活動報告

戦争そして原爆 被爆二世として生きること
− 第5回被爆二世の体験を聞く会 −
 長崎県被爆二世の会では、すい臓ガンで亡くなった前会長の丸尾育朗さんが手術後、ガンを再発し、抗ガン剤治療をはじめたことをきっかけに「被爆二世の体験を聞く会」を始めましたが、5回目となる今回は、11月16日(日)10時から長崎地区労働福祉会館5階講堂において、福島と長崎をむすぶ会の共同代表を務め、高校生平和大使・一万人署名活動を支援している阪口博子さん(76歳)からお話を伺いました。

 母は、1922年生まれ、22歳の時、爆心地から約3kmの新大工町で直接被爆、その後、親戚を捜したり婦人会の活動で入市被爆した。59歳で直腸ガンを発病、2年後、肺に転移が見つかり、1987年に64歳で亡くなった。父は、1914年生まれ、高等小学校卒業(1929年)後海軍へ(訓練ののち大日本帝国海軍兵として重巡洋艦・足柄へ乗船。陸戦隊として日中戦争の最前線へ参加)。母が亡くなった翌年、膀胱ガンで亡くなった。75歳だった。/私は1949年生まれ、夜間の短大に通いながら就職。そして、結婚し、出産したが、育児と仕事の両立は困難で退職。その後、県職員組合の書記として1977年に採用され、2010年の定年まで勤務。/母が59歳で発病したことがものすごくショックだった。原爆のせいだと思った。その時、自分は二世であり、原爆の影響を受ける可能性があると意識し、二世としての運動をしていかなければと思うようになった。1989年県職被爆二世連絡協議会結成に参加。1991年の県職員原爆展の立ち上げ・開催に関わる。その後、池田早苗さんや徐正雨(ソ・ジョンウ)さん(在日韓国人)・朴?奎(「?は王に文」パク・ミンギュ)さん(在日朝鮮人)の証言ビデオ制作に加わる。原爆被爆の実態を伝えるとともに日本の戦争責任を考える。/退職後は、2011年1月〜4月被爆者地球一周証言の航海(ピースボート第4回おりづるプロジェクト)に二人目の被爆二世として乗船し、核兵器廃絶を訴える。同年12月キャスリーン・サリバンさん主催の「ヒバクシャ・ストーリーズ」に参加し、被爆証言を届ける。2014年2月核兵器絶対悪が確認され核兵器禁止条約につながった核兵器の非人道性に関する第2回国際会議に参加。2016年には安保法制違憲訴訟の原告となり、2017年には被爆二世集団訴訟原告に加わり、戦争絶対反対、被爆二世の権利を守ろうと訴えてきた。/現在の主な活動は、@2017年から福島と長崎をむすぶ会代表。現地を訪問し、福島第一原発の事故により、故郷や生活を奪われた人たちに話を伺い、同じ核の被害者としての思いを共有するために、写真展を開催している。A2011年から高校生一万人署名活動のサポーター。核廃絶へ向けて、未来を担う高校生たちとともに活動し、サポートしている。応援してほしい。/きょうだい3人ともいつ病気になるかわからないという健康不安を抱えながら、二世として生きている。二世への援護はやってもらわなければならない。また、高市首相は非核三原則の見直しをすると言っているが、とてもこわい。核を持つことは力による威嚇、戦争につながるので、私たちの役割は自分のできることで抗っていかなければならない。「微力だけど無力ではない」私も頑張っていきたい。 
(文責:崎山昇)
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