万葉集 巻第17
#[番号]17/3891
#[番号]17/3892
#[番号]17/3893
#[番号]17/3894
#[番号]17/3895
#[番号]17/3896
#[番号]17/3897
#[番号]17/3898
#[番号]17/3899
#[番号]17/3900
#[番号]17/3901
#[番号]17/3902
#[番号]17/3903
#[番号]17/3904
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#[番号]17/3909
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#[番号]17/3950
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#[番号]17/3954
#[番号]17/3955
#[番号]17/3956
#[番号]17/3957
#[番号]17/3958
#[番号]17/3959
#[番号]17/3960
#[番号]17/3961
#[番号]17/3962
#[番号]17/3963
#[番号]17/3964
#[番号]17/3965D
#[番号]17/3965
#[番号]17/3966
#[番号]17/3967D
#[番号]17/3967
#[番号]17/3968
#[番号]17/3890
#[題詞]天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時傔従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首
#[原文]和我勢兒乎 安我松原欲 見度婆 安麻乎等女登母 多麻藻可流美由
#[訓読]我が背子を安我松原よ見わたせば海人娘子ども玉藻刈る見ゆ
#[仮名],わがせこを,あがまつばらよ,みわたせば,あまをとめども,たまもかるみゆ
#[左注]右一首三野連石守作
#[校異]羇 [元][紀][細](塙) 羈
#[鄣W],天平2年11月,年紀,作者:三野石守,旅人従者,羈旅,大伴旅人,帰京,地名,北九州,福岡,叙景,枕詞
#[訓異]
#[大意]我が脊子を自分は待つという自分がいる松原から見渡すと、海人娘子たちが玉藻を刈るのが見える
#{語釈]
ここから3921までは追補。
天平二年庚午冬十一月、大宰帥大伴卿、大納言に任けらえて[帥を兼ぬること舊の如し]、京に上る時に、ソ従(けんじゅう)等、別に海路を取りて京に入る。是に羇旅を悲傷し、各(おのもおのも)所心(おもひ)を陳べて作る歌十首
天平二年 正月一三日梅花宴(5/0815~)、
旅人大納言任官 続日本紀なし。
公卿補任 天平三年 大伴旅人 天平二年十一月一日任大納言
ソ従 延喜式 大弐以上は陸路、それ以外は海路
坂上郎女も従っていたか(6/0963 冬十一月大伴坂上郎女發帥家上道超筑前國宗形郡名兒山之時作歌一首)
安我松原 自分が今いる松原。博多の那の大津あたりか。
三野連石守 伝未詳 8/1644
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]荒津乃海 之保悲思保美知 時波安礼登 伊頭礼乃時加 吾孤悲射良牟
#[訓読]荒津の海潮干潮満ち時はあれどいづれの時か我が恋ひざらむ
#[仮名],あらつのうみ,しほひしほみち,ときはあれど,いづれのときか,あがこひざらむ
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,福岡,地名,恋情,大伴旅人,望郷
#[訓異]
#[大意]荒津の海は潮が干いたり満ちたりしてその時はあるが、どの時があって自分は恋い思わないということがあろうか。
#{語釈]
荒津の海 福岡県福岡市中央区西公園
12/3215H01白栲の袖の別れを難みして荒津の浜に宿りするかも
12/3216H01草枕旅行く君を荒津まで送りぞ来ぬる飽き足らねこそ
12/3217H01荒津の海我れ幣奉り斎ひてむ早帰りませ面変りせず
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]伊蘇其登尓 海夫乃<釣>船 波氐尓家里 我船波氐牟 伊蘇乃之良奈久
#[訓読]礒ごとに海人の釣舟泊てにけり我が船泊てむ礒の知らなく
#[仮名],いそごとに,あまのつりぶね,はてにけり,わがふねはてむ,いそのしらなく
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]鈎 -> 釣 [元][類][紀]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,大伴旅人,漂泊,旅愁
#[訓異]
#[大意]磯ごとに海人お釣船が停泊している。自分の船が停泊する磯がわからないことなのに
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]昨日許曽 敷奈R婆勢之可 伊佐魚取 比治奇乃奈太乎 今日見都流香母
#[訓読]昨日こそ船出はせしか鯨魚取り比治奇の灘を今日見つるかも
#[仮名],きのふこそ,ふなではせしか,いさなとり,ひぢきのなだを,けふみつるかも
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,枕詞,地名,響灘,山口,土地讃美,大伴旅人
#[訓異]
#[大意]昨日こそ出発した。鯨魚取る比治奇の灘を今日もう見ることである。
#{語釈]
比治奇の灘 未詳 山口県豊浦郡 兵庫県高砂市
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]淡路嶋 刀和多流船乃 可治麻尓毛 吾波和須礼受 伊弊乎之曽於毛布
#[訓読]淡路島門渡る船の楫間にも我れは忘れず家をしぞ思ふ
#[仮名],あはぢしま,とわたるふねの,かぢまにも,われはわすれず,いへをしぞおもふ
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,地名,淡路,兵庫,序詞,望郷,大伴旅人
#[訓異]
#[大意]淡路島の海峡を渡る船の楫のわずかな間も自分は忘れないで家のことをひたすら思う
#{語釈]
楫間 潮流が早いので楫を取る間隔が早い
17/3961H01白波の寄する礒廻を漕ぐ舟の楫取る間なく思ほえし君
17/4027H01香島より熊来をさして漕ぐ船の楫取る間なく都し思ほゆ
20/4336H01防人の堀江漕ぎ出る伊豆手船楫取る間なく恋は繁けむ
20/4368H01久慈川は幸くあり待て潮船にま楫しじ貫き我は帰り来む
20/4461H01堀江より水脈さかのぼる楫の音の間なくぞ奈良は恋しかりける
18/4048H01垂姫の浦を漕ぐ舟梶間にも奈良の我家を忘れて思へや
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]多麻波夜須 武庫能和多里尓 天傳 日能久礼由氣<婆> 家乎之曽於毛布
#[訓読]たまはやす武庫の渡りに天伝ふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ
#[仮名],たまはやす,むこのわたりに,あまづたふ,ひのくれゆけば,いへをしぞおもふ
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]波 -> 婆 [元][類]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,枕詞,兵庫,望郷,大伴旅人
#[訓異]
#[大意]たまはやす武庫の渡し場に空を伝っていく日が暮れていくので家のことが思われてならない
#{語釈]
たまはやす 魂をふるい立たせる 武庫にかかる枕詞 かかり方未詳
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]家尓底母 多由多敷命 浪乃宇倍尓 思之乎礼波 於久香之良受母 [一云 宇伎氐之乎礼八]
#[訓読]家にてもたゆたふ命波の上に思ひし居れば奥か知らずも [一云 浮きてし居れば]
#[仮名],いへにても,たゆたふいのち,なみのうへに,おもひしをれば,おくかしらずも,[うきてしをれば]
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,異伝,羈旅,漂泊,不安,大伴旅人
#[訓異]
#[大意]家にあっても定めのない命であるのに、波の上で恋い思っていると行く末も全くわからないことだ
#{語釈]
奥か 奥処 行末 将来
12/3030H01思ひ出でてすべなき時は天雲の奥処も知らず恋ひつつぞ居る
12/3150H01霞立つ春の長日を奥処なく知らぬ山道を恋ひつつか来む
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]大海乃 於久可母之良受 由久和礼乎 何時伎麻佐武等 問之兒<良>波母
#[訓読]大海の奥かも知らず行く我れをいつ来まさむと問ひし子らはも
#[仮名],おほうみの,おくかもしらず,ゆくわれを,いつきまさむと,とひしこらはも
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]等 -> 良 [元][類]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,望郷,恋情,遊行女婦,大伴旅人
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]大船乃 宇倍尓之居婆 安麻久毛乃 多度伎毛思良受 歌乞和我世
#[訓読]大船の上にし居れば天雲のたどきも知らず歌ひこそ我が背
#[仮名],おほぶねの,うへにしをれば,あまくもの,たどきもしらず,うたひこそわがせ
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,,大伴旅人,女歌,遊行女婦
#[訓異]
#[大意]大船の上にいると天雲のように頼りどころもわからず、心細い。歌でも歌ってください。我が背よ。
#{語釈]
元、西、紀、陽、矢、京は、この歌と次の歌は、3895の次に続く。
それが本来の続きか。
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]海未通女 伊射里多久火能 於煩保之久 都努乃松原 於母保由流可<問>
#[訓読]海人娘子漁り焚く火のおぼほしく角の松原思ほゆるかも
#[仮名],あまをとめ,いざりたくひの,おぼほしく,つののまつばら,おもほゆるかも
#[左注]右九首作者不審姓名
#[校異]聞 -> 問 [元][類]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,大伴旅人,序詞,地名,西宮,兵庫,旅情
#[訓異]
#[大意]海人娘子の漁り火を焚く火がぼんやりと見えるようにぼんやりと角の松原が思われてならないことだ
#{語釈]
角の松原 兵庫県西宮市津門
03/0279H01我妹子に猪名野は見せつ名次山角の松原いつか示さむ
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞]十年七月七日之夜獨仰天漢聊述懐一首
#[原文]多奈波多之 船乗須良之 麻蘇鏡 吉欲伎月夜尓 雲起和多流
#[訓読]織女し舟乗りすらしまそ鏡清き月夜に雲立ちわたる
#[仮名],たなばたし,ふなのりすらし,まそかがみ,きよきつくよに,くもたちわたる
#[左注]右一首大伴宿祢家持作
#[校異]
#[鄣W],天平10年7月7日,年紀,作者:大伴家持,七夕,独詠,枕詞,織女渡河
#[訓異]
#[大意]織女が船に乗ったらしい。まそ鏡の清らかな月夜に雲が立ちこめてくる
#{語釈]
十年七月七日 続日本紀 天平10/07/07/秋七月癸酉、天皇大藏省に御して相撲を覽す。晩頭に轉(めぐ)りて西池宮に御(おは)します。因りて殿(みあらか)の前の梅の樹を指し、右衛士督下道朝臣眞備及諸才子とに勅して曰く、人皆志有りて、好む所同じからず。朕、去ぬる春より此の樹を翫(もてあそ)ばむと欲(おも)へれども、賞翫するに及ばず。花葉遽(にはか)に落ちて、意(こころ)に甚だ惜しむ。各(おのおの)春の意(おもひ)を賦して、此の梅の樹を詠むべし。文人卅人詔を奉(うけた)まはりて賦す。因りて五位已上にはあしぎぬ廿疋、六位已下には各六疋を賜ふ。
獨とあるのは、この宴から除外されていることを思っている。
家持は当時は内舎人。
織女 出かけるのは中国の伝承。船は日本の考え方。
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞]追和<大>宰之時梅花新歌六首
#[原文]民布由都藝 芳流波吉多礼登 烏梅能芳奈 君尓之安良祢婆 遠<久>人毛奈之
#[訓読]み冬継ぎ春は来たれど梅の花君にしあらねば招く人もなし
#[仮名],みふゆつぎ,はるはきたれど,うめのはな,きみにしあらねば,をくひともなし
#[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)
#[校異]太 -> 大 [元][類][紀][温] / 流 -> 久 [元]
#[鄣W],天平12年12月9日,年紀,作者:大伴書持,追和,梅花宴,植物
#[訓異]
#[大意]み冬に継いで春は来たが梅の花を今はもうその時ではなくあなたもいないので招く人もいないことだ
#{語釈]
追和<大>宰之時梅花新歌六首 天平2年大伴旅人の行った梅花宴(5/0815~46)に追和したもの。
君 0815の作者大貳紀卿(紀男人)を指す。
#[説明]
05/0815H01正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ[大貳紀卿]
に和したもの
#[関連論文]
#[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)
#[原文]烏梅乃花 美夜万等之美尓 安里登母也 如此乃未君波 見礼登安可尓勢牟
#[訓読]梅の花み山としみにありともやかくのみ君は見れど飽かにせむ
#[仮名],うめのはな,みやまとしみに,ありともや,かくのみきみは,みれどあかにせむ
#[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)
#[校異]此 [元] 是 / 可 [元] 加
#[鄣W],天平12年12月9日,年紀,作者:大伴書持,追和,梅花宴,植物
#[訓異]
#[大意]梅の花はみ山としていっぱいに繁っていようとも、このようにあなたは見ても見飽きることはないというのでしょうか。
#{語釈]
#[説明]
全釈
05/0816H01梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家の園にありこせぬかも[少貳小野大夫]
小野老
に和したもの
#[関連論文]
#[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)
#[原文]春雨尓 毛延之楊奈疑可 烏梅乃花 登母尓於久礼奴 常乃物能香聞
#[訓読]春雨に萌えし柳か梅の花ともに後れぬ常の物かも
#[仮名],はるさめに,もえしやなぎか,うめのはな,ともにおくれぬ,つねのものかも
#[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)
#[校異]
#[鄣W],天平12年12月9日,年紀,作者:大伴書持,追和,梅花宴,植物
#[訓異]
#[大意]春雨に葉が出だした柳なのだろうか。梅の花とともに後れずに葉を出す普通のものなのだろうか。
#{語釈]
#[説明]
05/0817H01梅の花咲きたる園の青柳はかづらにすべくなりにけらずや[少貳粟田大夫]
粟田人上
に和したもの
#[関連論文]
#[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)
#[原文]宇梅能花 伊都波乎良自等 伊登波祢登 佐吉乃盛波 乎思吉物奈利
#[訓読]梅の花いつは折らじといとはねど咲きの盛りは惜しきものなり
#[仮名],うめのはな,いつはをらじと,いとはねど,さきのさかりは,をしきものなり
#[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)
#[校異]
#[鄣W],天平12年12月9日,年紀,作者:大伴書持,追和,梅花宴,植物
#[訓異]
#[大意]梅の花をいつは折るまいという具合にえり好みをするわけではないが、咲き盛っている時は折るのは惜しいものだ
#{語釈]
#[説明]
05/0820H01梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり
05/0820I01[筑後守葛井大夫]
葛井大成
に和したもの
#[関連論文]
#[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)
#[原文]遊内乃 多努之吉庭尓 梅柳 乎理加謝思底<婆> 意毛比奈美可毛
#[訓読]遊ぶ内の楽しき庭に梅柳折りかざしてば思ひなみかも
#[仮名],あそぶうちの,たのしきにはに,うめやなぎ,をりかざしてば,おもひなみかも
#[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)
#[校異]謝 [元][京] 射 / 波 -> 婆 [元][類][細]
#[鄣W],天平12年12月9日,年紀,作者:大伴書持,追和,梅花宴,植物
#[訓異]
#[大意]遊ぶ仲間うちの楽しい庭園で梅や柳を折ってかざすと心残りがないので、思いがないのでというのだろうか。
#{語釈]
#[説明]
05/0821H01青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし
05/0821I01[笠沙弥]
沙弥満誓
に和したもの
#[関連論文]
#[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)
#[原文]御苑布能 百木乃宇梅乃 落花之 安米尓登妣安我里 雪等敷里家牟
#[訓読]御園生の百木の梅の散る花し天に飛び上がり雪と降りけむ
#[仮名],みそのふの,ももきのうめの,ちるはなし,あめにとびあがり,ゆきとふりけむ
#[左注]右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作
#[校異]一 -> 二 [元] / 家 -> 書 [元]
#[鄣W],天平12年12月9日,年紀,作者:大伴書持,追和,梅花宴,植物
#[訓異]
#[大意]庭園のたくさんの梅の散る花は、天に飛び上がって雪として降ったのだろう
#{語釈]
#[説明]
05/0822H01我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
05/0822I01[主人]
#[関連論文]
#[題詞]讃三香原新都歌一首[并短歌]
#[原文]山背乃 久<邇>能美夜古波 春佐礼播 花<咲>乎々理 秋<左>礼婆 黄葉尓保<比> 於婆勢流 泉河乃 可美都瀬尓 宇知橋和多之 余登瀬尓波 宇枳橋和多之 安里我欲比 都加倍麻都良武 万代麻弖尓
#[訓読]山背の 久迩の都は 春されば 花咲きををり 秋されば 黄葉にほひ 帯ばせる 泉の川の 上つ瀬に 打橋渡し 淀瀬には 浮橋渡し あり通ひ 仕へまつらむ 万代までに
#[仮名],やましろの,くにのみやこは,はるされば,はなさきををり,あきされば,もみちばにほひ,おばせる,いづみのかはの,かみつせに,うちはしわたし,よどせには,うきはしわたし,ありがよひ,つかへまつらむ,よろづよまでに
#[左注](右天平十三年二月右<馬>頭境部宿祢老麻呂作也)
#[校異]歌 [西] 謌 / 尓 -> 邇 [元] / 喚 -> 咲 [元][紀][細] / 佐 -> 左 [元][類] / 比美[西(右書)] -> 比 [元][類]
#[鄣W],天平13年2月,年紀,作者:境部老麻呂,宮廷讃美,地名,京都,植物,儀礼歌,寿歌,恭仁京
#[訓異]
#[大意]
山城の久迩の都は春になると花が咲きたわみ、秋になると黄葉が美しく輝き、帯になさっている泉の川の上流には打ち橋を掛け渡し、淀や瀬には浮き橋を架け渡し、いつも通ってお仕え申し上げよう。万代までに
#{語釈]
久迩の都 恭仁宮 天平12年8月 藤原広嗣が太宰府で反乱
10月29日 聖武天皇伊勢に出発
天平12年12月15日遷都
天平15年12月末 造営停止
16年2月 難波宮遷都
花咲きををり
03/0475H03山辺には 花咲きををり 川瀬には 鮎子さ走り いや日異に 栄ゆる時に
06/0923H02川なみの 清き河内ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧立ちわたる
06/1050H06花咲きををり あなあはれ 布当の原 いと貴 大宮所 うべしこそ
06/1053H03錦なす 花咲きををり さを鹿の 妻呼ぶ秋は 天霧らふ しぐれをいたみ
17/3907H01山背の 久迩の都は 春されば 花咲きををり 秋されば
帯ばせる
09/1770H01みもろの神の帯ばせる泊瀬川水脈し絶えずは我れ忘れめや
13/3227H03秋行けば 紅にほふ 神なびの みもろの神の 帯ばせる 明日香の川の
17/3907H02黄葉にほひ 帯ばせる 泉の川の 上つ瀬に 打橋渡し 淀瀬には
17/4000H04雪降り敷きて 帯ばせる 片貝川の 清き瀬に
17/4003H01朝日さし そがひに見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる 白雲の
打橋 板を掛け渡した橋 現在の木津川の久爾京付近は、実際には無理。
石などを橋桁にしたか。
淀瀬 淀んで水が流れているところ
浮橋 舟橋 舟を浮かべて橋にしたもの
あり通ひ 儀礼歌の表現。いつまでも栄えて仕えることを言う
境部老麻呂 伝未詳
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](讃三香原新都歌一首[并短歌])反歌
#[原文]楯並而 伊豆美乃河波乃 水緒多要受 都可倍麻都良牟 大宮所
#[訓読]たたなめて泉の川の水脈絶えず仕へまつらむ大宮ところ
#[仮名],たたなめて,いづみのかはの,みをたえず,つかへまつらむ,おほみやところ
#[左注]右天平十三年二月右<馬>頭境部宿祢老麻呂作也
#[校異]歌 [西] 謌 / 馬寮 -> 馬 [元][古][細][温]
#[鄣W],天平13年2月,年紀,作者:境部老麻呂,地名,木津川,枕詞,宮廷讃美,寿歌,儀礼歌,京都,恭仁京
#[訓異]
#[大意]たたなめて泉の川の水脈が絶えないように、いつまでも仕え申し上げようと思う大宮所であるよ。
#{語釈]
たたなめて 楯を並べて矢を射るから泉にかかる枕詞
水脈
07/1108H01泊瀬川流るる水脈の瀬を早みゐで越す波の音の清けく
07/1141H01武庫川の水脈を早みか赤駒の足掻くたぎちに濡れにけるかも
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞]詠霍公鳥歌二首
#[原文]多知婆奈波 常花尓毛歟 保登等藝須 周無等来鳴者 伎可奴日奈家牟
#[訓読]橘は常花にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ
#[仮名],たちばなは,とこはなにもが,ほととぎす,すむときなかば,きかぬひなけむ
#[左注](右四月二日大伴宿祢書持従奈良宅贈兄家持)
#[校異]
#[鄣W],天平13年4月2日,年紀,作者:大伴書持,植物,動物,贈答,大伴家持,恭仁京,京都
#[訓異]
#[大意]橘はいつも咲いている花であればなあ。霍公鳥が住むとしてやって来て鳴くならば声を聞かない日はないだろう
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](詠霍公鳥歌二首)
#[原文]珠尓奴久 安布知乎宅尓 宇恵多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞
#[訓読]玉に貫く楝を家に植ゑたらば山霍公鳥離れず来むかも
#[仮名],たまにぬく,あふちをいへに,うゑたらば,やまほととぎす,かれずこむかも
#[左注]右四月二日大伴宿祢書持従奈良宅贈兄家持
#[校異]
#[鄣W],天平13年4月2日,年紀,作者:大伴書持,贈答,植物,動物,大伴家持,恭仁京,京都
#[訓異]
#[大意]薬玉に貫き通す楝を家に植えたならば、山霍公鳥は離れないでやって来るだろうか。
#{語釈]
玉に貫く 薬玉に貫き通す
楝 05/798 栴檀。落葉高木。春に淡黄色の花をつける。
楝を玉に貫く 17/3913 の2首だけ
05/0798H01妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに
10/1973H01我妹子に楝の花は散り過ぎず今咲けるごとありこせぬかも
17/3910H01玉に貫く楝を家に植ゑたらば山霍公鳥離れず来むかも
17/3913H01霍公鳥楝の枝に行きて居ば花は散らむな玉と見るまで
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞]橙橘初咲霍<公>鳥飜嚶 對此時候詎不暢志 因作三首短歌以散欝結之緒耳
#[原文]安之比奇能 山邊尓乎礼婆 保登等藝須 木際多知久吉 奈可奴日波奈之
#[訓読]あしひきの山辺に居れば霍公鳥木の間立ち潜き鳴かぬ日はなし
#[仮名],あしひきの,やまへにをれば,ほととぎす,このまたちくき,なかぬひはなし
#[左注](右四月三日内舎人大伴宿祢家持従久邇京報送弟書持)
#[校異]<> -> 公 [細][温] / 歌 [西] 謌
#[鄣W],天平13年4月3日,年紀,作者:大伴家持,枕詞,動物,贈答,大伴書持,恭仁京,京都
#[訓異]
#[大意]あしひきの山辺にいると霍公鳥が木の間をくぐったりして鳴かない日はないことだ
#{語釈]
橙橘初めて咲き、霍<公>鳥、飜(かけ)り嚶(な)く。此の時候に對し、タ(あ)に志を暢(の)べざらむや。因りて三首の短歌を作り以て欝結の緒(こころ)を散らさまくのみ。
志を暢べざらむや 述志 毛詩大序、詩品
欝結の緒 19/4292悽惆之意非歌難撥耳
家持の特徴。春は、気持ちが鬱積しやすい季節であり、その心情は歌で示す。(述志は中国文学の特徴)
木の間立ち潜き
08/1495H01あしひきの木の間立ち潜く霍公鳥かく聞きそめて後恋ひむかも
17/3971H01山吹の茂み飛び潜く鴬の声を聞くらむ君は羨しも
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](橙橘初咲霍<公>鳥飜嚶 對此時候タ不暢志 因作三首短歌以散欝結之緒耳)
#[原文]保登等藝須 奈尓乃情曽 多知花乃 多麻奴久月之 来鳴登餘牟流
#[訓読]霍公鳥何の心ぞ橘の玉貫く月し来鳴き響むる
#[仮名],ほととぎす,なにのこころぞ,たちばなの,たまぬくつきし,きなきとよむる
#[左注](右四月三日内舎人大伴宿祢家持従久邇京報送弟書持)
#[校異]
#[鄣W],天平13年4月3日,年紀,作者:大伴家持,動物,植物,贈答,大伴書持,恭仁京,京都
#[訓異]
#[大意]霍公鳥はどうした気持ちなのか。橘を薬玉にする月にばかりやって来て鳴き響かせるというのは。(この時期だけやってきて、一年中いないというのはどのような気持ちからなのだろうか)
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](橙橘初咲霍<公>鳥飜嚶 對此時候タ不暢志 因作三首短歌以散欝結之緒耳)
#[原文]保登等藝須 安不知能枝尓 由吉底居者 花波知良牟奈 珠登見流麻泥
#[訓読]霍公鳥楝の枝に行きて居ば花は散らむな玉と見るまで
#[仮名],ほととぎす,あふちのえだに,ゆきてゐば,はなはちらむな,たまとみるまで
#[左注]右四月三日内舎人大伴宿祢家持従久邇京報送弟書持
#[校異]
#[鄣W],天平13年4月3日,年紀,作者:大伴家持,恭仁京,京都,動物,植物,大伴書持
#[訓異]
#[大意]霍公鳥が楝の枝に行ってとまるのならば、花は散るだろうなあ。玉だとばかり見るまでに
#{語釈]
四月三日 天平13年4月3日 久邇京時代
久迩の都 恭仁宮 天平12年8月 藤原広嗣が太宰府で反乱
10月29日 聖武天皇伊勢に出発
天平12年12月15日遷都
天平15年12月末 造営停止
16年2月 難波宮遷都
17年5月 平城還都
内舎人大伴宿祢家持
養老2年(718) 生まれる
天平6年(734) 内舎人として自身出身 17歳
天平13年(741)蔭子出身の六考が天平12年7月30日で満了。
蔭位により正六位のところ、藤原博嗣乱の特授で正六位上。 24歳
天平17年(745)天平12年8月1日から天平16年7月30日までの四考を経て、翌17年正月従五位下 内舎人解任 28歳
天平18年3月(746)3月 宮内少輔 6月越中守 7月赴任 29歳
弟書持 奈良故京に留まっている。 病気がちだったか。
天平18年9月頃没 挽歌
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞]思霍公鳥歌一首 田口朝臣馬長作
#[原文]保登等藝須 今之来鳴者 餘呂豆代尓 可多理都具倍久 所念可母
#[訓読]霍公鳥今し来鳴かば万代に語り継ぐべく思ほゆるかも
#[仮名],ほととぎす,いましきなかば,よろづよに,かたりつぐべく,おもほゆるかも
#[左注]右傳云 一時交遊集宴 此日此處霍公鳥不喧 仍作件歌 以陳思慕之意 但其宴所并年月未得詳審也
#[校異]歌 [西] 謌 / 霍公 [類] 霍
#[鄣W],作者:田口馬長,動物,誦詠,宴席,伝誦
#[訓異]
#[大意]霍公鳥が今やって来て鳴くならば万世まで語り継ごうと思われることだ
#{語釈]
右傳へて云く、ある時に交遊集宴す。此の日此處(ここ)に霍公鳥喧かず。仍ち件の歌を作り、以て思慕の意(こころ)を陳ぶ」といふ。但し其の宴する所、并せて年月詳審(つまび)らかにすることを得ず。
田口朝臣馬長 伝未詳
#[説明]
霍公鳥が来て鳴いて欲しい気持ちを歌ったもの
18/4050H01めづらしき君が来まさば鳴けと言ひし山霍公鳥何か来鳴かぬ
18/4052H01霍公鳥今鳴かずして明日越えむ山に鳴くとも験あらめやも
#[関連論文]
#[題詞]山部宿祢明人詠春鴬歌一首
#[原文]安之比奇能 山谷古延氐 野豆加佐尓 今者鳴良武 宇具比須乃許恵
#[訓読]あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鴬の声
#[仮名],あしひきの,やまたにこえて,のづかさに,いまはなくらむ,うぐひすのこゑ
#[左注]右年月所處未得詳審 但随聞之時記載於茲
#[校異]歌 [西] 謌
#[鄣W],作者:山部赤人,古歌,伝誦,動物,枕詞
#[訓異]
#[大意]
#{語釈]
野づかさ 山の麓の小高い所
20/4316H01高圓の宮の裾廻の野づかさに今咲けるらむをみなへしはも
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞]十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首
#[原文]橘乃 尓保敝流香可聞 保登等藝須 奈久欲乃雨尓 宇都路比奴良牟
#[訓読]橘のにほへる香かも霍公鳥鳴く夜の雨にうつろひぬらむ
#[仮名],たちばなの,にほへるかかも,ほととぎす,なくよのあめに,うつろひぬらむ
#[左注](右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作)
#[校異]
#[鄣W],天平16年4月5日,年紀,作者:大伴家持,植物,動物,悲嘆,独詠,奈良
#[訓異]
#[大意]橘の美しく咲いている香りが、霍公鳥の鳴く夜の雨に散ってしまうのだろうか。
#{語釈]
獨居 宮廷から離れている様子。七夕歌(3900)と同じ心情
#[説明]
天平16年閏1月11日難波宮行幸
13日安積皇子薨去 2月、3月安積皇子挽歌
2月24日紫香楽宮行幸
7月 8日難波宮還御
#[関連論文]
#[題詞](十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首)
#[原文]保登等藝須 夜音奈都可思 安美指者 花者須<具>登毛 可礼受加奈可牟
#[訓読]霍公鳥夜声なつかし網ささば花は過ぐとも離れずか鳴かむ
#[仮名],ほととぎす,よごゑなつかし,あみささば,はなはすぐとも,かれずかなかむ
#[左注](右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作)
#[校異]登等 [元] 等登 / 久 -> 具 [元][類][紀][細]
#[鄣W],天平16年4月5日,年紀,作者:大伴家持,植物,動物,独詠,奈良
#[訓異]
#[大意]霍公鳥の夜に鳴く声に心引かれる。網を張ったら花は散り過ぎるとしても霍公鳥は離れないで鳴くことだろうか
#{語釈]
網ささば 網を張って囲んでおく
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首)
#[原文]橘乃 尓保敝流苑尓 保登等藝須 鳴等比登都具 安美佐散麻之乎
#[訓読]橘のにほへる園に霍公鳥鳴くと人告ぐ網ささましを
#[仮名],たちばなの,にほへるそのに,ほととぎす,なくとひとつぐ,あみささましを
#[左注](右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作)
#[校異]
#[鄣W],天平16年4月5日,年紀,作者:大伴家持,植物,動物,独詠,奈良
#[訓異]
#[大意]橘の咲いている庭園に霍公鳥が鳴いていると人が教えてくれる。網を張っておこうものを
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首)
#[原文]青丹余之 奈良能美夜古波 布里奴礼登 毛等保登等藝須 不鳴安良<奈>久尓
#[訓読]あをによし奈良の都は古りぬれどもと霍公鳥鳴かずあらなくに
#[仮名],あをによし,ならのみやこは,ふりぬれど,もとほととぎす,なかずあらなくに
#[左注](右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作)
#[校異]<> -> 奈 [代匠記初稿本]
#[鄣W],天平16年4月5日,年紀,作者:大伴家持,枕詞,地名,奈良,動物,独詠,懐古
#[訓異]
#[大意]あをよによし奈良の都は古くなってしまったけれども、もとからいた霍公鳥は鳴かないではあらないことなのに
#{語釈]
鳴かずあらなくに 古くはなってもやって来て鳴いてくれるものなのに
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首)
#[原文]鶉鳴 布流之登比等波 於毛敝礼騰 花橘乃 尓保敷許乃屋度
#[訓読]鶉鳴く古しと人は思へれど花橘のにほふこの宿
#[仮名],うづらなく,ふるしとひとは,おもへれど,はなたちばなの,にほふこのやど
#[左注](右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作)
#[校異]
#[鄣W],天平16年4月5日,年紀,作者:大伴家持,動物,枕詞,奈良,植物,懐古
#[訓異]
#[大意]鶉が鳴く古い所だと人は思うが、花橘の咲き薫るこの家であるよ。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首)
#[原文]加吉都播多 衣尓須里都氣 麻須良雄乃 服曽比猟須流 月者伎尓家里
#[訓読]かきつばた衣に摺り付け大夫の着襲ひ猟する月は来にけり
#[仮名],かきつばた,きぬにすりつけ,ますらをの,きそひかりする,つきはきにけり
#[左注]右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作
#[校異]
#[鄣W],天平16年4月5日,年紀,作者:大伴家持,植物,奈良
#[訓異]
#[大意]かきつばたを衣に擦りつけてますらをが着飾って猟をする月がやって来たことだ
#{語釈]
かきつばた 5月の花
着襲ひ 着飾る
#[説明]
安積皇子との猟を思い出したもの
懐旧から、未来へという心情の変化を示した歌の配列
#[関連論文]
#[題詞]天平十八年正月白雪多零積地數寸也 於時左大臣橘卿率大納言藤原豊成朝臣及諸王諸臣等参入太上天皇御在所 [中宮西院]供奉掃雪 於是降詔大臣参議并諸王者令侍于大殿上諸卿大夫者令侍于南細殿 而則賜酒肆宴勅曰汝諸王卿等聊賦此雪各奏其歌 / 左大臣橘宿祢應詔歌一首
#[原文]布流由吉乃 之路髪麻泥尓 大皇尓 都可倍麻都礼婆 貴久母安流香
#[訓読]降る雪の白髪までに大君に仕へまつれば貴くもあるか
#[仮名],ふるゆきの,しろかみまでに,おほきみに,つかへまつれば,たふとくもあるか
#[左注](藤原豊成朝臣 / 巨勢奈弖麻呂朝臣 / 大伴牛養宿祢 / 藤原仲麻呂朝臣 / 三原王 / 智奴王 / 船王 / 邑知王 / <小>田王 / 林王 / 穂積朝臣老 / 小田朝臣諸人 / 小野朝臣綱手 / 高橋朝臣國足 / 太朝臣徳太理 / 高丘連河内 / 秦忌寸朝元 / 楢原造東人 / 右件王卿等 應詔作歌依次奏之 登時不記其歌漏失 但秦忌寸朝元者 左大臣橘卿謔云 靡堪賦歌以麝贖之 因此黙已也)
#[校異]天平十八 [元] 十八 / 諸臣 [元] 諸 / 卿等 [元] 卿 / 歌 [西] 謌
#[鄣W],天平18年1月,年紀,作者:橘諸兄,肆宴,宴席,奈良,宮廷,寿歌,大君讃美,応詔
#[訓異]
#[大意]降る雪のような白髪まで大君に仕え申し上げると貴いことでもあるよ
#{語釈]
天平十八年正月白雪多に零りて地に積もること數寸なり。時に、左大臣橘卿、大納言藤原豊成朝臣及び諸王諸臣等を率て、太上天皇の御在所[中宮の西院]に参り入り、供(つか)へ奉(まつ)りて雪を掃く。是に詔を降し、大臣参議并せて諸王は大殿の上に侍らしめ、諸卿大夫は南の細殿に侍らしめて、則ち酒を賜ひ肆宴(とよのあかり)したまふ。勅して曰はく、「汝(いまし)諸王卿たち、聊(いささ)かに此の雪を賦して各(おのもおのも)其の歌を奏(まを)せ」とのりたまふ。
続日本紀 十八年春正月癸丑朔、廢朝 この雪と関係あるか。
左大臣橘卿 橘諸兄 敏達天皇六世の孫、美努王と県犬養橘三千代との子
天平十五年五月五日左大臣 天平勝宝八年二月二日致仕
天平勝宝9年一月六日薨去 七十四歳
この時は、六十三歳
卿は三位以上の敬称
藤原豊成朝臣 南家武智麻呂の子 仲麻呂の兄 時に従三位 四十三歳
姓を名前の下に置くのは敬称
太上天皇 元正太上天皇
中宮 皇后、皇太后、太皇太后の総称。聖武天皇の生母、藤原宮子、光明皇后、元正太上天皇も日常起居の場としていたか。
卿大夫 卿は三位以上、大夫は四位、五位の称
南の細殿 西院は、西側の正殿。南に続く廊下。
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](天平十八年正月白雪多零積地數寸也 於時左大臣橘卿率大納言藤原豊成朝臣及諸王諸臣等参入太上天皇御在所 [中宮西院]供奉掃雪 於是降詔大臣参議并諸王者令侍于大殿上諸卿大夫者令侍于南細殿 而則賜酒肆宴勅曰汝諸王卿等聊賦此雪各奏其歌) / 紀朝臣清人應詔歌一首
#[原文]天下 須泥尓於保比氐 布流雪乃 比加里乎見礼婆 多敷刀久母安流香
#[訓読]天の下すでに覆ひて降る雪の光りを見れば貴くもあるか
#[仮名],あめのした,すでにおほひて,ふるゆきの,ひかりをみれば,たふとくもあるか
#[左注](藤原豊成朝臣 / 巨勢奈弖麻呂朝臣 / 大伴牛養宿祢 / 藤原仲麻呂朝臣 / 三原王 / 智奴王 / 船王 / 邑知王 / <小>田王 / 林王 / 穂積朝臣老 / 小田朝臣諸人 / 小野朝臣綱手 / 高橋朝臣國足 / 太朝臣徳太理 / 高丘連河内 / 秦忌寸朝元 / 楢原造東人 / 右件王卿等 應詔作歌依次奏之 登時不記其歌漏失 但秦忌寸朝元者 左大臣橘卿謔云 靡堪賦歌以麝贖之 因此黙已也)
#[校異]
#[鄣W],天平18年1月,年紀,作者:紀清人,肆宴,宴席,奈良,宮廷,寿歌,応詔
#[訓異]
#[大意]天の下をすっかり覆って降る雪の照り輝いているのを見ると貴いことである
#{語釈]
すでに すっかり あまねく
雪の光 雪が日に照り映えている様子
雪の光を天皇の恩光になぞらえたもの
紀朝臣清人 従四位下治部大輔文章博士 天平勝宝五年七月十一日卒
姓を名の上に記している。四位以上は尊称法で記すがここではそうなっていない(卑称法)。家持が記載した時点で同等あるいは下の位だったか。
南細殿の人であるので、大殿と区別したか。
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](天平十八年正月白雪多零積地數寸也 於時左大臣橘卿率大納言藤原豊成朝臣及諸王諸臣等参入太上天皇御在所 [中宮西院]供奉掃雪 於是降詔大臣参議并諸王者令侍于大殿上諸卿大夫者令侍于南細殿 而則賜酒肆宴勅曰汝諸王卿等聊賦此雪各奏其歌) / 紀朝臣男梶應詔歌一首
#[原文]山乃可比 曽許登母見延受 乎登都日毛 昨日毛今日毛 由吉能布礼々<婆>
#[訓読]山の狭そことも見えず一昨日も昨日も今日も雪の降れれば
#[仮名],やまのかひ,そこともみえず,をとつひも,きのふもけふも,ゆきのふれれば
#[左注](藤原豊成朝臣 / 巨勢奈弖麻呂朝臣 / 大伴牛養宿祢 / 藤原仲麻呂朝臣 / 三原王 / 智奴王 / 船王 / 邑知王 / <小>田王 / 林王 / 穂積朝臣老 / 小田朝臣諸人 / 小野朝臣綱手 / 高橋朝臣國足 / 太朝臣徳太理 / 高丘連河内 / 秦忌寸朝元 / 楢原造東人 / 右件王卿等 應詔作歌依次奏之 登時不記其歌漏失 但秦忌寸朝元者 左大臣橘卿謔云 靡堪賦歌以麝贖之 因此黙已也)
#[校異]波 -> 婆 [元][類][温]
#[鄣W],天平18年1月,年紀,作者:紀男梶,肆宴,宴席,奈良,宮廷,寿歌,応詔
#[訓異]
#[大意]山の谷間がそこだとも見えない。一昨日も昨日も今日も雪が降っているので。
#{語釈]
紀朝臣男梶 従五位下弾正弼(だんじょうのすけ)。四月十一日太宰少弐
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](天平十八年正月白雪多零積地數寸也 於時左大臣橘卿率大納言藤原豊成朝臣及諸王諸臣等参入太上天皇御在所 [中宮西院]供奉掃雪 於是降詔大臣参議并諸王者令侍于大殿上諸卿大夫者令侍于南細殿 而則賜酒肆宴勅曰汝諸王卿等聊賦此雪各奏其歌) / 葛井連諸會應詔歌一首
#[原文]新 年乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波
#[訓読]新しき年の初めに豊の年しるすとならし雪の降れるは
#[仮名],あらたしき,としのはじめに,とよのとし,しるすとならし,ゆきのふれるは
#[左注](藤原豊成朝臣 / 巨勢奈弖麻呂朝臣 / 大伴牛養宿祢 / 藤原仲麻呂朝臣 / 三原王 / 智奴王 / 船王 / 邑知王 / <小>田王 / 林王 / 穂積朝臣老 / 小田朝臣諸人 / 小野朝臣綱手 / 高橋朝臣國足 / 太朝臣徳太理 / 高丘連河内 / 秦忌寸朝元 / 楢原造東人 / 右件王卿等 應詔作歌依次奏之 登時不記其歌漏失 但秦忌寸朝元者 左大臣橘卿謔云 靡堪賦歌以麝贖之 因此黙已也)
#[校異]
#[鄣W],天平18年1月,年紀,作者:葛井諸会,肆宴,宴席,奈良,宮廷,寿歌,応詔
#[訓異]
#[大意]新しい年の始めに豊かな年の予兆を示すというらしい。雪が降っているのは
#{語釈]
豊の年 文選 謝恵連 雪賦「尺に盈(み)つれば則ち瑞を豊年に呈(あら)はし」
中国的か。日本古来も雪は豊年を示す予宿という見方がある。
葛井連諸會 外従五位下 十九年四月二十二日相模守
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](天平十八年正月白雪多零積地數寸也 於時左大臣橘卿率大納言藤原豊成朝臣及諸王諸臣等参入太上天皇御在所 [中宮西院]供奉掃雪 於是降詔大臣参議并諸王者令侍于大殿上諸卿大夫者令侍于南細殿 而則賜酒肆宴勅曰汝諸王卿等聊賦此雪各奏其歌) / 大伴宿祢家持應詔歌一首
#[原文]大宮<能> 宇知尓毛刀尓毛 比賀流麻泥 零<流>白雪 見礼杼安可奴香聞
#[訓読]大宮の内にも外にも光るまで降れる白雪見れど飽かぬかも
#[仮名],おほみやの,うちにもとにも,ひかるまで,ふれるしらゆき,みれどあかぬかも
#[左注]藤原豊成朝臣 / 巨勢奈弖麻呂朝臣 / 大伴牛養宿祢 / 藤原仲麻呂朝臣 / 三原王 / 智奴王 / 船王 / 邑知王 / <小>田王 / 林王 / 穂積朝臣老 / 小田朝臣諸人 / 小野朝臣綱手 / 高橋朝臣國足 / 太朝臣徳太理 / 高丘連河内 / 秦忌寸朝元 / 楢原造東人 / 右件王卿等 應詔作歌依次奏之 登時不記其歌漏失 但秦忌寸朝元者 左大臣橘卿謔云 靡堪賦歌以麝贖之 因此黙已也
#[校異]之 -> 能 [元][類] / 須 -> 流 [類] / 養 [元] 飼 / 山 -> 小 [元]
#[鄣W],天平18年1月,年紀,作者:大伴家持,肆宴,宴席,奈良,宮廷,寿歌,応詔
#[訓異]
#[大意]大宮の内にも外にも光るまで降っている白雪を見ても見飽きることはない
#{語釈]
藤原豊成朝臣 / 巨勢奈弖麻呂朝臣 / 大伴牛養宿祢 / 藤原仲麻呂朝臣 / 三原王 / 智奴王 / 船王 / 邑知王 / <小>田王 / 林王 / 穂積朝臣老 / 小田朝臣諸人 / 小野朝臣綱手 / 高橋朝臣國足 / 太朝臣徳太理 / 高丘連河内 / 秦忌寸朝元 / 楢原造東人 / 右件王卿等 詔に應(こた)へて歌を作り、次(つぎて)に依りて奏す。登(そ)の時に記さずして、其の歌漏れ失せたり。但し、秦忌寸朝元は、左大臣橘卿謔(たはぶ)れて云く、歌を賦するに堪へずは、麝を以て之を贖(あがな)へといふ。此れに因りて黙(もだ)してやみぬ。
巨勢奈弖麻呂朝臣 巨勢比等の子 従三位中納言 七十七歳
天平二十一年四月一日従二位大納言
天平勝宝五年三月三十日薨去
大伴牛養宿祢 大伴負吹の子 家持の祖父安麻呂の従弟
従三位参議 天平二十一年四月一日正三位中納言
同年閏五月二十九日薨去
藤原仲麻呂朝臣 武智麻呂の子。豊成の弟 正四位上参議 四十一歳
天平宝字四年一月四日従一位太師(太政大臣)
六年二月二日 正一位
天平宝字八年九月 謀反。近江勝野で斬殺。五十九歳
三原王 天武天皇の子舎人親王の子。従四位上 治部卿
天平二十年二月十九日従三位
天平勝宝四年七月十日 正三位中務卿 薨去
智奴王 舎人親王の兄。長皇子の子 正四位下 五十四歳
文室真人智奴 文屋真人浄三 と改名
天平宝字八年致仕 宝亀元年十月九日従二位 薨去 七十八歳
亡妻追善の為に薬師寺の仏足石を作る
船王 舎人親王の子 従四位上 天平宝字八年九月仲麻呂の乱に連座。隠岐に配流。
邑知王 長皇子の子。従四位下 四十三歳。文屋真人大市と改名。
宝亀十一年十一月二十八日 正二位で薨去 七十七歳
<小>田王 系譜未詳 従五位下 二十二日従五位上
林王 系譜未詳 従五位下 ここまでが大殿にいた人たち
穂積朝臣老 ここから卑称法になる。南細殿の人たち
正五位上 養老六年元正天皇を批判した罪で佐渡配流
天平勝宝元年八月二十六日薨去
小田朝臣諸人 代匠紀精選 小田は小治田の誤りか
外従五位下
小野朝臣綱手 外従五位下 四月二十二日従五位下
高橋朝臣國足 外従五位下 四月二十二日従五位下 閏九月十日越後守
太朝臣徳太理 外従五位下 四月二十二日従五位下
高丘連河内 百済系渡来人 東宮侍講 外従五位下 大学頭
秦忌寸朝元 僧弁正の子 外従五位下 天平五年遣唐使で鍍唐
楢原造東人 外従五位下 儒家 大学頭兼博士
登(そ)の時に記さずして、原因不明 書記官が記録しなかった
歌であるので記録していない
麝 麝香のこと
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞]大伴宿祢家持以天平十八年閏七月被任越中國守 即取七月赴任所於時 姑大伴氏坂上郎女贈家持歌二首
#[原文]久佐麻久良 多妣由久吉美乎 佐伎久安礼等 伊波比倍須恵都 安我登許能敝尓
#[訓読]草枕旅行く君を幸くあれと斎瓮据ゑつ我が床の辺に
#[仮名],くさまくら,たびゆくきみを,さきくあれと,いはひへすゑつ,あがとこのへに
#[左注]
#[校異]天平十八年閏 [元] 閏
#[鄣W],天平18年閏7月,年紀,作者:坂上郎女,贈答,枕詞,出発,羈旅,女歌,神祭り,大伴家持
#[訓異]
#[大意]草枕、旅に行くあなたを無事でいるようにと思って斎瓮を据えた。私の床のあたりに
#{語釈]
大伴宿祢家持、天平十八年閏七月を以て、越中の國の守に任けらゆ。即ち七月を取りて任所に赴く。時に、姑大伴氏坂上郎女、家持に贈る歌二首
天平十八年閏七月 続日本紀 家持越中守任官 六月二十一日
天平十八年の閏月は九月
代匠記「閏は衍文」
新考、全註釈「閏七月は六月の誤写」
古義、全釈、大系「閏七月は夏六月の誤写。続紀には家持は六月の任官とあり、閏は九月である」
注釈 全注「目録には同とある。同を閏に誤写した」
伊藤博 秋七月とあるのが自然
即取七月 代匠記 伊藤博 全注「若しくは七日を写し誤りて七月となせる歟」
全注「家持の記憶の中で七月という観念が固定していたので、任命日とは無関係に書いた。そして七月は七日の誤写。」
大系「取は、以の誤写」
全集、全注「取は、日取りを選び取る意で書いた和風的表現」
同じ七月に任命され、七日を選んで出発した。
伊藤博 七日は七夕節句の吉日。
斎瓮据ゑつ 清浄にした神酒を入れる瓶 先がとがっている
03/0379H02しらか付け 木綿取り付けて 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を
あがとこのへに 逢いたく思う場合、床の辺に祭ることがあった
20/4331H10帰り来ませと 斎瓮を 床辺に据ゑて 白栲の
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](大伴宿祢家持以天平十八年閏七月被任越中國守 即取七月赴任所於時 姑大伴氏坂上郎女贈家持歌二首)
#[原文]伊麻能<其>等 古非之久伎美我 於毛保要婆 伊可尓加母世牟 須流須邊乃奈左
#[訓読]今のごと恋しく君が思ほえばいかにかもせむするすべのなさ
#[仮名],いまのごと,こひしくきみが,おもほえば,いかにかもせむ,するすべのなさ
#[左注]
#[校異]去 -> 其 [元][紀][細][温]
#[鄣W],天平18年閏7月,年紀,作者:坂上郎女,贈答,出発,羈旅,女歌,悲別,大伴家持
#[訓異]
#[大意]今のように恋しくあなたが思われてしかたがないならば、どうすればよいでしょうか。どうにもする方法がないことです。
#{語釈]
思ほえば 「思ほゆ」の未然形 思は+ゆ -> 思ほゆ 下二段活用
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞]更贈越中國歌二首
#[原文]多妣尓伊仁思 吉美志毛都藝氐 伊米尓美由 安我加多孤悲乃 思氣家礼婆可聞
#[訓読]旅に去にし君しも継ぎて夢に見ゆ我が片恋の繁ければかも
#[仮名],たびにいにし,きみしもつぎて,いめにみゆ,あがかたこひの,しげければかも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:坂上郎女,贈答,大伴家持,羈旅,悲別,恋情,女歌
#[訓異]
#[大意]旅に行ったあなたが続いて夢に見える。私の片恋いが繁くあるからでしょうか。
#{語釈]
#[説明]
相手の魂が会いに来るという古い型。
04/0744H01夕さらば屋戸開け設けて我れ待たむ夢に相見に来むといふ人を
12/3117H01門立てて戸も閉したるをいづくゆか妹が入り来て夢に見えつる
郎女は、自分の魂があくがれ出るという考え方。
#[関連論文]
#[題詞](更贈越中國歌二首)
#[原文]美知乃奈加 久尓都美可未波 多妣由伎母 之思良奴伎美乎 米具美多麻波奈
#[訓読]道の中国つみ神は旅行きもし知らぬ君を恵みたまはな
#[仮名],みちのなか,くにつみかみは,たびゆきも,ししらぬきみを,めぐみたまはな
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:坂上郎女,贈答,羈旅,悲別,手向け,大伴家持,女歌
#[訓異]
#[大意]道の中の国つ御神は旅行することも知らないあなたをお恵み(お守り)ください。
#{語釈]
道の中 越中の国 越前、中、後の真ん中の意
代匠記「かくは云へども此は越中に限らず、只道中にまします神たちを云へし」
国つ御神 天つ御神に対する国土の神霊
01/0033H01楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも
旅行きもし知らぬ 「し」動詞「す」の連用形
旅行することも知らない
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞]平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首
#[原文]吉美尓餘里 吾名波須泥尓 多都多山 絶多流孤悲乃 之氣吉許呂可母
#[訓読]君により我が名はすでに龍田山絶えたる恋の繁きころかも
#[仮名],きみにより,わがなはすでに,たつたやま,たえたるこひの,しげきころかも
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,地名,奈良,掛詞,悲別,女歌
#[訓異]
#[大意]あなたのために自分の名は全く立田山のように立ってしまった。その立田山の絶えた恋が盛んに現れているこの頃である。
#{語釈]
平群氏女郎 伝未詳 万葉集中の作歌はこの箇所のみ
右件の十二首の歌は、時々に便使に寄せて来贈(おこ)せたり。一度に送る所にあらず。
君により 原因とすること
04/0557H01大船を漕ぎの進みに岩に触れ覆らば覆れ妹によりては
我が名はすでに すでに すっかり 全く
時代別 すでに、とうとう、あることがらが期待や危惧を経て実現に至ったことを表す
全釈「この歌では後世の早くもという意に解することも出来る。否其の法が寧ろ当たっているやうに見える。この頃早く この用法が行われていたのであろう。」
注釈「万葉の例はいづれもすっかりとか悉くとかいう意味で解くことも出来るとすれば、そう解いてもよく、しかも「すっかり」とか「悉く」とかいう言葉のうちに結果として「尽くした」とか「してしまった」とかいう気持ちが含まれることになれば今日われわれが用いる「既に」に移ることが認められようと思う」
龍田山 奈良県生駒郡三郷町立野 立田山
-------------- 絶つ
君により我が名はすでに龍田山絶えたる恋の繁きころかも
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
立つ
------------------------------ 立つ(序)
01/0083H01海の底沖つ白波龍田山いつか越えなむ妹があたり見む
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
実名
------------------ ------------------------
古今集 あふ事は雲居遙かになる神の音のみ聞きて恋い渡るかも
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
掛詞の原型 立田山 平群氏と何らかの関連
絶えたる 注釈 新考「タチタル」 恋を絶った
#[説明]
名が立つ
11/2524H01我が背子に直に逢はばこそ名は立ため言の通ひに何かそこゆゑ
11/2697H01妹が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつわたれ
#[関連論文]
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]須麻比等乃 海邊都祢佐良受 夜久之保能 可良吉戀乎母 安礼波須流香物
#[訓読]須磨人の海辺常去らず焼く塩の辛き恋をも我れはするかも
#[仮名],すまひとの,うみへつねさらず,やくしほの,からきこひをも,あれはするかも
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,序詞,贈答,大伴家持,恋情,地名,兵庫,女歌
#[訓異]
#[大意]須磨人が海辺を常に離れないで焼く塩のように辛い恋を自分はすることである。
#{語釈]
須磨人
03/0413H01須磨の海女の塩焼き衣の藤衣間遠にしあればいまだ着なれず
06/0947H01須磨の海女の塩焼き衣の慣れなばか一日も君を忘れて思はむ
宴席歌と羈旅歌 他にこの二例 歌枕的に用いられている。
海辺常去らず 常に去らず いつも移動しない
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]阿里佐利底 能知毛相牟等 於母倍許曽 都由能伊乃知母 都藝都追和多礼
#[訓読]ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も継ぎつつ渡れ
#[仮名],ありさりて,のちもあはむと,おもへこそ,つゆのいのちも,つぎつつわたれ
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,怨恨,悲別,女歌
#[訓異]
#[大意]こうして今の状態でいるので(今は逢えないにしても)後であっても逢おうと思えばこそ、露の如きはかない命も継いで生き長らえているのです。
#{語釈]
ありさりて ずっとそのままの状態で過ごす 逢えない状態を指す
04/0790H01春風の音にし出なばありさりて今ならずとも君がまにまに
思へこそ 思へ(ば)こそ
#[説明]
類歌
04/0739H01後瀬山後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ
12/2868H01恋ひつつも後も逢はむと思へこそおのが命を長く欲りすれ
12/2904H01恋ひ恋ひて後も逢はむと慰もる心しなくは生きてあらめやも
#[関連論文]
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]奈加奈可尓 之奈婆夜須家牟 伎美我目乎 美受比佐奈良婆 須敝奈可流倍思
#[訓読]なかなかに死なば安けむ君が目を見ず久ならばすべなかるべし
#[仮名],なかなかに,しなばやすけむ,きみがめを,みずひさならば,すべなかるべし
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,悲別,女歌
#[訓異]
#[大意]かえって死ぬならば安らかでしょう。あなたの目を見ないで久しくなったならばいたし方がないでしょう。
#{語釈]
なかなかに 中途半端に かえって なまじっか
安けむ 安け 形容詞未然形 上代特有 派生語 安けし
目を見る
04/0766H01道遠み来じとは知れるものからにしかぞ待つらむ君が目を欲り
06/0942H01あぢさはふ 妹が目離れて 敷栲の 枕もまかず 桜皮巻き 作れる船に
10/1932H01春雨のやまず降る降る我が恋ふる人の目すらを相見せなくに
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]許母利奴能 之多由孤悲安麻里 志良奈美能 伊知之路久伊泥奴 比登乃師流倍久
#[訓読]隠り沼の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
#[仮名],こもりぬの,したゆこひあまり,しらなみの,いちしろくいでぬ,ひとのしるべく
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,枕詞,人目,うわさ,女歌
#[訓異]
#[大意]隠り沼のように心の底での恋があふれ出て、白波のようにはっきりと現れてしまった。人が知るまでに。
#{語釈]
隠り沼 枕詞 水の出口のない沼 下ゆにかかる
白波の 枕詞 目立つ存在として次句にかかる
#[説明]
同歌
12/3023H01隠り沼の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
全注 古歌は共有の財産というべきもので、古歌をそのまま借りて自己の心情を家持に訴えた。
#[関連論文]
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]久佐麻久良 多妣尓之婆々々 可久能未也 伎美乎夜利都追 安我孤悲乎良牟
#[訓読]草枕旅にしばしばかくのみや君を遣りつつ我が恋ひ居らむ
#[仮名],くさまくら,たびにしばしば,かくのみや,きみをやりつつ,あがこひをらむ
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,枕詞,贈答,悲別,恋情,大伴家持,女歌
#[訓異]
#[大意]草枕、旅にしばしばあなたをお出しして、このように私は恋い思っているのでしょうか。
#{語釈]
旅にしばしば 「君を遣りつつ」にかかる。越中任官。その他過去の都から離れたこと。聖武西国行幸、久邇京や難波京に行ったことを「旅」というか。しかしそれだと女郎との交際はかなり以前からということになる。
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]草枕 多妣伊尓之伎美我 可敝里許牟 月日乎之良牟 須邊能思良難久
#[訓読]草枕旅去にし君が帰り来む月日を知らむすべの知らなく
#[仮名],くさまくら,たびいにしきみが,かへりこむ,つきひをしらむ,すべのしらなく
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,枕詞,贈答,大伴家持,悲別,恋情,女歌
#[訓異]
#[大意]草枕、旅に行ってしまわれたあなたが帰って来る月日を知ろうにも方法を知らないことだ。
#{語釈]
去にし 行ってしまった
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]可久能未也 安我故非乎浪牟 奴婆多麻能 欲流乃比毛太尓 登吉佐氣受之氐
#[訓読]かくのみや我が恋ひ居らむぬばたまの夜の紐だに解き放けずして
#[仮名],かくのみや,あがこひをらむ,ぬばたまの,よるのひもだに,ときさけずして
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,枕詞,贈答,大伴家持,恋情,悲別,女歌
#[訓異]
#[大意]このようにばかり私は恋い続けていることでしょうか。夜の着物の紐さえも解き放たないで。
#{語釈]
夜の紐だに 夜の衣服の紐 うち解けてくつろいだ気持ちもなくの意
09/1787H02布留の里に 紐解かず 丸寝をすれば 我が着たる 衣はなれぬ
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]佐刀知加久 伎美我奈里那婆 古非米也等 母登奈於毛比此 安連曽久夜思伎
#[訓読]里近く君がなりなば恋ひめやともとな思ひし我れぞ悔しき
#[仮名],さとちかく,きみがなりなば,こひめやと,もとなおもひし,あれぞくやしき
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,悲別,女歌
#[訓異]
#[大意]私の里に近くあなたがなったのならば、恋うことがあろうかといたづらに思っていた私は悔しいことである。
#{語釈]
里近く 作者は平群郡に住んでいる
都が奈良に戻ってきた時期。天平十六年頃か。
窪田評釈「奈良の里」全注「女郎がどこに住んでいたかは不明であり、必ずしも本郷とは限らないと思われるので、この里は奈良でよいだろう。」
もとな いたづらに やたらに
02/0230H04我れに語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば 哭のみし泣かゆ
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]餘呂豆代尓 許己呂波刀氣氐 和我世古我 都美之<手>見都追 志乃備加祢都母
#[訓読]万代に心は解けて我が背子が捻みし手見つつ忍びかねつも
#[仮名],よろづよに,こころはとけて,わがせこが,つみしてみつつ,しのびかねつも
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]尓 [元] 等 / 乎 -> 手 [元]
#[鄣W],作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,女歌
#[訓異]
#[大意]いつまでも心はうち解けてわが背子がつねった手を見ながら思いに堪えかねたことだ。
#{語釈]
万代に心は解けて いつまでも心は打ち解けて
捻みし手 つねった手 全註釈「本集には珍しいきわどい句」
注釈「静かにつまむ」
全注「うちとけ合った男女の間のたわむれから、家持が女郎の手の甲を軽くつねったのである」
中西進「取り上げる」かつて恋人に取られた手を見ている。
しのび こらえる 堪える 下二段活用
#[説明]
全注「つみし手見つつ」は特殊な感覚的とらえ方であるが、家持の愛情表現のしぐさとして、女郎にはきわめて韻書上笇きで忘れがたかったのである。その手をしみじみと見ながら、その時の家持の言動のすべてがまざまざとよみがえってきて、恋しさに堪えきれない気持ちになったのである。」
#[関連論文]
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]鴬能 奈久々良多尓々 宇知波米氐 夜氣波之奴等母 伎美乎之麻多武
#[訓読]鴬の鳴くくら谷にうちはめて焼けは死ぬとも君をし待たむ
#[仮名],うぐひすの,なくくらたにに,うちはめて,やけはしぬとも,きみをしまたむ
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,動物,贈答,大伴家持,恋情,女歌
#[訓異]
#[大意]鶯の鳴く険しい深い谷に身を投げ入れて焼け死んだとしてもあなたを待ちましょう。
#{語釈]
くら谷 立山 岩峅(いわくら)寺 爼嵓(まないたぐら) 高くそそり立つ岸壁
岸壁に囲まれた深い谷
うちはめて うち 接頭語 嵌める 投げ入れる
焼けは死ぬとも 全註釈「火山の地獄などを想像しているのであろう。作者は多分実際にそれを見て知っているのではなく、人言に聞いて想像しているのであろう。」
中西進 焦熱地獄などを想像しているか。愛欲地獄
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]麻都能波奈 花可受尓之毛 和我勢故我 於母敝良奈久尓 母登奈佐吉都追
#[訓読]松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ
#[仮名],まつのはな,はなかずにしも,わがせこが,おもへらなくに,もとなさきつつ
#[左注]右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也
#[校異]十二首歌 [元] 歌 / <> -> 一 [西(右書)][元][紀][細]
#[鄣W],作者:平群女郎,植物,贈答,恋情,怨恨,大伴家持,女歌
#[訓異]
#[大意]松の花は花の数の中ともあなたは思っていないのにいたづらに咲いています。
#{語釈]
松の花 目立たない存在であり、自分に譬えた。
数 他のものと同列に取り上げて数える価値のあるもの。否定を伴って使われる。
04/0672H01しつたまき数にもあらぬ命もて何かここだく我が恋ひわたる
11/2433H01水の上に数書くごとき我が命妹に逢はむとうけひつるかも
15/3727H01塵泥の数にもあらぬ我れゆゑに思ひわぶらむ妹がかなしさ
17/3963H01世間は数なきものか春花の散りのまがひに死ぬべき思へば
20/4468H01うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな
思へらなくに 思へ(已然) ら(完了未然) な(打ち消し)
左注 全注「最後の二首を天平一九年春としてよいならば、ほぼ八ヶ月の作となる。それを後年一括してこの位置に据えたのは、女郎との交際を越中赴任以前のものとする意識が家持に働いていたからであろう。」
#[説明]
中西進「内容的に四群に分けられる。はじめの五首(3931-3935)が第一群。第二群にあたらるのが次の三首(3936-3938)。さらに次の二首(3939、3940)が第三群、最後の二首(3941、3942)が第四群となるが、第三群と第四群は似ているので、ひとまとまりとして考えると三つのグループに分けられる。
四首づつ三回に分けられるか。
(1)越中赴任を知って別れを悲しむ 起承転結の四首構成
(2)後に残って恋い思う気持ちを歌う。
(3)待っている気持ちを歌う
中西進 釋注(伊藤博)
第一群 恋のつらさ
起承転結の構成。いったん断ち切った恋心が激しく燃え上がったこのごろであることをまず述べ、承けて、その恋が焼く塩のような辛い思いであるという。そして第三首では、転じて、そういう恋をしながらも、のちのち逢えることに露の命を繋いでいるとうたい、最後は、前歌の下二句を承けながら、これから長い月日、待つことにはとうてい堪えられないであろうから、いっそしんでしまいたいと、再燃した恋の極限の心情を述べて結んでいる。
前二首は、寄物陳思、後二首は正述心緒
第二群 待つ歌
古歌そのものに自分の気持ちを託し、みずからの立場に基づきみずからの言葉でうたい、第一首の古歌の心情を敷衍している。
第三群 回想
流下型四首構成。前二首が正述心緒による回想。後二首が寄物陳思による待つ心の叙述。
三回にわたって家持のもとに贈ってきた。しかし統一と体系のあるのは何故か。
女郎は体系を意図して詠んだ。
手控えを作ってから浄書したものを家持に贈った。次回の贈歌も必ず以前の控えの歌を考慮しながら詠める。
この点で、平群氏女郎や笠女郎の歌が、家持との実際の関係の様相を示すと見るのは素朴にすぎ、危険でさえある。片恋の苦悶が見事な体系の中に筋立てをもって託されているだけに、彼女たちと家持との関係は、むしろ逆に、かの紀女郎と家持との関係にも似る。心許す知友の間柄であったと推測される。
そのような風雅を楽しみあう間柄であるから、一つの大きな集団としてまとまりを見せてしまうと、贈歌はうち切られてしまう。そしてそのような場合は、女たちは家持からの「返歌」を期待していない。本気になって返されると、文雅を楽しむ男女のあいだでは、事がかえってゆがんでしまう。そして事実、それらに対する家持の真向かいの返歌はない。
右に推測したような状態で歌を贈る場合、女たちは、家持およびその周囲の人々を享受層として意識しながら、連載物を綴るような心境で振る舞ったことが想像される。
三つの歌群が贈られた具体的な年月はわからない。天平十九年五月税帳使として帰京した頃までに贈られていたのではないか。それが一連のものとして整理されたのは、前の坂上郎女の贈歌が整えられたと推定される、天平感宝元年四月二十日頃と見られる。
中西進「以上の贈歌は、家持の青春の終わりと越中の始まりとのつなぎのような性格を持つ。」
#[関連論文]
#[題詞]八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌
#[原文]秋田乃 穂牟伎見我氐里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物
#[訓読]秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折り来るをみなへしかも
#[仮名],あきのたの,ほむきみがてり,わがせこが,ふさたをりける,をみなへしかも
#[左注]右一首守大伴宿祢家持作
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴家持,宴席,女歌,植物,恋愛
#[訓異]
#[大意]秋の田の穂の靡き具合を見たついでに、我が脊子がいっぱいに手折ってきた女郎花であることだ。
#{語釈]
八月七日 天平十八年六月二十一日 家持越中守任官
七月赴任 (伊藤博 7月7日と推定)
館 越中国庁 高岡市伏木町古国府 勝興寺 館はその背後の丘陵地。
穂向き 稲穂の靡き具合。
見がてり 見がてら 見たついでに
田の作付けの視察。官人の役目。
ふさ手折りける ふさふさと手折る ふさやかに手折る 束にして手折る
大系 みんな手折る
全集 茎から手折る
注釈 たくさん、ゆたかに手折る
08/1549H01射目立てて跡見の岡辺のなでしこの花ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人のため
09/1683H01妹が手を取りて引き攀ぢふさ手折り我がかざすべく花咲けるかも
09/1704H01ふさ手折り多武の山霧繁みかも細川の瀬に波の騒ける
13/3223H04我れはあれども 引き攀ぢて 枝もとををに ふさ手折り 我は持ちて行く
をみなへし 女郎花 オミナエシ科の多年生草本。秋の七草の一つ 集中14例
#[説明]
釋注 客の手土産(女郎花)に寄せて歓迎の意を示した、主人の挨拶歌である。直接の相手は大伴池主だが、その相手を「我が背子」と詠んだのは恋歌めかしたもので、女が待つ男を迎えるようにうたったところに、歓迎の気持ちがいっそう強くこもる。稲の出来ばえを見回るのは官人の仕事の一つ。その仕事のついでに女郎花を手折って来て下さったと言ったのは国守として労を謝す気持ちからのことであると同時に、何げなしに心をこめた手土産の風趣、相手の風雅の心やりに謝してのことであろう。女郎花は本日の宴の口火を切り、歌のありようを規定する素材となったわけで、重要な意味を持つ。
#[関連論文]
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴
#[訓読]をみなへし咲きたる野辺を行き廻り君を思ひ出た廻り来ぬ
#[仮名],をみなへし,さきたるのへを,ゆきめぐり,きみをおもひで,たもとほりきぬ
#[左注](右三首掾大伴宿祢池主作)
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴池主,植物,恋愛,宴席,大伴家持
#[訓異]
#[大意]女郎花が咲いている野辺を行ったり来たりして、あなたを思いだして回り道をしてやって来たことだ。
#{語釈]
大伴池主 08/1590橘朝臣奈良麻呂結集宴歌十一首
越中において、交遊の中心
天平十九年七月頃に越前掾
20/4475廿三日集於式部少丞大伴宿祢池主之宅飲宴歌二首
天平宝字元年奈良麻呂の乱に連座。
大伴一族であろうが、系譜未詳
ただし 選叙令 凡そ国司の主典以上には、三等以上の親を用いること得じ。
とあるので、家持よりは三等以上離れている。
た廻り来ぬ
07/1256H01春霞井の上ゆ直に道はあれど君に逢はむとた廻り来も
08/1574H01雲の上に鳴くなる雁の遠けども君に逢はむとた廻り来つ
#[説明]
全注 家持が「秋の田の穂向き見がてり」と池主をほめて言ったのをまともに受けるのは照れくさいところから、そうではなく、女郎花を愛する風流のために延べを歩き回ってと答え、その風流は家持もよく解するものとして「君を思い出」と言っているのである。
全集 池主は戯れて恋の歌に似せてこう言ったもの
釋注 これは、主人家持の歌に直接応じたもので、恋歌仕立てのもと、女の立場でうたいかけてきたので、こちらは、「我が背子」に対して「君」と応じ、女の立場で受けたのである。女の立場であるので、家持の歌の趣からわざとずらしている。
#[関連論文]
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛
#[訓読]秋の夜は暁寒し白栲の妹が衣手着むよしもがも
#[仮名],あきのよは,あかときさむし,しろたへの,いもがころもで,きむよしもがも
#[左注](右三首掾大伴宿祢池主作)
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴池主,枕詞,宴席,大伴家持,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]秋の夜は夜明けが寒い。白栲の妹の衣を着る手だてもあればなあ。
#{語釈]
白栲の妹が衣手 都の妻。或いは宴席に居る女性を指すか。
#[説明]
全注 秋も深まり、都に残してきた妻がひとしお恋しく思われ、わびしい気持ちになっていることを訴えた歌。
窪田評釈 自分の侘びしさをいうのが目的でなく、同じ状態でいる家持の侘びしさを察し、いたわり慰めようとの心からのものである。
自解 宴席での女性の勧誘歌
釋注 3943と3944とにおいて現地の物(女郎花)を讃えたのに対し、都に待つ妻への思いを述べたもの。池主歌においては、「妹」は池主の「妹」であるが、受ける家持は妻大嬢への思いを馳せることになる。
#[関連論文]
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]保登等藝須 奈伎氐須疑尓之 乎加備可良 秋風吹奴 余之母安良奈久尓
#[訓読]霍公鳥鳴きて過ぎにし岡びから秋風吹きぬよしもあらなくに
#[仮名],ほととぎす,なきてすぎにし,をかびから,あきかぜふきぬ,よしもあらなくに
#[左注]右三首掾大伴宿祢池主作
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴池主,動物,宴席,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]霍公鳥が鳴いて過ぎていった岡のあたりから秋風が吹いてきた。何の手だてもないのに。
#{語釈]
岡び 岡のあたりから
05/0838H01梅の花散り乱ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて
よしもあらなくに 何のてだてかは説明していない。前歌から妹に会うてだてのことを言うか。
#[説明]
初夏の頃に霍公鳥が鳴いて過ぎていった同じ岡のあたりから、もう秋風が吹いてきたという季節の推移と侘びしさを言う。家持の越中守任官は六月中旬になるので、夏の間に霍公鳥の鳴くのを聞いているか。
釋注 あの子に長く逢っていないという哀感をこめるために持ち出した。
#[関連論文]
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]家佐能安佐氣 秋風左牟之 登保都比等 加里我来鳴牟 等伎知可美香物
#[訓読]今朝の朝明秋風寒し遠つ人雁が来鳴かむ時近みかも
#[仮名],けさのあさけ,あきかぜさむし,とほつひと,かりがきなかむ,ときちかみかも
#[左注](右二首守大伴宿祢家持作)
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴家持,動物,宴席,枕詞,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]今朝の朝明けは秋風が寒い。遠い人である雁がやって来てなくであろう時が近いからであろうか。
#{語釈]
今朝の朝明
08/1513H01今朝の朝明雁が音聞きつ春日山もみちにけらし我が心痛し
08/1540H01今朝の朝明雁が音寒く聞きしなへ野辺の浅茅ぞ色づきにける
遠つ人 枕詞 雁は遠い北方からの渡り鳥であるのを人に見立てた。また雁信の使いの故事で、蘇武のことを想念しているか。
#[説明]
池主歌の「秋風」に対して、恋愛的旅愁をそらして、季節感だけで答えている。
釋注 遠くの人の音信を運ぶ鳥とされた雁を通して、都(妻)の消息を待つ心が託されている。
#[関連論文]
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]安麻射加流 比奈尓月歴奴 之可礼登毛 由比氐之紐乎 登伎毛安氣奈久尓
#[訓読]天離る鄙に月経ぬしかれども結ひてし紐を解きも開けなくに
#[仮名],あまざかる,ひなにつきへぬ,しかれども,ゆひてしひもを,ときもあけなくに
#[左注]右二首守大伴宿祢家持作
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴家持,恋愛,宴席,枕詞,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]天離れる田舎に来て月が経ったことだ。そうではあるが、妻が結んだ紐を解き開けもしないことだ。
#{語釈]
天離る 鄙の枕詞。都を天に見立てているか、都を中心にして天遠く離れているの意か。
月経ぬ 七月赴任であるので、一ヶ月経っている。
結ひてし紐
03/0251H01淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す
12/3144H01旅の夜の久しくなればさ丹つらふ紐解き放けず恋ふるこのころ
12/3145H01我妹子し我を偲ふらし草枕旅のまろ寝に下紐解けぬ
#[説明]
池主の歌を受けて、恋愛めいたことに答えている。
全注 旅のむなしさに同情しつつも、国守としての威厳を示して、謹直に身を保っていることを述べた歌である。宴席でこのように固苦しく表現した家持の真意がどこにあったのかわからない面も残る。
釋注 望郷の念を深めている。紐も解き放けず固く暮らしているにもかかわらず、妻はそれとも知らず不安な気持ちでいるのかもしれないという懸念を暗示している。
#[関連論文]
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]安麻射加流 比奈尓安流和礼乎 宇多我多毛 比<母>登吉佐氣氐 於毛保須良米也
#[訓読]天離る鄙にある我れをうたがたも紐解き放けて思ほすらめや
#[仮名],あまざかる,ひなにあるわれを,うたがたも,ひもときさけて,おもほすらめや
#[左注]右一首掾大伴宿祢池主
#[校異]母毛 -> 母 [元][類][細][温]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴池主,枕詞,恋愛,宴席,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]天離る田舎にいる自分をかりそめにもうち解けてお思いになってはくださらないのでしょうね。
#{語釈]
うたがたも けっして かりそめにも
12/2896H01うたがたも言ひつつもあるか我れならば地には落ちず空に消なまし
15/3600H01離れ礒に立てるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも
17/3949H01天離る鄙にある我れをうたがたも紐解き放けて思ほすらめや
17/3968H01鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも
紐解き放けて うち解けて 心を許して
思ほすらめや 「や」反語 お思いになっているでしょうか。そうではあるまいの意
#[説明]
私注 ワレヲは実は池主自身んことを言ふのではなく、座に侍する女性などの立場を、代わって歌ったのではないかと思ふ
全注 恋歌の形をとって戯れたのだと解しておく。
注釈 「思ほす」の主体を都の妻とする。田舎にいる私を、都の妻は、かりそめにも紐を解き放して、うち解けた心で思っているであろうか。そうではあるまい。
自解 越中の女性の立場で池主が詠んでいて、池主の家持に対する気持ちを歌う。
釋注 都の家持の妻大嬢の立場を述べた歌で、待つ人の法でも夫の心を信じきっているはずだと励ましている。
#[関連論文]
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]伊敝尓之底 由比弖師比毛乎 登吉佐氣受 念意緒 多礼賀思良牟母
#[訓読]家にして結ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰れか知らむも
#[仮名],いへにして,ゆひてしひもを,ときさけず,おもふこころを,たれかしらむも
#[左注]右一首守大伴宿祢家持作
#[校異]家持作 [元] 家持
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴家持,恋愛,望郷,宴席,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]家にあって妻が結んだ紐を解き放たないで都の妻を思っている気持ちを誰が知ろうか。
#{語釈]
家にして結ひてし紐 都の妻が出発の時に結んだ紐
思ふ心 都の妻を思っている自分の気持ち
#[説明]
全注 池主の歌に答えたもので、池主が家持に対してあなたは紐解き放けてお思いになることをしないでしょう、といったのを、いや私が紐を解き放けず思うのはあなたではなく妻であって、その心は誰も知らないでしょう、と弁解するように応じたのであろう。従って、あなたに対しては十分うちとけてくつろいでいると言いたかったのだと思われる。それにしても三九四八の心をもう一度強調したような内容で、宴の歌としては固苦しい。
自解 池主の戯れに気分を害しているような口振り
釋注 この激励に感動して家持は和した。世間の誰もこの気持ちはわかってくれまい。しかし、この場のあなた方だけはわかっていてくれるのだという気持ちを言い表した歌。
池主の歌に端を発した望郷を主題とした歌は、ここで終了する。
#[関連論文]
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之
#[訓読]ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺を行きつつ見べし
#[仮名],ひぐらしの,なきぬるときは,をみなへし,さきたるのへを,ゆきつつみべし
#[左注]右一首大目秦忌寸八千嶋
#[校異]大目 [類] 越中大目
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:秦八千島,宴席,植物,大伴家持,,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]ひぐらしの鳴いている時は女郎花が咲いている野辺を行きながら見るのがよいでしょう。
#{語釈]
ひぐらし かなかな蝉 夏から秋にかけて夜明けや夕暮れ時に鳴く
08/1479H01隠りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし
10/1964H01黙もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思ふ時に鳴きつつもとな
10/1982H01ひぐらしは時と鳴けども片恋にたわや女我れは時わかず泣く
10/2157H01夕影に来鳴くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽かぬ声かも
10/2231H01萩の花咲きたる野辺にひぐらしの鳴くなるなへに秋の風吹く
15/3589H01夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り
15/3620H01恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭に廬りするかも
15/3655H01今よりは秋づきぬらしあしひきの山松蔭にひぐらし鳴きぬ
大目 国司の四等官 越中は上国であるので、目は一人。大目ということは、天平一三年一二月から越中に編入されているのとかんけいがあるか(全注)
続紀「宝亀六年三月 始めて越中、但馬、因幡、伯耆に大少の目の員を置く」 全注は、天平一八年には既にあったと言われているが、この部分が宝亀六年以降の記述である可能性もある。
秦忌寸八千嶋 伝未詳
#[説明]
全注 家持と池主のやりとりが固苦しくなっているのを引き取って、柔らかく二人に歌いかけ、紐についての問答を終わらせようとしたのであろう。・・このような歌い方ができた八千嶋は、おそらく家持や池主よりも年長であったと思われる。
自解 家持と池主のやりとりが殺伐となってきたのを和らげている。
釋注 宴の歌の流れを変えた。新しい素材(ひぐらし)を持ち出して、望郷の気持ちの深まりを現地への関心に引き戻した歌。この歌の女郎花には越中の女の意が託されている。
#[関連論文]
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌) / 古歌一首[大原高安真人作] 年月不審 但随聞時記載茲焉
#[原文]伊毛我伊敝尓 伊久里能母里乃 藤花 伊麻許牟春<母> 都祢加久之見牟
#[訓読]妹が家に伊久里の杜の藤の花今来む春も常かくし見む
#[仮名],いもがいへに,いくりのもりの,ふぢのはな,いまこむはるも,つねかくしみむ
#[左注]右一首傳誦僧玄勝是也
#[校異]毛 -> 母 [元][類] / 加 [元](塙) 賀
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:玄勝,古歌,伝誦,大原高安,大伴家持,宴席,枕詞,恋愛,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]妹の家に行くという伊久里の社の藤の花よ。まためぐり来る春もいつもこのように見よう。
#{語釈]
大原高安真人 長皇子の孫 高安王。
和銅六年五月 従五位下
養老三年七月 伊予国守 阿波、讃岐、土佐の按察使
天平四年十月 衛門督
天平十一年四月 大原真人姓
十四年十二月 正四位下 卒
4/577題詞 旅人と交際があった。
妹が家に 「行く」から 伊久里の杜にかかる枕詞
伊久里の杜 所在未詳 富山県砺波郡井栗谷付近
代匠記「或者の語りしは、南京に十町許隔てていぐりと云神の社有と申き。若彼処にや。くもじも濁て申つれど、さる事は例あり」
考「式神名に越後国蒲原郡伊久禮神社有是ならん。契沖がイクリの神社ありと也といへるは歌の意どもも此宴席にてうたへるにも心づかぬ説にてわらふべし、且禮と理は通へば伊久里ともよむべし、又沼垂郡に美久里神社もあり」
地名辞書「越後南蒲原郡井栗 三条の東一里、丘陵の端なる低地に居る、八幡宮あり、村民之を式内蒲原郡伊久禮神社なりと伝ふ。明和年中に建てたる石碑あり、中に曰く『井栗村東端為藤樹丘、有藤樹神祠、而與并栗神祠隣焉、其藤最古』」
富田景周 楢葉越枝折「愚按には、砺波郡磐若郷に井栗谷村あれば、このほとりの林なるべし。今も藤ありて、歌詞と符すとなん。況八雲の御説に越中とみゆれば、いよよ越後となすは孟浪(らうがは)しきことなり」
森田柿園 万葉事実余情「藻塩草続松葉集等に伊久理社越中とあり、東大寺の所蔵天平神護三年五月七日越中国解に東大寺墾田砺波郡石栗庄(いくりのしょう)地壱百壱拾弐町と見え、東大寺要録巻六に載たる長徳四年の注文定にも越中国砺波郡石栗庄田百廿町とあり、其地は今同郡に井栗谷村と称する村落ありて此地辺を般若郷とす」「按に東大寺の所蔵天平宝字三年十一月十四日の文書に越中国砺波郡伊加流伎野地壱百町東山南利波臣志留志地西故大原真人麿地とある麿は続紀に天平十五年五月従六位上大原真人麿授従五位下とあれば高安真人の子なるべし、されば父高安このかた砺波郡伊久里の地は、所領なりし故に此領地にてよまれたる歌なるべし」
北陸万葉集古蹟研究(鴻巣盛広)「もし東大寺文書にある大原真人麿を大原真人高安と父子の関係として、万葉事実余情の如く考えるならば、この歌の作者は越中の石栗を領地として此処に通ったことも否定し難い。さうして僧玄勝(恐らく国分寺の僧であったろう)が、越中の地名を詠み込んだ歌を、新任の国守に歌って聞かせたとするのが妥当のように思われる。」
社 神の降臨する森
藤の花 釋注 万葉集中他に用例はない。通常雅語である「藤波」を用いる。
今来む春も やがてめぐり来る春も
玄勝 伝未詳 国分寺の僧か。
#[説明]
全注 季節に合わない歌であるが、前の歌のおみなえしに対し、春の藤で応じたもの。これまでの歌が都の妹をめぐる旅愁を中心に展開しているところから、折りに合った「妹が家に」行くと続く、気のきいた枕詞をもつ春の花の歌を思い出し、併せて全釈が「僧玄勝が越中の地名を詠み込んだ歌を、新任の国守に歌って聞かせたとするのが妥当のやうに思われる。」というような意図から披露したのであろう。
釋注 前歌を受けて越中の女性(現地)もまた佳なりとしてこの古歌を披露したもの。
#[関連論文]
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]鴈我祢波 都可比尓許牟等 佐和久良武 秋風左無美 曽乃可波能倍尓
#[訓読]雁がねは使ひに来むと騒くらむ秋風寒みその川の上に
#[仮名],かりがねは,つかひにこむと,さわくらむ,あきかぜさむみ,そのかはのへに
#[左注](右二首守大伴宿祢家持)
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴家持,動物,叙景,望郷,宴席,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]雁は使いに来ようと今頃騒いでいるであろう。秋風が寒いのでその川のほとりで。
#{語釈]
使ひに来むと 雁信の使いの故事を踏まえている。
その川の上に 代匠記「その河の辺とは、雁の住胡国の川辺なり」
雁が飛来する元の川。
釋注 都人の故郷である佐保の川べりに鳴く雁を妻の使者と見立てたもの。
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]馬並氐 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇<未>尓 与須流奈弥見尓
#[訓読]馬並めていざ打ち行かな渋谿の清き礒廻に寄する波見に
#[仮名],うまなめて,いざうちゆかな,しぶたにの,きよきいそみに,よするなみみに
#[左注]右二首守大伴宿祢家持
#[校異]末 -> 未 [温]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴家持,宴席,遊覧,地名,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]馬を連ねてさあ行こうよ。渋谿の清らかな磯のめぐりに寄せる波を見に。
#{語釈]
馬並めて 馬を連ねて 仲間同士で 官人としての意識
01/0004H01たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
01/0049H01日並の皇子の命の馬並めてみ狩り立たしし時は来向ふ
03/0239H01やすみしし 我が大君 高照らす 我が日の御子の 馬並めて
06/0926H03夕狩に 鳥踏み立て 馬並めて 御狩ぞ立たす 春の茂野に
06/0948H04馬並めて 行かまし里を 待ちかてに 我がする春を かけまくも
07/1104H01馬並めてみ吉野川を見まく欲りうち越え来てぞ瀧に遊びつる
07/1148H01馬並めて今日我が見つる住吉の岸の埴生を万代に見む
09/1720H01馬並めてうち群れ越え来今日見つる吉野の川をいつかへり見む
10/1859H01馬並めて多賀の山辺を白栲ににほはしたるは梅の花かも
10/2103H01秋風は涼しくなりぬ馬並めていざ野に行かな萩の花見に
17/3991H01もののふの 八十伴の男の 思ふどち 心遣らむと 馬並めて
19/4249H01石瀬野に秋萩しのぎ馬並めて初鷹猟だにせずや別れむ
打ち行かな 打ち 接頭語
実際に馬に鞭を打って行くの意
渋谿 富山県高岡市渋谷
#[説明]
全注 前の歌で「秋風寒み」と歌ったところから、巻十の
10/2103H01秋風は涼しくなりぬ馬並めていざ野に行かな萩の花見に
の歌を想起し、その発想を学んで即興的に歌ったものである。席上、渋谿の好景を語り聞かせるものがあって、興をそそられたのであろう。
釋注 望郷の念と現地讃美とを取り合わせる。
#[関連論文]
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]奴婆多麻乃 欲波布氣奴良之 多末久之氣 敷多我美夜麻尓 月加多夫伎奴
#[訓読]ぬばたまの夜は更けぬらし玉櫛笥二上山に月かたぶきぬ
#[仮名],ぬばたまの,よはふけぬらし,たまくしげ,ふたがみやまに,つきかたぶきぬ
#[左注]右一首史生土師宿祢道良
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:土師道良,宴席,地名,高岡,富山,大伴家持,枕詞,終宴,叙景
#[訓異]
#[大意]ぬばたまの夜は更けたらしい。玉櫛笥の二上山に月が傾いたことだ。
#{語釈]
たまくしげ 二上山の枕詞 美しい櫛笥の蓋から続く。
二上山 富山県高岡市 氷見市 二上山 標高二七三メートルの雄岳と二五八メートルの雌岳に別れる。
国庁の西四キロほど。月の沈む方向。
史生 職員令 太政官「史生十人。掌繕写公文、行署文案」
上国 史生三人 四等官の目の下に位置する。
土師宿祢道良 伝未詳
#[説明]
中西進 宴のお開きの歌。
釋注 史生土師宿祢道良は、おそらく本日の宴の書記役、幹事役であったもので、それゆえにお開きの歌を歌ったのであろう。
この宴は、越中国守家持の挨拶、部下池主たちの歓迎という双方の目的が、融和のうちに成功を遂げた歌群であったことが知られるであろう。一三首に見られる心の結束は、越中国守家持の五年の生活の根城であったというべく、この結束をもとに家持越中時代の実りがあったとすれば、一つ一つの歌は平凡と見えながら、この宴は、越中歌壇の出発を告げる貴重な集まりだたということができよう。
#[関連論文]
#[題詞]大目秦忌寸八千嶋之館宴歌一首
#[原文]奈呉能安麻能 都里須流布祢波 伊麻許曽婆 敷奈太那宇知氐 安倍弖許藝泥米
#[訓読]奈呉の海人の釣する舟は今こそば舟棚打ちてあへて漕ぎ出め
#[仮名],なごのあまの,つりするふねは,いまこそば,ふなだなうちて,あへてこぎでめ
#[左注]右館之客屋居望蒼海 仍主人八千嶋作此歌也
#[校異]八千嶋作 [元][古] 作 / 歌 [西] 謌
#[鄣W],作者:秦八千島,宴席,地名,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]奈呉の海人の釣りをする舟は、今こそは舟の棚を叩いて、強いて漕ぎ出しなさいよ。
#{語釈]
大目秦忌寸八千嶋 伝未詳 ->3951
奈呉 富山県新湊市 放生津の海岸
今こそば 「今こそは」と同じ
舟棚打ちて 舟棚 舟の左右の舷板 これのない小さな舟は棚無し小舟
01/0058H01いづくにか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎ廻み行きし棚無し小舟
打つ 略解 取り付ける
叩く 叩く理由 略解 魚を寄せ付ける
全釈 景気よく囃し立てる
総釈 威勢よく叩く
全註釈 音を立てて悪魔を払って出航する
あへて 強いて 強行する
左注 右、館の客屋は居ながらにして蒼海を望む。仍ち主人八千嶋、この歌を作る。
客屋 客室。普通は何面するが、海への眺望を考えて、北向きに作られていたか
八千嶋の館は、奈呉の海を見下ろす眺望のよい場所にあった。
#[説明]
伊藤博 前の家持の宴の後、翌日の朝方渋谷観望。その帰りに八千嶋の館に立ち寄って二次会をした。客をもてなす意味で、海人舟を配した好景を望んだもの。
#[関連論文]
#[題詞]哀傷長逝之弟歌一首[并短歌]
#[原文]安麻射加流 比奈乎佐米尓等 大王能 麻氣乃麻尓末尓 出而許之 和礼乎於久流登 青丹余之 奈良夜麻須疑氐 泉河 伎欲吉可波良尓 馬駐 和可礼之時尓 好去而 安礼可敝里許牟 平久 伊波比氐待登 可多良比氐 許之比乃伎波美 多麻保許能 道乎多騰保美 山河能 敝奈里氐安礼婆 孤悲之家口 氣奈我枳物能乎 見麻久保里 念間尓 多麻豆左能 使乃家礼婆 宇礼之美登 安我麻知刀敷尓 於餘豆礼能 多<波>許登等可毛 <波>之伎余思 奈弟乃美許等 奈尓之加母 時之<波>安良牟乎 <波>太須酒吉 穂出秋乃 芽子花 尓保敝流屋戸乎 [言斯人為性好愛花草花樹而多<植>於寝院之庭 故謂之花薫庭也] 安佐尓波尓 伊泥多知奈良之 暮庭尓 敷美多比良氣受 佐保能宇知乃 里乎徃過 安之比紀乃 山能許奴礼尓 白雲尓 多知多奈妣久等 安礼尓都氣都流 [佐保山火葬 故謂之佐保乃宇知乃佐<刀>乎由吉須疑]
#[訓読]天離る 鄙治めにと 大君の 任けのまにまに 出でて来し 我れを送ると あをによし 奈良山過ぎて 泉川 清き河原に 馬留め 別れし時に ま幸くて 我れ帰り来む 平らけく 斎ひて待てと 語らひて 来し日の極み 玉桙の 道をた遠み 山川の 隔りてあれば 恋しけく 日長きものを 見まく欲り 思ふ間に 玉梓の 使の来れば 嬉しみと 我が待ち問ふに およづれの たはこととかも はしきよし 汝弟の命 なにしかも 時しはあらむを はだすすき 穂に出づる秋の 萩の花 にほへる宿を [言斯人為性好愛花草花樹而多<植>於寝院之庭 故謂之花薫庭也] 朝庭に 出で立ち平し 夕庭に 踏み平げず 佐保の内の 里を行き過ぎ あしひきの 山の木末に 白雲に 立ちたなびくと 我れに告げつる [佐保山火葬 故謂之佐保の内の里を行き過ぎ]
#[仮名],あまざかる,ひなをさめにと,おほきみの,まけのまにまに,いでてこし,われをおくると,あをによし,ならやますぎて,いづみがは,きよきかはらに,うまとどめ,わかれしときに,まさきくて,あれかへりこむ,たひらけく,いはひてまてと,かたらひて,こしひのきはみ,たまほこの,みちをたどほみ,やまかはの,へなりてあれば,こひしけく,けながきものを,みまくほり,おもふあひだに,たまづさの,つかひのければ,うれしみと,あがまちとふに,およづれの,たはこととかも,はしきよし,なおとのみこと,なにしかも,ときしはあらむを,はだすすき,ほにいづるあきの,はぎのはな,にほへるやどを,あさにはに,いでたちならし,ゆふにはに,ふみたひらげず,さほのうちの,さとをゆきすぎ,あしひきの,やまのこぬれに,しらくもに,たちたなびくと,あれにつげつる,,,さほのうちの,さとをゆきすぎ
#[左注](右天平十八年秋九月廿五日越中守大伴宿祢家持遥聞弟喪感傷作之也)
#[校異]里 [元][類](塙) 理 / 久 [元](塙) 安 / 婆 -> 波 [元][類] / 婆 -> 波 [元][類] / 婆 -> 波 [元][類][紀][細] / 婆 -> 波 [元][類][温] / 値 -> 植 [類][矢][京] / 力 -> 刀 [元][類][紀]
#[鄣W],天平18年9月25日,年紀,作者:大伴家持,挽歌,哀悼,大伴書持,悲別,枕詞,地名,京都,奈良,高岡,富山,大伴書持
#[訓異]
#[大意]
空遠く離れた田舎を治めにと大君の任命されるのに従って、出発してきた自分を送るとして、あをによし奈良山を過ぎて、泉川の清らかな河原に馬を留めて別れた時に、 無事にいて自分は帰ってこよう、平穏に祈って待てとお互い話し合って来た日を最後として、たまほこの道が遠いので、山川で隔たっているので、恋しく思うことが長くあったものなのに、会いたいと思っていたところ、たまほこの使者が来たので、うれしいことだと自分が待って尋ねたところ、逆さま言葉のいい加減な言葉なのだろうか、愛しい我が弟がどうしてか、いつでもその時はあるものなのに、はだすすきの穂に出る秋の萩の花が美しく咲いている家を [言うことの意味は、この人はその人となりが花や草花を愛でる性格であり、正殿の庭にたくさん花木を植えていた。だから花が薫る庭という] 朝の庭に出て立ちならすこともせず、夕方の庭にも踏んで平らかにすることもせず、佐保の中の里を行き過ぎて、あしひきの山の梢に白雲として立ってたなびくと自分に告げたことであった。 [佐保山の火葬である。だから佐保の中の里を行き過ぎてという]
#{語釈]
長逝之弟 大伴書持 経歴未詳 3906
天離る 鄙治めにと 都から遠く離れた
都を中心として、天頂からはるか彼方にある田舎
天皇の居る都から遠く離れた
01/0029H10天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下
02/0227H01天離る鄙の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし
03/0255H01天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ
05/0880H01天離る鄙に五年住まひつつ都のてぶり忘らえにけり
06/1019H02獣じもの 弓矢囲みて 大君の 命畏み 天離る 鄙辺に罷る 古衣
09/1785H03命畏み 天離る 鄙治めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ 群鳥の
13/3291H05[天離る 鄙治めにと]
15/3608H01天離る鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ
15/3698H01天離る鄙にも月は照れれども妹ぞ遠くは別れ来にける
17/3948H01天離る鄙に月経ぬしかれども結ひてし紐を解きも開けなくに
17/3949H01天離る鄙にある我れをうたがたも紐解き放けて思ほすらめや
17/3957H01天離る 鄙治めにと 大君の 任けのまにまに 出でて来し
17/3962H02天離る 鄙に下り来 息だにも いまだ休めず 年月も
17/3973H01大君の 命畏み あしひきの 山野さはらず 天離る
17/3978H03大君の 命畏み あしひきの 山越え野行き 天離る
17/4000H01天離る 鄙に名懸かす 越の中 国内ことごと 山はしも
17/4008H01あをによし 奈良を来離れ 天離る 鄙にはあれど 我が背子を
17/4011H01大君の 遠の朝廷ぞ み雪降る 越と名に追へる 天離る
17/4019H01天離る鄙ともしるくここだくも繁き恋かもなぐる日もなく
18/4082H01天離る鄙の奴に天人しかく恋すらば生ける験あり
18/4113H06ゆりも逢はむと 慰むる 心しなくは 天離る 鄙に一日も
19/4169H02朝夕に 聞かぬ日まねく 天離る 鄙にし居れば あしひきの
19/4189H01天離る 鄙としあれば そこここも 同じ心ぞ 家離り 年の経ゆけば
大君の 任けのまにまに 大君が任命されるのに従って
「みこともち」としての意識
03/0369H01物部の臣の壮士は大君の任けのまにまに聞くといふものぞ
13/3291H02我が思ふ君は 大君の 任けのまにまに
17/3962H01大君の 任けのまにまに 大夫の 心振り起し あしひきの 山坂越えて
17/3969H01大君の 任けのまにまに しなざかる 越を治めに 出でて来し
18/4098H05おのが名負ひて 大君の 任けのまにまに この川の 絶ゆることなく
20/4331H04猛き軍士と ねぎたまひ 任けのまにまに たらちねの 母が目離れて
20/4408H01大君の 任けのまにまに 島守に 我が立ち来れば ははそ葉の
小野寛 「大君の命畏しこみ」は、防人歌に見られ、家持には用例はない。一方的服従ではなく、「大夫」としての自覚がある。
律令官人 -> 大夫 -> みこともち の意識
出でて来し 越中に赴任するために家を出て来た
泉川 木津川 ここで見送りと別れる。
ま幸くて 無事でいて 原文「好去」 六朝以来の中国俗語。ご無事で、お元気でという別れの言葉。5/894
斎ひて待てと 家に残った者が旅行者の無事を祈って精進潔斎して神を祭ること。
08/1453H04い別れ行かば 留まれる 我れは幣引き 斎ひつつ 君をば待たむ
09/1790H02我が独り子の 草枕 旅にし行けば 竹玉を 繁に貫き垂れ 斎瓮に
09/1790H03木綿取り垂でて 斎ひつつ 我が思ふ我子 ま幸くありこそ
来し日の極み やって来た日を最後として
使の来れば 原文「使乃家礼婆」 つかひのければ 「き(来)あれば」のつづまった形
およづれの たはこととかも 逆さま言葉のでたらめの言葉であるか
挽歌に常套的に用いられる。
03/0420H03およづれか 我が聞きつる たはことか 我が聞きつるも 天地に
03/0421H01およづれのたはこととかも高山の巌の上に君が臥やせる
03/0475H04およづれの たはこととかも 白栲に 舎人よそひて 和束山
07/1408H01たはことかおよづれことかこもりくの泊瀬の山に廬りせりといふ
19/4214H10留めかねつと たはことか 人の言ひつる およづれか 人の告げつる
なにしかも 時しはあらむを いつでも死ぬときはあるものなのに
03/0467H01時はしもいつもあらむを心痛くい行く我妹かみどり子を置きて
はだすすき はなすすき 薄の簿が花のように見える若々しい時のもの
はたすすき 薄の穂がほほけて旗のようになったもの。枯れているもの
はだすすき 不明
01/0045H04み雪降る 安騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす
03/0307H01はだ薄久米の若子がいましける
07/1121H01妹らがり我が通ひ道の小竹すすき我れし通はば靡け小竹原
08/1601H01めづらしき君が家なる花すすき穂に出づる秋の過ぐらく惜しも
08/1637H01はだすすき尾花逆葺き黒木もち造れる室は万代までに
10/2089H03そほ舟の 艫にも舳にも 舟装ひ ま楫しじ貫き 旗すすき 本葉もそよに
10/2283H01我妹子に逢坂山のはだすすき穂には咲き出ず恋ひわたるかも
10/2311H01はだすすき穂には咲き出ぬ恋をぞ我がする玉かぎるただ一目のみ見し人ゆゑに
14/3506H01新室のこどきに至ればはだすすき穂に出し君が見えぬこのころ
14/3565H01かの子ろと寝ずやなりなむはだすすき宇良野の山に月片寄るも
16/3800H01はだすすき穂にはな出でそ思ひたる心は知らゆ我れも寄りなむ
言斯人為性好愛花草花樹而多<植>於寝院之庭 故謂之花薫庭也
言ふこころは、斯の人、性(ひと)となり好愛花草花樹を好愛(め)でて、多く寝院の庭に植う。故に花薫(にほ)へる庭と謂ふ。
書持の人となりを述べて、歌句を解説したもの。
白雲に 立ちたなびくと 火葬された煙になって
07/1407H01隠口の泊瀬の山に霞立ちたなびく雲は妹にかもあらむ
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](哀傷長逝之弟歌一首[并短歌])
#[原文]麻佐吉久登 伊比氐之物能乎 白雲尓 多知多奈妣久登 伎氣婆可奈思物
#[訓読]ま幸くと言ひてしものを白雲に立ちたなびくと聞けば悲しも
#[仮名],まさきくと,いひてしものを,しらくもに,たちたなびくと,きけばかなしも
#[左注](右天平十八年秋九月廿五日越中守大伴宿祢家持遥聞弟喪感傷作之也)
#[校異]
#[鄣W],天平18年9月25日,年紀,作者:大伴家持,挽歌,哀悼,大伴書持,悲別,高岡,富山,大伴書持
#[訓異]
#[大意]元気でおれよと言ったものだったのに。白雲として立ちたなびくと聞くと悲しいことである。
#{語釈]
言ひてしものを 家持が言った。 「て」完了「つ」の未然形 「し」過去
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](哀傷長逝之弟歌一首[并短歌])
#[原文]可加良牟等 可祢弖思理世婆 古之能宇美乃 安里蘇乃奈美母 見世麻之物<能>乎
#[訓読]かからむとかねて知りせば越の海の荒礒の波も見せましものを
#[仮名],かからむと,かねてしりせば,こしのうみの,ありそのなみも,みせましものを
#[左注]右天平十八年秋九月廿五日越中守大伴宿祢家持遥聞弟喪感傷作之也
#[校異]<> -> 能 [元][類][紀] / 天平十八年秋九 [元] 九
#[鄣W],天平18年9月25日,年紀,作者:大伴家持,挽歌,哀悼,大伴書持,悲別,高岡,富山,地名,大伴書持
#[訓異]
#[大意]このようになろうとあらかじめ知っていたならば、越の海の荒磯の波でも見せたものなのに。
#{語釈]
#[説明]
同想歌
02/0151H01かからむとかねて知りせば大御船泊てし泊りに標結はましを
05/0797H01悔しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを
#[関連論文]
#[題詞]相歡歌二首 越中守大伴宿祢家持作
#[原文]庭尓敷流 雪波知敝之久 思加乃未尓 於母比氐伎美乎 安我麻多奈久尓
#[訓読]庭に降る雪は千重敷くしかのみに思ひて君を我が待たなくに
#[仮名],にはにふる,ゆきはちへしく,しかのみに,おもひてきみを,あがまたなくに
#[左注](右以天平十八年八月掾大伴宿祢池主附大帳使赴向京師 而同年十一月還到本任 仍設詩酒之宴弾絲飲樂 是<日>也白雪忽降積地尺餘 此時也復漁夫之船入海浮瀾 爰守大伴宿祢家持寄情二眺聊裁所心)
#[校異]歌 [西] 謌
#[鄣W],天平18年11月,年紀,作者:大伴家持,宴席,大伴池主,恋情,寄物陳思,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]庭に降る雪は幾重にも降り積もっている。しかしそれだけの思いであなたを自分は待っていたというわけではありませんよ。(もっと何重にも思っていたのですよ)
#{語釈]
相歡 相い歓ぶ 久しぶりに家持と池主が会って、歓んでいるという意味
恋人に会ったときの歓び。
しかのみに 雪は千重に降り積もっているが、たったそれだけしか思って
#[説明]
先行歌
10/2234H01一日には千重しくしくに我が恋ふる妹があたりにしぐれ降れ見む
11/2437H01沖つ裳を隠さふ波の五百重波千重しくしくに恋ひわたるかも
#[関連論文]
#[題詞](相歡歌二首 越中守大伴宿祢家持作)
#[原文]白浪乃 余須流伊蘇<未>乎 榜船乃 可治登流間奈久 於母保要之伎美
#[訓読]白波の寄する礒廻を漕ぐ舟の楫取る間なく思ほえし君
#[仮名],しらなみの,よするいそみを,こぐふねの,かぢとるまなく,おもほえしきみ
#[左注]右以天平十八年八月掾大伴宿祢池主附大帳使赴向京師 而同年十一月還到本任 仍設詩酒之宴弾絲飲樂 是<日>也白雪忽降積地尺餘 此時也復漁夫之船入海浮瀾 爰守大伴宿祢家持寄情二眺聊裁所心
#[校異]末 -> 未 [温] / 天平十八年八月 [元] 八月 / <> -> 日 [元][類][紀]
#[鄣W],天平18年11月,年紀,作者:大伴家持,宴席,大伴池主,恋情,寄物陳思,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]白波の寄せる磯のめぐりを漕ぐ船が楫をとる間がないように、そのようにいつも思っていたあなたであることだ。
#{語釈]
楫取る間なく 絶え間なく
左注
右、天平十八年八月を以て、掾大伴宿祢池主、大帳使に附して京師に赴き向かふ。而して同じ年十一月、本任に還り到りぬ。仍りて詩酒の宴を設け、弾絲、飲樂す。是の日、白雪忽ちに降りて地に積むこと尺餘なり。此の時復た、漁夫の船海に入り、瀾(なみ)に浮かべり。爰(ここ)に守大伴宿祢家持、情(こころ)を二眺に寄せて、聊かに所心(おもひ)を裁(つく)る。
大帳使 国庁から太政官に大帳(戸籍に関する帳簿)を提出する使い。年四回、国庁は、中央に報告する義務を課せられている。大帳使、正税帳使、貢調使、朝集使。
六月三十日現在の部内の戸籍の実態を記す。八月三十日までに上京。
大計帳、計帳
延喜式 越中と都(京都)の間の行程、上り十七日。下り九日
朝集使 国郡司の考課(勤務評定)、神社、僧尼、土木、交通、国庁内の建築、機材管理状況の状況を記したもの 前年八月一日から七月三一日までの状況
機内は、十月一日まで。七道は十一月一日までに上京。(考課令)
18/4116D01國掾久米朝臣廣縄以天平廿年附朝集使入京 其事畢而天平感寶元年閏五月
19/4225S01右一首同月十六日餞之朝集使少目秦伊美吉石竹時守大伴宿祢家持作之
19/4248D01以七月十七日遷任少納言 仍作悲別之歌贈貽朝集使<掾>久米朝臣廣縄之館
20/4440D01上総國朝集使大掾大原真人今城向京之時郡司妻女等餞之歌二首
20/4473S01右一首守山背王歌也 主人安宿奈杼麻呂語云 奈杼麻呂被差朝集使擬入京師
#[説明]
先行歌
11/2746H01庭清み沖へ漕ぎ出る海人舟の楫取る間なき恋もするかも
12/3173H01松浦舟騒く堀江の水脈早み楫取る間なく思ほゆるかも
伊藤博 ここに家持以外の人の歌がないのは、即興工夫の相歓歌二首と書持哀悼挽歌が宴の中心を占めたからと考えられる。書持が死んだ時、池主はちょうど都にいた。九月五日の他界とすれば、池主は書持の葬儀にも参列したのではなかろうか。
挽歌披露に続いて、都のさまざまな近況を池主によって語られた。歌詠の場というようりは、「弾絲飲樂」の場であったと見られる。
「弾絲飲樂」の二次の場に入って、家持は久しぶりにわれを忘れることができたのではあるまいか。
#[関連論文]
#[題詞]忽沈<枉>疾殆臨泉路 仍作歌詞以申悲緒一首[并短歌]
#[原文]大王能 麻氣能麻尓々々 大夫之 情布里於許之 安思比奇能 山坂古延弖 安麻射加流 比奈尓久太理伎 伊伎太尓毛 伊麻太夜須米受 年月毛 伊久良母阿良奴尓 宇<都>世美能 代人奈礼婆 宇知奈妣吉 等許尓許伊布之 伊多家苦之 日異益 多良知祢乃 <波>々能美許等乃 大船乃 由久良々々々尓 思多呉非尓 伊都可聞許武等 麻多須良牟 情左夫之苦 波之吉与志 都麻能美許登母 安氣久礼婆 門尓餘里多知 己呂母泥乎 遠理加敝之都追 由布佐礼婆 登許宇知波良比 奴婆多麻能 黒髪之吉氐 伊都之加登 奈氣可須良牟曽 伊母毛勢母 和可伎兒等毛<波> 乎知許知尓 佐和吉奈久良牟 多麻保己能 美知乎多騰保弥 間使毛 夜流余之母奈之 於母保之伎 許登都氐夜良受 孤布流尓思 情波母要奴 多麻伎波流 伊乃知乎之家騰 世牟須辨能 多騰伎乎之良尓 加苦思氐也 安良志乎須良尓 奈氣枳布勢良武
#[訓読]大君の 任けのまにまに 大夫の 心振り起し あしひきの 山坂越えて 天離る 鄙に下り来 息だにも いまだ休めず 年月も いくらもあらぬに うつせみの 世の人なれば うち靡き 床に臥い伏し 痛けくし 日に異に増さる たらちねの 母の命の 大船の ゆくらゆくらに 下恋に いつかも来むと 待たすらむ 心寂しく はしきよし 妻の命も 明けくれば 門に寄り立ち 衣手を 折り返しつつ 夕されば 床打ち払ひ ぬばたまの 黒髪敷きて いつしかと 嘆かすらむぞ 妹も兄も 若き子どもは をちこちに 騒き泣くらむ 玉桙の 道をた遠み 間使も 遺るよしもなし 思ほしき 言伝て遣らず 恋ふるにし 心は燃えぬ たまきはる 命惜しけど 為むすべの たどきを知らに かくしてや 荒し男すらに 嘆き伏せらむ
#[仮名],おほきみの,まけのまにまに,ますらをの,こころふりおこし,あしひきの,やまさかこえて,あまざかる,ひなにくだりき,いきだにも,いまだやすめず,としつきも,いくらもあらぬに,うつせみの,よのひとなれば,うちなびき,とこにこいふし,いたけくし,ひにけにまさる,たらちねの,ははのみことの,おほぶねの,ゆくらゆくらに,したごひに,いつかもこむと,またすらむ,こころさぶしく,はしきよし,つまのみことも,あけくれば,かどによりたち,ころもでを,をりかへしつつ,ゆふされば,とこうちはらひ,ぬばたまの,くろかみしきて,いつしかと,なげかすらむぞ,いももせも,わかきこどもは,をちこちに,さわきなくらむ,たまほこの,みちをたどほみ,まつかひも,やるよしもなし,おもほしき,ことつてやらず,こふるにし,こころはもえぬ,たまきはる,いのちをしけど,せむすべの,たどきをしらに,かくしてや,あらしをすらに,なげきふせらむ
#[左注](右天平十九年春二月廿日越中國守之舘臥病悲傷聊作此歌)
#[校異]狂 -> 枉 [元] / 歌 [西] 謌 / 津 -> 都 [元][紀][細] / 婆 -> 波 [元][紀][細] / 婆 -> 波 [元][紀][細]
#[鄣W],天平19年2月20日,年紀,作者:大伴家持,病気,枕詞,悲嘆,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]大君の任命に従って大夫の心を振り起こして、あしひきの山坂を超えて、天から遠く離れた田舎に下ってやって来て、一息すらもまだ休めないで、年月もいくらも経っていないのに、うつせみのこの世の人であるので、うち靡いて床に倒れ臥して、苦痛が日を追ってひどくなってくる。たらちねの母の命が大船のように揺れ動いて、心が静まらず、心の中でいつになったら帰ってくるのだろうとお待ちになっている気持ちも寂しいだろうのに、愛しい妻の命も夜が明けると門口に出て立って、衣手を折り返しながら、帰りを早く待ち、夕方になると寝床を払って整え、ぬばたまの黒髪を敷いて、いつになったら帰ってくるのだろうとお嘆きになっているであろうよ。子どもたちは妹も兄も若い子どもたちは、あちらこちらで父を慕って騒いで泣いているであろう。玉鉾の道が遠いので、使いも遣わすよすがもなく、思っていることを伝えることも出来ず、恋い思うにつけても心は燃えている。はまきはる命は惜しいがどのようにしてよいか方法を知らないで、このように荒々しい男たるべきものが嘆いて臥していることだろうか。
#{語釈]
忽 たちまちに はからずも たまたま
枉疾 まがれる病 古典全集「思い当たるような原因のない病気」
憶良沈痾自哀文
殆(ほとほと)に泉路に臨む あやういところで黄泉への路に行くところだった
ほとんど死ぬような思いをした
大君の 任けのまにまに 大夫の 心振り起し 3/476 20/4398
家持の気持ち 「みこともち」としての心情
息だにも いまだ休めず 5/794
05/0794H02息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも
うつせみの 世の人なれば 家持の諦念
03/0466H03うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消ぬるがごとく あしひきの
03/0482H01うつせみの世のことにあれば外に見し山をや今はよすかと思はむ
09/1787H01うつせみの 世の人なれば 大君の 命畏み 敷島の 大和の国の 石上
20/4408H12苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる
たらちねの 母の命の 続日本紀天応元年八月八日 家持を左大弁兼春宮大夫と為す。是より先、母の憂ひに遭ひて解任す。是に至りて復す。
代匠記 旅人の本妻大伴郎女は、神亀五年に死去。家持は妾の 腹に出来たるにこそ
川上富吉 家持の母は、丹比家の女。
私注「妻の母、坂上郎女を指している」
行路死人その他の家郷の象徴、不孝の考え方
03/0443H04たらちねの 母の命は 斎瓮を 前に据ゑ置きて 片手には 木綿取り持ち
05/0886H06父とり見まし 家にあらば 母とり見まし 世間は かくのみならし
大船の ゆくらゆくらに 大船の ゆくらゆくらの枕詞
ゆくらゆくらに ゆらゆらと 心が落ち着かず動揺している様
子どもが遠く離れた所にいることからの心配
下恋に いつかも来むと 心の中で何時になったら帰ってくるかと
はしきよし 妻の命も 坂上大嬢 大嬢越中下向は、天平勝宝元年秋から翌年春あたり
衣手を 折り返しつつ 待ち人が早く来ることを期待する呪術
窪田評釈「これは恋の上の呪いで、相手を招き寄せる呪いであろう」
20/4331H10帰り来ませと 斎瓮を 床辺に据ゑて 白栲の
20/4331H11袖折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日を 待ちかも恋ひむ
ぬばたまの 黒髪敷きて 袖を折り返すのと同じ呪術行為
04/0493H01置きていなば妹恋ひむかも敷栲の黒髪敷きて長きこの夜を
11/2631H01ぬばたまの黒髪敷きて長き夜を手枕の上に妹待つらむか
妹も兄も 若き子どもは 憶良の歌に見られる家族への思いと同様。実際ではなく、観念的なものか。孝経あたりにある儒教的な考え方が基本にあるか。
全注「家持は養老二年生まれとして、当時三十歳。二、三人の幼児があったのであろう。」
間使も 間を取り持つ使い
06/0946H03おのが名惜しみ 間使も 遣らずて我れは 生けりともなし
思ほしき 言伝て遣らず 思ほし 「思ふ」の形容詞化
思っていることも都に伝えることは出来ずに
たまきはる 命惜しけど 為むすべの たどきを知らに この後も同様の句
17/3969H07たまきはる 命惜しけど せむすべの たどきを知らに 隠り居て
荒し男すらに 荒々しい男たるべきものであるのに 女々しく嘆き臥している
大夫と区別している。
#[説明]
釋注 前年12月頃から病に臥して、今やっと歌が作れるほどにまで回復した。
憶良の長歌 5/794、804、886、897などに発想や類句を多く負っている。
母、妻、子どもたちの三態
家持は越中赴任にあたって、晩年の憶良を見舞ってもらった憶良歌巻を持っていった。
#[関連論文]
#[題詞](忽沈<枉>疾殆臨泉路 仍作歌詞以申悲緒一首[并短歌])
#[原文]世間波 加受奈枳物能可 春花乃 知里能麻我比尓 思奴倍吉於母倍婆
#[訓読]世間は数なきものか春花の散りのまがひに死ぬべき思へば
#[仮名],よのなかは,かずなきものか,はるはなの,ちりのまがひに,しぬべきおもへば
#[左注](右天平十九年春二月廿日越中國守之舘臥病悲傷聊作此歌)
#[校異]
#[鄣W],天平19年2月20日,年紀,作者:大伴家持,病気,悲嘆,無常,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]世の中ははかないものであるよ。春の花が散り乱れている中で死にそうなことを思うと。
#{語釈]
世間は数なきものか
20/4468H01うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな
散りのまがひに 散り乱れる中に
中西進 春の花の散る頃に人が死ぬという考え方。それを鎮めるのが鎮花祭。
02/0135H05黄葉の 散りの乱ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上の
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](忽沈<枉>疾殆臨泉路 仍作歌詞以申悲緒一首[并短歌])
#[原文]山河乃 曽伎敝乎登保美 波之吉余思 伊母乎安比見受 可久夜奈氣加牟
#[訓読]山川のそきへを遠みはしきよし妹を相見ずかくや嘆かむ
#[仮名],やまかはの,そきへをとほみ,はしきよし,いもをあひみず,かくやなげかむ
#[左注]右天平十九年春二月廿日越中國守之舘臥病悲傷聊作此歌
#[校異]天平十九年 [元] 十九年 / 廿 [元] 廿一 / 歌 [西] 謌
#[鄣W],天平19年2月20日,年紀,作者:大伴家持,病気,悲嘆,恋情,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]山川が遠く隔たっているので、愛しい妹にも遭うことがなく、このように嘆くことであろうか。
#{語釈]
山川のそきへを遠み 退く方 遠く隔たった所。
03/0420H04悔しきことの 世間の 悔しきことは 天雲の そくへの極み 天地の
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞]守大伴宿祢家持贈大伴宿祢池主悲歌二首
#[原文]忽沈枉疾累旬痛苦 祷恃百神且得消損 而由身體疼羸筋力怯軟 未堪展謝係戀弥深 方今春朝春花流馥於春苑 春暮春鴬囀聲於春林 對此節候琴チ可翫矣 雖有乗興之感不耐策杖之勞 獨臥帷幄之裏 聊作寸分之歌 軽奉机下犯解玉頤 其詞曰
#[訓読]忽(たちまち)に枉疾(わうしつ)に沈み、累旬痛苦す。 百神を祷(こ)ひ恃(たの)み、且つ消損(しょうそん)するを得たり。而(しか)れども、由(なほ)し身體疼羸(どうるい)、筋力怯軟(けふぜん)にして、未だ展謝(てんしゃ)に堪(あ)へず、係戀(けいれん)弥(いよよ)深し。方今春朝春花、馥(にほひ)を春苑に流し、春暮春鴬、聲を春林に囀(さひづ)る。此の節候に對(むか)ひ、琴チ(きんそん)翫(もてあそぶ)可(べ)し。興に乗る感有ると雖も、杖を策(つ)く勞に耐(あ)へず。 獨り帷幄(ゐあく)の裏(うち)に臥して、聊(いささ)かに寸分の歌を作る。軽(かろがろ)しく机下に奉り、玉頤(ぎょくい)を解かむことを犯す。其の詞に曰く、
#[仮名]
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],序文,四六駢儷体
#[訓異]
#[大意]はからずも悪い病にかかり、数十日間痛み苦しみました。多くの神々を祈り頼み、ようやく治るようになりました。そうではありますが、まだ体は痛み疲れており、筋肉の力は弱っていて、まだお礼を述べるほどにまでは耐えられません。あなたを思う恋心はますます深いことです。ちょうど今春の朝、春の花が香りを春の園に流しており、春の夕暮れ春の鶯が声を春の林にさえずっています。この時候に対し、琴を弾き樽から酒を酌み交わすのがいいでしょう。楽しもうと思う気持ちがあるといっても、杖を付く労力に耐えることが出来ません。独り部屋の帳の中に横たわっていて、いささかちょっとした歌を作りました。軽率にもあなたの机の下に奉り、あなたの立派な顎を解いて笑い草になることをします。その言葉に言うことには、
#{語釈]
累旬 一旬は十日間。 数十日 旬を重ねる。
百神 多くの神々
且つ ようやく、 ほとんど
消損 消え損ずる。病気が治る。癒える。
由 「猶」と同じ。
疼羸 「疼」は廣雅釋詁「痛也」。「羸」は「病也「疲也」
痛み疲れる
怯軟 「怯」は廣雅釋詁「弱也」。「軟」は「柔也」
弱っている
展謝 謝礼を述べる お礼を言う
係戀 熱い恋心。
16/3857S01 佐為王有近習婢也 于時宿直不遑夫君難遇 感情馳結係戀實深
佐為王に近習する婢(まかだち)有り。時に宿直(とのい)に遑(いとま)あらず。夫の君に遇ひ難し。 感情馳せ結ぼれ、係戀實(まこと)に深し。
全集「ここは家持が池主に対して男女の恋愛に擬していったのである」
方今 最近、ちょうど今
春朝春花 春を頭韻的に使用している。六朝風の文体。
琴罇(きんそん) 琴を弾き、酒樽から酒を酌み交わすこと
興に乗る感 楽しもうと思う気持ち。
寸分 ちょっとしたもの。とるにたらないもの。
玉頤 相手の美しい顎。尊敬の言い方。玉頤を解く 顎がほころびるということで笑う。
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞]守大伴宿祢家持贈大伴宿祢池主悲歌二首 / 忽沈枉疾累旬痛苦 祷恃百神且得消損 而由身體疼羸筋力怯軟 未堪展謝係戀弥深 方今春朝春花流馥於春苑 春暮春鴬囀聲於春林 對此節候琴罇可翫矣 雖有乗興之感不耐策杖之勞 獨臥帷幄之裏 聊作寸分之歌 軽奉机下犯解玉頤 其詞曰
#[原文]波流能波奈 伊麻波左加里尓 仁保布良牟 乎里氐加射佐武 多治可良毛我母
#[訓読]春の花今は盛りににほふらむ折りてかざさむ手力もがも
#[仮名],はるのはな,いまはさかりに,にほふらむ,をりてかざさむ,たぢからもがも
#[左注](<二>月廿九日大伴宿祢家持)
#[校異]沈 [元] 染
#[鄣W],天平19年2月29日,年紀,作者:大伴家持,大伴池主,贈答,病気,贈答,悲嘆,書簡,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]春の花は今は盛んに咲き香っているであろう。折ってかざそうと思う手力もあればなあ。
#{語釈]
にほふ 注釈 春「朝春花流馥於春苑」を受けて、香りの意味も有している。
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞](守大伴宿祢家持贈大伴宿祢池主悲歌二首 / 忽沈枉疾累旬痛苦 祷恃百神且得消損 而由身體疼羸筋力怯軟 未堪展謝係戀弥深 方今春朝春花流馥於春苑 春暮春鴬囀聲於春林 對此節候琴罇可翫矣 雖有乗興之感不耐策杖之勞 獨臥帷幄之裏 聊作寸分之歌 軽奉机下犯解玉頤 其詞曰)
#[原文]宇具比須乃 奈枳知良須良武 春花 伊都思香伎美登 多乎里加射左牟
#[訓読]鴬の鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折りかざさむ
#[仮名],うぐひすの,なきちらすらむ,はるのはな,いつしかきみと,たをりかざさむ
#[左注]<二>月廿九日大伴宿祢家持
#[校異]天平廿年二 -> 二 [元]
#[鄣W],天平20年2月29日,年紀,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,病気,悲嘆,書簡,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]鶯が鳴いて散らしているであろう春の花よ。いつになったらあなたと手折ってかざすのだろうか。
#{語釈]
#[説明]
序文の内容を受けて歌にしている。
#[関連論文]
#[題詞]
#[原文]忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能ニ戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼々戯蝶廻花儛 翠柳依々嬌鴬隠葉歌 可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎蘭(ツ)隔テ琴罇無用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能<黙><已> 俗語云以藤續錦 聊擬談咲耳
#[訓読]忽ちに芳音を辱(かたじな)くし、翰苑雲を凌(しの)ぐ。兼ねて倭詩を垂れ、詞林錦を舒(の)ぶ。以て吟じ、以て詠じ、能く戀緒をニ(のぞ)く。春は樂しむ可(べ)く、暮春の風景最も怜(あはれ)む可し。紅桃(こうとう)灼々(しゃくしゃく)として戯蝶(ぎちょう)花を廻(めぐ)りて儛(ま)ひ、翠柳(すいりゅう)依々として、嬌鴬(きょうおう)葉に隠りて歌ふ。樂しむ可き哉(かも)。淡交席を促(ちかづ)け、意を得て言を忘る。樂しき矣(かも)。美(うるは)しき矣(かも)。幽襟(ゆうきん)賞(め)づるに足れり。豈(あ)に慮(はか)らめや。蘭(ツ)(らんけい)テ(くさむら)を隔て、琴チ(きんそん)用ゐるところ無く、空しく令節を過ぐして、物色人を軽みせむ乎(とは)。怨むる所、此に有り。<黙><已>(もだ)おること能(あた)はず。俗語に云はく、藤を以て錦に續(つ)ぐといへり。聊(いささか)に談咲(だんしょう)に擬(ぎ)すらく耳(のみ)。
#[仮名]
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],序文,書簡
#[訓異]
#[大意]はからずも芳しい音信をいただき、書簡は雲を凌ぐほどの文章です。併せて倭詩をいただき、言葉の林は錦を敷き並べたようです。吟詠したり、調子をつけて歌ったりして、ようやく恋情の気持ちを除きました。春は楽しむべきであり、春の夕暮れの風景は最も情緒深く味わうべきです。真っ赤な桃の花は、今を盛りに咲いていて、蝶々は戯れて花をめぐって舞っているように飛び回り、緑の柳はたおやかにして、愛らしい鶯が葉に隠れて歌うように鳴いている。楽しむべきです。君子の淡い交わりはお互いの座を近づけ、心が通じて言葉の必要もない。楽しいことです。美しいことです。風雅の思いは賞美するに十分です。どうして思ったでしょうか。芳しい香りのする蘭や(ツ)(けい)が雑草に隔てられていて、逢うことが出来なく、琴を弾いたり樽の酒を酌み交わすこともなく、空しくこのよい時候を過ごして、風光が自分たちを軽蔑しようとは。怨むところはここにあります。黙っていることが出来ません。世間の諺に云うには、粗末な藤の繊維で立派な錦に継ぐといいます。少しばかりお笑いぐさにするばかりです。
#{語釈]
芳音 相手からの音信 家持の書簡を尊敬する。
辱 いただく。承る
翰苑 通常は文苑。文壇のこと。ここは、家持の書簡。手紙のこと。
雲を凌ぐ 史記 司馬相如列伝「大人賦」 相如既に大人頌を奏す。天子大いに説び、飄々として雲を凌ぐ気あり、天地の間に遊ぶ意に似たり
文章の勢いがすぐれていて、雲を押し分けるほどの強さを言う。
錦を舒ぶ 錦を敷き延べたようである。
詩品「潘(岳)の詩は、爛(あざやか)なること錦を舒べるが若く」
ニ(のぞ)く 除く。
家持との恋愛発想で述べた。
怜(あはれ)む可し 大成本「おもしろし」
古義「あはれむべし」 情緒を味わう。風情を感じる。
灼々 毛詩桃夭「桃の夭々たる灼々たる其の花」 伝「灼々は華の盛也」
今を盛りに咲いている様子
翠柳 紅桃と対句。遊仙窟「翠柳眉の色を開き、紅桃瞼の新たなるを乱る」
依々 たおやかな様 毛詩采薇「楊柳依々」
嬌鴬 美しく愛らしい鶯 懐風藻 葛野王「嬌鴬嬌声を弄ぶ」
このあたりの語句は、春の景物として遊仙窟に多い。
淡交 君子の交わり。淡泊な交際。 礼記 表記「君子の接すること水の如く、小人の接すること醴(れい)「あまざけ」の如し。君子は淡く以て成り、小人は甘く以て壊す」
荘子「君子の交わり淡きこと水の如く、小人の交わり甘きこと醴の如し。君子は淡く以て親しみ、小人は甘く以て絶ゆ」
席を促け お互い近い関係になり
意を得て言を忘る 心が通じ合って言う言葉も忘れる
幽襟 風雅の思い 奥深い思い
賞づるに足れり 賞美するのに十分である
蘭ツテを隔て 芳しい香りのある蘭やツが雑草の間で隔てられているの意
自分と家持が病の為に会うことが出来ない
ツ(けい) しらん
琴チ用ゐるところ無く 琴を弾いたり、酒樽で酌み交わしたりすることが無い
令節 よい時節
物色 風物、風光
王勃「林泉独歌」相逢て今し酔はず、物色自ら人を軽みす
風光に軽蔑されるようになる
#[説明]
#[関連論文]
#[題詞]忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能ニ戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼々戯蝶廻花儛 翠柳依々嬌鴬隠葉歌 可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎蘭(ツ)隔(テ)琴チ無用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能<黙><已> 俗語云以藤續錦 聊擬談咲耳
#[原文]夜麻我比<邇> 佐家流佐久良乎 多太比等米 伎美尓弥西氐婆 奈尓乎可於母波牟
#[訓読]山峽に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ
#[仮名],やまがひに,さけるさくらを,ただひとめ,きみにみせてば,なにをかおもはむ
#[左注](沽洗二日掾大伴宿祢池主)
#[校異]點 -> 黙 [元][紀][温] / 已俗 -> 已 [西(訂正)][元][紀][温] / 尓 -> 邇 [元][類]
#[鄣W],天平19年3月2日,年紀,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,病気,慰撫,書簡,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]山あいに咲いている桜をたった一目でもあなたに見せることができたならば、何を思おうか。
#{語釈]
山峽 山の間。渓谷。谷間
見せてば 見せたならば 「て」完了「つ」の未然形
#[説明]
家持が病気で臥していて、桜の花も見せることが出来ない悔しさを言ったもの。
桜を見せるには、宴席の場が必要。
#[関連論文]
#[題詞](忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能ニ戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼々戯蝶廻花儛 翠柳依々嬌鴬隠葉歌 可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎蘭ツ隔テ琴チ無用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能<黙><已> 俗語云以藤續錦 聊擬談咲耳)
#[原文]宇具比須能 伎奈久夜麻夫伎 宇多賀多母 伎美我手敷礼受 波奈知良米夜母
#[訓読]鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも
#[仮名],うぐひすの,きなくやまぶき,うたがたも,きみがてふれず,はなちらめやも
#[左注]沽洗二日掾大伴宿祢池主
#[校異]
#[鄣W],天平19年3月2日,年紀,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,病気,慰撫,動物,書簡,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]鶯がやって来て鳴く山吹よ。ちょっとの間もあなたが手で触れず花が散ることがあろうか。
#{語釈]
山吹 万葉集中18例。 家持が歌ったものは、7例 家持の好みの花だったか。
19/4186H01山吹を宿に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ
うたがたも かりそめにも ちょっとの間も
17/3949H01天離る鄙にある我れをうたがたも紐解き放けて思ほすらめや
#[説明]
#[関連論文]