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第6章 魔の海
 
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次の朝未明、
「さらば故国よ栄えあれ。」と船は勇ましく錨を上げて金江湾を出た。
相変わらず15度右に進み、左に15度進むというジクザク運転である。駆潜艇や海防艦 そしてゼロ戦闘機護衛と、 まあまあ安心して船団は進んで行く。相変わらず見張りは、厳重に青い海を見張りつづける。昼間はまあまあ良いが 夜の海は一辺して 魔の海に変わる シーンと静まり不気味な、嫌な感じである。何処からか魚雷がとんでくるような感じで、足がガタガタト、震える。 時折暗いので、他船が衝突するかと思うように近くに現れ、あわや衝突かと吃驚する。航海士が潜水艦より、こっちが怖いよ、油断もすきもないよとこぼしていた。 奄美大島が近づき、危険な海を走り続け、無事船団から離れる。
この船団も、これからが危険の海だ。何処に行くのか南方は間違いないが、無事に食料弾薬届けて内地に帰れる船は何艘になるか、考えるだけで悲しく、とうざかる船団を見て無事を祈るだけで胸がじんと熱くなる。

南方へ
静かな奄美の海を暫く走り続け、なんとか無事に海軍基地に着いた。ご苦労様どころか、直ぐ荷役準備で、てんてこ舞である軍部も焦っている。   
何時敵機動部隊が来るか、この前のようになったら大変と必死の荷揚げ作業始まる。
設営隊達は、どやされ蹴られ殴られ、必死に荷揚げ作業をしていた。
荷役機械が故障しないよう、点検したり油をさしたり忙しかった。
こんな時故障でもしたら隊長に、殴られるぐらいではすまないからこっちも必死である。
何とか無事荷揚げ作業も終り、船長始め全員ほっと胸をなでおろし安心した。 
物のない戦争の時なので一艘の船が沈められたら大損害である。 補給が止まり、戦争に負けることになる。輸送は重大な任務である。
古仁屋港で燐鉱石を積んで帰るらしく直ぐ古仁屋港に向け船は回航された。
大島で二番目の大きな町らしい。

地図奄美大島

何処で戦争しているのか静かな町に見えた。
昼頃日焼けした人夫が、がやかやと賑やかになり船に乗り込んできた。
その内だるませんが、横付けされた。燐鉱石て、どんなものかと覗いて見ると、只の泥土がつんであった。
「へー、これが、海鳥の糞なんて。これが肥料になるのか」と不思議に思った.
粘土のような土を積むので結構時間が掛かり、おかげでみんなつかの間の骨休みが出来た。 兵隊たちもみんな交代で上陸していた。
我々も合間を見て上陸し、学校に行って鉄棒をしたり、玉突きをしたり自由に遊んだ。町が狭いのでだいたい行く所は同じになってしまい、必ず誰かと会った。
「店屋で、椎の実を売っている。」と、兵隊が教えてくれた。
お金を使う所は映画館ぐらいなものだから、 すぐ行って見る。そして釜で煎り、転がし焼いて栗のように皮を取り食べた。初めて食べたが香ばしく美味しかった。田舎にはないので南国だけのものかと思う。
「店の娘を嫁にくれ。」 などと、みんなで冷やかしたり冗談を言ったりして面白かった。何もかも忘れて笑った。 おばさんの言葉が何を言っているのか分からず、こどもや娘に、通訳させて笑ったりした。私たちは兵隊と着るものが同じなので、「兵隊さん兵隊さん」と尊敬され嬉しくなった。
船に帰ると、何時の間にか隣に大きな素晴らしい病院船が電気をこうこうと点けていた。 音楽まで聞こえる。吃驚することに看護婦さんの姿も見える。「素晴らしい。日本にもこんな船があるなんて。ボートの数も数えきれないほどある」と、ただ、ただ驚くばかりである。
明日朝早く出港すれば夕方明るいうちに鹿児島に着くとの話に、またまた驚く。ブラジル移民船欧州航路らしい。
一週間くらいで積み荷役は終わった。
穴のあいた船にこんなに重い土を積んで帰るのかと思うと心配だし、余り荷物を積むと速力が出なくなるので不安でもある。
帰りを思うと心が沈む。 
敵の空襲から逃れるため、湾のいりくんだ所に避難し船団待ちをする。 
一週間過ぎたころ、基地の信号所と連絡を取るため、望遠鏡と手旗を持ち上陸した。この辺は海軍の、民間人立ち入り禁止区域なので、事情を話して通してもらう。敵の上陸に備えて周りは塹壕が掘られ、山には私たちが積んできた三十八インチ砲が厚いコンクリートの中から湾に向かって首を出していた。敵もこれを撃たれたら、たまらないだろうと、思った。 途中老婆が籠を背負い稲かりをしていた。 

忘れもしない時、12月8日大東亜戦争の始まった日の田舎を思い出す。あの日の故郷の大雪を思い出し、奄美の島は暖かいと感じた。
あの日大雪で、大人が雪を踏みながら道を作ってくれる、その後に続いて学校へ行く。途中ラヂオの無い田舎の貧乏百姓の私たちは金持ちの家の息子から、アメリカと戦争が始まったんだってと教えられた。
あの時はまだ戦争というものが実感としてなく平和だった。

回天

 

そんなことを考えて歩きつづけると、高台で眺めの素晴らしい所に来た。
見ると防備隊の監視所が遠くに見える。よしこの場所が良いと、手旗を出し、 コチラ、ソウシュウマル。と何回も同じ事をくり返し呼ぶ。
駄目かと諦めかけた頃、望遠鏡を覗いていた二等航海士が、「応答あり。気がついたらしい」と言う。
直ぐ、「コチラ、ソウシュウマル、レンラクコウ」と送ると、
「リョウカイ。マテ」と返して来た。
今度は私が望遠鏡を覗き、士官がメモを取る。
「マルヒ。マルマルジ センチョウ、カイギニコラレタシ」
「 リョウカイ」と答えて、我々の目的がすむ。また同じ道を帰る。
「今度は危ないな。無事帰れるか心配だな。今度内地に帰ったら、ドックに入るかも知れないな。とか、転船する者もいるだろう」など変わった情報を教えてくれた。  
田辺士官は千葉県出身の人で私のことを良く可愛がってくれた。色々仕事のことや社会のことを教えてくれた。
山道を登ったり下ったりしながら帰る、途中、水も無く、腹が空くし、喉はカラカラに乾くしでへとへとである。 
迎いに来た伝馬船に乗って帰ると、待っていたように、
「ご苦労さん。ご苦労さん。 疲れたか」と船長が自分の子供に言うように気遣ってくれる。
舵取りの連中など船長に怒鳴りちらされるが、安藤と言うと自分の子供のように可愛がってくれた。
見張りの時など士官の世話をする一等ボーイのサロンが運ぶ紅茶や乾パンなど、
「飲んでも良いよ。食べろ」と言ってくれるのである。
私だけ可愛がられるので、よく上の連中に嫌がらせされたり、皮肉を言われたりした。
沖縄の方から帰ってきたのか、ほつん、ぽつん、と船が港に入ってきた。
あの船団が無事だったのかどうだか聞きたい。しかし、何もかも秘密である。何も聞くことは出来ない。
「今度はだめか あの世行きか」
今度こそみんな無事に帰れないだろうと覚悟しているようだ。
「いよいよ来る時が来たか。というきもちである。」
船長が会議に行き、帰ると、いつもと同じく、
「敵潜水艦が増えていて、かなり沈められているらしい」と言う。

「今度帰れば、大阪ドックに入り浸水個所を修理するので家族に会える。みんな、部屋などに割れ物などを置かないように注意し、何とか無事に帰れるようお願いする」と言われる。 
「大丈夫。やられてたまるか、」
「よし。大阪だ。彼女が待っている」
「帰ったら松島総上げでモテテ、モテテ帰れないぞ」など、みんな大阪を夢見てはりきっていた。
成るように慣れという気持ちである。

次の朝早くいよいよ船は内地に向けて出発した。

飯を運びながら周りを見ると、上陸用舟艇やキャッチボートの護衛艦、駆逐艦、貨物船などが五、六雙右へ左へと、のじ運転を繰り返しながら大きな波に揺られて走っていた。
船橋では兵隊や水夫たちが見張りをしていた。
しけのため、波しぶきで船は大きく揺れていた。
しかし敵潜水艦も、しけには弱いので、その間は安心ということになる。
「しけろ。しけろ」とみんなで言っていた。
この航海が無事であれば、何とか二ヶ月間は命が保証される。
安心していられるのだ。
どんなことがあっても内地に帰りたい。
見張りは必死である。小瓶一本でも見逃さない厳重な見張りを続ける。

何とか一晩が無事すぎた。アー無事だったか。と目覚める。
みんな、普通に職場について働いていた。
洗濯したり、風呂掃除したり、食事の用意をしたりと休む暇も無く忙しい。

夕食を終わらせ、食器を洗い、夜食を準備し、八時から見張りを交替する。
船橋は真っ暗闇で、誰が何処にいるのか暫くは解らない状態だった。掻き分けるようにして、見張りにたつ。目を慣らすまでが大変であった。
ただ舵を取る音だけが、ガラガラ聞こえるだけで他はシーンとしていた。誰も喋らない。何となく不気味で足がすくむ感じで気持ち悪い。今にも白い泡の魚雷が飛んで来るようであった。
時々がだがた吊り上げ、がちゃんと石炭の燃え殻を捨てる音がした。
船は波に揺られながら黙々と走っていた。
時間が長く感じたが、どうにか何事も無く、十二時に見張りを交替した。
部屋に帰り、
「やれやれ寝るとするか」と浮き袋のひもを緩め、それを枕にして横になる。
そのうち、うとうとと眠り始めたと思ったら
「出たー」と揺り起こされる。
もう眠くて眠くて半分、
「どうにでもなれと」とやけな気分になったが、やはり怖い。
直ぐ飛び起きて靴を履き、浮き袋を着けたが、暗くてよく解らずひもが結べない。そのまま急いで甲板に出て、機関員に最初から絞め直してもらう。甲板からは何も見えない。誰かが
「甲板は飛ばされるから危ない。部屋に入っていろ」という。
通路には今さっき交替したばかりの機関部の連中がいた。
「飛ばされないように鉄柱に掴まれ」と誰かが言う。
四、五人ぐらい、鉄柱に掴まりひそひそと囁く。
「今度は駄目だ。やられるだろう」
「危ない。お陀仏だ」
「今か今か」と、いつでも海にとびこめるように暗い通路にたたずんで震えながら待っていた。その待つ時間の長いこと長いこと。
その内、急に騒々しくなり何か急いでいる声がする。
魚雷が飛んできたらしい。
「危ないと」思う間もなく、直ぐ
「爆雷投下」の声。
もう駄目だ。地獄だ。覚悟を決めた。しかし、足がガタガタ震える。
「ピカリ!」光を見た。その時、
「ドトーン」と爆雷が破裂。ぐらりと船が大きく揺れた。
「やられたー」と通路から甲板に夢中で出た。
「爆雷だ。安心しろ」と船橋から大声で言われる。
「よし。これで敵の潜水艦も沈んだろうと」暫く安心する。

機雷

ホットしたせいかそこにしゃがんだままで、うとうとする。
一時間ぐらいした頃から、地平線がかすかに明るくなり始める。
落ち着いたのか部屋に帰って寝る。
昨夜は二時間ぐらいしか眠らなかったが、次の日は何事も無かったように飯を運び、食事の用意をしてと、いつもと変わりなく働く。
昨夜のことなど夢でも見たかのように、忘れるぐらい忙しく働いた。
昼間は当直以外みんな死人のように寝ていた。
こちらは見習い、寝たくても寝ることもできない。眠くて、眠くて、脂汗が出てきた。
昨夜はどの船が攻撃され沈んだのだろう。護衛艦も遠くに見えたが、護衛していたのか逃げていたのか解らなかった。
船団は崩れてバラバラに走っていた。今晩は種子島、屋久島沿岸、あの武州が沈んだ魔の海を通らねばならない。
よく、敵潜水艦が島に隠れ、待ち伏せ攻撃をする所である。危なくなると上手く島を利用して、島影に隠れながら輸送船を攻撃してくる嫌なところである。
年を取った所帯持ちは無事に帰りたい気持ちが大きいのだろう。ビクビク怖がっていた。ただ運命に任せるだけであった。
昼間は木帆船見えたり、周りの船を眺めたりと余裕である。
部屋の掃除をするが、掃除してもごみが出ない。捨てるものがないからだ。紙くずもぼろ切れも出ない。ただ、船の錆とか毛布などの埃ぐらいしかでない。物が買えないのだからしょうがない。
持ち物は衣類以外何も無い。手帳さえない。いつ船がやられても別に失うものなどなにもない。大切なものは家族の写真ぐらいである。

みんな、お昼を食べにくると、
「おかずがまずい」た゛の、
「どうせ今晩あたりやられるんだから美味しい物をどんどん出せ」
「お汁粉を食わせろと賄い長に言っておけ」と勝手なことを言う。
私に文句を言って当り散らす。
潜水艦よりも先輩の偏見ないじめのほうが怖かった。
油物を食べた後の食器は熱いお湯で洗い、布きんで綺麗に拭き取る。
洗剤がないのだからどうしようもないのだが、ぬるぬるしているとよく先輩に殴られた。
布巾は醤油を滲ませたように汚かった。
また、いつものように夕食の支度をして、全員に食べさせ,後片付けをして夜食の準備し、八時から浮き袋をつけ見張りを交替する。
昨日と同じく暗い海を見張る。用が無ければ口は利けない。
シーンと静まり返った夜の海はとても不気味で口では表現できない怖さがあり鳥肌が立つ。
「何度に明かりが見えた」とか、
「潜望鏡らしいものが見えた」など真剣そのものである。
必死であっる。
十時頃から、船橋に船長始め航海士や兵隊が続々集まりだし戦闘体制をとり始めた。 
「配置よし」の大きな声。
そのまま暫く静かであった。

もう交替の時間ではないかと思った時、
「前方、魚雷」の声。船長が、
「面舵。取り舵」と焦って叫ぶ。
どうやら魚雷は前を通過して行ったらしいみんな驚き一瞬冷汗が出る。
全員に急いで知らせに行く。
船団は崩れてばらばらになる。待ち伏せ攻撃らしい。二本続けてきたらしい。ジクザク運転でかわしたのか、水深が深いため船底を潜ったのか定かではないが危ない所であった。
そんなことを論じている暇も無くまた後ろから一発左舷を通過したらしい。敵は後ろから追ってくるらしい。直ぐ、
「爆雷戦用意」
「用意よし」
「投下」の声かかる。
ジーと爆発を待つ。
四分ぐらすると、物凄い振動と爆発がした。適もさぞ吃驚しただろう。
暫くは安心.。ホッとしたが、まだまだ油断は出来ない。敵も諦めしぶとく狙ってくるらしいから。
必死の見張りである。誰も一言も喋らない。手にじっと脂汗を、かいている。
かなり時間が過ぎた。
「敵はもう去ったようだ」と思ったその時、
後ろの機関を狙ったらしく、また二本の続けざまに船尾を通過した。
「駄目だ。爆雷投下」と船長が叫ぶ。
「爆雷投下」と、直ぐ隊長が言う。
「投下完了」の声。
再びジーと待っていると爆発が起こりすごい振動を感じる。
こんなに長い戦闘は始めてである.。敵は沈まない限り必ずまた狙ってくるだろう。
一番近い所に逃げようという事になり航海士に調べさせたところ、甑島(こしきじま)が一番近いらしい。
「よし。進路甑島。全速力」
念のために、爆雷を投下して逃げる。
一時間も逃げると、やっと危険から遠ざかっているという実感が湧いてきた。
敵潜水艦は沈んだらうか?なかなかしぶとい奴であった。
しかし狙われた魚雷が一発も命中しなかったのは幸運の一言である。
悪運が強いのか、なんとも不思議である。

イ58

間もなく地平線も微かに白じんできて、確実に危険を脱したようである。二等航海士が、
「もう大丈夫。明日といっても・・・今日だが、部屋に帰り少し寝るように」と言われ、船橋から帰る。
甲板には機関員たちが頭から何回も、煤を被ったらしく、真っ黒な顔に唇だけ妙に赤くして、目をきよょろきょろさせていた。前と後ろが、わからないくらい黒く、土人のようであった。暑いのか、金魚のように口をぱくぱくさせ新しい空気を吸っていた。
「アー甲板部でよかった」と、つくづく思った。まったく頭が下がる思いだ。
「ご苦労様」と、心の中でささやきながら、部屋に帰って寝た。
次の朝、舵取りに起こされた。
いつの間に錨を下ろしたのか,気づかないほどぐっすり寝ていたらしい。時間としては短かったが、何もかも解からず寝ていたようだ。
船は湾に入っていた。
身支度して部屋を出ると、目の前には戦争を知らない漁村が見えた。
氏神様らしい鳥居が見えてきて、ふと田舎の神社をおもいだす。
急いで賄いから飯を運び朝食の準備をした。しかしみんな死んだように寝ているようで、誰も起きて来て飯を食べようなどと思う者はなかった。
起きているのは当直の舵取りと賄い部、そして見習いの私ぐらいなものである。

船は無人のように静かにうねりに乗りゆれていた。

 三日三晩、ろくに寝ることも出来ず戦闘に神経をすり減らしていたのだから、当然疲れきっていることだろう。誰もが欲も得もなくただ寝ていたいのだろう。
無事に生きていることを喜ぶのはその後の話であろう。
しかし戦争が終わった訳ではない。暫く生き延びただけの話でいつ何時、命がなくなるかも知れないのである。
戦争が続く限り、命の保証は無い。
きっと、この次は航路も変わることであろう。危険な場所への航海かも知れない。
その内、もうお昼の時間である。これでは朝食も昼食も一緒である。そのまま朝食を片付けて昼のおかずや飯を賄いから運び準備する。間もなく、一人二人と起き出してきた。文句でも言いたそうに不機嫌な顔をして飯を食べ始める。
半分寝ぼけているように食事を済ませ、また寝るために部屋に帰って行く。帰りがけに、
「これと、これ」
「俺もだ」と、二、三人が洗濯物を山のように出していった。
彼らは部屋に帰り、眠るだけなのに・・・・。
後片付けをして、風呂を沸かし、一生懸命洗濯をしていた。
すると、二等航海士が様子を見に来て、洗濯している私の姿を見て、
「誰の洗濯物か。そんなもの海水でゆすげ」と言って、
部屋で寝ていた連中を怒鳴りながら叩き起こす。
「貴様たちだけがお国の為に戦っているんじゃない。見習いの安藤だって飯を運び立派に戦っている。お前たちだけ、ぐうぐう寝腐って!その上、洗濯までさせるとは何事だ!」と怒鳴り付ける。
こちらは胸がスーとした。水夫見習が
「俺が代わるから寝ろよ」と言ったが、やはり、寝るわけにもいかなかった。
夕方錨を上げて船は出港した。沿岸に近い所を通り、見張りも平常要因で、熊本県三角港に向けて航海した。
次の朝起きると、池の中走っているように波も無く穏やかだった。美しい山や町が目の前に見えていた。本当に素晴らしい景色。
何もかもが夢のようであった。とても気持ちが良い。誰の顔を見ても笑顔が浮かんでいる。
「天草女にマラ見せるな。腰弁当で追いかける天草女は凄い」などと冗談を言って笑わせたりと和やかな雰囲気である。
船は天草海峡を滑るように走っていた。目の前の景色はどんどん変わって行く。その美しさが何とも素晴らしい。馬車まで見えた。
私はただ見とれていた。
もうそろそろ入港が近くなってきたらしく、荷揚げの準備で忙しくなる。
暫くして船は小さな港町に錨を下ろした。ここが三角港らしい。
お昼を食べて食堂で休憩していると、
「きゃっ、きゃっ、ばってん」などと若い娘の声がする。
「女だ」と外に出ると、手こう脚絆の女人夫が来ていた。

ウインチが動き、大きなドラムバケツに粘土のような燐鉱石がスコップで入れられ、本船からだるま船に下ろされた。
久しぶりに女を見て、どの顔も笑顔である。ハッチを覗き、
「あれは綺麗だから今晩誘おうか」とか、
「あれはどうだ?」とか勝手に審査していた。
女性の人夫達が甲板で休憩している所を若い兵隊が通ると、
「きゃー、きやー」冷やかされて、兵隊は顔を真っ赤にしていた。
「天草女には参ったよ」などと笑っていた。

ここは一軒だけ劇場があり、たまに芝居や映画をやるだけらしい。
一週間も荷下ろしに時間が掛かった。
荷役がすむと、海峡を通り唐津に向かう。

唐津に近づくと最初に驚かされた。凄いヂャンク(中国の木帆船で)一杯なのである。まるで中国にでも行ったような感じである。
ここはジャンクの基地でもあるらしい。大陸から大豆や塩とか積んでくるらしく、大きな帆を操り勇ましく出たり入ったりしていた。
「これが命知らずのマドロスかあ」と感心してしまった。
こうして唐津港に停泊する。
ちょうど内地の北九州の気候も、空っ風が吹く頃で、下着もろくにない私は寒かった。
月日の過ぎるのは早くも感じられるし、また遅くもかんじられる。
もう正月なのである。戦争で正月気分にもなれないが、そうはいってもやはり、賄い長を始め、コックやボーイ達は全員遅くまで正月のご馳走作りをしていた。
港では風の吹く中、朝から漁師達が伝馬船で何かを取っていた。海の底からロープを手繰り上げしている。
何を取っているのか聞いてみると、
「正月の料理に必ず出るナマコだ」と言っていた。
「へー、あんな物食べるなんて」と不思議に思う。ところ変われば正月料理も随分違うもんだ。

次の日朝早く起きると、機械の部品を積み。船は炭鉱の島、軍艦島あたりを走っていた。
元旦とは言うけれど、ひゅうーひゅうー風の吹く中、戦闘体制をとり、厳重な見張りを続けていた。
軍艦島は沖から見ると戦艦に見える。敵潜水艦が間違って魚雷を発射するほど良く戦艦に似ている島である。

軍艦島

八時頃全員集合して、甲板長が新年の挨拶を述べるはずであったらしいが甲板長は見張りをしていたので、残りの者達で乾杯した。
結構ご馳走があった。見習の私などは、忙しくご馳走を運んだりして休む暇が無いので、
「ご苦労様」と、コックやボーイと一緒にチップまでもらった。
「今日は掃除するな」とか、
「食器や皿の料理が減ったら足しておけ」など、初めて迎える船での正月の行事を色々教わった。
正月だからといって、余り調子に乗って飲んだり、ましてや酔ったり出来ない。まだ航海中なので安心してはいられないのである。入港準備がある。
軍港は錨を下ろせないのでブイ取りがある。
「ブイ取り」とは浮きに錨の鎖を前と後ろとをつなぐ仕事である。これが結構大変な仕事である。其れが済まないと酒は飲めない。
昼過ぎ、入口の灯台から合図があり入港する。
軍港は眠ったようにシーンと静まり返っていた。動く小さい船さえ無かった。只ブイ取りの舟が待っていた。
皆んな意気込みがあったせいか仕事は思い通りに済み、さっそく風呂に入り、昭和二十年の正月気分に浸る。酒も配給で思うように飲めないので、ゆっくり寝正月である。
次の日は荷物を下し、軍用船一時解除手続きだか何だか済ませ、一路、相の浦に向けて出港する。
夕方石炭が山積みされた波止場に繋留した。
久しぶりの岸壁である。何時でも陸に上がれ、自由に町に行けるのである。
次の日、大勢の人夫がきて、「パエスケ」と言う丸い竹の籠を、三本のロープで釣った天びん棒に石炭を一杯入れ、それを担ぎ、陸と船に渡した橋板を通ってハッチの上に運ぶ。船のハッチの上で天秤棒の一本のロープを引くと籠の重心が狂ってひっくり返り、石炭が落ちる。そんなふうな上手いやり方で積んでゆくのである。
石炭の種類が違うのか、他のハッチは普通に機械でつんでいた。
荷役の合間に山や丘のほうを歩いてみた。徴用で連れてこられた黒い顔した中国人や朝鮮人の労働者が民家に近寄って来るのをお婆さんが、
「こらー、こらー」と手を振り払って追い返すのや、石を投げたりしているのを見た。
「甘やかすと民家に来て悪い事して困ると、こぼしていた。」
二、三日すると石炭も積み終わり、半年振りに懐かしい大阪に向け出港する。
関門海峡を通り過ぎたところで、勢州丸と擦れちがう。
懐かしい兄弟に会ったように大きく手を振る。
「おーい、おーい」と声を限りに叫ぶ。
「キセンノ、コウカイヲイノル」の信号旗を上げる。
それから瀬戸内海に入り一路大阪に向かって走る。
家族が大阪で待っている連中は船が遅く感じられていることであろう。
「あと、何時間。」と嬉しくて嬉しくて、夜も眠れないらしい。

関門海峡
私達は見張りも無いし危険も無いしと、ただ安定した生活と安心して働けるぐらいの気持ちしかない。特にどうということもない。
しかし、いよいよ無事懐かしの神戸の山が見えたときは感動した。
「やっと無事にかえれたんだ」という喜びと何ともいえない嬉しさがこみ上げてきた。
年寄り連中は感無量と言ったように、ただじっと眺めていた。
もう二、三時間もすると大阪である。家族も首を長くして、
「今か、今か、まだ来ない」
と、待っていることだろう。  





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