1998年6月/7月vol.4/5
モクレンの木は大きく葉を広げ、涼しい木陰を提供してくれます。
今のシーズン、葉が主役のモクレンです。
今年は少し早くモクレンの木に夏のおきゃくさまがやってきました。
蝉です。暑い日は一斉に啼き、とてもにぎやかになります。
今日は蝉の幼虫を夫が発見しました。
ぬけがらは何度も見たことがありましたが、動く幼虫を見たのは今日が生まれて初めてです。
最初、別のパイプにとまっていたのですが、木の方がいいだろうと、モクレンの木に移してやりました。
すると木のてっぺんに向かって足場を確かめながらゆっくりと登っていきました。
蝉の一生を思うと貴重な瞬間に出会えたことに感謝、感謝でした。
平凡なような一日であっても、何気ないような一日であっても、
その日一日のうれしかったことを数えてみるとけっこうあるような気がします。
我家の第2子はかなり用心深いようです。
今年の2月に一度、6月にも様子を見に来てお空に帰ってしまいました。
そういう訳で、6月10日は突然お休みしてしまい、すみませんでした。
また、モクレン通信も今回、6月・7月の合併号とさせて頂くことにしました。
誰の作品であろうともやっぱり絵には“上手・下手”という言葉は当てはまらないと思います。
絵は、いいかわるいか、好きか嫌いかに分かれると思います。(自分の作品を含めてです。)
例として、テクニックや遠近法なんて何も知らない子供の絵をすごくいいと思ったり
ゴッホやピカソの絵をよくわからないと思ったりが、そういうことだと思います。
Mercrediでいうと、いいかわるいかの方が大切です。
いい絵か、わるい絵かはすぐにわかります。それはいいこと悪いこととは別です。
製作するとき気分がノッている、いないかが大きく関係するからです。
おまけに限られた時間内、決まられた時間内で製作するのが難しいことを私はよ〜〜く知っています。
そんな中で、私のいい絵、わるい絵の基準をお話してみます。
いい絵は自分が納得した、満足した完成になっているかということ。
そうすれば、見る側にも何か伝わるものがあるはずです。
反対にわるい絵は適当に仕上げた時です。そうすると見る側には何も伝わりません。
「一枚描けばいいんでしょ」そんな気持ちが見えてきます。
どちらも、製作時間の長短や作品の大小は関係しません。
絵は作者の思い・感情そのものです。
けれど人に何と言われようと、自分でいい絵だと思ったり、自分が満足した絵は何よりも強いことは確かです。
とにかく自己満足が第一です。
もう一つ、モチーフの相性も関係していきます。
私は毎週何か1つテーマやモチーフを用意しています。
けれど「わたしこれイヤ。○○描いていい?」と言った時、もちろんOKです。
自分で選択させます。
絵を描く予定でいても「今日絵はイヤ。工作がいい」と言うこともしばしばです。
何も準備していなかった私は「何もないよ。何作る?外に出て何か探してみようか?」という具合です。
与えられたものだけでなく、自分が描きたいものやりたいことがハッキリしているのは素晴らしいことです。
いい作品が生まれる可能性も大なのです。
与えられたものを想像以上のいい作品にしてくれることもしょっ中ですが!!
自分のやりたいことを見つけ、選び、表現する。
一瞬でも作品と自分の一対一の時間が持てたか。満足出来たか。
また、製作段階や完成作品が、お互いを刺激しあえたかが大切だと思います。
そして私は私なりにその手助けができれば、そんな空間が作れればと思っています。
みなさんのいい作品に出会える時が私の何よりの喜びです。