兜の下部側面に朝顔が描かれているので、通例このように呼ばれている。慶長4年(1599)9月、父の毛利輝元とともに、大坂城において初めて豊臣秀頼に挨拶した毛利秀就(輝元の長男)が、秀頼から与えられたものと伝えられ、少年用の美しい具足である。金小札紅白糸威(きんこざねこうはくいとおどし)の胴丸で、胴の仕立は長側四段、立挙三段、草摺(くさずり)六間四段下り。胸板には菊桐紋蒔絵がある。兜は烏帽子形(えぼしなり)、立物は獅噛、吹返に蒔絵で桐紋をあらわす。喉輪(のどわ)は垂三段下り。大袖は垂五段で、冠板に菊桐紋蒔絵を施す。籠手は篠金、輪鎖繋ぎ。佩楯(はいだて)は亀甲縫いで、裾板三間。臑当(すねあて)は三本篠の亀甲立挙付である。胴高27cm、兜高25cm。童具足であるが、中世からの伝統的甲胄の様式を伝え、かつ豪華な金小札と金蒔絵を加え、桃山時代の特色を見せる優品である。
現在「毛利秀就関係資料」として、萩藩の初代藩主毛利秀就所用の武具などと一括して山口県指定有形文化財に指定されている。