第十五回目は森繁久彌主演「ふんどし医者」(昭和35年・東宝)です。
恒例によりまして、まずは粗筋からどうぞ。
時は幕末。ところは東海道島田宿。かの「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」べりの宿場である。
その宿場町に一人の医者がいた。名は小山慶斎(森繁久彌)、町の人には「ふんどし先生」の異名で通っていた。
彼の妻いく(原節子)が博打好きであった。
賭場へいく時は慶斎もついていき、負けが込むと,慶斎の着物までとられて、帰りはふんどし一枚になっていた。
これが「ふんどし先生」の由来である。
ある日、慶斎のところへ一人のやくざ者が運び込まれてきた。
半五郎(夏木陽介)という若者で、刀傷が腎臓まで達するという重症であった。
並の手当では直せぬと思った慶斎は傷ついた腎臓を摘出するという大手術を敢行する。
日本ではまだ誰もしたことのないものだったが、手術は無事成功し半五郎は命を取り留める。
またある日、将軍御展医の池田明海(山村聡)が慶斎を尋ねてきた。
彼らは長崎でともに医術の修行をした仲であったのだ。
池田の用向きは慶斎を江戸表に連れて行き、医術の先生をやらせることだった。
しかし慶斎は、「自分が江戸へ行くと、この宿場に医者がいなくなるから」と出世の道を断ってしまった。
この話を聞いていた半五郎。慶斎の想いに感動し、医者になる決意を固める。
12月20日に掲示板にも書きましたが、私はこの作品で生涯初めて映画で涙するという体験をしました
。いい映画なんですよ。
この作品の序盤から中盤にかけては、どちらかといえばコメディテイストです。
社長シリーズやなんかで慣らした森繁久彌の、喜劇芸が光るところであります。
後述しますが、原節子もいい味を出しています。
このあたりでは、まさか泣いてしまうなどとは思ってもいませんでした。
私が泣いたというのはラストシーン、町の人々が慶斎の屋敷を建て直すところです。
上記の粗筋には書いていませんが、あの後事件が起こって慶斎の屋敷は町の人から打ちこわしを受けるのです。
そして、その時来合わせていた池田が
人々に「慶斎は出世の道を断ってまでこの宿場に残った。」と説くわけですね。
それで「先生、すいませんでした。」ということになるんです。
私の文章力では分かりにくいですが、このくだりが実に感動的なのです。ここで涙がこぼれました。
とりあえず涙の話はそれくらいにして、次のお話に移りましょう。
本作品のポイントを挙げていきます。
第一は原節子です。このサイトでも紹介したお嬢さん乾杯で上品なお嬢さんを演じた方で、
今回は慶斎の妻役です。それも無類の博打好き。
普通博打好きの女というと、片肌脱いで見たり、男言葉を使ってみたりするわけですが、
さすがは原節子、上品です。賭場でも口調はやはり「ございます」なんです。
これが、他の女優さんでしたらケチをつけるところなのですが、不思議と原節子がやると違和感がないのですな。
雰囲気のある女優さんです。
第二には森繁久彌演じる慶斎の人間臭さです。
この慶斎は俗に云う、完成された人間ではありません。
怒りもすれば、泣きもする。人に嫉妬もしてしまうという人物です。
そして、この「嫉妬」という部分が本作のキーポイントであります。
ズバリ「若さに対する嫉妬」です。これは、作品のテーマともいえるかもしれません。
立派な医者になって帰ってきた半五郎を見て、自分の老いや知識の少なさを嘆き、
若い半五郎や自分の周りに当り散らす。
それが滑稽でいて、尚且つ絶妙な哀愁を漂わせているのです。
私はNHKのBS放送でこの作品を見ましたが、
今のところ残念ながらビデオ化・DVD化共にされていないようです。
ですから、今後テレビやどこかしらで上映会があったら、迷わずにご覧ください。
絶対お勧めの一作です。
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