内に忘れたように語り、襟を霞の外に開く。心は淡々として開放され、心よさは充足している。もし文筆でなければ何を持って気持ちを述べようか。詩に落梅の篇章を記す。昔も今もそれはどうして異なることがあろうか。庭園の梅をそのまま言葉にして少しなかり短歌を読もう。

令月  よい月 正月を讃めたもの。文選「帰田賦」「蘭亭集序」
岫 山のくぼみ

大貳紀卿 
紀男人 大貳は太宰府の次官。正5位上相当官

#[説明]大伴旅人主催による宴での歌。中国文化の憧憬のもとに行われたもので、32首の歌が連なっているのは、万葉集では最大。
男人の歌は、宴の開始を告げる内容となっている。
#[関連論文]


#[番号]05/0816
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]烏梅能波奈 伊麻佐家留期等 知利須義受 和我覇能曽能尓 阿利己世奴加毛[少貳小野大夫]
#[訓読]梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家の園にありこせぬかも[少貳小野大夫]
#[仮名],うめのはな,いまさけるごと,ちりすぎず,わがへのそのに,ありこせぬかも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:小野老,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]梅の花は今咲いているように散りすぎないで我々の庭園でずっと咲いていて欲し
#{語釈]
我が家 自分の家ではなく、宴会をしている旅人邸の庭園
ありこせぬかも ずっとあって欲しい 宴讃美
少貳小野大夫 少貳は大貳に次ぐ官。従五位下相当。定員二名。
小野老のこと。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0817
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]烏梅能波奈 佐吉多流僧能々 阿遠也疑波 可豆良尓須倍久 奈利尓家良受夜[少貳粟田大夫]
#[訓読]梅の花咲きたる園の青柳は蘰にすべくなりにけらずや[少貳粟田大夫]
#[仮名],うめのはな,さきたるそのの,あをやぎは,かづらにすべく,なりにけらずや
#[左注]
#[校異]

#[鄣W],梅花宴,作者:粟田人上,必登,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]梅の花が咲いている庭園の青柳は鬘にするようになったではないか
#{語釈]
少貳粟田大夫 粟田必登(ひと) 神亀3年2月従五位上

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0818
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]波流佐礼婆 麻豆佐久耶登能 烏梅能波奈 比等利美都々夜 波流比久良佐武[筑前守山上大夫]
#[訓読]春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ[筑前守山上大夫]
#[仮名],はるされば,まづさくやどの,うめのはな,ひとりみつつや,はるひくらさむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:山上憶良,孤独,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]春になるとまず咲く家の梅の花。それを独り見続けて春の長い一日を暮らすことであろうか
#{語釈]
筑前守山上大夫  山上憶良

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0819
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]余能奈可波 古飛斯宜志恵夜 加久之阿良婆 烏梅能波奈尓母 奈良麻之勿能怨[豊後守大伴大夫]
#[訓読]世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にもならましものを[豊後守大伴大夫]
#[仮名],よのなかは,こひしげしゑや,かくしあらば,うめのはなにも,ならましものを
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:大伴三依,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物#[訓異]
#[大意]
#{語釈]世の中は恋が激しいなあ。こんなんだったら梅の花にでもなったらよかったものだ
ゑや  詠嘆の終助詞
豊後守大伴大夫 誰を指すかは未詳。

#[説明]
#[関連論文]



#[番号]05/0820
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]烏梅能波奈 伊麻佐可利奈理 意母布度知 加射之尓斯弖奈 伊麻佐可利奈理[筑後守葛井大夫]
#[訓読]梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり[筑後守葛井大夫]
#[仮名],うめのはな,いまさかりなり,おもふどち,かざしにしてな,いまさかりなり
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:葛井大成,古歌謡,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]梅の花は今が盛りだ。気のあった者同士がかざしにしようよ。今が満開だ。
#{語釈]
筑後守葛井大夫 葛井連大成










#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0821
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]阿乎夜奈義 烏梅等能波奈乎 遠理可射之 能弥弖能々知波 知利奴得母與斯[笠沙弥]
#[訓読]青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし[笠沙弥]
#[仮名],あをやなぎ,うめとのはなを,をりかざし,のみてののちは,ちりぬともよし
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:沙弥満誓,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物#[訓異]
#[大意]青柳や梅との花を手折ってかざしにし、飲んだ後は散ってもかまわない
#{語釈]
笠沙弥   沙弥満誓

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0822
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母[主人]
#[訓読]我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも[主人]
#[仮名],わがそのに,うめのはなちる,ひさかたの,あめよりゆきの,ながれくるかも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:大伴旅人,予祝,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]我が庭園に梅の花が散る。天より雪が流れてくるかのようだ
#{語釈]
主人  大伴旅と

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0823
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]烏梅能波奈 知良久波伊豆久 志可須我尓 許能紀能夜麻尓 由企波布理都々[大監伴氏百代]
#[訓読]梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ[大監伴氏百代]
#[仮名],うめのはな,ちらくはいづく,しかすがに,このきのやまに,ゆきはふりつつ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:大伴百代,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物#[訓異]
#[大意]梅の花が散っているのはどこだろうか。そうではあるがこの大城の山に雪は降り続けている
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]



#[番号]05/0824
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]烏梅乃波奈 知良麻久怨之美 和我曽乃々 多氣乃波也之尓 <于>具比須奈久母[小監阿氏奥嶋]
#[訓読]梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも[小監阿氏奥嶋]
#[仮名],うめのはな,ちらまくをしみ,わがそのの,たけのはやしに,うぐひすなくも
#[左注]
#[校異]宇 -> 于 [類][紀][温]
#[鄣W],梅花宴,作者:安倍,阿刀,阿曇,奥嶋,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]梅の花が散ることを惜しんで我々の庭園の竹の林に鶯が鳴くことだ
#{語釈]
小監阿氏奥嶋 安倍朝臣奥嶋か。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0825
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]烏梅能波奈 佐岐多流曽能々 阿遠夜疑遠 加豆良尓志都々 阿素(i)久良佐奈[小監土氏百村]
#[訓読]梅の花咲きたる園の青柳を蘰にしつつ遊び暮らさな[小監土氏百村]
#[仮名],うめのはな,さきたるそのの,あをやぎを,かづらにしつつ,あそびくらさな
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:土師百村,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物#[訓異]
#[大意]梅の花が咲いている庭園の青柳を蔓にしながら遊び暮らそうよ。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]



#[番号]05/0826
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]有知奈(i)久 波流能也奈宜等 和我夜度能 烏梅能波奈等遠 伊可尓可和可武[大典史氏大原]
#[訓読]うち靡く春の柳と我がやどの梅の花とをいかにか分かむ[大典史氏大原]
#[仮名],うちなびく,はるのやなぎと,わがやどの,うめのはなとを,いかにかわかむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:史大原,史部,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]うち靡く春の柳と我が家梅の花とをどのようにわけようか
#{語釈]
大典史氏大原 誰であるか未詳。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0827
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]波流佐礼婆 許奴礼我久利弖 宇具比須曽 奈岐弖伊奴奈流 烏梅我志豆延尓[小典山氏若麻呂]
#[訓読]春されば木末隠りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝に[小典山氏若麻呂]
#[仮名],はるされば,こぬれがくりて,うぐひすぞ,なきていぬなる,うめがしづえに
#[左注]
#[校異]利 [類][紀] 礼
#[鄣W],梅花宴,作者:山口若麻呂,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物,動物
#[訓異]
#[大意]春になると梢に隠れて鶯が鳴いて行くようだ。梅の下枝に
#{語釈]
小典山氏若麻呂 山口忌寸若麻呂 4/0657

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0828
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]比等期等尓 乎理加射之都々 阿蘇倍等母 伊夜米豆良之岐 烏梅能波奈加母[大判事<丹>氏麻呂]
#[訓読]人ごとに折りかざしつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも[大判事<丹>氏麻呂]
#[仮名],ひとごとに,をりかざしつつ,あそべども,いやめづらしき,うめのはなかも
#[左注]
#[校異]舟 -> 丹 [類][紀][細]
#[鄣W],梅花宴,作者:丹治比,丹波,丹生,麻呂,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]人それぞれに折りかざしながら遊んでいるが、ますます愛でるべき梅の花である
#{語釈]
大判事<丹>氏麻呂 誰だか未詳。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0829
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]烏梅能波奈 佐企弖知理奈波 佐久良<婆那> 都伎弖佐久倍久 奈利尓弖阿良受也[藥師張氏福子]
#[訓読]梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや[藥師張氏福子]
#[仮名],うめのはな,さきてちりなば,さくらばな,つぎてさくべく,なりにてあらずや
#[左注]
#[校異]波奈 -> 婆那 [類][紀][細]
#[鄣W],梅花宴,作者:張福子,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]梅の花が咲いて散ってしまうならば、桜の花が続いて咲くようになるではないか 
#{語釈]
藥師張氏福子 渡来人  家伝 武智麻呂交友の一人

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0830
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]萬世尓 得之波岐布得母 烏梅能波奈 多由流己等奈久 佐吉和多留倍子[筑前介佐氏子首]
#[訓読]万代に年は来経とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし[筑前介佐氏子首]
#[仮名],よろづよに,としはきふとも,うめのはな,たゆることなく,さきわたるべし
#[左注]
#[校異]留 [細][温][矢] 流
#[鄣W],梅花宴,作者:佐伯子首,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物#[訓異]
#[大意]永遠に一年はやってきて経って行くとしても梅の花よ。途絶えることなく咲き続けるだろう
#{語釈]
筑前介佐氏子首 佐伯直子首か。天平2年東大寺牒案

#[説明]
#[関連論文]



#[番号]05/0831
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]波流奈例婆 宇倍母佐枳多流 烏梅能波奈 岐美乎於母布得 用伊母祢奈久尓[壹岐守板氏安麻呂]
#[訓読]春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜寐も寝なくに[壹岐守板氏安麻呂]
#[仮名],はるなれば,うべもさきたる,うめのはな,きみをおもふと,よいもねなくに
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:板持安麻呂,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]春になると当然咲いた梅の花よ。あなたを思うと夜も寝ないことだ
#{語釈]
壹岐守板氏安麻呂  板持連安麻呂

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0832
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]烏梅能波奈 乎利弖加射世留 母呂比得波 家布能阿比太波 多努斯久阿流倍斯[神司荒氏稲布]
#[訓読]梅の花折りてかざせる諸人は今日の間は楽しくあるべし[神司荒氏稲布]
#[仮名],うめのはな,をりてかざせる,もろひとは,けふのあひだは,たのしくあるべし
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:荒木田,荒木,荒田,新井田,稲布,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]梅の花を折ってかざしている人たちは今日の間は楽しくありたいものだ
#{語釈]
神司荒氏稲布 未詳。荒木田、荒木、荒田など

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0833
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]得志能波尓 波流能伎多良婆 可久斯己曽 烏梅乎加射之弖 多<努>志久能麻米[大令史野氏宿奈麻呂]
#[訓読]年のはに春の来らばかくしこそ梅をかざして楽しく飲まめ[大令史野氏宿奈麻呂]
#[仮名],としのはに,はるのきたらば,かくしこそ,うめをかざして,たのしくのまめ
#[左注]
#[校異]弩 -> 努 [類][紀][細]
#[鄣W],梅花宴,作者:大野,小野,三野,宿奈麻呂,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]年ごとに春が来たらこのようにして梅をかざして楽しく飲もう
#{語釈]
大令史野氏宿奈麻呂 小野臣宿奈麻呂か 正倉院文書天平六年出雲国

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0834
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]烏梅能波奈 伊麻佐加利奈利 毛々等利能 己恵能古保志枳 波流岐多流良斯[小令史田氏肥人]
#[訓読]梅の花今盛りなり百鳥の声の恋しき春来るらし[小令史田氏肥人]
#[仮名],うめのはな,いまさかりなり,ももとりの,こゑのこほしき,はるきたるらし
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:田口,田辺,太田,矢田,肥人,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物,季節,動物
#[訓異]
#[大意]梅の花垸今が盛りふぁ。いろいろな鳥の声が恋しい春がやってきたらしい
#{語釈]
小令史田氏肥人 未詳

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0835
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]波流佐良婆 阿波武等母比之 烏梅能波奈 家布能阿素(i)尓 阿比美都流可母[藥師高氏義通]
#[訓読]春さらば逢はむと思ひし梅の花今日の遊びに相見つるかも[藥師高氏義通]
#[仮名],はるさらば,あはむともひし,うめのはな,けふのあそびに,あひみつるかも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:高丘,高田,高橋,高向,高屋,高安,高,高麗,義道,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]春になったら会おうと思っていた梅の花よ。今日の遊びにともに見たことである
#{語釈]
藥師高氏義通 未詳。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0836
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]烏梅能波奈 多乎利加射志弖 阿蘇倍等母 阿岐太良奴比波 家布尓志阿利家利[陰陽師礒氏法麻呂]
#[訓読]梅の花手折りかざして遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり[陰陽師礒氏法麻呂]
#[仮名],うめのはな,たをりかざして,あそべども,あきだらぬひは,けふにしありけり
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:磯部,法麻呂,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]梅の花を手折りかざして遊ぶけれども満足しきれない日は今日であることだ
#{語釈]
陰陽師礒氏法麻 未詳。磯部氏か。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0837
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]波流能努尓 奈久夜汙隅比須 奈都氣牟得 和何弊能曽能尓 汙米何波奈佐久[笇師志氏大道]
#[訓読]春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く[笇師志氏大道]
#[仮名],はるののに,なくやうぐひす,なつけむと,わがへのそのに,うめがはなさく
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:志紀,大道,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物,動物
#[訓異]
#[大意]春の野に鳴く鶯を手なづけようと我が家の庭に梅が花咲く
#{語釈]
笇師志氏大道 志紀連大道か

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0838
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]烏梅能波奈 知利麻我比多流 乎加肥尓波 宇具比須奈久母 波流加多麻氣弖[大隅目榎氏鉢麻呂]
#[訓読]梅の花散り乱ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて[大隅目榎氏鉢麻呂]
#[仮名],うめのはな,ちりまがひたる,をかびには,うぐひすなくも,はるかたまけて
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:榎井,榎本,榎室,鉢麻呂,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物,動物
#[訓異]
#[大意]梅の花が散り乱れている岡のまわりには鶯が鳴くことだ。春を待ちも設けて
#{語釈]
大隅目榎氏鉢麻呂 未詳。榎井しか。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0839
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]波流能努尓 紀理多知和多利 布流由岐得 比得能美流麻提 烏梅能波奈知流[筑前目田氏真上]
#[訓読]春の野に霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る[筑前目田氏真上]
#[仮名],はるののに,きりたちわたり,ふるゆきと,ひとのみるまで,うめのはなちる
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:田中,田辺,真上,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]春の日に霧が立ち込めて降る雪だと人が見るほど梅の花が散っている
#{語釈]
筑前目田氏真上 田上史真上 天平17年 諸陵寮大允(いん)

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0840
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]<波流>楊那宜 可豆良尓乎利志 烏梅能波奈 多礼可有可倍志 佐加豆岐能倍尓[壹岐目村氏彼方]
#[訓読]春柳かづらに折りし梅の花誰れか浮かべし酒坏の上に[壹岐目村氏彼方]
#[仮名],はるやなぎ,かづらにをりし,うめのはな,たれかうかべし,さかづきのへに
#[左注]
#[校異]流波 -> 波流 [西(訂正記号)][類][紀]
#[鄣W],梅花宴,作者:村君,村国,村山,彼方,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]春柳をかづらに折った梅の花よ。誰が浮かべたのか杯の上に
#{語釈]
壹岐目村氏彼方 未詳 村国氏か。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0841
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]于遇比須能 於登企久奈倍尓 烏梅能波奈 和企弊能曽能尓 佐伎弖知流美由[對馬目高氏老]
#[訓読]鴬の音聞くなへに梅の花我家の園に咲きて散る見ゆ[對馬目高氏老]
#[仮名],うぐひすの,おときくなへに,うめのはな,わぎへのそのに,さきてちるみゆ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:高丘,高田,高橋,高向,高屋,高安,高,高麗,老,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物,動物
#[訓異]
#[大意]
#{語釈]鶯の声聞くごとに梅の花は我が家の庭に咲いて散るのが見える
對馬目高氏老  高向村主老 天平17年10月頃 雅楽寮少允

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0842
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]和我夜度能 烏梅能之豆延尓 阿蘇(i)都々 宇具比須奈久毛 知良麻久乎之美[薩摩目高氏海人]
#[訓読]我がやどの梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ[薩摩目高氏海人]
#[仮名],わがやどの,うめのしづえに,あそびつつ,うぐひすなくも,ちらまくをしみ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:高丘,高田,高橋,高向,高屋,高安,高,高麗,海人,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物,動物
#[訓異]
#[大意]我が家の梅の下枝に遊びながら鶯が鳴くことだ。散るのが惜しいので
#{語釈]
薩摩目高氏海人 未詳

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0843
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]宇梅能波奈 乎理加射之都々 毛呂比登能 阿蘇夫遠美礼婆 弥夜古之叙毛布[土師氏御<道>]
#[訓読]梅の花折りかざしつつ諸人の遊ぶを見れば都しぞ思ふ[土師氏御<道>]
#[仮名],うめのはな,をりかざしつつ,もろひとの,あそぶをみれば,みやこしぞもふ
#[左注]
#[校異]通 -> 道 [紀][細]
#[鄣W],梅花宴,作者:土師御道,太宰府,福岡,望郷,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]
#{語釈]梅の花袪を折りかざしながらみんなが遊ぶのを見ていると都のことを思うことだ
土師氏御<道>  土師宿祢御道  4/0557~8

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0844
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]伊母我陛邇 由岐可母不流登 弥流麻提尓 許々陀母麻我不 烏梅能波奈可毛[小野氏國堅]
#[訓読]妹が家に雪かも降ると見るまでにここだもまがふ梅の花かも[小野氏國堅]
#[仮名],いもがへに,ゆきかもふると,みるまでに,ここだもまがふ,うめのはなかも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:小野國堅,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物#[訓異]
#[大意]妹の家に雪が降っているのかと見るほどこんなにもひどく間違う梅の花であるよ
#{語釈]
小野氏國堅  天平10年無位写経生

#[説明]
#[関連論文]



#[番号]05/0845
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]宇具比須能 麻知迦弖尓勢斯 宇米我波奈 知良須阿利許曽 意母布故我多米[筑前拯門氏石足]
#[訓読]鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子がため[筑前拯門氏石足]
#[仮名],うぐひすの,まちかてにせし,うめがはな,ちらずありこそ,おもふこがため
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,作者:門部石足,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物,動物
#[訓異]
#[大意]鶯が待ちかねていた梅の花よ。散らないであって欲しい。恋い思うあの子のために
#{語釈]
筑前拯門氏石足  門部連石足 4/0568

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0846
#[題詞](梅花歌卅二首[并序] / 天平二年正月十三日 萃于帥老之宅 申宴會也 于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香 加以 曙嶺移雲 松掛羅而傾盖 夕岫結霧鳥封縠而迷林 庭舞新蝶 空歸故鴈 於是盖天坐地 <促>膝飛觴 忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足 若非翰苑何以攄情 詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠)
#[原文]可須美多都 那我岐波流卑乎 可謝勢例杼 伊野那都可子岐 烏梅能波那可毛[小野氏淡理]
#[訓読]霞立つ長き春日をかざせれどいやなつかしき梅の花かも[小野氏淡理]
#[仮名],かすみたつ,ながきはるひを,かざせれど,いやなつかしき,うめのはなかも
#[左注]
#[校異]波那 [類][矢][京] 波奈
#[鄣W],梅花宴,作者:小野田守,太宰府,福岡,天平2年1月13日,年紀,宴席,地名,植物#[訓異]
#[大意]
#{語釈]霞が立つ長い春の日をかざすけれどもますます心引かれる梅の花であることだ
小野氏淡理(たもり)  天平宝字2年従五位下渤海大使小野朝臣田守 20/4514

#[説明]
#[関連論文]



#[番号]05/0847
#[題詞]員外思故郷歌兩首
#[原文]和我佐可理 伊多久々多知奴 久毛尓得夫 久須利波武等母 麻多遠知米也母
#[訓読]我が盛りいたくくたちぬ雲に飛ぶ薬食むともまた変若めやも
#[仮名],わがさかり,いたくくたちぬ,くもにとぶ,くすりはむとも,またをちめやも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:大伴旅人,望郷,太宰府,福岡,老,神仙
#[訓異]
#[大意]自分の盛んだ年はひどく衰えた。雲に飛ぶ霊薬を飲むとしてもまた若返るということがあろうか
#{語釈]
員外 梅花宴の出席者以外の人。旅人が装ったもの
雲に飛ぶ薬 黄帝が仙薬を得て飛行長生した(抱朴子)、西王母が不死の薬を飲んで月世界に走った(芸文類聚)

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0848
#[題詞](員外思故郷歌兩首)
#[原文]久毛尓得夫 久須利波牟用波 美也古弥婆 伊夜之吉阿何微 麻多越知奴倍之
#[訓読]雲に飛ぶ薬食むよは都見ばいやしき我が身また変若ぬべし
#[仮名],くもにとぶ,くすりはむよは,みやこみば,いやしきあがみ,またをちぬべし
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:大伴旅人,望郷,太宰府,福岡,老,神仙
#[訓異]
#[大意]雲まで飛ぶ薬を飲むよりは都を見るならば卑しい自分の身はまた若返るだろう
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0849
#[題詞]後追和梅歌四首
#[原文]能許利多留 由棄仁末自例留 宇梅能半奈 半也久奈知利曽 由吉波氣奴等勿
#[訓読]残りたる雪に交れる梅の花早くな散りそ雪は消ぬとも
#[仮名],のこりたる,ゆきにまじれる,うめのはな,はやくなちりそ,ゆきはけぬとも
#[左注]
#[校異]留 [類][紀][細](塙) 流
#[鄣W],梅花宴,追和,大伴旅人,太宰府,福岡,植物
#[訓異]
#[大意]消え残った雪に交じっている梅の花よ。早くは散るなよ。雪は消えるとしても
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0850
#[題詞](後追和梅歌四首)
#[原文]由吉能伊呂遠 有<婆>比弖佐家流 有米能波奈 伊麻<左>加利奈利 弥牟必登母我聞
#[訓読]雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも
#[仮名],ゆきのいろを,うばひてさける,うめのはな,いまさかりなり,みむひともがも
#[左注]
#[校異]波 -> 婆 [類][紀][細] / 佐 -> 左 [類][紀][細]
#[鄣W],梅花宴,追和,大伴旅人,太宰府,福岡,植物
#[訓異]
#[大意]雪の色を奪って咲いている梅の花よ。今が満開だ。見る人もいればいいのに
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0851
#[題詞](後追和梅歌四首)
#[原文]和我夜度尓 左加里尓散家留 宇梅能波奈 知流倍久奈里奴 美牟必登聞我母
#[訓読]我がやどに盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも
#[仮名],わがやどに,さかりにさける,うめのはな,ちるべくなりぬ,みむひともがも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],梅花宴,追和,大伴旅人,太宰府,福岡,植物
#[訓異]
#[大意]自分の家で満開に咲いている梅の花よ。散りそうになっている。見る人もいればいいのに
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0852
#[題詞](後追和梅歌四首)
#[原文]烏梅能波奈 伊米尓加多良久 美也備多流 波奈等阿例母布 左氣尓于可倍許曽 [一云 伊多豆良尓 阿例乎知良須奈 左氣尓<宇>可倍許曽]
#[訓読]梅の花夢に語らくみやびたる花と我れ思ふ酒に浮かべこそ [一云 いたづらに我れを散らすな酒に浮べこそ]
#[仮名],うめのはな,いめにかたらく,みやびたる,はなとあれもふ,さけにうかべこそ,[いたづらに,あれをちらすな,さけにうかべこそ]
#[左注]
#[校異]于 -> 宇 [類] (楓) 于 / 許 [類][紀][細](塙) 己
#[鄣W],梅花宴,追和,大伴旅人,太宰府,福岡,植物
#[訓異]
#[大意]梅の花が夢の中で話すことには雅びな花だと自分は思う。酒に浮かべて欲しい。[無駄に自分を散らすなよ。酒に浮かべて欲しい]
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0853
#[題詞]遊<於>松浦河序 / 余以暫徃松浦之縣逍遥 聊臨玉嶋之潭遊覧 忽値釣魚女子等也 花容無雙 光儀無匹 開柳葉於眉中發桃花於頬上 意氣凌雲 風流絶世 僕問曰 誰郷誰家兒等 若疑神仙者乎 娘等皆咲答曰 兒等者漁夫之舎兒 草菴之微者 無郷無家 何足稱云 唯性便水 復心樂山 或臨洛浦而徒羨<玉>魚 乍臥巫峡以空望烟霞 今以邂逅相遇貴客 不勝感應輙陳<欵>曲 而今而後豈可非偕老哉 下官對曰 唯々 敬奉芳命 于時日落山西 驪馬将去 遂申懐抱 因贈詠歌曰
#[原文]阿佐<里><須流> 阿末能古等母等 比得波伊倍騰 美流尓之良延奴 有麻必等能古等
#[訓読]あさりする海人の子どもと人は言へど見るに知らえぬ貴人の子と
#[仮名],あさりする,あまのこどもと,ひとはいへど,みるにしらえぬ,うまひとのこと
#[左注]
#[校異]<> -> 於 [紀][細] / 王 -> 玉 [温] / 歎 -> 欵 [細] / 歌 [西] 謌 / 理 -> 里 [類][紀][細] / 流須 -> 須流 [西(訂正記号)][類][紀][細]
#[鄣W],作者:大伴旅人,玉島川,巡行,創作,神功皇后,求婚,野遊び,地名
#[訓異]
#[大意]魚を捕る海人の子どもだと人は言うが、直接会ってやかった。高貴な人の子どもであると
#{語釈]
松浦河に遊ぶ序
余(われ)暫(たまさか)に松浦の縣(あがた)に往(ゆ)きて逍遥(せうえう)し 聊(いささか)に玉嶋の潭(ふち)に臨みて遊覧するに、忽(たちまち)に魚(うを)を釣る女子(をとめ)らに値(あ)ひぬ。花容雙(ならび)無く、光儀匹(たぐひ)無し。柳葉(りゅうよう)を眉の中(うち)に開き、桃花(とうくわ)を頬の上に發(ひら)く。意氣(いき)は雲を凌(しの)ぎ、風流は世に絶(すぐ)れたり。
僕、問ひて曰く、「誰(た)が郷(さと)、誰が家の兒等ぞ。若疑(けだし)神仙にあらんか」といふ。娘等皆咲(え)み答へて曰く、「兒等(われ)は漁夫の舎(いへ)の兒(こ)、草菴(さうあん)の微(いや)しき者なり。郷(さと)も無く、家も無し。何ぞ稱(なの)り云(い)ふに足らむ。唯(ただ)性(ひととなり)水に便(なら)ひ、復(ま)た心山を樂しぶ。或ひは洛浦(らくほ)に臨みて徒(いたづら)に玉魚(ぎょくぎょ)を羨(たの)しぶ。乍(あるひ)は巫峡(ふけう)に臥して、空しく烟霞を望む。今邂(たまさか)に貴客(うまひと)に相遇(あ)ひ、感應に勝(あ)へず輙(すなはち)<欵>曲(くわんきょく)を陳(の)ぶ。今より後に豈に偕老に非ざる可けむ哉。」といふ。下官對(こた)へて曰く、「唯々(をを)敬(つつ)しみて芳命を承はらむ。」といふ。時に日は山の西に落ち、驪馬(りば)去(い)なむとす。
遂に懐抱(くわいはう)を申(の)べ、因りて詠歌を贈りて曰く、

自分はたまたま松浦の縣に行ってあちらこちらを周り、少しの間玉島の淵のそばを遊覧した所、思いがけず魚を釣る娘子に出会った。顔は並びなく美しく、姿は類稀な端正な姿であった。柳の葉のようなしなやかな眉であり、桃の花のような紅の頬をしていた。気品は雲を凌ぐほど高く、身のこなしは世の中で一番である。
私が尋ねて言うのに、「どこから来たのか。どこの家の娘か。もしかしたら神仙の人なのか。」。娘たちはみんなにっこりとして答えて言うのに、「私たちは漁夫の家の娘であり、草葺きの身分の低い者です。名乗るべき里もなく、家もない。名乗るほどの者でもありません。ただ性格は水のようにしなやかで、また心は仁者が山を楽しむように落ち着いています。または松浦の川のほとりでひたすら美しい魚の境遇を羨んだり、または山あいの谷に横たわって、わけもなく煙や霞を眺めています。今たまたま高貴な方にお会いして、感激に堪えられずそのまま心の底をうちあける次第です。今から以後ともに老いるまで同じくする約束を結ばないでいられましょうか。」と答えた。自分は答えて言うのに「もちろん。喜んで仰せのとおりにしましょう。」と言った。しかし時は太陽が西の山に沈み、黒馬は帰ろうとしている。
そこで心の内を明かし、歌でもって言うことに、


松浦河 玉島川。当時は虹の松原と平行して流れ、現在の松浦川に注ぐ。
釣魚女子等 神功皇后の鮎を釣る故事に拠る。
花容無雙 光儀無匹  遊仙窟に見える。以下の文章も遊仙窟に拠る。
洛浦 洛神賦に見える川 玉島川のこと
巫峡 高唐賦に見える巫山。
<欵>曲 うち解けて懇ろにする。
日落山西 驪馬将去 文選 洛神賦   驪馬は黒馬
懐抱  心に思うこと

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0854
#[題詞](遊<於>松浦河序 / 余以暫徃松浦之縣逍遥 聊臨玉嶋之潭遊覧 忽値釣魚女子等也 花容無雙 光儀無匹 開柳葉於眉中發桃花於頬上 意氣凌雲 風流絶世 僕問曰 誰郷誰家兒等 若疑神仙者乎 娘等皆咲答曰 兒等者漁夫之舎兒 草菴之微者 無郷無家 何足稱云 唯性便水 復心樂山 或臨洛浦而徒羨<玉>魚 乍臥巫峡以空望烟霞 今以邂逅相遇貴客 不勝感應輙陳<欵>曲 而今而後豈可非偕老哉 下官對曰 唯々 敬奉芳命 于時日落山西 驪馬将去 遂申懐抱 因贈詠歌曰)答詩曰
#[原文]多麻之末能 許能可波加美尓 伊返波阿礼騰 吉美乎夜佐之美 阿良波佐受阿利吉
#[訓読]玉島のこの川上に家はあれど君をやさしみあらはさずありき
#[仮名],たましまの,このかはかみに,いへはあれど,きみをやさしみ,あらはさずありき
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:大伴旅人,玉島川,巡行,創作,神功皇后,求婚,野遊び,地名
#[訓異]
#[大意]玉島のこの川のほとりに家はあるが、あなたに気後れして明かさないでいたのです
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0855
#[題詞]蓬客等更贈歌三首
#[原文]麻都良河波 可波能世比可利 阿由都流等 多々勢流伊毛<何> 毛能須蘇奴例奴
#[訓読]松浦川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹が裳の裾濡れぬ
#[仮名],まつらがは,かはのせひかり,あゆつると,たたせるいもが,ものすそぬれぬ
#[左注]
#[校異]客等 [類](塙) 客 / 歌 [西] 謌 / 河 -> 何 [紀] (塙) 河
#[鄣W],作者:大伴旅人,玉島川,巡行,創作,遊仙窟,神功皇后,求婚,野遊び,地名
#[訓異]
#[大意]松浦川の川の瀬が光って鮎を釣るとしてお立ちになっている妹の裳の裾が濡れたことだ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0856
#[題詞](蓬客等更贈歌三首)
#[原文]麻都良奈流 多麻之麻河波尓 阿由都流等 多々世流古良何 伊弊遅斯良受毛
#[訓読]松浦なる玉島川に鮎釣ると立たせる子らが家道知らずも
#[仮名],まつらなる,たましまがはに,あゆつると,たたせるこらが,いへぢしらずも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:大伴旅人,玉島川,巡行,創作,神功皇后,求婚,野遊び,地名
#[訓異]
#[大意]松浦にある玉島川に鮎を釣るとしてお立ちになっているあの娘子の家への道がわからないことだ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0857
#[題詞](蓬客等更贈歌三首)
#[原文]等富都比等 末都良能加波尓 和可由都流 伊毛我多毛等乎 和礼許曽末加米
#[訓読]遠つ人松浦の川に若鮎釣る妹が手本を我れこそ卷かめ
#[仮名],とほつひと,まつらのかはに,わかゆつる,いもがたもとを,われこそまかめ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:大伴旅人,玉島川,巡行,創作,神功皇后,恋愛,求婚,野遊び,地名
#[訓異]遠くの人を待つという松浦の川に若鮎を釣る妹の袂を自分は枕としよう
#[大意]
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0858
#[題詞]娘等更報歌三首
#[原文]和可由都流 麻都良能可波能 可波奈美能 奈美邇之母波婆 和礼故飛米夜母
#[訓読]若鮎釣る松浦の川の川なみの並にし思はば我れ恋ひめやも
#[仮名],わかゆつる,まつらのかはの,かはなみの,なみにしもはば,われこひめやも
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌
#[鄣W],作者:娘等,大伴旅人,玉島川,巡行,創作,神功皇后,恋愛,求婚,野遊び,地名
#[訓異]
#[大意]
若鮎を釣る松浦の川の川浪のように不通に恋い思っているだけならば自分は恋い思うということがありましょうか。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0859
#[題詞](娘等更報歌三首)
#[原文]波流佐礼婆 和伎覇能佐刀能 加波度尓波 阿由故佐婆斯留 吉美麻知我弖尓
#[訓読]春されば我家の里の川門には鮎子さ走る君待ちがてに
#[仮名],はるされば,わぎへのさとの,かはとには,あゆこさばしる,きみまちがてに
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:娘等,大伴旅人,玉島川,巡行,創作,神功皇后,恋愛,求婚,野遊び,地名
#[訓異]
#[大意]春になると我が家の里の川戸には鮎の子が走り泳いでいる。あなたを待つことが出来なくて
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0860
#[題詞](娘等更報歌三首)
#[原文]麻都良我波 奈々勢能與騰波 与等武等毛 和礼波与騰麻受 吉美遠志麻多武
#[訓読]松浦川七瀬の淀は淀むとも我れは淀まず君をし待たむ
#[仮名],まつらがは,ななせのよどは,よどむとも,われはよどまず,きみをしまたむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:娘等,大伴旅人,玉島川,巡行,創作,神功皇后,恋愛,求婚,野遊び,地名
#[訓異]
#[大意]松浦川の七瀬の淀は淀むとしても自分は滞りなくあなたを待ちましょう
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0861
#[題詞]後人追和之<詩>三首 [帥老]
#[原文]麻都良河波 <可>波能世波夜美 久礼奈為能 母能須蘇奴例弖 阿由可都流良<武>
#[訓読]松浦川川の瀬早み紅の裳の裾濡れて鮎か釣るらむ
#[仮名],まつらがは,かはのせはやみ,くれなゐの,ものすそぬれて,あゆかつるらむ
#[左注]
#[校異]謌 -> 詩 [類][紀][細] / 河 -> 可 [類][紀][細] / 哉 -> 武 [西(右書)][類][紀]
#[鄣W],作者:大伴旅人,玉島川,創作,追和,求婚,野遊び,地名
#[訓異]
#[大意]松浦川の川の瀬が速いので紅の裳裾濡らして鮎を釣っているだろうか
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0862
#[題詞](後人追和之<詩>三首 [帥老])
#[原文]比等未奈能 美良武麻都良能 多麻志末乎 美受弖夜和礼波 故飛都々遠良武
#[訓読]人皆の見らむ松浦の玉島を見ずてや我れは恋ひつつ居らむ
#[仮名],ひとみなの,みらむまつらの,たましまを,みずてやわれは,こひつつをらむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:大伴旅人,玉島川,創作,追和,求婚,野遊び,地名
#[訓異]
#[大意]人々がみんな見るであろう松浦の玉島を見ないで自分は恋い続けていよう
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0863
#[題詞](後人追和之<詩>三首 [帥老])
#[原文]麻都良河波 多麻斯麻能有良尓 和可由都流 伊毛良遠美良牟 比等能等母斯佐
#[訓読]松浦川玉島の浦に若鮎釣る妹らを見らむ人の羨しさ
#[仮名],まつらがは,たましまのうらに,わかゆつる,いもらをみらむ,ひとのともしさ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:大伴旅人,玉島川,創作,追和,求婚,野遊び,地名
#[訓異]
#[大意]松浦川玉島の浦に若鮎を釣る妹を見るであろう人がうらやましいことだ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0864
#[題詞]宜啓 伏奉四月六日賜書 跪開封函 拜讀芳藻 心神開朗以懐泰初之月鄙懐除<袪> 若披樂廣之天 至若羈旅邊城 懐古舊而傷志 年矢不停<憶>平生而落涙 但達人安排 君子無悶 伏冀 朝宜懐翟之化暮存放龜之術 架張趙於百代 追松喬於千齡耳 兼奉垂示 梅<苑>芳席 群英摛藻 松浦玉潭 仙媛贈答類否壇各言之作 疑衡皐税駕之篇 耽讀吟諷<感>謝歡怡 宜戀主之誠 誠逾犬馬仰徳之心 心同葵藿 而碧海分地白雲隔天 徒積傾延 何慰勞緒 孟秋膺節 伏願萬祐日新 今因相撲部領使謹付片紙 宜謹啓 不次 / 奉和諸人梅花歌一首
#[原文]於久礼為天 那我古飛世殊波 弥曽能不乃 于梅能波奈尓<忘> 奈良麻之母能乎
#[訓読]後れ居て長恋せずは御園生の梅の花にもならましものを
#[仮名],おくれゐて,ながこひせずは,みそのふの,うめのはなにも,ならましものを
#[左注]
#[校異]私 -> 袪 [細] / <> -> 憶 [西(右書)][紀][細] / 花 -> 苑 [細] / 戚 -> 感 [代匠記精撰本] / 誠 [紀][細][温] 々 / 心 [紀][細][温] 々 / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 母 -> 忘 [類][細]
#[鄣W],作者:吉田宜,書簡,大伴旅人,梅花宴,唱和,植物,贈答,恋情
#[訓異]
#[大意]後に残っていて(都にいて)長く恋い思ってはいずに庭園の梅の花にもなればよかったものだ

#{語釈]
宜(よろし)啓(けい)す。
伏して四月(うづき)六日の賜書を奉(うけたま)はる。跪(ひざまづ)きて封函(ふうかん)を開き、拜(おろが)みて芳藻(はうさう)を讀む。心神の開朗にあること、泰初が月を懐(むだ)くがごとし。鄙懐(ひくわい)の除<袪>(じょきょ)せらゆること、樂廣(がくくわう)が天を披(ひら)くが若(ごと)し。
邊城(へんじやう)に羈旅し、古舊(こきゅう)を懐(おも)ひて志(こころ)を傷ましめ、年矢(ねんし)停(とど)まらず、平生(へいせい)を<憶>ひて涙を落すが若(ごと)きに至りては、但(ただし)達人は排(はい)に安みし、君子は悶(うれ)へ無し。
伏して冀(ねが)はくは、朝(あした)には懐翟(くわいてき)の化(うつくしび)を宜(の)べ、暮(ゆふべ)には放龜の術(みち)を存(とど)め、張(ちょう)、趙(てう)を百代に架(かま)へ、松(しょう)、喬(けう)を千齡に追ひたまはむことを。
兼(さら)に垂示(すいじ)を奉(うけたま)はるに、梅<苑>(ばいゑん)の芳席(はうせき)に、群英(ぐんえい)藻(あや)を摛(の)べ、松浦(しょうほ)の玉潭(ぎょくたん)に仙媛(えんゑん)答(こたへ)を贈りたるは、否壇(きゃうたん)各言(かくげん)の作に類(たぐ)ひ、衡皐(かうかう)税駕(せいか)の篇に疑(なぞ)ふ。耽讀(たんどく)吟諷(ぎんぷう)し、<感>謝(せきしゃく)歡怡(くわんい)す。
宜(よろし)が主(ぬし)に戀ふる誠、誠犬馬に逾(こ)え、徳を仰ぐ心、心葵藿(きくわく)に同じ。而(しかれども)、碧海(へきかい)地を分(わか)ち、白雲天を隔つ。徒(いたづら)に傾延(けいえん)を積み、何(いかにしてか)勞緒(らうしょ)を慰めむ。孟秋(まうしゅう)節(せち)に膺(あた)る。伏して願はくは、萬祐(ばんいう)日に新(あらた)にあらむことを。
今し相撲(すまひ)の部領使(ことりつかひ)に因(よ)せ、謹みて片紙を付く。
宜(よろし)謹啓 不次(ふし)
奉和諸人梅花歌一首

宜が申し上げます。
ありがたくも四月六日のお手紙をいただきました。謹んで封筒を開き、拝礼してお手紙を読みました。心が晴れ晴れとして明朗になったことは泰初が月を懐にしたような気持ちです。また卑しい思いが消えたことは樂廣が晴天を仰いだ気持ちのようです。
「辺境の城に旅に出て、昔を思っては傷心し、年月は留まることなく若い日を思っては涙を落とす」とおっしゃていますが、達人は物事の移ろいに身を任せ、君子は憂いがないといいます。謹んでお願い申し上げたいのは、朝は雉をもなつける魯恭の徳化を敷き、夕べには亀を放したという孔愉の仁術を施し、漢の張敞(ちょうしょう)や趙広漢(ちょうこうかん)のような高名を百代の後までも残し、仙人赤松子(せきしょうし)や王子喬(おうしきょう)のように千年の長寿を保たれるということです。
さらにお示しいただいた梅花の宴ではたくさんの方が歌を詠まれ、松浦川で仙女と問答をされた作は孔子と門弟が講壇で意見を述べた作にも劣らず、曹植が洛川で神女に会った賦に擬えるほどです。何度も読み直し、口ずさんで感謝し喜んでおります。
宜があなたに恋い思う真心、それは犬馬の慕いを超え、徳を仰ぐ気持ち、その気持ちは冬葵が日を仰いでいるのと同じです。しかしながら青海はお互いの住む所を隔てており、白雲はるかに離れています。無駄に恋い思う気持ちが勝るばかりで、どのようにして苦しみを慰めてよいか手だてがありません。おりしも初秋七月、七日の節にあたります。謹んで願うのは天の恵みが日に新たにあることです。
今相撲の使者に託して謹んでこの手紙を差し上げます。
宜 謹啓 不次

宜        吉田宜 百済の帰化人。医者。僧恵俊(えしゅん)。医術を活用するために文武四年、還俗させられ吉宜(きちぎ)と命名。和銅7年従五位下。神亀元年吉田連姓。懐風藻 年七十。図書頭、典薬頭を歴任。

泰初之月    世説新語 魏人泰初のことを「朗々たること日月の懐に入れたるが如し」と評したこと、。

若披樂廣之天  晋書 楽広 「雲霧を披いて晴天を見るが如し」と評したことによる。
達人安排   物事を達観した人が自然の理法に従う。荘子等
懐翟之化  後漢書 県令として勤めた魯恭の故事。
放龜之術  晋書 孔愉が余不亭という場所を通った時に捕らえられた亀を放生したことにより後に余不亭の領主になったという故事

架張趙於百代  張敞と趙広漢 漢代のすぐれた役人
追松喬於千齡 赤松子と王子喬 有名な仙人
否壇  孔子の講堂の教壇
衡皐税駕之篇  文選 曹植 洛神賦  衡皐(香草の生えた沢)に駕を留めたという内容

孟秋  秋の最初の月 七月
相撲部領使  七月七日の相撲の節会  帰路につく使い

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0865
#[題詞]和松浦仙媛歌一首
#[原文]伎弥乎麻都 々々良乃于良能 越等賣良波 等己与能久尓能 阿麻越等賣可<忘>
#[訓読]君を待つ松浦の浦の娘子らは常世の国の海人娘子かも
#[仮名],きみをまつ,まつらのうらの,をとめらは,とこよのくにの,あまをとめかも
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 忌 -> 忘 [類][細]
#[鄣W],作者:吉田宜,書簡,大伴旅人,松浦仙媛,唱和,地名,贈答
#[訓異]
#[大意]あなたを待つ松浦の娘子たちは常世の国の海人娘子なのだろうか
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0866
#[題詞]思君未盡重題二首
#[原文]波漏々々尓 於忘方由流可母 志良久毛能 <知>弊仁邊多天留 都久紫能君仁波
#[訓読]はろはろに思ほゆるかも白雲の千重に隔てる筑紫の国は
#[仮名],はろはろに,おもほゆるかも,しらくもの,ちへにへだてる,つくしのくには
#[左注](天平二年七月十日)
#[校異]々 [細] 婆 / 智 -> 知 [類][紀]
#[鄣W],作者:吉田宜,書簡,奈良,大伴旅人,地名,天平2年7月10日,年紀
#[訓異]
#[大意]あるばると思えてならないことだ。白雲の幾重にも隔てている築紫の国は
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0867
#[題詞](思君未盡重題二首)
#[原文]枳美可由伎 氣那<我>久奈理奴 奈良遅那留 志満乃己太知母 可牟佐飛仁家<里>
#[訓読]君が行き日長くなりぬ奈良道なる山斎の木立も神さびにけり
#[仮名],きみがゆき,けながくなりぬ,ならぢなる,しまのこだちも,かむさびにけり
#[左注]天平二年七月十日
#[校異]家 -> 我 [類][紀][細] / 理 -> 里 [類][紀][細]
#[鄣W],作者:吉田宜,書簡,奈良,大伴旅人,天平2年7月10日,年紀
#[訓異]
#[大意]あなたが旅だってから日数が長くなった。奈良への道になる庭園の木立もすっかり神々しくなったことだ

#{語釈]
奈良道なる山斎  旅人の家の庭園の歌が基本にある。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0868
#[題詞]憶良誠惶頓首謹啓 / 憶良聞 方岳諸侯 都督刺使 並依典法 巡行部下 察其風俗 意内多端口外難出 謹以三首之鄙歌 欲寫五蔵之欝結 其歌曰
#[原文]麻都良我多 佐欲比賣能故何 比列布利斯 夜麻能名乃<尾>夜 伎々都々遠良武
#[訓読]松浦県佐用姫の子が領巾振りし山の名のみや聞きつつ居らむ
#[仮名],まつらがた,さよひめのこが,ひれふりし,やまのなのみや,ききつつをらむ
#[左注](天平二年七月十一日 筑前國司山上憶良謹上)
#[校異]鄙歌 [西] 鄙謌 [西(左別筆訂正)] 鄙歌 / 歌曰 [西] 謌曰 / 列 [紀][細] 例 [類] 礼 / 美 -> 尾 [類][紀][細]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴旅人,太宰府,松浦佐用姫,天平2年7月11日,年紀,地名
#[訓異]
#[大意]松浦県の佐用姫が領を振った山の名ばかりを聞き続けているのでしょうか
#{語釈]
憶良誠惶頓首謹啓

憶良聞くに、「方岳の諸侯、都督刺使、並(とも)に典法に依りて部下を巡行し、その風俗を察る」と。意内多端にして口外に出だすこと難し。
謹みて三首の鄙歌を以て五蔵の欝結を寫(のぞ)かむと欲(おも)ふ。其の歌に曰く

方岳の諸侯 周王が巡狩する四岳(東の泰山、南の衡(こう)山、西の崋山、北の恒山)に伺候した諸侯。
都督刺使 都督は魏の文帝の時に置かれた官。ここでは太宰帥。刺使は諸国の長官

意内多端にして 心の中では様々で、一口では言えない。松浦巡行に同行出来なかった不満。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0869
#[題詞](憶良誠惶頓首謹啓 / 憶良聞 方岳諸侯 都督刺使 並依典法 巡行部下 察其風俗 意内多端口外難出 謹以三首之鄙歌 欲寫五蔵之欝結 其歌曰)
#[原文]多良志比賣 可尾能美許等能 奈都良須等 美多々志世利斯 伊志遠多礼美吉 [一云 阿由都流等]
#[訓読]足姫神の命の魚釣らすとみ立たしせりし石を誰れ見き [一云 鮎釣ると]
#[仮名],たらしひめ,かみのみことの,なつらすと,みたたしせりし,いしをたれみき,[あゆつると]
#[左注](天平二年七月十一日 筑前國司山上憶良謹上)
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴旅人,太宰府,松浦佐用姫,神功皇后,天平2年7月11日,年紀,推敲
#[訓異]
#[大意]息長帯姫の神の命が魚をお釣りになるとお立ちになった石を誰が見たのでしょうか。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0870
#[題詞](憶良誠惶頓首謹啓 / 憶良聞 方岳諸侯 都督刺使 並依典法 巡行部下 察其風俗 意内多端口外難出 謹以三首之鄙歌 欲寫五蔵之欝結 其歌曰)
#[原文]毛々可斯母 由加奴麻都良遅 家布由伎弖 阿須波吉奈武遠 奈尓可佐夜礼留
#[訓読]百日しも行かぬ松浦道今日行きて明日は来なむを何か障れる
#[仮名],ももがしも,ゆかぬまつらぢ,けふゆきて,あすはきなむを,なにかさやれる
#[左注]天平二年七月十一日 筑前國司山上憶良謹上
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴旅人,太宰府,松浦佐用姫,天平2年7月11日,年紀,地名
#[訓異]
#[大意]百日もかかって行くわけではない松浦道なのに、今日行って明日戻って来ようと思うのに何が障害となっているのか
#{語釈]
百日しも行かぬ松浦道  百日もかかる松浦道ではないのに。たった一日で行けるのに。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0871
#[題詞]大伴佐提比古郎子 特被朝命奉使藩國 艤棹言歸 稍赴蒼波 妾也松浦[佐用嬪面] 嗟此別易 歎彼會難 即登高山之嶺 遥望離去之船 悵然断肝<黯>然銷魂 遂脱領巾麾之 傍者莫不流涕 因号此山曰領巾麾之嶺也 乃作歌曰
#[原文]得保都必等 麻通良佐用比米 都麻胡非尓 比例布利之用利 於返流夜麻能奈
#[訓読]遠つ人松浦佐用姫夫恋ひに領巾振りしより負へる山の名
#[仮名],とほつひと,まつらさよひめ,つまごひに,ひれふりしより,おへるやまのな
#[左注]
#[校異]黙 -> 黯 [古] / 歌 [西] 謌
#[鄣W],山上憶良,鏡山,唐津,大伴佐提比古,松浦佐用姫,領布振伝説,地名
#[訓異]
#[大意]遠い人を待つ松浦佐用姫が夫のことを恋い慕って領巾を振った日から名に負っている山の名前である
#{語釈]
大伴佐提比古の郎子(いらつご)、特(ひとり)朝命を被(かが)ふり、使を藩國に奉(うけた)まはる。艤棹(ふなよそひ)してここに歸(ゆ)き、稍(やくやく)に蒼波(さうは)に赴(おもぶ)く。
妾(せふ)、松浦[佐用嬪面] 此の別れの易きことを嗟(ねげ)き、彼(か)の會ひ難きことを歎く。即ち高き山の嶺に登り、離(さ)り去(ゆ)く船を遥望(えうぼう)し、悵然(ちゃうぜん)肝を断ち、<黯>然(あんぜん)魂(たま)を銷(け)つ。遂に領巾(ひれ)を脱ぎて麾(ふ)る。傍(かたはら)の者(ひと)涕を流さずということ莫し。 因りて此の山を号(なづ)けて領巾麾の嶺と曰ふ。乃ち歌を作りて曰く、

大伴佐提比古  大伴金村の三男。
        日本書紀宣化二年大伴金村とともに新羅に攻められた任那救援のために派遣。欽明二十三年百済を助けて高麗を破る

藩國 任那
ここに歸(ゆ)き、出発する
此の別れの易きことを嗟(ねげ)き  遊仙窟の言葉
悵然(ちゃうぜん)肝を断ち、恨み嘆くことは断腸の思い 
<黯>然(あんぜん)魂(たま)を銷(け)つ。 眼が真っ暗になり魂も抜けたよう

#[説明]
作者は、憶良の歌に答えた大伴旅人か。

#[関連論文]


#[番号]05/0872
#[題詞](大伴佐提比古郎子 特被朝命奉使藩國 艤棹言歸 稍赴蒼波 妾也松浦[佐用嬪面] 嗟此別易 歎彼會難 即登高山之嶺 遥望離去之船 悵然断肝<黯>然銷魂 遂脱領巾麾之 傍者莫不流涕 因号此山曰領巾麾之嶺也 乃作歌曰)後人追和
#[原文]夜麻能奈等 伊賓都夏等可母 佐用比賣何 許能野麻能閇仁 必例遠布利家<牟>
#[訓読]山の名と言ひ継げとかも佐用姫がこの山の上に領巾を振りけむ
#[仮名],やまのなと,いひつげとかも,さよひめが,このやまのへに,ひれをふりけむ
#[左注]
#[校異]何 [類][紀][細](塙) 河 / 無 -> 牟 [類][紀][細]
#[鄣W],山上憶良,鏡山,唐津,大伴佐提比古,松浦佐用姫,領布振伝説,地名
#[訓異]
#[大意]山の名前として言い継げというのだろうか。佐用姫がこの山の上で領巾を振ったのは
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0873
#[題詞](大伴佐提比古郎子 特被朝命奉使藩國 艤棹言歸 稍赴蒼波 妾也松浦[佐用嬪面] 嗟此別易 歎彼會難 即登高山之嶺 遥望離去之船 悵然断肝<黯>然銷魂 遂脱領巾麾之 傍者莫不流涕 因号此山曰領巾麾之嶺也 乃作歌曰)最後人追和
#[原文]余呂豆余尓 可多利都夏等之 許能多氣仁 比例布利家良之 麻通羅佐用嬪面
#[訓読]万世に語り継げとしこの丘に領巾振りけらし松浦佐用姫
#[仮名],よろづよに,かたりつげとし,このたけに,ひれふりけらし,まつらさよひめ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],山上憶良,鏡山,唐津,大伴佐提比古,松浦佐用姫,領布振伝説,地名
#[訓異]
#[大意]いつまでも語り継げとしてこの丘に領巾をお振りになった松浦佐用姫であるよ。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0874
#[題詞](大伴佐提比古郎子 特被朝命奉使藩國 艤棹言歸 稍赴蒼波 妾也松浦[佐用嬪面] 嗟此別易 歎彼會難 即登高山之嶺 遥望離去之船 悵然断肝<黯>然銷魂 遂脱領巾麾之 傍者莫不流涕 因号此山曰領巾麾之嶺也 乃作歌曰)最々後人追和二首
#[原文]宇奈波良能 意吉由久布祢遠 可弊礼等加 比礼布良斯家武 麻都良佐欲比賣
#[訓読]海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用姫
#[仮名],うなはらの,おきゆくふねを,かへれとか,ひれふらしけむ,まつらさよひめ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],山上憶良,鏡山,唐津,大伴佐提比古,松浦佐用姫,領布振伝説,地名
#[訓異]
#[大意]海原の沖を行く船を帰れというのだろうか。領巾をお振りになった松浦佐用姫よ。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0875
#[題詞]((大伴佐提比古郎子 特被朝命奉使藩國 艤棹言歸 稍赴蒼波 妾也松浦[佐用嬪面] 嗟此別易 歎彼會難 即登高山之嶺 遥望離去之船 悵然断肝<黯>然銷魂 遂脱領巾麾之 傍者莫不流涕 因号此山曰領巾麾之嶺也 乃作歌曰)最々後人追和二首)
#[原文]由久布祢遠 布利等騰尾加祢 伊加婆加利 故保斯<苦>阿利家武 麻都良佐欲比賣
#[訓読]行く船を振り留みかねいかばかり恋しくありけむ松浦佐用姫
#[仮名],ゆくふねを,ふりとどみかね,いかばかり,こほしくありけむ,まつらさよひめ
#[左注]
#[校異]古 -> 苦 [京]
#[鄣W],山上憶良,鏡山,唐津,大伴佐提比古,松浦佐用姫,領布振伝説,地名
#[訓異]
#[大意]去り行く船を領巾を振っても留めることも出来ないで、どのぐらい恋しくあったのだろうか松浦佐用姫よ。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0876
#[題詞]書殿餞酒日<倭>歌四首
#[原文]阿麻等夫夜 等利尓母賀母夜 美夜故<麻>提 意久利摩遠志弖 等比可弊流母能
#[訓読]天飛ぶや鳥にもがもや都まで送りまをして飛び帰るもの
#[仮名],あまとぶや,とりにもがもや,みやこまで,おくりまをして,とびかへるもの
#[左注]
#[校異]和 -> 倭 [類][紀][細] / 歌 [西] 謌 / 麻 [類][細] 摩 / 摩 -> 麻 [類][紀][温] / 摩 [紀][温] 麻
#[鄣W],山上憶良,大伴旅人,太宰府,福岡,餞別,帰京,宴席,地名
#[訓異]
#[大意]空を飛ぶ鳥にでもあればなあ。都まで送り申し上げてまた飛び帰ってくるものなのに
#{語釈]
書殿 筑前守憶良の公館か。太宰帥旅人の公館
餞酒 旅人の餞別の宴

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0877
#[題詞](書殿餞酒日<倭>歌四首)
#[原文]比等母祢能 宇良夫禮遠留尓 多都多夜麻 美麻知可豆加婆 和周良志奈牟迦
#[訓読]ひともねのうらぶれ居るに龍田山御馬近づかば忘らしなむか
#[仮名],ひともねの,うらぶれをるに,たつたやま,みまちかづかば,わすらしなむか
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],山上憶良,大伴旅人,太宰府,福岡,餞別,帰京,宴席,地名
#[訓異]
#[大意]ひともねの思いしおれているのに、あなたは竜田山に御馬が近づくと我々のことなどお忘れになるだろうか
#{語釈]
ひともねの 未詳。太宰府付近の山の名前か地名。人皆の方言か。
うらぶる  うちしおれる
10/2143H01君に恋ひうらぶれ居れば敷の野の秋萩しのぎさを鹿鳴くも

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0878
#[題詞](書殿餞酒日<倭>歌四首)
#[原文]伊比都々母 能知許曽斯良米 等乃斯久母 佐夫志計米夜母 吉美伊麻佐受斯弖
#[訓読]言ひつつも後こそ知らめとのしくも寂しけめやも君いまさずして
#[仮名],いひつつも,のちこそしらめ,とのしくも,さぶしけめやも,きみいまさずして
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],山上憶良,大伴旅人,太宰府,福岡,餞別,帰京,宴席,地名
#[訓異]
#[大意]あれやこれやと悲しい、さびしいと言っても別れた後になって知ることでしょう。ちょっとやそっとのさびさでしょうか。あなたがいらっしゃらなくて
#{語釈]
言ひつつも  別れの悲しさをあれやこれやと言う
後こそ知らめ 別れた後になってさびしいことを思い知らされる
とのしくも 語義未詳。乏しくも(ちょっとやそっと)の方言か。
       地方に残る者の心境か。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0879
#[題詞](書殿餞酒日<倭>歌四首)
#[原文]余呂豆余尓 伊麻志多麻比提 阿米能志多 麻乎志多麻波祢 美加<度>佐良受弖
#[訓読]万世にいましたまひて天の下奏したまはね朝廷去らずて
#[仮名],よろづよに,いましたまひて,あめのした,まをしたまはね,みかどさらずて
#[左注]
#[校異]<> -> 度 [西(右書)][類][紀][細]
#[鄣W],山上憶良,大伴旅人,太宰府,福岡,餞別,帰京,宴席,地名
#[訓異]
#[大意]いつまでの長生きなさって天下のことを天皇に奏上してご活躍なさってください。朝廷を引退されることなく。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0880
#[題詞]敢布私懐歌三首
#[原文]阿麻社迦留 比奈尓伊都等世 周麻比都々 美夜故能提夫利 和周良延尓家利
#[訓読]天離る鄙に五年住まひつつ都のてぶり忘らえにけり
#[仮名],あまざかる,ひなにいつとせ,すまひつつ,みやこのてぶり,わすらえにけり
#[左注](天平二年十二月六日筑前國守山上憶良謹上)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴旅人,太宰府,福岡,餞別,宴席,帰京,地名,天平2年12月6日,年紀
#[訓異]
#[大意]天遠く離れた鄙に五年住み続けて都の風習を忘れてしまったことだ
#{語釈]
敢へて  思い切って
布    陳に同じ 述べる
私懐   本音
手振り 立ち居振る舞い  都での歌の調子か

#[説明]
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#[番号]05/0881
#[題詞](敢布私懐歌三首)
#[原文]加久能<未>夜 伊吉豆伎遠良牟 阿良多麻能 吉倍由久等志乃 可伎利斯良受提
#[訓読]かくのみや息づき居らむあらたまの来経行く年の限り知らずて
#[仮名],かくのみや,いきづきをらむ,あらたまの,きへゆくとしの,かぎりしらずて
#[左注](天平二年十二月六日筑前國守山上憶良謹上)
#[校異]米 -> 未 [類][紀][細]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴旅人,太宰府,福岡,餞別,宴席,帰京,天平2年12月6日,年紀
#[訓異]
#[大意]このようにばかりしてこの田舎でため息ばかりついていなければならないのだろうか。あらたまの過ぎ去っていく年がいつともわからないで(いつまでも)
#{語釈]
息づき  嘆息 ため息

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0882
#[題詞](敢布私懐歌三首)
#[原文]阿我農斯能 美多麻々々比弖 波流佐良婆 奈良能美夜故尓 咩佐宜多麻波祢
#[訓読]我が主の御霊賜ひて春さらば奈良の都に召上げたまはね
#[仮名],あがぬしの,みたまたまひて,はるさらば,ならのみやこに,めさげたまはね
#[左注]天平二年十二月六日筑前國守山上憶良謹上
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴旅人,太宰府,福岡,餞別,宴席,帰京,天平2年12月6日
#[訓異]
#[大意]我が主人のお心を賜って春になると奈良の都に召し上げていただきたい
#{語釈]
御霊賜ひて 恩恵を被って

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0883
#[題詞]三嶋王後追和松浦佐用嬪面歌一首
#[原文]於登尓吉<岐> 目尓波伊麻太見受 佐容比賣我 必礼布理伎等敷 吉民萬通良楊満
#[訓読]音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領巾振りきとふ君松浦山
#[仮名],おとにきき,めにはいまだみず,さよひめが,ひれふりきとふ,きみまつらやま
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 伎 -> 岐 [類][紀][細]
#[鄣W],作者:三嶋王,松浦佐用姫,追和,領布振伝説,地名
#[訓異]
#[大意]うわさに聞き目にはまだ見ていない佐用姫が領巾を振ったという君を待つ松浦山よ
#{語釈]
三嶋王 舎人親王の第4子。淳仁天皇の弟
追和  旅人帰京後か

#[説明]
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#[番号]05/0884
#[題詞]大伴君熊凝歌二首 [大典麻田陽春作]
#[原文]國遠伎 路乃長手遠 意保々斯久 計布夜須疑南 己等騰比母奈久
#[訓読]国遠き道の長手をおほほしく今日や過ぎなむ言どひもなく
#[仮名],くにとほき,みちのながてを,おほほしく,けふやすぎなむ,ことどひもなく
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],作者:麻田陽春,大伴熊凝,追悼,哀悼,行路死人
#[訓異]
#[大意]故郷遠く長い道のりを鬱陶しくも今日死んでしまうのだろうか。親たちへ別れの言葉をかけることもなく。
#{語釈]
大伴君熊凝 肥後の人。天平3年相撲部領使の従者として都に向かう途中安芸国で死ぬ。18歳。憶良歌

大典麻田陽春 渡来系の人。大典は、書記を司る。四等官の上席。答本陽春。
       神亀元年5月 麻田連姓

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0885
#[題詞](大伴君熊凝歌二首 [大典麻田陽春作])
#[原文]朝露乃 既夜須伎我身 比等國尓 須疑加弖奴可母 意夜能目遠保利
#[訓読]朝露の消やすき我が身他国に過ぎかてぬかも親の目を欲り
#[仮名],あさつゆの,けやすきあがみ,ひとくにに,すぎかてぬかも,おやのめをほり
#[左注]
#[校異]露 [類][紀][細] 霧
#[鄣W],作者:麻田陽春,大伴熊凝,追悼,哀悼,行路死人
#[訓異]
#[大意]朝露のように消えやすい我が身ではあるが、他国では死に難いものだ。親に会いたくて
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]



#[番号]05/0886
#[題詞]筑前國守山上憶良敬和為熊凝述其志歌六首[并序] / 大伴君熊凝者 肥後國益城郡人也 年十八歳 以天平三年六月十七日為相撲使某國司官位姓名従人 参向京都 為天不幸在路獲疾 即於安藝國佐伯郡高庭驛家身故也 臨終之時 長歎息曰 傳聞 假合之身易滅 泡沫之命難駐 所以千聖已去 百賢不留 况乎凡愚微者何能逃避 但我老親並在菴室 侍我過日 自有傷心之恨 望我違時 必致喪明之泣 哀哉我父痛哉我母 不患一身向死之途 唯悲二親在生之苦 今日長別 何世得覲 乃作歌六首而死 其歌曰
#[原文]宇知比佐受 宮弊能保留等 多羅知斯夜 波々何手波奈例 常斯良奴 國乃意久迦袁 百重山 越弖須<疑>由伎 伊都斯可母 京師乎美武等 意母比都々 迦多良比遠礼騰 意乃何身志 伊多波斯計礼婆 玉桙乃 道乃久麻尾尓 久佐太袁利 志<婆>刀利志伎提 等許自母能 宇知<許>伊布志提 意母比都々 奈宜伎布勢良久 國尓阿良婆 父刀利美麻之 家尓阿良婆 母刀利美麻志 世間波 迦久乃尾奈良志 伊奴時母能 道尓布斯弖夜 伊能知周<疑>南 [一云 和何余須疑奈牟]
#[訓読]うちひさす 宮へ上ると たらちしや 母が手離れ 常知らぬ 国の奥処を 百重山 越えて過ぎ行き いつしかも 都を見むと 思ひつつ 語らひ居れど おのが身し 労はしければ 玉桙の 道の隈廻に 草手折り 柴取り敷きて 床じもの うち臥い伏して 思ひつつ 嘆き伏せらく 国にあらば 父とり見まし 家にあらば 母とり見まし 世間は かくのみならし 犬じもの 道に伏してや 命過ぎなむ [一云 我が世過ぎなむ]
#[仮名],うちひさす,みやへのぼると,たらちしや,ははがてはなれ,つねしらぬ,くにのおくかを,ももへやま,こえてすぎゆき,いつしかも,みやこをみむと,おもひつつ,かたらひをれど,おのがみし,いたはしければ,たまほこの,みちのくまみに,くさたをり,しばとりしきて,とこじもの,うちこいふして,おもひつつ,なげきふせらく,くににあらば,ちちとりみまし,いへにあらば,ははとりみまし,よのなかは,かくのみならし,いぬじもの,みちにふしてや,いのちすぎなむ,[わがよすぎなむ]
#[左注]
#[校異]筑前國守山上憶良敬和 [紀][細](楓) 敬和・・・筑前國守・・・ / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 某 [紀][細](塙) ム / 作歌 [西] 作謌 / 歌曰 [西] 謌曰 / 凝 -> 疑 [類][紀][細] / 遠 [紀][細](塙) 袁 / 波 -> 婆 [類][温][細] / 計 -> 許 [代匠記(初稿)] / 凝 -> 疑 [類][紀][細]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴熊凝,追悼,哀悼,行路死人,儒教,孝養,無常
#[訓異]
#[大意]うちひさす宮へ上るとして、たらちしや母の手を離れ、いつもは知らない国の奥の方から幾重もの山を越えて過ぎて、いつになったら都を見るだろうかと思い続けて話しをしあっているが、自分の身が病にかかって苦しいので、玉鉾の道の隅に草を手折って柴を取り敷いて、床ではないが横になって思い続けて嘆いて臥していることには、故郷にいるのだったら父が看病し、家にいるのだったら母が看病するはずであるのに。世の中はこのようなものであるらしい。犬のように道に横たわって命が終わってしまうのであろうか[一云 自分の寿命は終わってしまうのだろうか]

#{語釈]
熊凝の為に其の志を述ぶる歌に敬和するする六首  筑前國守山上憶良[并序]

大伴君熊凝は肥後國益城郡の人なり。年十八歳にして、天平三年六月十七日を以て相撲の使、某(それの)國の司(つかさ)官位姓名の従人(ともびと)と為り、京都(みやこ)に参(ま)ゐ向(むか)ふ。天に幸(さきはひ)せらえず、路に在りて疾(やまひ)を獲(え)、即ち安藝國佐伯郡高庭の驛家にして身故(みまかり)ぬ。
臨終(みまか)る時に長歎息して曰く、「傳へ聞くに假合の身は滅び易く、泡沫の命は駐(とど)め難し」と。所以(ゆゑ)に千聖も已に去り、百賢も留らず。况(いは)むや凡愚の微(いや)しき者、何(いかに)してか能く逃れ避らむ。但(ただし)我が老いたる親、並(とも)に菴室に在(ま)す。我を侍ちて日を過ぐさば、自づからに傷心の恨み有らむ。我を望みて時に違はば、必ず喪明(さうめい)の泣(なみだ)を致さむ。哀(かな)しきかも我が父、痛きかも我が母。一身の死に向かふ途(みち)は患(うれ)へず。唯(ただ)二親の生(よ)に在(いま)す苦しびを悲しぶるのみ。今日長(とこしへ)に別れなば、何(いづれ)の世にか覲(まみ)ること得む。」といふ。乃(すなはち)歌六首を作りて死ぬ。其の歌に曰く

大伴君熊凝は肥後國益城郡の人である。年十八歳にして、天平三年六月十七日を以て相撲の使、某(それの)國の司(つかさ)官位姓名の従者となって都に参り向かった。不幸にも道中病気にかかって臨終する時に言うことには、
「伝え聞いているが、仮に作られただけの身体は滅びやすく、泡のような命は留めることが難しい。従って千年に一人の聖人も死に去り、百年に一度の賢人もこの世に留まらない。まして凡愚の身分の低い者はどうしてよく逃れ避けることが出来ようか。ただ自分の年取った両親は共に貧しい庵にいらっしゃる。自分の待って日を過ごしているのならば、きっと悲しみの恨んだ気持ちを起こされるだろう。自分を待ちこがれて、その時に戻ってこなかったならば、目がつぶれるほどの涙を流されるだろう。悲しいことだ我が父よ。痛ましいことだ我が母よ。自分自身が死に向かうのは悲しいことではない。ただ両親が自分よりも後に残っているのを悲しむだけだ。本日永遠に別れるならば、いつの世に再会することが出来ようか。」と言う。そこで歌六首を作って死ぬ。その歌に言うことには、

肥後國益城郡  熊本県上益城、下益城郡  熊本市の東南東。阿蘇山の南西
安藝國佐伯郡高庭の驛家  広島県佐伯郡大野町高畠  宮島の対岸 山陽自動車道 大野IC
千聖  千年に一人の偉大な聖人 十七条憲法「五百の後、今し賢に遇ふとも、千載にして以て一の聖を待つこと難し」
喪明(さうめい)の泣  盲目になるほどの涙

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0887
#[題詞](筑前國守山上憶良敬和為熊凝述其志歌六首[并序] / 大伴君熊凝者 肥後國益城郡人也 年十八歳 以天平三年六月十七日為相撲使某國司官位姓名従人 参向京都 為天不幸在路獲疾 即於安藝國佐伯郡高庭驛家身故也 臨終之時 長歎息曰 傳聞 假合之身易滅 泡沫之命難駐 所以千聖已去 百賢不留 况乎凡愚微者何能逃避 但我老親並在菴室 侍我過日 自有傷心之恨 望我違時 必致喪明之泣 哀哉我父痛哉我母 不患一身向死之途 唯悲二親在生之苦 今日長別 何世得覲 乃作歌六首而死 其歌曰)
#[原文]多良知子能 波々何目美受提 意保々斯久 伊豆知武伎提可 阿我和可留良武
#[訓読]たらちしの母が目見ずておほほしくいづち向きてか我が別るらむ
#[仮名],たらちしの,ははがめみずて,おほほしく,いづちむきてか,あがわかるらむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴熊凝,追悼,哀悼,行路死人,儒教,孝養,無常
#[訓異]
#[大意]たらちしの母の目を見ないで、鬱陶しくもどの方向を向いて自分は別れようか。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0888
#[題詞](筑前國守山上憶良敬和為熊凝述其志歌六首[并序] / 大伴君熊凝者 肥後國益城郡人也 年十八歳 以天平三年六月十七日為相撲使某國司官位姓名従人 参向京都 為天不幸在路獲疾 即於安藝國佐伯郡高庭驛家身故也 臨終之時 長歎息曰 傳聞 假合之身易滅 泡沫之命難駐 所以千聖已去 百賢不留 况乎凡愚微者何能逃避 但我老親並在菴室 侍我過日 自有傷心之恨 望我違時 必致喪明之泣 哀哉我父痛哉我母 不患一身向死之途 唯悲二親在生之苦 今日長別 何世得覲 乃作歌六首而死 其歌曰)
#[原文]都祢斯良農 道乃長手袁 久礼々々等 伊可尓可由迦牟 可利弖波奈斯尓 [一云 可例比波奈之尓]
#[訓読]常知らぬ道の長手をくれくれといかにか行かむ糧はなしに [一云 干飯はなしに]
#[仮名],つねしらぬ,みちのながてを,くれくれと,いかにかゆかむ,かりてはなしに,[かれひはなしに]
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴熊凝,追悼,哀悼,行路死人,儒教,孝養,無常
#[訓異]
#[大意]いつもはわからない黄泉路への長い道のりをとぼとぼとどのようにして行こうか。食べ物もなくて。
#{語釈]
くれくれと とぼとぼと暗い気持ちで
かりて  食料。途中での食べるもの
干飯  かれいい 旅行用の携行食

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0889
#[題詞](筑前國守山上憶良敬和為熊凝述其志歌六首[并序] / 大伴君熊凝者 肥後國益城郡人也 年十八歳 以天平三年六月十七日為相撲使某國司官位姓名従人 参向京都 為天不幸在路獲疾 即於安藝國佐伯郡高庭驛家身故也 臨終之時 長歎息曰 傳聞 假合之身易滅 泡沫之命難駐 所以千聖已去 百賢不留 况乎凡愚微者何能逃避 但我老親並在菴室 侍我過日 自有傷心之恨 望我違時 必致喪明之泣 哀哉我父痛哉我母 不患一身向死之途 唯悲二親在生之苦 今日長別 何世得覲 乃作歌六首而死 其歌曰)
#[原文]家尓阿利弖 波々何刀利美婆 奈具佐牟流 許々呂波阿良麻志 斯奈婆斯農等母 [一云 能知波志奴等母]
#[訓読]家にありて母がとり見ば慰むる心はあらまし死なば死ぬとも [一云 後は死ぬとも]
#[仮名],いへにありて,ははがとりみば,なぐさむる,こころはあらまし,しなばしぬとも,[のちはしぬとも]
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴熊凝,追悼,哀悼,行路死人,儒教,孝養,無常,鎮魂
#[訓異]
#[大意]故郷の家にいて母が看取ってくれるのならば慰められる気持ちがあっただろうのに。死ぬのならば死ぬとしても[一云 結局は死ぬとしても]
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0890
#[題詞](筑前國守山上憶良敬和為熊凝述其志歌六首[并序] / 大伴君熊凝者 肥後國益城郡人也 年十八歳 以天平三年六月十七日為相撲使某國司官位姓名従人 参向京都 為天不幸在路獲疾 即於安藝國佐伯郡高庭驛家身故也 臨終之時 長歎息曰 傳聞 假合之身易滅 泡沫之命難駐 所以千聖已去 百賢不留 况乎凡愚微者何能逃避 但我老親並在菴室 侍我過日 自有傷心之恨 望我違時 必致喪明之泣 哀哉我父痛哉我母 不患一身向死之途 唯悲二親在生之苦 今日長別 何世得覲 乃作歌六首而死 其歌曰)
#[原文]出弖由伎斯 日乎可俗閇都々 家布々々等 阿袁麻多周良武 知々波々良波母 [一云 波々我迦奈斯佐]
#[訓読]出でて行きし日を数へつつ今日今日と我を待たすらむ父母らはも [一云 母が悲しさ]
#[仮名],いでてゆきし,ひをかぞへつつ,けふけふと,あをまたすらむ,ちちははらはも,[ははがかなしさ]
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴熊凝,追悼,哀悼,行路死人,儒教,孝養,無常
#[訓異]
#[大意]家を出て行った日を数えながら今日か今日かと自分をお待ちになっているであろう父母はなあ。[一云 母がいとしいことだ]
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0891
#[題詞](筑前國守山上憶良敬和為熊凝述其志歌六首[并序] / 大伴君熊凝者 肥後國益城郡人也 年十八歳 以天平三年六月十七日為相撲使某國司官位姓名従人 参向京都 為天不幸在路獲疾 即於安藝國佐伯郡高庭驛家身故也 臨終之時 長歎息曰 傳聞 假合之身易滅 泡沫之命難駐 所以千聖已去 百賢不留 况乎凡愚微者何能逃避 但我老親並在菴室 侍我過日 自有傷心之恨 望我違時 必致喪明之泣 哀哉我父痛哉我母 不患一身向死之途 唯悲二親在生之苦 今日長別 何世得覲 乃作歌六首而死 其歌曰)
#[原文]一世尓波 二遍美延農 知々波々袁 意伎弖夜奈何久 阿我和加礼南 [一云 相別南]
#[訓読]一世にはふたたび見えぬ父母を置きてや長く我が別れなむ [一云 相別れなむ]
#[仮名],ひとよには,ふたたびみえぬ,ちちははを,おきてやながく,あがわかれなむ,[あひわかれなむ]
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,大伴熊凝,追悼,哀悼,行路死人,儒教,孝養,無常
#[訓異]
#[大意]この世では再び会うことの出来ない父母を後に残して長く自分は別れてしまうのであろうか[一云 ともに別れてしまうのであろうか]
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0892
#[題詞]貧窮問答歌一首[并短歌]
#[原文]風雜 雨布流欲乃 雨雜 雪布流欲波 為部母奈久 寒之安礼婆 堅塩乎 取都豆之呂比 糟湯酒 宇知須々呂比弖 之<叵>夫可比 鼻(i)之(i)之尓 志可登阿良農 比宜可伎撫而 安礼乎於伎弖 人者安良自等 富己呂倍騰 寒之安礼婆 麻被 引可賀布利 布可多衣 安里能許等其等 伎曽倍騰毛 寒夜須良乎 和礼欲利母 貧人乃 父母波 飢寒良牟 妻子等波 乞々泣良牟 此時者 伊可尓之都々可 汝代者和多流 天地者 比呂之等伊倍杼 安我多米波 狭也奈里奴流 日月波 安可之等伊倍騰 安我多米波 照哉多麻波奴 人皆可 吾耳也之可流 和久良婆尓 比等々波安流乎 比等奈美尓 安礼母作乎 綿毛奈伎 布可多衣乃 美留乃其等 和々氣佐我礼流 可々布能尾 肩尓打懸 布勢伊保能 麻宜伊保乃内尓 直土尓 藁解敷而 父母波 枕乃可多尓 妻子等母波 足乃方尓 圍居而 憂吟 可麻度柔播 火氣布伎多弖受 許之伎尓波 久毛能須可伎弖 飯炊 事毛和須礼提 奴延鳥乃 能杼与比居尓 伊等乃伎提 短物乎 端伎流等 云之如 楚取 五十戸良我許恵波 寝屋度麻R 来立呼比奴 可久<婆>可里 須部奈伎物能可 世間乃道
#[訓読]風交り 雨降る夜の 雨交り 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を とりつづしろひ 糟湯酒 うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ ひげ掻き撫でて 我れをおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 ありのことごと 着襲へども 寒き夜すらを 我れよりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ凍ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る 天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 我がためは 照りやたまはぬ 人皆か 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に 我れも作るを 綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうち掛け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へさまよひ かまどには 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く ことも忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると いへるがごとく しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世間の道
#[仮名],かぜまじり,あめふるよの,あめまじり,ゆきふるよは,すべもなく,さむくしあれば,かたしほを,とりつづしろひ,かすゆざけ,うちすすろひて,しはぶかひ,はなびしびしに,しかとあらぬ,ひげかきなでて,あれをおきて,ひとはあらじと,ほころへど,さむくしあれば,あさぶすま,ひきかがふり,ぬのかたきぬ,ありのことごと,きそへども,さむきよすらを,われよりも,まづしきひとの,ちちははは,うゑこゆらむ,めこどもは,こふこふなくらむ,このときは,いかにしつつか,ながよはわたる,あめつちは,ひろしといへど,あがためは,さくやなりぬる,ひつきは,あかしといへど,あがためは,てりやたまはぬ,ひとみなか,あのみやしかる,わくらばに,ひととはあるを,ひとなみに,あれもつくるを,わたもなき,ぬのかたぎぬの,みるのごと,わわけさがれる,かかふのみ,かたにうちかけ,ふせいほの,まげいほのうちに,ひたつちに,わらときしきて,ちちははは,まくらのかたに,めこどもは,あとのかたに,かくみゐて,うれへさまよひ,かまどには,ほけふきたてず,こしきには,くものすかきて,いひかしく,こともわすれて,ぬえどりの,のどよひをるに,いとのきて,みじかきものを,はしきると,いへるがごとく,しもととる,さとをさがこゑは,ねやどまで,きたちよばひぬ,かくばかり,すべなきものか,よのなかのみち
#[左注](山上憶良頓首謹上)
#[校異]歌 [西] 謌 / 可 -> 叵 [定本] / 々 [代匠記精撰本](塙) 弖 / 波 -> 婆 [紀][細]
#[鄣W],作者:山上憶良,社会性,国司,貧窮
#[訓異]
#[大意]風が混じって雨が降る夜であって、雨が混じって雪が降る夜はどうしようもなく寒いので固めた塩をなめるように取っては食べ、糟湯酒をすすっては、咳をし鼻をすすってはっきりとはないひげを掻き撫でて、自分を差し置いては人はいないと自慢するが寒くてしかたがないので麻の夜具を引き被って、布の肩衣をありったけ着重ねるが寒い夜ですら自分よりも貧しい人である父母は腹も空き凍えているだろう。妻子どもも食べ物を欲しがって泣いているだろう。こんな時はどのようにしてお前の生活を続けるのか。
天地は広いと言っても自分にとっては狭くなったのか。日月は明るいというが自分にとっては照ってはくれないのか。人はみんなか、自分だけがそうなのか。とりわけ人間としているのに人並みに自分もいるのに、綿もない布肩衣の海松のようにぼろぼろになって垂れ下がっているボロ切ればかりを肩にうち懸けて、地面に臥したような庵であって曲がった庵の中に地面に直接藁をほどいて敷いて父母は枕の方に妻子どもは足の方に囲んでいてため息をつきうめき声を上げていて、竈には火の気も吹き立てず、甑には蜘蛛の巣がかかって、ご飯を炊くことも忘れて、ぬえ鳥のようにうめくように悲鳴を上げていると、とりわけ短い物の端を切ると言うように、笞を持つ里長の声は寝ている所までやって来て呼びまわり、こんなにもどうしようもないものなのか、世の中の道は

#{語釈]
とりつづしろひ  少しずつ食べる
わくらばに とりわけ
我も作るを 人間となっている  涅槃経の言葉
わわけ 破れる
かがふ  ぼろぎれ
憂へさまよひ  嘆いてうめき声を出す
ぬえ鳥  とらつぐみ
のどよひ  か細い声で悲鳴を上げる
いとのきて たいそう、ことのほか  甚だ除いて

#[説明]
貧者と窮者との問答。
貧者は自負心があり、下級管人の姿か、憶良自身の観念を示す。
窮者は、下層農民の姿と想像した観念。

#[関連論文]


#[番号]05/0893
#[題詞](貧窮問答歌一首[并短歌])
#[原文]世間乎 宇之等夜佐之等 於母倍杼母 飛立可祢都 鳥尓之安良祢婆
#[訓読]世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
#[仮名],よのなかを,うしとやさしと,おもへども,とびたちかねつ,とりにしあらねば
#[左注]山上憶良頓首謹上
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,社会性,国司,貧窮
#[訓異]
#[大意]世の中をつらい、身も痩せるような所だと思うが、飛び立って逃げることも出来ない。鳥ではないので。
#{語釈]
やさし 身も痩せるような所

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0894
#[題詞]好去好来歌一首[反歌二首]
#[原文]神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭國者 皇神能 伊都久志吉國 言霊能 佐吉播布國等 加多利継 伊比都賀比計理 今世能 人母許等期等 目前尓 見在知在 人佐播尓 満弖播阿礼等母 高光 日御朝庭 神奈我良 愛能盛尓 天下 奏多麻比志 家子等 撰多麻比天 勅旨 [反云 大命]<戴>持弖 唐能 遠境尓 都加播佐礼 麻加利伊麻勢 宇奈原能 邊尓母奥尓母 神豆麻利 宇志播吉伊麻須 諸能 大御神等 船舳尓 [反云 布奈能閇尓] 道引麻<遠志> 天地能 大御神等 倭 大國霊 久堅能 阿麻能見虚喩 阿麻賀氣利 見渡多麻比 事畢 還日者 又更 大御神等 船舳尓 御手<打>掛弖 墨縄遠 播倍多留期等久 阿<遅>可遠志 智可能岫欲利 大伴 御津濱備尓 多太泊尓 美船播将泊 都々美無久 佐伎久伊麻志弖 速歸坐勢
#[訓読]神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高照らす 日の朝廷 神ながら 愛での盛りに 天の下 奏したまひし 家の子と 選ひたまひて 大御言 [反云 大みこと] 戴き持ちて もろこしの 遠き境に 遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも 神づまり 領きいます もろもろの 大御神たち 船舳に [反云 ふなのへに] 導きまをし 天地の 大御神たち 大和の 大国御魂 ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見わたしたまひ 事終り 帰らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく あぢかをし 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ 障みなく 幸くいまして 早帰りませ
#[仮名],かむよより,いひつてくらく,そらみつ,やまとのくには,すめかみの,いつくしきくに,ことだまの,さきはふくにと,かたりつぎ,いひつがひけり,いまのよの,ひともことごと,めのまへに,みたりしりたり,ひとさはに,みちてはあれども,たかてらす,ひのみかど,かむながら,めでのさかりに,あめのした,まをしたまひし,いへのこと,えらひたまひて,おほみこと,[おほみこと],いただきもちて,からくにの,とほきさかひに,つかはされ,まかりいませ,うなはらの,へにもおきにも,かむづまり,うしはきいます,もろもろの,おほみかみたち,ふなのへに,[ふなのへに],みちびきまをし,あめつちの,おほみかみたち,やまとの,おほくにみたま,ひさかたの,あまのみそらゆ,あまがけり,みわたしたまひ,ことをはり,かへらむひには,またさらに,おほみかみたち,ふなのへに,みてうちかけて,すみなはを,はへたるごとく,あぢかをし,ちかのさきより,おほともの,みつのはまびに,ただはてに,みふねははてむ,つつみなく,さきくいまして,はやかへりませ
#[左注](天平五年三月一日良宅對面獻三日 山上憶良謹上 大唐大使卿記室)
#[校異]歌 [西] 謌 / 反歌 [西] 反謌 [西(訂正)] 反歌 / 載 -> 戴 [代匠記精撰本] / 志遠 -> 遠志 [細] / 行 -> 打 [西(訂正)][紀][細] / 遠 [紀] 袁 / 庭 -> 遅 [紀][細] / 太 [紀] 大
#[鄣W],作者:山上憶良,多治比広成,遣唐使,餞別,羈旅,天平5年3月1日,年紀
#[訓異]
#[大意]神代から言い伝えて来たことには、そらみつ大和の国は皇祖の威厳のある国である。言霊が幸をもたらす国であると語り継ぎ言い継ぎあってきた。今の世の人もすべて目の前に見たことであるし、知ったことである。人は大勢満ちているけれども空高くお照らしになる日の朝廷は神のままに誉め称える盛りに、天下の政治をお取りになった家柄の子どもであるとしてお選びになって、天皇のお言葉を頂き持って、唐の遠い国境に派遣されお出かけになるので、海の中の岸にも沖にも鎮座され支配していらっしゃる諸々の大御神たちよ。船の舳先にを導き申し上げ、天地の大御神たち、大和の大國御魂よ。ひさかたの天のみ空をから天を通って見渡しになって、仕事が終わって帰る日には、またさらに大御神たちよ。船の舳先に御手を掛けて墨縄を延ばしたように、あちかをし値嘉の島の崎より大伴の御津の浜辺に直接停泊するように御船は泊まるだろう洹。障害なく無事にいらっしゃって早くお帰りなさい

#{語釈]
好去好来 口語  無事に行き、無事に帰ること
     天平5年4月難波出航の第8次遣唐大使丹比広成に送ったもの
     天平6年11月種子島に漂着。天平7年京に到着。吉備真備、ゲンボウら同行。
     憶良は、天平5年末には逝去。

皇神の 厳しき国  高祖の厳然としている
言霊の 幸はふ国  (天皇の)言霊が幸福をもたらす国
愛での盛りに  天皇がもっとも慈しみなさる中で
天の下 奏したまひし  天下のことを奏上なさった 政治をとった
大和の 大国御魂 三輪山や大和神社の神々。大和の国魂。
あぢかをし  未詳
値嘉の崎  五島列島


神代より 言ひ伝て来らく
そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国
言霊の 幸はふ国と
語り継ぎ 言ひ継がひけり
(このことは)今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり
人さはに 満ちてはあれども (その中でもとりわけ)高照らす 日の朝廷
神ながら 愛での盛りに
天の下 奏したまひし 家の子と 選ひたまひて
大御言 [反云 大みこと] 戴き持ちて
もろこしの 遠き境に 遣はされ 罷りいませ(ば)

海原の 辺にも沖にも 神づまり 領きいます もろもろの 大御神たち
船舳に [反云 ふなのへに] 導きまをし
天地の 大御神たち 大和の 大国御魂
ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見わたしたまひ
事終り 帰らむ日には またさらに 大御神たち
船舳に 御手うち掛けて
墨縄を 延へたるごとく あぢかをし 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ 障みなく 幸くいまして 早帰りませ

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0895
#[題詞](好去好来歌一首[反歌二首])反歌
#[原文]大伴 御津松原 可吉掃弖 和礼立待 速歸坐勢
#[訓読]大伴の御津の松原かき掃きて我れ立ち待たむ早帰りませ
#[仮名],おほともの,みつのまつばら,かきはきて,われたちまたむ,はやかへりませ
#[左注](天平五年三月一日良宅對面獻三日 山上憶良謹上 大唐大使卿記室)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],作者:山上憶良,多治比広成,遣唐使,餞別,羈旅,天平5年3月1日,年紀
#[訓異]
#[大意]大伴の御津の松原を自分が掃き清めて自分は立って待っていよう。早くお帰りなさい
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0896
#[題詞]((好去好来歌一首[反歌二首])反歌)
#[原文]難波津尓 美船泊農等 吉許延許婆 紐解佐氣弖 多知婆志利勢武
#[訓読]難波津に御船泊てぬと聞こえ来ば紐解き放けて立ち走りせむ
#[仮名],なにはつに,みふねはてぬと,きこえこば,ひもときさけて,たちばしりせむ
#[左注]天平五年三月一日良宅對面獻三日 山上憶良謹上 大唐大使卿記室
#[校異]波 [類][紀][細] 破
#[鄣W],作者:山上憶良,多治比広成,遣唐使,餞別,羈旅,天平5年3月1日,年紀
#[訓異]
#[大意]難波津に御船が到着したと聞こえて来たならば、服の紐を解いて立ち走りして迎えに行こう
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]
#[題詞]沈痾自哀文 山上憶良作
#[原文]竊以 朝夕佃食山野者 猶無灾害而得度世 [謂常執弓箭不避六齊 所値禽獣不論大小孕及不孕並皆g食 以此為業者也] 晝夜釣漁河海者 尚有慶福而全經俗 [謂漁夫潜女各有所勤 男者手把竹竿能釣波浪之上 女者腰帶鑿篭潜採深潭之底者也] 况乎我従胎生迄于今日 自有修善之志 曽無作悪之心 [謂聞諸悪莫作諸善奉行之教也] 所以礼拜三寶 無日不勤[毎日誦經發露懺悔也] 敬重百神 鮮夜有闕 [謂敬拜天地諸神等也]嗟乎媿哉 我犯何罪遭此重疾 [謂未知過去所造之罪 若是現前所犯之過無犯罪過何獲此病乎]
初沈痾已来 年月稍多 [謂經十餘年也] 是時<年>七十有四鬢髪斑白 筋力尫贏 不但年老復加斯病 諺曰 痛瘡潅塩短材截端 此之<謂>也 四支不動 百節皆疼 身體太重 猶負鈞石 [廿四銖為一兩 十六兩為一斤 卅斤為一鈞 四鈞為<一>石 合一百廿斤也] 懸布欲立 如折翼之鳥倚杖且歩 比跛足之驢
吾以身已穿俗 心亦累塵 欲知禍之所伏 <祟>之所隠 龜卜之門 巫祝之室 無不徃問 若實若妄随其所教 奉<幣>帛 無不祈祷 然而弥有増苦 曽無減差 吾聞 前代多有良醫 救療蒼生病患 至若楡<柎>扁鵲華他秦和緩葛稚川陶隠居張仲景等皆是在世良醫 無不除愈也 [扁鵲姓秦字越人 勃海郡人也 割胸採心易而置之投以神藥 即寤如平也 華他字元<化> 沛國譙人也 <若有病結積>沈<重>在内者 刳腸取病 縫復摩膏四五日差之]
追望件醫 非敢所及若逢聖醫神藥者 仰願割刳五蔵抄<探>百病 尋逹膏肓之隩處 [盲鬲也心下為膏 攻之 不可逹之不及藥不至焉] 欲顯二竪之逃匿 [謂晉景公疾秦醫緩視而還者可謂為鬼所g也] 命根<既>盡 終其天年 尚為哀[聖人賢者一切含霊誰免此道乎] 何况生録未半為鬼<枉>g 顏色壮年為病横困者乎 在世大患 孰甚于此 [志恠記云 廣平前大守北海徐玄方之女年十八歳而死 其霊謂馮馬子曰 案我生録當壽八十餘歳 今為妖鬼所枉g已經四年 此遇馮馬子 乃得更活是也 内教云瞻浮州人壽百二十歳謹案此數非必不得過此 故壽延經云 有比丘名曰難逹 臨命終時詣佛請壽則延十八年 但善為者天地相畢 其壽夭者業報所招 随其脩短而為半也未盈斯笇而遄死去 故曰未半也 任<徴>君曰 病従口入 故君子節其飲食由斯言之 人遇疾病不必妖鬼 夫醫方諸家之廣説 飲食禁忌之厚訓知易行難之鈍情 三者盈目満耳由来久矣 抱朴子曰 人但不知其當死之日故不憂耳 若誠知羽翮可得延期者 必将為之 以此而觀 乃知我病盖斯飲食所招而不能自治者<乎>]
帛公略説曰 伏思自勵以斯長生 々可貪也死可畏也 天地之大徳曰生 故死人不及生鼠 雖為王侯 一日絶氣積金如山 誰為富哉 威勢如海 誰為貴哉 遊仙窟曰 九泉下人 一錢不直 孔子曰 受之於天 不可變易者形也 受之於命 不可請益者<壽>也[見鬼谷先生相人書] 故知生之極貴命之至重 欲言々窮 何以言之欲慮々絶 何由慮之 惟以人無賢愚 世無古今 咸悉嗟歎 歳月競流晝夜不息 [曽子曰 徃而不反者年也 宣尼臨川之歎亦是矣也] 老疾相催朝<夕>侵動 一代<懽>樂未盡席前 [魏文惜時賢詩曰 未盡西苑夜劇作北<邙>塵也] 千年愁苦更継坐後 [古詩云 人生不満百何懐千年憂矣]
若夫群生品類 莫不皆以有盡之身並求無窮之命 所以道人方士 自負丹經入於名山而合藥之者 養性怡神以求長生 抱朴子曰 神農云 百病不愈安得長生 帛公又曰 生好物也 死悪物也 若不幸而不得長生者 猶以生涯無病患者為福大哉 今吾為病見悩不得臥坐 向東向西莫知所為 無福至甚惣集于我 人願天従 如有實者 仰願 頓除此病頼得如平 以鼠為喩豈不愧乎 [已見上也]
#[訓読]竊(ひそか)に以(おもひみ)るに、朝夕山野に佃食(てんしょく)する者、猶ほあ害(さいがい)無く、世を度(わた)ることを得。[常に弓箭を執りて、六齋を避けず、値(あ)ふ所の禽獣、大小孕(はら)めると孕まざるを論ぜず、並に皆g(ころ)して食らひ、此を以て業(なりはひ)と為す者を謂ふ也]。

晝夜河海に釣漁する者、尚慶福有りて、經俗を全(まっとう)す。[漁夫潜女各(おのおの)勤むる所あり、男は手に竹竿を把り、能く波浪の上に釣る。女は腰に鑿と篭を帶び、潜(かづ)きて深潭(しんたん)の底を採る者を謂ふ也]

况んや我胎生より今日迄(まで)自ら修善の志あり。曽て作悪の心無し。[諸悪莫作、諸善奉行の教を聞くを謂ふ也]。所以に三寶を礼拜し、日として勤めざること無く、[毎日誦經し、發露懺悔する也] 百神を敬重し、夜として闕くること有る鮮(な)し。[天地諸神等を敬拜するを謂ふ也]

嗟乎(ああ)い(はづかし)きかな。我何の罪を犯してか此の重疾に遭へる。[未だ過去に造る所の罪か、若しくは是れ現前に犯す所の過(あやまち)なるかを知らず、罪過を犯す無くして何ぞ此の病を獲む乎を謂ふ]

初めて痾(やまひ)に沈みしより已来(このかた)、年月稍(やくやく)多し。[十餘年を經たることを謂ふ也]。是の時、<年>七十有四、鬢髪斑白にして、筋力う贏(おうら)なり。但に年老ひたるのみにあらず、復た斯の病を加へたり。

諺に曰く、痛き瘡(きず)は塩を潅(そそ)ぎ、短材は端を截(き)るといふは、此の<謂>(いひ)也。四支動かず、百節皆疼(いた)み、身體太(はなはだ)重きこと、猶ほ鈞石を負ふがごとし。[廿四銖を一兩と為す。十六兩を一斤(こん)と為す。卅斤を一鈞と為す。四鈞を<一>石と為す。合はせて一百廿斤也]。布を懸けて立たむと欲(おも)へば、翼折れたる鳥の如し。杖に倚(よ)りて歩まむとするに、足跛(な)へたる驢(うさぎうま)のごとし。

吾、身已に俗を穿(うが)ち、心も亦塵に累(つなが)るるを以て、禍(わざわひ)の伏する所、<祟>の隠るる所を知らむと欲し、龜卜の門、巫祝の室、徃きて問はざる無し。若(も)しくは實、若しくは妄、其の教へる所に随ひ、<幣>帛を奉り、祈祷せざるは無し。然りて弥(いよよ)増苦あり。曽て減差なし。

吾聞く、前代多く良醫有り。蒼生の病患を救療しき。楡<柎>(ゆふ)、扁鵲、華他、秦の和(か)、緩、葛稚川、陶隠居、張仲景等の若(ごと)きに至りては、皆是れ世に在りし良醫、除き愈(なお)さずといふこと無し。[扁鵲、姓は秦。字は越人。勃海郡の人なり。胸を割(さ)き、心を採り、易へて置き、投ずるに神藥を以てすれば、即ち寤めて平なるが如し。華他、字は元化。沛國、え(しょう)の人なり。若(もし)病の結積、沈重、内に在る者有らむに、腸を刳(さ)き病を取り、縫ひて復た膏を摩(す)る。四五日にして差(い)ゆ。]

件の醫(くすし)を追ひ望むとも、敢へて及(し)く所に非(あら)ず。若し聖醫神藥に逢はば、仰ぎ願はくは、五蔵を割(さ)き刳(えぐ)り、百病を抄探し、膏肓のお處(おうしょ)に尋ね逹(いた)り、[盲は鬲(かく)なり。心の下を膏と為す。之を攻(う)てども、可(よ)からず。之に逹するも及ばず。藥も至らず] 二竪の逃れ匿(かく)るるを顯(あら)はさまく欲りす。[晉の景公疾(や)む。秦の醫(くすし)緩、視て還りしを謂ふ。鬼の為にg(ころ)さゆと謂ふべし] 命根既に盡き、其の天年を終る。尚哀しと為す。[聖人賢者一切の含霊、誰か此の道を免(のが)れむや] 何ぞ况んや生録未だ半ばならず、鬼の枉g(おうさつ)と為り、顏色壮年にして病の横困と為らむをや。世に在る大患、孰(いづれ)か此より甚しからむ

[志恠記に云く、廣平の前の大守、北海徐玄方の女、年十八歳にして死す。其の霊馮馬子に謂ひて曰く、我が生録を案(かんが)ふるに當に壽(よはひ)八十餘歳なるべし。今妖鬼の為に枉g(おうさつ)せられ、已に四年を經たり。此に馮馬子に遇ひて、乃ち更に活くるを得たること是なり。内教に云ふ。瞻浮州の人、壽百二十歳と。謹みて此の數を案ふるに必らずしも此を過ぐるを得ざるに非ず。故に壽延經に云く、比丘有り。名を難逹と曰ふ。命終る時に臨みて、佛に詣でて壽を請ひ、則ち十八年を延べたり。但し善なる者、天地と相ひ畢(おは)る。其の壽夭は、業報招く所にして、其の脩短に随ひ、半(なかば)と為る。未だ斯の笇(さん)に盈(み)たずしてか(すみやか)に死去す。故に未だ半ならずと曰ふ。任徴君曰く、病は口より入る。故に君子は其の飲食を節す。斯(これ)に由りて言はば、人の疾病(やまひ)に遇ふは、必らずしも妖鬼にあらず。夫れ醫方諸家の廣説、飲食禁忌の厚訓、知ること易く、行ふこと難きの鈍情、三つは目に盈ち、耳に滿つこと由来久し。抱朴子に曰く、人は但(ただ)其の當に死なむ日を知らず。故に憂へず。若し誠に羽き(うかく)して期を延ぶることを得べしと知らば、必らず之を為さむ。此を以て觀れば、乃ち知る。我が病は、盖し斯れ飲食の招く所にして自ら治むること能はざる乎と]

帛公略説に曰く、伏して思ひ自ら勵むに斯の長生を以てす。々(せい)は貪(ぬさぼ)る可し。死は畏(い)む可し。天地の大徳を生と曰ふ。故に死人は生ける鼠に及(し)かず。王侯と為ると雖も、一日(ひとひ)氣(いき)を絶たば、積める金(くがね)山の如くありとも、誰が富(ゆたけし)と為さむ。威勢(いきほひ)海の如くありとも、誰が貴しと為(せ)む。遊仙窟に曰く、九泉下の人は、一錢だに直せずと。

孔子曰く、之を天に受けて變(うつ)し易ふ可からぬ者は形なり。之を命に受けて請ひ益(くは)ふ可からぬ者は、壽(いのち)なり。[鬼谷先生の相人書に見ゆ] 故に生の極めて貴く、命の至りて重きことを知る。言はむと欲(おも)へば、々(こと)窮る。何を以てか言はむ。慮(おもひはか)らむと欲(おも)へば、々(おもひはかり)絶ゆ。何に由(より)てか慮(おもひはから)む。惟以(おもひみれば)人賢愚と無く、世古今と無く、咸悉(ことごとに)嗟歎(なげ)く。歳月競ひ流れて、晝夜息(いこ)はず。[曽子曰ふ、徃きて反(かえ)らぬ者は、年なり。宣尼川に臨む。歎も亦た是矣(ぞ)]

老疾相催(うなが)して朝夕に侵し動(さわ)く。一代の懽樂、未だ席前に盡きずして、[魏文時賢を惜しむ詩に曰く、未だ西苑の夜を盡くさず。劇(たちまち)に北<く>(ほくぼう)の塵と作る] 千年の愁苦更に坐後に継ぐ。[古詩に云く、人生百に滿たず。何ぞ千年の憂(うれひ)を懐(いだ)かむ]

夫れ群生品類(ぐんじょうほんるい)の若(ごと)きは、皆盡ること有る身を以て並びに窮無き命を求めずといふこと莫し。所以に道人方士の自ら丹經を負ひ、名山に入りて藥を合はする者は、性を養ひ神を怡(よろこ)びしめて以て長生を求む。抱朴子に曰く、神農云はく、百病愈(い)へずは安(いか)にぞ長生を得むと。

帛公又曰く、生は好き物なり。死は悪しき物なり。若し不幸にして長生を得ずは、猶ほ生涯病患無き者を以て福(さきはひ)大(おほ)しと為さむ。今吾病の為に悩まさ見(れ)て臥坐(ふしゐ)すること得ず。東に向かひ、西に向かひ、為す所知ること莫し。福(さきはひ)無きことの至りて甚しき、惣(すべて)我に集まる。人願へば天従ふといへり。如し實(まこと)有らば、仰ぎ願はくは、頓(たちまち)に此の病を除き、頼(さきはひ)に平らかの如きを得むと。鼠を以て喩と為す。豈に愧(は)じざらむや [已に上に見ゆ]
#[仮名]
#[左注]
#[校異]<> -> 年 [西(右書)][紀][細][温] / <> -> 謂也 [西(右書)][紀][細][温] / <> -> 一 [西(右書)][細][温] / 崇 -> 祟 [定本] / 弊 -> 幣 [代匠記初稿本] / 樹 -> 柎 [細][温][矢] / 他 -> 化 [紀][細] / <> -> 若有病結積 [西(左書)][温][矢][京] / 重者 -> 重 [紀][細] / 採 -> 探 [紀][細][温] / <> -> 既 [西(右書)][紀][細][温] / 下 -> 年 [西(右書)][紀][温][細] / 狂 -> 枉 [細] / 微 -> 徴 [細] / 羽 [紀][細] 則 / 乎也 -> 乎 [細] / <> -> 壽 [西(右書)][紀][細][温] / 久 -> 夕 [西(右書)][紀][細][温] / 権 -> 懽 [温][矢][京] / 望 -> く [代匠記初稿本] / 藥之 [細][紀](塙) 藥
#[鄣W],作者:山上憶良,沈痾自哀文,仏教,老,病気,嘆き
#[訓異]
#[大意]ちょっと考えてみると、朝夕山野で猟をしている者はそれでも災いもなく世を過ごすことを得る。[いつも弓矢をとって、6日の潔斎も守らず、追いかける所の禽獣で大小なく子持ちも子持ちでないのも区別なく並びに皆殺して食べ、これを生業とする者である]。
昼夜川や海で漁をする者は、それでもいいことがあるって、人生を全うする。[漁師や海女がそれぞれ仕事をする所がある。男は手に竹竿を取ってよく波の上で釣りをする。女は腰に鑿と籠を付けて水に潜って深い淵の底で獲物を捕る者をいう]。

まして自分は生まれてこのかた、進んで善を修めようという気持ちがある。未だかつて悪いことをしようという気持ちはない。[諸悪莫作、諸善奉行の教を聞くを謂う]。従って三宝を礼拝して、一日として勤行をしないという日はない。[毎日誦経し、犯した罪を示して懺悔することである]。諸々の神々を敬い重んじ、夜として欠かしたことはない。[天地のもろもろの神々を敬い拝礼することである]。

そうであるのに恥ずかしいことに自分は何の罪を犯したからなのか、この重い病に遇ったのだろうか。[まだ過去に作った罪なのか、またはたった今犯している過ちであるのかはわからない。罪や過ちを犯すことがないのに、どうしてこの病を得たのかを言う]。

初めて病にかかって以来、年月が長くなった。[十四年経っていることを言う]。この時は七十有四歳。髪の毛に白髪が交じり筋力も衰えた。単に年をとったばかりでなく、またこの病を加えている。

諺に痛い傷に塩を擦りつけ、短い木の端を更に切るというのは、このことを言っている。四体は動かず、関節はみんな痛み、身体がたいそう重いことは、一鈞もの重い石を抱いているみたいだ[廿四銖を一兩と為す。十六兩を一斤(こん)と為す。卅斤を一鈞と為す。四鈞を<一>石と為す。合はせて一百廿斤也]。梁に布を掛けてつかまって立とうと思うと、翼の折れた鳥のようなものだ。杖を頼りに歩こうと思うが、足が弱い兎馬のようだ。

自分は身体はすでに俗に深入りし、心もまた塵にまみれているので、災いが潜んでいる所や祟りが隠れている所を知ろうと思い、龜卜の門や巫祝の室に行って尋ねないということはない。もしかしたら本当か、またはウソがその教える所に従い、幣帛を奉り、祈祷しないということはなかった。それなのにますます苦しさが増え、まだなくなったということはない。

自分はこのように聞いている。前代には多く良医がいたと。我々人間の病気を治した。楡<柎>(ゆふ)、扁鵲、華他、秦の和、緩、葛稚川、陶隠居、張仲景等たちは皆世の中に実在した良医であって、病気を取り除き治さないということはなかった。[扁鵲、姓は秦。字は越人。勃海郡の人である。胸を割(さ)き、心を採り、位置を替えて置き、神藥を与えたところ、すぐに目が覚めて平常の健康に戻ったという。華他、字は元化。沛國、え(しょう)の人である。もし病気が体内で固まって、重い病気に沈んでいる者がいれば、腸を割いて病を取り、縫って復た膏薬を摩(す)り込む。四五日で治る。]

このような医者は、今更望んでもとうてい診てもらえるものではない。しかしもしこうしたすぐれた医者や神のような薬に巡り会うことが出来たら、絶対に願うことは、五臓を割いてえぐり病の源を探し求め、膏肓の奥深い所まで尋ねて行って、[盲というのは横隔膜である。心の下を膏とする。これを手当しても効果はなく、鍼灸をしても到達しない。藥も効かない]。二人の童子が逃れ隠れるのを明らかにしたいと思う。[晉の景公が病気になった。。秦の医者である緩が診察したが帰って行ったことを謂う。結局晉の景公は、鬼の為に殺されたという謂うのだろう]。寿命が既に尽き果てて、天命を終わっても、それでも哀しいと考える。[聖人や賢者であっても全ての魂を持っているものは、誰がこの死の道を免れるということがあろうか]。ましてどうしてまだ寿命は半ばなのに鬼に邪に殺され、顔は壮年であるのに病気に苦しめられる悲しみは言うまでもない。世の中にある大病はどれがこれよりひどいということがあろうか。

[志恠記に言うことには、廣平の前の大守、北海徐玄方の娘が十八歳で亡くなった。その霊が馮馬子に言うのには、自分の生録を見た所、寿命が八〇歳になっていた。今鬼のために殺されて四年経った。ここで馮馬子に会ってさらに生きることが出来たというのはこれである。仏典に言うことには、この世の人は百二十歳の寿命がある。よくこの数を考えてみると必ずしもこれを越えられないことはない。だから寿延経に言うことには、比丘がいた。名を難逹と言った。命が終わる時になって仏を拝んで延命を願った。そこで十八年延ばした。ただし善を積む人は、天地とともに長く生きられる。その寿命が延びるか途中で死ぬかは善悪の応報の招く所であって、寿命の長いことと、夭折の短いこととの案配によって命は半ばとなる。人はまだその計算に達しないまま早くに死んでしまう。任徴君が言うことには病は口から入る。だから君子はその飲食を節制する。このことから言うと、人の病気に遇うのは、必ずしも鬼ではない。医学の諸家の広範囲な説や飲食を節制する手厚い教訓は知ることは簡単であるが、実行することは難しい。この三つは目にも見、耳にも聞いて年久しい。抱朴子に言うには、人はただ本当に死ぬ日を知らない。だから嘆くことはない。もし本当に羽の生えた仙人となって死期を延ばすことの出来る方法を知るならば、必ず実行するだろう。このことからわかる。我が病はもしかしたら飲食の招く所であって、自分で治すことは出来ないということを。

帛公略説に言うことには、平伏して思い自ら努力するのはこの長生きをするためである。生きることは貪り願うべきだし、死を恐れるべきだ。天地のおおいなる徳を生という。だから死人は生きている鼠よりも及ばない。王侯となるといっても一日でも息をしないのならば山積みにした黄金があるとしても誰が豊かだと評価しようか。威力が海ほどあるといっても誰が貴いと言おうか。遊仙窟に言うことには、黄泉の人は一文の値打ちもないと。
孔子が言うには、天から受けて簡単に変えてならないのは形である。運命として受けて増やすことの出来ないものは寿命である。[鬼谷先生の相人書に見える]。だから生きることの極めて貴く、命の非常に重いことがわかる。言い表そうと思っても言葉がない。何を以て言おうか。考えようとしても考えつかない。考えてみると人間は、賢い愚かとなく、世の中は今も昔も区別なく、ことごとく死を悲嘆する。歳月は競争するように流れて、昼夜も休むことがない。[曽子が言うには、進んで返らないものは年である。孔子の臨川の嘆きもまたこのことを言う]

老いと病とは互いにうながし合って朝夕に自分を侵し騒ぐ。一生の歓楽はまだ眼前に尽きないのに[魏の文帝の時の賢人を惜しむ詩に言うことには、いまだ西苑の歓楽も尽くしていないのに早くも北ぼうの塵となる。]。千年の憂いは背後に押し寄せてくる。[古詩に言うのに、人生は百に満たない。どうして千年の憂いを抱こうか]

この世のすべての生き物の類は、みんな終わることがある身でありながら、終わりのない命を求めないということはない。だから神仙の術士の自ら薬の処方の教えを持って、名だたる山に入り、薬を調合する者は、命を養い心を楽しませて長生きを求める。抱朴子に、神農が言うのに、諸々の病が治らなければ、どうして長生きすることが出来ようかと。

帛公がまた言うのに、生はよいものである。死は悪いものである。もし不幸にして長生き出来なければ、なお生涯病気しない者をを幸い大きい者だと言えよう。今自分は病に悩まされて寝たり座ったりすることが出来ない。東に向かったり西に向かったりしても(どうにもこうにも)どうしようもない。幸福がないことが非常に甚だしいことが全て自分に集まる。人は祈願すれば天は従うという。それが本当ならば、仰いで願うことは、すぐにこの病がなくなり、幸いに平穏を得ることを。この願いを持つ者が死人を鼠に喩えたのは恥ずかしく思わないではいられない。[上に述べたことである]

#{語釈]
佃食  猟をして鳥獣を食べること
あ害  災い
六齋  月に6日殺生を禁じた日  律令雑令「六齋、8日14日15日23日29日30日」
諸悪莫作  仏典に多い言葉

1銖 2g
1両 40g
1斤 600g   
一鈞 18kg
一石 7 2Kg
120斤 72キログラム

楡柎(ゆふ)史記 黄帝時代の名医
扁鵲  戦国時代の外科医
華他 後漢の医者
秦の和(か) 国語 求められて平公の病を見た
緩  秦の医者
葛稚川 晋の葛洪 神仙、養生の道  抱朴子の著者
陶隠居 梁の医者。陶弘景
張仲景 後漢の医者 張機
沛國、え(しょう)の人 戦国時代 江蘇省徐州
膏肓のお處(おうしょ) 膏肓の奥深い所
晉の景公 春秋左思伝  病膏肓に入るの故事
志恠記 散逸した六朝頃の小説
廣平の前の大守、北海徐玄方 廣平 河北省 北海 山東省
   同様の話しは、幽明録には、憑孝子という人が広州(河南省)の太守になった。そこ子憑馬子の夢に一七、八の娘が現れて「自分は先の太守北海の徐玄方の娘だが四年前に鬼に殺された。生録によれば寿命は八〇歳となっている。生き返らせたら妻になろうと言った。そして行き帰り夫婦となった。
瞻浮州 須弥山南方の州名  人間の住む世界
壽百二十歳  法苑珠林「長阿含経に、同様のこと」
寿延経 敦煌本「仏説延寿命経」に同様の記述。正倉院文書に雑経納経の一つとして寿延経一巻
其の脩短に随ひ、半(なかば)と為る。 寿命の長いことと、夭折の短いこととの案配によって命は半ばとなる。
任徴君 任という徴君。徴君は、朝廷に召されても仕えない隠士。
羽き(うかく)  羽の生えた仙人
帛公略説 抱朴子や神仙伝(晋葛供撰)に見える隠者帛和の著書か
遊仙窟に「少府、謂ひて言はむ『児(われ)は是れ九泉の下の人』と。明日外に有りて語りて言はむ。『児は一銭にだに値(あたひ)せず』と」  卑下して言った言葉、
憶良は文脈どおりに切り取っていない。
鬼谷先生 史記蘇秦伝に見える伝説的人物。戦国時代の思想家。、神仙となり数百歳を保ったと言われている。
曽子  孔子の門人
宣尼 孔子
川に臨む。歎も亦た是矣  論語子かん篇 子、川の上(ほとり)にありて曰わく、逝(ゆ)く者は斯(かく)の如きか。昼夜を舎(お)かず」
魏文時賢を惜しむ詩 魏の文帝の時賢を惜しむ詩  今は伝わらない。
西苑 魏の都ぎょうの西あった名園
北ぼう 落陽の北の山。漢代以来の墓地
古詩 文選古詩十九首 「生年百に満たず。常に千載の憂いを懐く」
群生品類  この世に生きている者の全て
道人方士  神仙の術士
丹經  仙薬の処方書。丹は丹薬で不老不死の鉱物。
神農云はく  伝説上の皇帝
   抱朴子極言篇「神農云はく、百病癒えずは、安(いか)にしてか長生することを得むと。信なるかな斯の言」

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]
#[題詞]悲歎俗道假合即離易去難留詩一首[并序]
#[原文]竊以 釋慈之示教 [謂釋氏慈氏] 先開三歸 [謂歸依佛法僧] 五戒而化法界 [謂一不g生二不偸盗三不邪婬四不妄語五不飲酒] 周孔之垂訓前張三綱 [謂君臣父子夫婦] 五教以濟邦國 [謂父義母慈兄友弟順子孝]故知 引導雖二 得悟惟一也 但以世無恒質 所以陵谷更變 人無定期所以壽夭不同 撃目之間百齡已盡 申臂之頃 千代亦空 旦作席上之主夕為泉下之客白馬走来 黄泉何及 隴上青松空懸信劔 野中白楊但吹悲風是知 世俗本無隠遁之室 原野唯有長夜之臺 先聖已去 後賢不留 如有贖而可免者 古人誰無價金乎 未聞獨存遂見世終者 所以維摩大士疾玉體于方丈 釋迦能仁掩金容于雙樹 内教曰 不欲黒闇之後<来> 莫入徳天之先至 [徳天者生也 黒闇者死也] 故知生必有死 々若不欲不<如>不生 况乎縦覺始終之恒數 何慮存亡之大期者也
俗道變化猶撃目 人事經紀如申臂 空与浮雲行大虚 心力共盡無所寄
#[訓読]
俗道の假合(けごう)即離し、去り易く留まり難きことを悲嘆する詩一首[并序]
竊かに以(おもひみる)に、釋慈の示教 [釋氏、慈氏を謂ふ] 先に三歸 [佛法僧に歸依するを謂ふ] 五戒を開きて法界を化し、[一に不g生(ふせっしょう)、二に不偸盗、三に不邪婬、四に不妄語、五に不飲酒なるを謂ふ] 周孔の垂訓は前に三綱 [君臣父子夫婦を謂ふ] 五教を張りて以て邦國を濟(ととの)ふ。[父は義。母は慈。兄は友。弟は順。子は孝なるを謂ふ]故に知る。引導二つなりと雖も、悟を得るは惟れ一つ也。但(ただ)以世恒質なく、所以に陵谷更に變じ、人に定期なく、所以に壽夭同じからず。撃目の間、百齡已に盡き、申臂の頃、千代も亦た空し。旦には席上の主と作れども、夕には泉下の客と為る。白馬走り来るとも、黄泉何ぞ及(し)かむ。隴上の青松は空しく信劔を懸け、野中の白楊は但だ悲風に吹かる。是に知る、世俗本より隠遁の室なく、原野には唯だ長夜の臺のみありといふことを。先聖已に去り、後賢留まらず。如し贖(あがな)ひて免がる可きこと有らば、古人誰か價(あたひ)の金(くがね)無からむや。未だ獨り存(あ)りて遂に世の終を見る者を聞かず。所以に維摩大士は玉體を方丈に疾(や)み、釋迦能仁は金容を雙樹に掩(おほ)へり。内教に曰く、黒闇の後に来たるを欲せずは、徳天の先に至るを入るること莫かれ。[徳天は生なり。黒闇は死なり] 故に知る生まるれば必らず死有り。々若し欲せずんば、生まれざるに如かず。况んや縦(たとひ)始終の恒數を覺(さと)るも、何ぞ存亡の大期を慮(おもんば)からむ。
俗道の變化は猶ほ撃目のごとし。人事の經紀は申臂の如し。空しく浮雲と大虚を行き、心力共に盡きて寄る所無し。
#[仮名]
#[左注]
#[校異]酒 [紀][細](塙) 酒也 / 于 [紀][細] 乎 / <> -> 来 [西(右書)][紀][細][温] / 知 -> 如 [西(頭書)][温] / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],作者:山上憶良,仏教,嘆き,無常
#[訓異]
#[大意]
密かに考えるに 弥勒菩薩の示す教えは、[弥勒菩薩のことを言う]、先に三宝に帰依し[仏、法、僧に帰依することを言う]、五戒を広く説いて全世界を教化し、 [一に生物を殺さない、二に盗みをしない、三に邪淫をしない、四に嘘をつかない、五に酒を飲まないことを言う]、周の孔子の訓辞は前に三綱[君臣、父子、夫婦を言う]、五教を広く述べて国家を安定させた。[父は義。母は慈。兄は友。弟は順。子は孝であることを言う]。だから次のようなことがわかる。たとえ導きは二種類であっても、悟ることは唯一つである。ただしこの世は恒久普遍の本質はなく、従って丘が谷になったり、谷が丘になったりする。人間の命にも一定不変の期限はなく、長生きする者があったり、早死にする者もいる。瞬く一瞬の間に百年はすぐに過ぎてしまうし、肘を伸ばす間にも先代もまた消えてしまう。朝は席の上で主人として振る舞っても、夕べには黄泉の客と為る。白馬がいかに早く走ったとしても、黄泉が追いかけてくることにどうして及ぼうか。塚の上の青松は空しく真義の剣を掛け、野中の白楊はただ悲しげな風に吹かれている。そこでわかる。俗世には死を逃れて隠遁する家などなく、原野にはただ長く続く夜の墓所だけがあるということを。
先代の聖人は既にいなくなってしまい、後に来る賢者もまた留まることはない。もしお金に換えて死を免れることがあるならば、昔の人も誰もが黄金を積んだことであろう。まだ独り生きながらえて遂に世の終わりを見ようとする者を聞いたことがない。だから維摩大士は病気でお体を方丈に横たえ、釋迦能仁は黄金のお姿を雙樹に掩ったのである。仏典に言うことには、黒闇が後から追いついてくることを願わないのであれば、徳天の先にやってくるのを入れてはいけない[徳天は生である。黒闇は死である]。だから知る。生まれると必ず死はある。死をもし望まないのであれば、生まれないのに及ばない。ましてやたとえ始まり終わりの常の定めを悟ったとしても、どうして生きるか死ぬかの時期をあらかじめ考えようか。
俗世の生きる道の転変はまばたくほどの短いものである。
人間の生きる死ぬの常の理は臂を伸ばすほど短いものである。
空しく浮き雲とともに大空を行くようなものであり、
心の力も尽き果てて、我が身を寄せる所など存在しない。

#{語釈]
釋慈の示教 、釋氏  弥勒菩薩のこと
法界 一切諸法の世界。普く人類の世界。
不妄語 嘘をつかない
五教 父には義、母には慈、兄には友、弟には恭、子には孝。
隴上の青松は空しく信劔を懸け、隴 塚、墓。信劔 友人としての真義の剣
史記 呉太伯爵世家
    呉李札(きさつ)が、北に使いする途上、友人徐君を訪れた。徐君は李札の剣が気に入ったが口に出さなかった。帰途李札は徐君を訪れたが、徐君はすでに死んでいた。そこで、墓の樹に剣を掛けて帰った。

野中の白楊は但だ悲風に吹かる
  文選古詩一九首 古墓鋤かれて田となり、松柏くだかれて薪となる。白楊悲風邪多く、嘯々として人を愁殺せしむ
  白楊 やまならし、こやなぎ 墓地に植えられた木

黒闇 黒闇天女 涅槃経 聖行品 容姿醜悪 死や不幸の女 人に災禍を与えた
徳天 功徳天 黒闇天女の姉。父を徳夜叉、母は鬼子母神。毘沙門天の妃。吉祥天
   元々インドの神
始終の恒數  始めがあれば終わりありという世の常の定め
存亡の大期  生きるか死ぬかの重大な時期

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0897
#[題詞]老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 [長一首短六首]
#[原文]霊剋 内限者 [謂瞻州人<壽>一百二十年也] 平氣久 安久母阿良牟遠 事母無 裳無母阿良牟遠 世間能 宇計久都良計久 伊等能伎提 痛伎瘡尓波 <鹹>塩遠 潅知布何其等久 益々母 重馬荷尓 表荷打等 伊布許等能其等 老尓弖阿留 我身上尓 病遠等 加弖阿礼婆 晝波母 歎加比久良志 夜波母 息豆伎阿可志 年長久 夜美志渡礼婆 月累 憂吟比 許等々々波 斯奈々等思騰 五月蝿奈周 佐和久兒等遠 宇都弖々波 死波不知 見乍阿礼婆 心波母延農 可尓<可>久尓 思和豆良比 祢能尾志奈可由

#[訓読]たまきはる うちの限りは [謂瞻州人<壽>一百二十年也] 平らけく 安くもあらむを 事もなく 喪なくもあらむを 世間の 憂けく辛けく いとのきて 痛き瘡には 辛塩を 注くちふがごとく ますますも 重き馬荷に 表荷打つと いふことのごと 老いにてある 我が身の上に 病をと 加へてあれば 昼はも 嘆かひ暮らし 夜はも 息づき明かし 年長く 病みしわたれば 月重ね 憂へさまよひ ことことは 死ななと思へど 五月蝿なす 騒く子どもを 打棄てては 死には知らず 見つつあれば 心は燃えぬ かにかくに 思ひ煩ひ 音のみし泣かゆ

#[仮名],たまきはる,うちのかぎりは,たひらけく,やすくもあらむを,こともなく,もなくもあらむを,よのなかの,うけくつらけく,いとのきて,いたききずには,からしほを,そそくちふがごとく,ますますも,おもきうまにに,うはにうつと,いふことのごと,おいにてある,あがみのうへに,やまひをと,くはへてあれば,ひるはも,なげかひくらし,よるはも,いきづきあかし,としながく,やみしわたれば,つきかさね,うれへさまよひ,ことことは,しななとおもへど,さばへなす,さわくこどもを,うつてては,しにはしらず,みつつあれば,こころはもえぬ,かにかくに,おもひわづらひ,ねのみしなかゆ
#[左注](天平五年六月丙申朔三日戊戌作)
#[校異]等 -> 壽 [紀][細] / け -> 鹹 [矢][京] / <> -> 可 [西(右書)][紀][細][温]
#[鄣W],作者:山上憶良,仏教,儒教,老,嘆き,子供,天平5年6月3日,年紀
#[訓異]
#[大意]たまきはる体の命の限りは[この世の人の寿命は百二十年である]、平穏であり無事であろうとするのに、何事もなく不幸もなくあろうとするのに、世の中の心配で辛いことには、たいそうことさらに痛い傷に辛い塩を注ぐというように、ますますも重い馬の荷物のさらに荷物を付け加えるということのように、年をとっている自分の身の上に病まで加えているので、昼は嘆息して暮らし、夜はため息をついて明かし、年月長く病気がちで過ごしているので、月を重ねて心配しうろつきまわり、ついには死のうと思うが、五月蝿のように騒ぐ幼い子ともを棄てては死にきれず、見続けていると心は熱くなってくる。あれやこれやと思い悩み、声を上げてばかり泣かれることだ
#{語釈]
老身に病を重ね、經年辛苦し、兒等を思ふに及(いた)る歌

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0898
#[題詞](老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 [長一首短六首])反歌
#[原文]奈具佐牟留 心波奈之尓 雲隠 鳴徃鳥乃 祢能尾志奈可由
#[訓読]慰むる心はなしに雲隠り鳴き行く鳥の音のみし泣かゆ
#[仮名],なぐさむる,こころはなしに,くもがくり,なきゆくとりの,ねのみしなかゆ
#[左注](天平五年六月丙申朔三日戊戌作)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],作者:山上憶良,仏教,儒教,老,嘆き,子供,天平5年6月3日,年紀
#[訓異]
#[大意]慰められる気持ちはなくて雲に隠れて鳴いている鳥のように声を上げて泣かれるばかりだ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0899
#[題詞]((老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 [長一首短六首])反歌)
#[原文]周弊母奈久 苦志久阿礼婆 出波之利 伊奈々等思騰 許良尓<佐>夜利奴
#[訓読]すべもなく苦しくあれば出で走り去ななと思へどこらに障りぬ
#[仮名],すべもなく,くるしくあれば,いではしり,いななとおもへど,こらにさやりぬ
#[左注](天平五年六月丙申朔三日戊戌作)
#[校異]作 -> 佐 [類][紀][古][細]
#[鄣W],作者:山上憶良,仏教,儒教,老,嘆き,子供,天平5年6月3日,年紀
#[訓異]
#[大意]どうしようもなく病気で苦しいので走り出して死のうと思うが、子どもたちが引き留めている
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0900
#[題詞]((老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 [長一首短六首])反歌)
#[原文]富人能 家能子等能 伎留身奈美 久多志須都良牟 絁綿良波母
#[訓読]富人の家の子どもの着る身なみ腐し捨つらむ絹綿らはも
#[仮名],とみひとの,いへのこどもの,きるみなみ,くたしすつらむ,きぬわたらはも
#[左注](天平五年六月丙申朔三日戊戌作)
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,仏教,儒教,老,嘆き,子供,天平5年6月3日,年紀
#[訓異]
#[大意]裕福な家の子どもも着るのに余って古びさせて棄ててしまう絹や綿の衣はなあ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0901
#[題詞]((老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 [長一首短六首])反歌)
#[原文]麁妙能 布衣遠陀尓 伎世難尓 可久夜歎敢 世牟周弊遠奈美
#[訓読]荒栲の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ為むすべをなみ
#[仮名],あらたへの,ぬのきぬをだに,きせかてに,かくやなげかむ,せむすべをなみ
#[左注](天平五年六月丙申朔三日戊戌作)
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,仏教,儒教,老,嘆き,子供,天平5年6月3日,年紀
#[訓異]
#[大意]粗末な布の衣だけでも子どもに着せることが出来なくて、このように嘆くのだろうか。どうしようもなくて。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0902
#[題詞]((老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 [長一首短六首])反歌)
#[原文]水沫奈須 微命母 栲縄能 千尋尓母何等 慕久良志都
#[訓読]水沫なすもろき命も栲縄の千尋にもがと願ひ暮らしつ
#[仮名],みなわなす,もろきいのちも,たくづなの,ちひろにもがと,ねがひくらしつ
#[左注](天平五年六月丙申朔三日戊戌作)
#[校異]
#[鄣W],作者:山上憶良,仏教,儒教,老,嘆き,子供,天平5年6月3日,年紀,枕詞
#[訓異]
#[大意]水の泡のようなもろい命も楮の縄のように千尋にも生きながらえたいと願って暮らしてきたことだ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0903
#[題詞]((老身重病經年辛苦及思兒等歌七首 [長一首短六首])反歌)
#[原文]倭<文>手纒 數母不在 身尓波在等 千年尓母<何>等 意母保由留加母 [去神龜二年作之 但以<類>故更載於茲]
#[訓読]しつたまき数にもあらぬ身にはあれど千年にもがと思ほゆるかも [去る神龜二年之を作る。但し類を以ての故に更に茲に載す]
#[仮名],しつたまき,かずにもあらぬ,みにはあれど,ちとせにもがと,おもほゆるかも
#[左注]天平五年六月丙申朔三日戊戌作
#[校異]父 -> 文 [類][細] / 可 -> 何 [類][紀][古] / <> -> 類 [類][紀]
#[鄣W],作者:山上憶良,仏教,儒教,老,嘆き,子供,天平5年6月3日,枕詞
#[訓異]
#[大意]和製の粗悪な布のように数にも入らない身体ではあるが、千年も生きたいと思っていることだ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0904
#[題詞]戀男子名古日歌三首 [長一首短二首]
#[原文]世人之 貴慕 七種之 寶毛我波 何為 和我中能 産礼出有 白玉之 吾子古日者 明星之 開朝者 敷多倍乃 登許能邊佐良受 立礼杼毛 居礼杼毛 登母尓戯礼 夕星乃 由布弊尓奈礼<婆> 伊射祢余登 手乎多豆佐波里 父母毛 表者奈佐我利 三枝之 中尓乎祢牟登 愛久 志我可多良倍婆 何時可毛 比等々奈理伊弖天 安志家口毛 与家久母見武登 大船乃 於毛比多能無尓 於毛波奴尓 横風乃 <尓布敷可尓> 覆来礼婆 世武須便乃 多杼伎乎之良尓 志路多倍乃 多須吉乎可氣 麻蘇鏡 弖尓登利毛知弖 天神 阿布藝許比乃美 地祇 布之弖額拜 可加良受毛 可賀利毛 神乃末尓麻尓等 立阿射里 我例乞能米登 須臾毛 余家久波奈之尓 漸々 可多知都久保里 朝々 伊布許等夜美 霊剋 伊乃知多延奴礼 立乎杼利 足須里佐家婢 伏仰 武祢宇知奈氣<吉> 手尓持流 安我古登<婆>之都 世間之道
#[訓読]世間の 貴び願ふ 七種の 宝も我れは 何せむに 我が中の 生れ出でたる 白玉の 我が子古日は 明星の 明くる朝は 敷栲の 床の辺去らず 立てれども 居れども ともに戯れ 夕星の 夕になれば いざ寝よと 手を携はり 父母も うへはなさがり さきくさの 中にを寝むと 愛しく しが語らへば いつしかも 人と成り出でて 悪しけくも 吉けくも見むと 大船の 思ひ頼むに 思はぬに 邪しま風の にふふかに 覆ひ来れば 為むすべの たどきを知らに 白栲の たすきを掛け まそ鏡 手に取り持ちて 天つ神 仰ぎ祈ひ祷み 国つ神 伏して額つき かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり 我れ祈ひ祷めど しましくも 吉けくはなしに やくやくに かたちつくほり 朝な朝な 言ふことやみ たまきはる 命絶えぬれ 立ち躍り 足すり叫び 伏し仰ぎ 胸打ち嘆き 手に持てる 我が子飛ばしつ 世間の道
#[仮名],よのなかの,たふとびねがふ,ななくさの,たからもわれは,なにせむに,わがなかの,うまれいでたる,しらたまの,あがこふるひは,あかぼしの,あくるあしたは,しきたへの,とこのへさらず,たてれども,をれども,ともにたはぶれ,ゆふつづの,ゆふへになれば,いざねよと,てをたづさはり,ちちははも,うへはなさがり,さきくさの,なかにをねむと,うつくしく,しがかたらへば,いつしかも,ひととなりいでて,あしけくも,よけくもみむと,おほぶねの,おもひたのむに,おもはぬに,よこしまかぜの,にふふかに,おほひきたれば,せむすべの,たどきをしらに,しろたへの,たすきをかけ,まそかがみ,てにとりもちて,あまつかみ,あふぎこひのみ,くにつかみ,ふしてぬかつき,かからずも,かかりも,かみのまにまにと,たちあざり,われこひのめど,しましくも,よけくはなしに,やくやくに,かたちつくほり,あさなさな,いふことやみ,たまきはる,いのちたえぬれ,たちをどり,あしすりさけび,ふしあふぎ,むねうちなげき,てにもてる,あがことばしつ,よのなかのみち
#[左注]?(右一首作者未詳 但以裁歌之體似於山上之操載此次焉)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 波 -> 婆 [紀][細] / 尓母布敷可尓布敷可尓 -> 尓布敷可尓 [新訓] / 都久 [代匠記精撰本](塙) 久都 / 古 -> 吉 [温][矢][京] / 波 -> 婆 [紀][細]
#[鄣W],山上憶良,仏教,儒教,孝養,子供,嘆き,枕詞
#[訓異]
#[大意]世の中の貴んで手に入れたいと願う七種類の宝も自分はどうってことはない。自分の中で生まれ出た白玉のような我が子古日は明けの明星の夜明けの朝は敷妙の寝床の辺りを離れず、立っても座っても一緒に戯れ、宵の明星の夕暮れになるとさあ寝なさいと手を取って父母も傍らから離れないで欲しいと願い、さきくさではないが、真ん中に寝ようと愛情をこめてそのように語らい合っているうちに、いつの間にか大人となってたとえ悪くとも立派であろうとも見ていようと大船のように頼りに思っていたところ、思ってもみない邪悪な風がにわかに覆って来たので、どのようにしてよいか方法もわからないで、白妙の襷を掛け、真澄鏡を手に取り持って、天の神を仰ぎ祈り、国つ神に伏して額をこすりつけて拝み、病気が治ると治るまいと神のままにと立って体を動かし、自分は祈り拝礼するが、少しの間もよくもならずに次第にに容態が崩れてきて、朝が来るごとに言葉も出なくなりたまきはる命が絶えてしまったので、立って躍るように嘆き、くやしさに足をすって叫び、伏して嘆き、胸をたたいて嘆き、手に持っていた我が子をあの世へと飛ばしてしまった。世の中の道はどうしようもない。

#{語釈]
古日 歌中に幼子として出てくる。70歳の憶良の子としては疑問。
   子を亡くした親になり代わってのものか。
七種の宝  七宝  仏教経典に出る
うへはなさかり  上は周辺。離れないで欲しい
さきくさの  三枝。中の枕詞
にふふかに 俄にの意か。
かからずも かかりも  かくあらずも、かくあるも
           かくは、古日の病気
あざり  体を動かす

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]05/0905
#[題詞](戀男子名古日歌三首 [長一首短二首])反歌
#[原文]和可家礼婆 道行之良士 末比波世武 之多敝乃使 於比弖登保良世
#[訓読]若ければ道行き知らじ賄はせむ黄泉の使負ひて通らせ
#[仮名],わかければ,みちゆきしらじ,まひはせむ,したへのつかひ,おひてとほらせ
#[左注]?(右一首作者未詳 但以裁歌之體似於山上之操載此次焉)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],山上憶良,仏教,儒教,孝養,子供,嘆き
#[訓異]
#[大意]若いので黄泉への道程を知らないだろう。お礼をするから黄泉への使いよ。背負って通らせてくれ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]