Mr.Kさんのコラム 〜ファシリテーションを学び始めての副産物〜 |
Mr.Kさんが足跡のページに書き込まれた、ファシリテーションを学んでからの様々な場面での考察を、こちらにまとめました。人間関係ファシリテーションから学べることや気付くことはたくさんありますね・・! ぜひ感想などもお待ちしています。 |
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0.昨日わが社でミーティング中の出来事 2004/12/02 担当者に「じゃ、よろしく。」と終わらせようとしたときの表情に・・・不安の影。 「どうした?なにか気になることがあるのか?」と聞いてみると いくつかの不安が出てまいりました。その一つ一つに解決策を提示してあげて 一段落ついた時、その顔は晴れ晴れとしていました。 そして私は「あのままにしておかなくてよかったな」と思うのです。 今どんな気持ち? この問いかけの持つ意味はとても大きい、そう思います。 相手が応じてくれて気持ちを話してくれれば 問題解決や相互理解が進む場合もあるし、 仮に応じてくれなくても、「君の事を気にかけている・・・」ということを相手に伝えられます。 これはとてもいいことだと思いますが、いかがですか? 私のファシリテーション体験の副産物です。 |
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1.他者への深い関心 2004/12/04 ミーティングの事例を出しましたが、その人が今どんな気持ちなのか。 そのことに気持ちが行くだけでも、人間的に大きな成長への第一歩だと思っています。 もちろん、そのことが全ての人を許容できる理由となるわけではありません。 関心を向けることと、わかることと、さらに許容できることは全く違うと思います。 ただ何も気づかずに、今までたくさんの人を傷つけて生きて来たのだと気がついたこと は私にとっては成長の証です。 私はとても人の好き嫌いが激しかったですから(笑)。これからは少しはその欠点が直る 予感がします。 つまり、ファシリテーションを学ぶことで私は他者との関係をより深いものにする術を 学んでおります。 |
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2.自分自身を知る 2004/12/04 感情が人の行動や考え方を支配するということに気がつけば、それは自分自身にもあて はまるということにも当然気づきます。 なぜ今自分は怒っているのか、なぜ気に入らないのか、どうして嬉しいのか、悲しいの か・・・ それを知ることは私にとってとても大きな発見でした。なぜなら今まではそれらの原因 は他者にあると思っていたからです。 しかし感情というものの正体を見ていくと、どうやらそう思うのは、私自身に原因があ ることに気がつくのです。つまり、そう思う自分がいるからそう感じるのです(笑)。 くどいようですが他者の言動は同じであっても自分自身がそう思わなければ先ほどの感 情は違ったものになるのです。 そう考えたときに、私は15年前の独立時に、ある恩師からいただいた「真の主体性」と いう言葉を思い出します。ビジネスにおいて成功も失敗も全ては自分に原因がある、他 者にその責任を転嫁してはいけないというものです。 奇妙な概念の一致がありませんか。真理というものは案外こんな風に繋がっているもの かも知れません。 |
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3.感情の呪縛から解放 2004/12/05 感情についてもっともっと知ることができたら感情から解放・・・というか、独立でき るのではないかと思っています。今少しずつですが激しい感情の波に翻弄されることか ら解放されつつあります。 「なぜそう感じるのか?」 という問いを自分自身に行えば、その根本にあるものが見えてきて、自分自身や取り巻 く人々を含めて感情と上手に付き合うことができるのではないかと思っています。 そして自分自身の成長を促せる。そんな気がしています。 おりしも今日(4日)見たTV番組「世界一受けたい授業」の三時間目、『辛淑玉流怒り方 講座!!』は、思わずうなる内容でした。 辛氏いわく、上手な怒り方とは「問題解決型」であり、そのためには怒りを一晩寝かせ ろ、とアドバイスしておられました。 その間に、なぜ、どの点に怒っているのかを考えてそれを解決するための提案を言葉に して伝えるのがよい、ということでした。 怒りにまかせては、うまく言葉を伝えられないらしいです(笑)。 それにしても、「怒ること」とは『言葉によって、人間関係を再構築する行為だ』とい う言葉には正直しびれました。 言葉を失い人間関係を崩壊させる、暴力行為である「キレる」とはその点が異なるとい うことなんですって! 怒りというとても強い感情からも、解放され主体的に人間関係を再構築するという建設 的な行為に変えられるというのは、本当にすばらしいことですね。 |
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4.心(感情)の浄化 2004/12/05 これは主に体験学習の循環過程を経験して以後の私の感覚ですが、指摘の段階で行う自 己開示は計り知れないリラクゼーションの効果を私に及ぼします。 自分の感情を人に話すことがこれほど、精神を安定させるものだと思いませんでした。 「懺悔」というものを経験したことはありませんが(笑)おそらくこんな感覚なのではな いでしょうか。 私は日常的に、会議や1対1の厳しい葛藤が起きた時などに、すすんで自己開示を使うよ うになりました。 つまり私が、このような反応をしたのはこんな気持ちだからだ、とかこんなことが気に なるから、説明を求めるのだ・・・などです。 このことが全ての対人葛藤において、100%うまく関係修復をしてくれませんが、それで も喧嘩別れはしなくてすむようになりました。 少なくとも私は、感情的なしこりを残さずにすむようになりました(笑)。とても清清しい状態 でいることができます。「できるだけのことはした」という感覚に近いです。相手も少しは 私の反応の意味がわかって、ちょっとは私のことを考えてくれるような気が します(笑)。 今私が思う理想的な人間関係は、葛藤が生じた時に感情に任せて議論するのではなく、 お互いが自己開示によって、相手を理解し、できれば許容することができるような関係 です。そんな関係を築いていきたいです。 |
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5.不屈の忍耐力 2004/12/05 人と関わる、自分自身を理解してもらうということにとても忍耐強くなってきています。 人間関係は得てしてとても泥臭く、複雑で、一筋縄ではいかないものばかりです。 ひとたび葛藤が起きれば、簡単に壊れそうになります。今まででしたら、あっさりと割 り切って切り捨てたような関係にたいしてさえ、今は何とか関係を修復するように努力 するようになりました。それも忍耐強く!決して諦めない(笑)・・・そんな姿勢に変り ました。 たぶん、それは相手を尊敬することから始まっているように思います。そして尊敬する にまで至る、その人を理解するということにファシリテーションのスキル(知識)がと ても有効な気がしています。 |
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6.リーダーシップの軟弱化? 2004/12/08 おはようございます。 いくつかの好影響と感じてる副産物を書いてみましたが、よいことばかりではありませ ん(笑)。 まだはっきりとその影響の大きさを図りかねているのですが・・・ それは、あまりに人の感情を気にするあまりそれがリーダーとしての力強さにマイナス を及ぼすのではないかという懸念です。 悪く言えばご機嫌取りになりかねない。 経営者としての立場で若干気になるところです。 ただ今は、わかることとそれに引きづられることは違うと考えております。 つまり相手の感情を知った上で、わかるけれど・・・こうして欲しい!という局面はあ るだろうということです。要はバランスですね。 イケイケどんどん!の強力なリーダーもあるでしょう。しかし人間の感情の機知を知り ながら、それでも苦渋の決断をしなければならない・・・それもあるのだと思います。 そのうち・・・人生の酸いも甘いもかみ締めた渋〜い、中年になりたいです。 顔を見ただけでこの人は只者じゃない!と人が感じてくれるような面構えになりた〜い(爆) 失礼しました・・・m(__)m |
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7.沈静化された感情/人間性 2004/12/08 おはようございます、その2。 さて・・・負の側面、その2??。自分の感情をあまりに冷静に分析する癖がつき、そ れを理論的に相手に伝えることに腐心するあまり、自分は人として面白くないタイプへ 向かっているのでは?と感じるときがあります。 ファシリテーションは今のところビジネスの場面で多く活用しておりますが、これが家 族や友人とのプライベートな場で多用されるとどうなるのでしょう・・・。 たしかに穏やかな、いい人間関係・・・となることでしょう。(表面的に?)でも・・ ・・もっと感情をぶつけ合うのが身近な人間関係ではないのか??? これもわからずにぶつかるよりは、わかった上でぶつかったほうがいい!ということな のか、どうなのか。 本当は別の次元の話だというような感じもしておりますが、物分りのよすぎる人間とい うものが果たしてよいのかどうか・・・ 魅力ある人とはどういう人なのか・・・ 人生は本当に悩ましいです。 |
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8.エピソード2 2004/12/15 こんばんは、Kです・・・(^_^;)。最近何かというと「今の気持ちは?」と聞くので、 なんだか・・変人扱いされとるとです。・・・Kです。 さて、去年の夏のこと、私は子ども会のキャンプの担当でした。夜は楽しい飯盒炊飯、 バーベキューなどなど・・ そんなイベントのひとつにキャンプファイアーを計画しました。そこで覚えたてのファ シリテーションスキル(笑)。キャンプファイアーが始まるときに子供たち、保護者(も ちろん私も)全員に「いまどんな気持ち?」という質問をして自分の気持ちを言っても らいました。 楽しい遊びや歌を経て、最後に「今どんな気持ち?」と聞いてみました。みんなとても 楽しかったといってくれました。 私はみんなの気持ちを知ることができて、とても気持ちがよかったのを覚えています。 最初と最後にみんなの前で自分の気持ちを言ったこと。そのことが想い出をより鮮明に 刻むことを願っていました。 そして何をするにも、複数の人が集まればそこにいろんな感情があることに気づいて欲 しかったのです。 キャンプファイアーに照らされた友達の顔をずっと覚えてくれてたらいいなぁ・・・と 思いました。 |
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9.意外な事実 2004/12/15 熱心に相手の感情を探ることは、私をとても不思議な世界に導きます。 「どうしてそうなんだ?」という批判や怒り、あるいは失意の感情は時として、身勝手な 突拍子もない言いがかりである、という気がするからです。 問いただせば、「そんな風に言ってない」という返事がとても多いのです。これは一体 どういうことでしょう。「そんなことは言ってない・・・。」では、あの言葉は何?ではどうい う意味?? まろさんのスキル研修でもテーマになりましたが我々は、自分の先入観で判断すること が意外に多いのです。例えばこの例では相手の使う言葉とセットになった、今まで私が 経験したことのある感情が固定観念として私をミスリードします。 もし激しい感情がわが身を駆け巡るほんの一瞬前に、それは、こういう意味か?と問い ただせたら状況は一変するでしょう。人間関係も全然違うものになります。 ひょっとしたら・・・自分の周りには私の知らない世界があるのではないか、という意外 な事実に気づき始めています。 ひょっとしたら、今まで思っていた人間関係は、私の勝手な思い込みではなかったか。 そう思って周りを見渡すと、確かに違うものが見えてくるのです。 |
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10.感情が動き始めるその時に・・・ 2004/12/16 今気をつけていることは、相手の話が始まった時の反応です。特に話し始めの数秒で どうやら私の固定観念は動き始めることに気がついたからです。 ひどい時は話しが始まった時に勝手に、話の内容を判断し即座にコメントを準備してし まいます。そして相手の話を遮り、何かを言ってしまうこともあります。 ほとんどの場合、そんな時のコメントは批判的です。(笑)。感情が即座に反応するから でしょう。ここでちょっと待つことができたら・・・相手の話をよく聞いてみたら・・・相手の 感情を探ってみたら・・・ 人の話に対する私の反応はずいぶん変ってきました。まず聞いてみる・・・コメントはそ の後で(笑)。それからもうひとつ、コメントは聞かれたら言おう(爆) 単に聞いてもらいたいだけ、あるいは話したいだけなのかもしれませんから。 |
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11.言葉を選ぶ 2004/12/16 私に固定観念があり、相手にも別の固定観念があることを考えれば、使う言葉に気を つけることはとても重要でしょう。 相手が辞書に載っている意味で、言葉を使っているとは限りません。そして私が使う言 葉の意味は私だけのものかもしれません。 相手がどんな人か日頃からわかっている時は言葉の意味もだいたいわかりますが、初 めての人や付き合いの浅い人への配慮はとても重要だと思います。慎重に言葉を選ぶ ようになりました。 それも相手が理解できる言葉はどんな言い方か?ということが大事なんだと気づきま した。通じないときはなんど、同じ言葉を繰り返してもダメなんだと思うのです。 そして、その言葉を発したときに、相手の反応を確認しています。ちゃんと伝わったか どうか・・・。相手が理解してくれたかどうかを気にする前に、伝わったかどうか。 私にとってこれは大きな変化であります。 |
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12.生まれ変わる 2005.1.16 最近雰囲気が変ったねと言われました。どうやら大人になったらしいです(笑)。 そういわれれば、自覚がないこともないですが、え?じゃ、今までは?と突っ込みたくも なります。(爆) 私は18歳と29歳の時に、ほとんど別人のように変った経験がありますが(笑)、たしかに その時と同じ様な感覚もあります。 実際には周りの世界がまるで変ってしまったという印象なのですが、おそらくそれは自分 の内面、精神が変化したからに違いありません。そして今回の変化は、明らかにファシリ テーションに触れたからです。 そして共通して起きることは「価値観の変化」ですが、今回私は人間の感情というものの 正体に触れ、その力の大きさにはっとさせられました。 私は常々人間は成長すると「理知的」になると思っていました。それは知性の力を信じる という意味です。学ぶこと、教養というものへの信奉とも言えます。 しかし最近、人間の成長とは「理性的」になるのだろうと思うようになりました。これは『感 情を上手に扱える』という意味です。 この価値感の変化は、とても価値があると思っています。私は今からでも「りっぱな大人」 になれるのだと嬉しくなりました。 |
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13.聞く態度 2005.1.16 ファシリテーションを学びながら、気をつけるようになったのは、人の話の聞き方です。 感情というものに意識をあてれば、なにかほかの事をしながら上の空で聞くことは、大変 失礼であるだけでなく、相手の感情を逆なでする可能性があると感じたからです。 ちゃんと聞いてるじゃないか、とは自分だけの勝手な感情であり、相手には態度で示さな いと伝わりません。 どんなに忙しくても、自分の手を休め、相手の目を見て聞くようにしています。 「聞いてくれている」という感情を相手が持つか持たないかは、その後の話の進展にとても 大きな影響を与えると感じています。 直接的には、人間関係が良好な雰囲気になるわけですが、間接的にも話の質がより良く なる気がします。よいアイディアが出たり、会話が効率的で短くなったり、いろいろな効果 を感じます。 間違っても、何かほかの事をしながら聞いてはいけないと思います。 もし相手がそのような態度だったら、恐れずに「聞いてる?」とか「こっちをむいてくれ」と言 うようにしています。 そのことがとても大事なことだと気がついたら、はっきりと言うことができるようになりました。 単に失礼だとかのマナー問題ではなく、コミュニケーション上とても大切なことだと気がつい たのです。 |
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14.理解と同意 2005.1.16 「うん、そうだね」「なるほど」と言う言葉は話し手にとても、よい効果を与えてくれます。 そしてそのことは二人の関係をとてもいい感じにしてくれます。このことは、良く耳にする ことだし、あたりまえだと思われると思います。 ではその理由はなんだと思いますか? 私は感情に着目することで、なぜそうなのかが判る気がします。 それは実際に自分が話しているときに、一番欲しい答えがこれらの言葉だからです。 だれかに何か伝えたいとき、何よりもわかって欲しい、同意して欲しい・・・。 それが最も強い欲求だからです。 日常よくありがちなのは、同じ内容を言い換えて返事をすることです。 返事をした人はちゃんと理解したという意思表示のために言い換えるのかもしれません。 私も良くやりました。 でも最近逆の立場におかれると、とても不安になることに気づきました。 本当にわかったの?聞いてた?やはり欲しいのはもっと直接的な言葉です。 これからは相手の話に納得できたら、その確認のために言い換えをする前に、素直に理解 と同意を表明することを心がけたいです。 |
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15.感情のお手玉 2005.1.29 今日もひとり、感情のお手玉をしましょう。 コミュニケーションが言葉や感情のキャッチボールなら、 ひとりでいろんな感情と向き合うのは、さしずめお手玉みたいなものですね。 ファシリテーターの時にはできるだけ、ニュートラルな感性が求められるのだと思います。 私の日頃の感性は少し偏っています。その偏りは少し見栄っ張りで、頭でっかちだったり、 極端にエゴを嫌うところに起因していると思っています。 そのことに気がついてから、今は少しずつそれを中立の位置に持っていくように頑張って います。 「あ、また思ったね」と時には自己嫌悪に陥ったりするけれど、繰り返し指摘すれば少しは 成長もするでしょう。 まあ、そんなに自分のことを嫌いじゃないですから(笑)。きっと大丈夫でしょう。 |
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16.一番好きな言葉 2005.1.29 言葉と感情の密接な関係に気がついた時、感情を探るために言葉に注目するのもいいん じゃない?と思いました。 くるくると空中に放り投げ、順番に落ちてくるものをつかんではまた放り投げる・・・・ そんなお手玉を繰り返しながら、自分が一番好きな言葉はなんだろうと考えました。 きっとそれが、私を私たらしめているものだと思ったからです。 答えは「ありがとう」でした。 しばらく考えた結論は、今までの人生を振り返っても納得のいくものでした。 私はどんな苦しみや、怒りや、悲しみ、そして喜びの中にいても「ありがとう」と人に言われ ればシアワセを感じます。そしてその人を受け入れられます。 そして人には「ありがとう」と言って欲しいと思っています。そのため「ありがとう」を期待した ときに、そういってもらわないと私はとても不機嫌になります(笑)。 どうして怒っているのか?と不思議なときは決まって、ひとこと言ってくれなかった事に対し て怒っている場合が多いです。 時としてこのことが、私のコミュニケーションの障害になるときもあります。 「ありがとう」を強制してこじれた事も、言ってもらえずその人をずっと今でも嫌いだったりします。 ここのあたりがもう少しじょうずになればなぁ・・・ |
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17.素晴らしきかなスポーツ少年団 2005.2.7 去年の4月、小三の息子がサッカークラブに入ってから土日は送迎や試合の応援をする という生活です。 先日ふと見ると練習の合間に、どういうわけか喧嘩が始まっていました。 珍しく息子が馬乗りになって押さえつけたり、かなり激しく争っています。 気になるところですが、そのままにしておきました。しばらくして気がつくと、ひとり皆から 離れて涙ぐんでいるようでした。 事の顛末を知らせてくる子、間を取り持つ子や非難する子、かばう子・・・皆が大騒ぎです。 やれやれ・・・・・と、それでも知らないふりして別の試合を見ていました。 15分位経ったでしょうか、ふと見るといつの間にか皆が仲良くじゃれあっているのです。 その光景を見ていて、先日参加した東京のスキルコースの「よいグループとは?」という テーマを思い出しました。 あんなに激しく感情がぶつかっていたのに、感情が収まれば、それを受け入れて(あるいは 受け流して)しばらくたつと何事もなかったかのようです。 彼らが自分の感情を分析し、それをうまく伝えようと努力していないのは明白です。 しかし素直に自分の感情を相手にぶつけることに、少しの躊躇もない姿にとても感銘を 受けました。 私たち大人ももっと素直に感情をぶつけてもいいのではないか?ちょっと臆病過ぎるのでは? と思いました。 結果として表面的なかかわりしかできていないのではないか。そんなことを感じました。 これもファシリテーションを学び始めた影響でしょう。 そういえば遠い昔、私にも喧嘩しても喧嘩しても遊びに行った友達がいたなぁ・・・と、 懐かしく思い出しました。 | |
18.心で感じるもの 2005.2.25 長渕剛の歌に「しあわせはなるものではなく、感じるものだ」というフレーズがあります。 昔から知っている曲なのに、いまこのフレーズに心が留まるのはファリテーションを知った からでしょう。 我々が失望したり、不満や不平を言っていることの多くが、 単に心が感じているだけのものに過ぎないと思うことがあります。 それならば・・・とためしに自分は今シアワセなのだと無理にでも思い聞かせたら? そのときから幸せになるから不思議です。 大学の頃に流行った歌で「シアワセを数えたら片手にさえ余る、不幸せ数えたら両手でも 足りない・・・」というのがありました。 なるほど不幸な人なのだなと思うこともできますが、この人でさえ何をシアワセにカウント するか、何を不幸せとして数えるか・・・ その基準がちょっと変ったら、同じ人生でもまったく別のものになりますね。きっと。 子供のころとてもつらいことがたくさんあった気がしているのに、今数えてみるとシアワセな ことが増えているのはどうしてなんだろう(笑)。もう変りようの無い過去のことなのに。 さて自分のことならこんなに内側へ入り込めるのに、自分以外の人の心・感情をどう探って いくのか、あるいは見守るのか。 これがとても難しい。その人の心がどう感じているのか・・・わかるわけ無いですよね。 まだ道は始まったばかりで、これからの果てしない先を傍観すれば気を失いそうになるけれ ど、これも心が単にそう思っているだけのこと?そんなに茨の道じゃないはずですよね? きっと(笑)。 |
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19.無理強いはいけません 2005.2.25 ファシリテーションを学びはじめ、「なるほど人間は感情の動物だし、その感情をうまく コントロールできたり、あるいは知ることはとてもいいことだ。」 そう思ってだれかれとなく、感情を出し合うことに積極的になったり(若い頃から私は 自己開示が苦ではありません)人の感情を探ることに積極的になった矢先、その事件 はおこりました。 人間関係のきしみ、感情の爆発、そして残った「しこり」。それは今も形を変えて潜んで いるはずです。表面的には見えなくても・・・ 原因をあれこれ考えてた末にたどり着いた結論は、「感情を出し合い、葛藤を恐れず 立ち向かい、その葛藤を超えてこそ、すばらし人間関係が構築できる!」と思ったのは 短絡的であったということです。(反論もあると思います、しかし私はそう感じました)。 そのような内面への洞察ととても苦しい感情との向き合いという行為を望まない人も実 はたくさんいるということです。 そのことに気づくのにこんなに時間がかかるなんて・・・とおかしくなりましたが(今は当 たり前のことたど思うからです)。 私の感情を探る行為が、相手の眠っている感情を呼び起こし、その結果人間関係はと ても危ういものになりかけました。 「そこを解決して超えて行きたい、行くべきだ」と言う私の感覚と「そうではない、そこに 焦点をあててはいけない、それはどうしようもないことなのだから、そっとしておきたい」 という相手の感覚が真っ向からぶつかるとそこには解決の糸口はありません。 私が未熟なためでしょうか。いまの私が得た教訓は「誰でもが意欲を持って感情を扱い たいと思わないのだ」ということと、「問題の根っこが確かにそこにあることがわかってい ても、それを表面に出すことが問題の解決への道とは限らない」ということです。 そしてそのような問題を深い底に秘めつつ、それ以外の部分ではちゃんと交わっていけ るならそれでいいのかもしれないと今は思っているのです。 今回のことは、何かを学び夢中になると嬉しくて嬉しくて、そのほかの事をみんなその モデルで扱いたくなる、子供の頃からの私の性質がはからずも再認識されたということ でした。 |
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20.♪この支配からの卒業♪ 2005.3.4 尾崎豊がなにから卒業したかったのか・・・それは永遠のなぞですが、最近少しずつ 感情の支配からの卒業ができつつあるKです。 広島の理論コースにて、「発生した感情を抑えようとする感情」にコントロールされてい る状態というのを認識することができました。 そして私は最近、見事に(笑)この「発生した感情を抑える感情」にコントロールされるこ となく、かつ発生した感情を霧散させる経験をしました。 それは本当に他愛ない日常の中の出来事でした。ある事柄をしてくれなかったことに 焦点が当たりすぎ、私の感情が煮えたぎった時のことです。 私は冷静に感情と向き合う余裕があったため、次第にしてくれなかったことから、その 代わりにしてくれたこと、へ関心を移すことができました。 してくれなかったことは、私がして欲しかったことですが、してくれたことは思いがけない ことでした。次第に私はしてくれたことへの感謝を感じることができ、怒りの感情は本当 に・・・霧のように去りました。 これって、結構いい話しでしょ(爆) それからもうひとつ。会社であることを知らされていなかったことがわかった時のこと です。とても不愉快だったし、業務上も問題があります。 怒りに任せて注意することもできましたが、なぜ怒っているのか、を説明することが できたので相手は次からはどうしたらいいのか、を考える方向に気持ちが向いてい るのが確認できました。そして話題はもっと前向きな会社の将来へと発展していきま した。 これも、結構いい話しです。(^_^) |
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21.感情と表情について 2005.3.6 ファシリテーターは感情の動きに敏感でなければならないと聞きました。 直接感情がつかめない他人場合は、表情なり態度なり表面に現れてきたものを見逃 さない観察力が大切だとも教えられました。 しかし中には表情などの表面に感情がでにくかったり、あるいは別の様に現れる人が います。どうすれば内面の感情を推し量る能力を高めることができるのだろうと考えて みました。前回の理論研修を受けたときに感じたことですが私は2つのことがヒントにな ると思います。 ひとつは自分自身をサンプルとすることです。 自分の感情は手に取るようにわかるので、あとはその時どんな様子に見えたかフィード バックしてもらうのです。 見え方と感情の相関を検証することによって感情の動きに敏感になる精度を上げてい けるのではないかと感じました。 そしてもうひとつ大事なことは、自分をサンプルにしつつ、自分自身の感覚にとらわれ すぎないということです。あのように見えたときは自分はこんな感情だった・・・はひとつ の参考にはなりますが、絶対ではありません。過度な自信は自分自身をミスリード するでしょう。 感情と表情の相関を高めるためには、様々な人との多くの体験が必要なのでしょう。 結局は人生そのものが教材なのだと感じた今週でした。 |
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22.感情に勝つとき負けるとき 2005.3.8 先週末からいろいろな場面で自分の感情と戦うことが続いていて、いろいろと学んで おります。 先週ある感情をうまくコントロールできて、冷静な自己開示と行動により、ある先輩と の関係をうまく処理できました。 とても清清しい気持ちになったその日の夕方に、ある感情に押し流されて 「ああまた・・・」と自己嫌悪に陥る行動を取ってしまいました。 ♪昨日一晩中、欲望と戦った♪と尾崎豊は歌っていますが、 その歌を思い出したとき、欲望(感情)と戦っているのはなんだろうと思いました。 自分の中に存在する、感情と対峙するもの、私の感覚ではそれは「理性」でありました。 理性が感情をコントロールできる時、私はとても前向きであり、素直に感情を開示でき ていて、心は平穏です。 感情が理性をコントロールしている時、私はとても動揺していて、思考が硬直していま す。行動はとても理不尽な状態です。そして心はとても不安定です。 今も戦いは続いていますが、人間関係のファシリテーションを学んだことで、今まで単 に「理性」と「感情」の戦いであったこの状況に、一生懸命今までとは違う方向へ(ある 目的を持って)、感情をまわそうとするもうひとつの存在がいることに気がつきます。 そしてそれは、「ためしにいっぺん、そっちへ行ってごらん。そうすれば、ちょっと違う世 界が廻り始めるかも」とささやいています。 |
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23.説明責任 2005.4.24 ファシリテーションを学ぶようになって、今一番気を使っているのはこの点です。 「私はこういう気持ちで言っているのだ」とか「私はアナタとこういう関係でいたい」と口に 出していうことがどれほど重要かということに気づきました。 相手のことを思いやり、「今どんな気持ち?」と気にかけることはできても、その上で感じ たことを言ったり、してあげる時に、私は案外今の自分の気持ち、「こうなりたいから言う のだ」というような説明をしないことが多いのです。 主語を省いた会話という傾向もあります。 「わかるだろ?」と思ったり、面倒くさがったりしてはいけないとおもいます。 照れや恐れを上手にかわし、今はっきりと言葉にすべきだと自覚するタイミングが時々あ ります。それによって、多くの「誤解」が解消され可能性も感じます。 日常で、あれ?と思ったら、まずは「さっきはこういうつもりで言ったのだ」と説明すること にしています。 すくなくともそうすれば一度発生した「誤解」も「誤解」として認知されます。「真実と思って いる誤解の連鎖」ほど恐ろしいものはないし、日常茶飯事でそのような連鎖が発生してい ることにも気がつきました。 |
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24.間接表現と直接表現 2005.4.24 説明責任の続編(笑)。人が自分の感情を口に出す場合、大きく分けて間接表現と直接 表現があるそうです。 たとえば、間接表現は間接であるがゆえに、時として皮肉や批判のニュアンスが強すぎ て、相手に素直な感情が伝わりにくい気がします。 もし自分の感情を相手に伝えることが目的なら、迷うことなく直接表現を使いたいものです。 これはファシリテーションを学ぶ前からなんとなく感じていたので、なるほどそうかと理論 的に裏付けられて、個人的にはすっきりしました。 もし単に言い回しの癖で間接表現をつかってしまったら気をつけないといけません。相手 は売り言葉に買い言葉、耳を閉ざしてしまうかもしれないのです。 「どうして・・・しないんだ?」と言われるより、「・・・しなさい」と言われるほうが好きです。 「あなた何か言うことはない?」と言われるより、「・・・はどうなってるの?」と聞かれるほ うが心臓にいいです(爆)。 とても些細なことではありますが、とても重要です。職場や家庭では日常茶飯事に間接 表現を使います。 そのたびに小心者の私は、ドキドキするのです・・・(笑)。 |
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25.コンテンツとプロセス 2005.4.25 私にとってこの二つの言葉はとても難解なものです。ファシリテーションに触れて1年と 3ヶ月。やっとこの頃分かりかけてきた感じなんですけど。(笑)。 コンテンツは表面に見えるもの、プロセスは心の動き、感情だそうです。 しかしプロセスを口にした瞬間、それはコンテンツになってしまうからややこしい。 ファシリテーションの研修で、さかんに会話が弾んでいる時に、「今はプロセスを扱う時 なのだからコンテンツばかり話すのはどうかな・・・?」というような発言があるととても イラついたり、困惑してました。 プロセスを口に出す時に気をつけたいことは?その時を思い出してどう思っていたか、は 確かに重要ですが、もっと大事なのは今どうなのかということだそうです。 もしかしたら・・・今起きている時事問題の中にも過去の感情に支配されて、ニッチもさっち も行かない状況なんだ、なんてことがあるのかも知れません。 そうなると・・・その解決に、ファシリテーション・スキルが効果を発揮するのでしょうか。 |
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26.ワイドショーのニュースを見て・・・ 雑感。 2005.4.30 少し前、偶然見たワイドショーで気になるニュースがありました。今もホットな話題なの でしょうか(笑)。 ある主婦が隣人に対する嫌がらせを10年繰り返し、精神的苦痛を与えたという傷害罪 で逮捕されたニュースでした。 繰り返し見せられる画面(隣人が証拠として撮ったビデオ)には激怒する容疑者の 姿がありました。とても常軌を逸した激しいものです。しかし容疑者は被害を届けた隣 人夫婦以外には信じられないくらい、笑顔を絶やさぬ「いい人」のようです。 10年前に、この2つの家族に一体何が起きて、その後どのように感情がもつれていった のでしょうか? とても気になりました。 そして、もし今自分がこの人たちの間に入ってファシリテーションを行い、問題解決の 手助けを依頼されたら? どうするだろうか? 何かできるだろうか? そんなことを考えました。 そしてもし、10年前のその時に誰かファシリテーターが傍にいたらならば、この事件は 未然に防げたのだろうか? 歴史に「もし」は無意味ですが、連休ののどかな午後、日常で発揮できるファシリテー ションスキルに、しばし想いを馳せてみました。 |
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27.動いているのは・・・ 2005.5.2 先日「甘い人生」という映画を観ました。 映画の冒頭にとても素敵な言葉がありましたので、ちょっと紹介。 主演のイ・ビョンフォンのしぶい声でとてもいい感じでした。私はふとファシリテーション のことを思い出したのですが・・・ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ある日、弟子が風に揺れる竹を見て師匠に尋ねました。 「お師匠様、あの竹は・・・。動いているのは枝でしょうか? それとも風でしょうか?」 すると師匠は弟子の指差すほうを見もしないで答えました。 「動いているのは、枝でも風でもない。動いているのは、お前の心だ。」 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ね。な〜んかいい感じでしょ? 本当に動いているのは心らしいです。そうすると世の中の景色は、見る人によって違う んでしょうね。 できればその心の動きをキャッチできる感性を持ち得たいというのが今の心境です。 今、窓の外に広がる景色は私の心でしょうか・・・ |
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28.プチ開示 2005.6.11 私が参加する体験学習タイプの人間関係ファシリテーションの場では、ほとんどの場合最初に 「今の気分はどうですか?」と聞かれることが多いです。 これはある意味儀式のようなものとも言えますが、精神状態をちょっと話す、聞くということが その後のワークなどにおいて人間関係に及ぼす影響は決して少なくないと感じています。 アイスブレイクといえなくもないですが、他愛もないゲームや自己紹介に比べ、今の気分は?と 聞かれれば、勢い思考は内面へ向かいます。こらはとてもいいことだと思います。 だからファシリテーションの研修の場だけでなくても、これからいろんな集まりで試してみたいと 思います。いきなり本題に入るのではなく、最初に「今日の気分は?」と全員に聞いてみましょう。 そうすれば会議の進み方も変わってくるのではないでしょうか。 |
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29.今起きていることから学ぶ 2005.7.16 何回と無く、ファシリテーションの研修の場で指摘されている言葉。 この言葉の意味をやっと実感しつつあるKです。最初の頃まろさんやかめちゃん、ようちゃんに 何回も言われたことがやっと・・・という感じです。 私は人に理解をしてもらうために、その理解を助けるために(?)いろんなたとえ話をする傾向が あります。 どうも最近ファシリテーションの場ではこのことが逆効果に働いているようなのです。 そのことにより話を一般化してしまって、体験したことがぼやけてしまったり、同じ体験をした 人たちとの間に、見えない壁をつくるようなのです。 『今おきていることから学ぶ』ならばたとえ話は必要ではなく、おきたことについて言及すれば 十分なのですね。 「一般的な解説を聞きたいのではなく、私がそう思ったという事実、そのことを受け入れて欲しい・・・」 そう言われた時の、なんとも奇妙な感覚を今も覚えています。それは『思い上がった自分』の姿を 見せ付けられたようなものでした。 今、何が起きたのか?そのことをもう少し大事に考えてみたいと思います。 |
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30.何が今起きているの? 2005.7.18 29の続きです。あれから何度かこのテーマについて考えてみました。 今起きていることから学ぶ。つまり目の前のことをきちんと認識して考えることはなんだか とっても大事なことのようです。 私はPC関連のコンサルティングを仕事にしています。たとえば企業の問題解決にITを 活用しようという話になった時に、職場の問題点をおざなりに一般化して捕らえてはいないか?と 気になったのです。 今その場で起きている問題は、おそらく似たことはあっても、他の会社で起きていたこととは まったく同じではないはずです。 しかし、問題解決の手法を簡単に仮説化していたかもしれません。 もっとそこで働く人たちの、感情や人間性に注目することはできないだろうか? そんなことを考え始めました。まだまだ手探りですが・・・・。 |
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31.一致しているかどうか 2005.8.25 今日TVを見ていたら、ファシリテーターのヒントをもらったような一言にめぐり合いました。 「CSI:科学捜査班」という犯罪捜査の番組なんですが・・・証拠である遺留品をとことん科学的に 分析するところが好きでよく見ます。 このチーフ、グリッソムがエンディングで言った言葉に反応してしまいました。 「犯罪捜査では、現場をよく見て、よく聴く。五感のすべてを集中することが大切だ。その上で 相手の言葉、言い方が表情や態度と一致しているか、それを見逃してはいけない。 その言葉がどのような意図でどんな状況、心理状態の下で使われたのかを理解しないといけない。 その意味では、言っている言葉の意味がわかるだけでは不十分だ。」です。 この言葉を聞いたときにファシリテーションのとき、あるいは日常においても大切なヒントを もらった気がしたのです。 その人の表情、言葉、話し方、態度、状況それらが一致していれば、そのまま通過して、 もし一致していなければちょっと立ち止まろう。そう思いました。 そしてこの一致という点は、自分の感覚と一致しているか、ということも重要でしたよね。 ささいな不一致を見逃さないこと、そう心に留めましょう。 |
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32.主役は誰? 2005.10.14 広島のグラフィカで受けたフィードバックは徳地のファシリテーションで受けた フィードバックとよく似ていました。 まったく異なる研修なのに、私は奇妙な一致に愕然としていました。それは私の限界? そんな気がしたのです。 その「私が主役になってしまう」という状態は、最近特に顕著になりつつある気が してならないのです。 いつの頃からかファシリテーションの研修で主役になってしまっている自分に気がつきます。 私の理解しているファシリテーターは控えで、グループの自発的成長を促すように かかわること・・・ そう学んでいたのに、最初はそのように出来ていたのに、だんだんとそうでなくなって きている自分を発見するのです。 そしてそれはコンサルタントやリーダーとして行動する時の自分に重なります。 これは私の限界なのでしょうか?主役は目の前にいるグループのメンバーだと思いつつ、 ファシリテーターの私は主張しています。 「私と話そう」と。 グループの一員であるならば、同じように振舞っても特別何も問題を引き起こさないと 思えます。 でも、ファシリテーターとしては・・・とても問題だと感じています。 なぜ、そうなのか・・・私はもがいています。 |
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33.「個人と集団を考える」 2006.7.13 ファシリテーションは人間関係を根本から変える力を持っているのではないか?と 感じてからすでに3年半が過ぎています。 最近やっと個人の領域から、グループの領域へと私の感覚が広がってきました。 「個人と集団を考える」とは私のブログのタイトルですが、このテーマは日々、 結構私を楽しませてくれています。 個人と集団はとても大きな影響を相互に与えるものらしい、ということが今実感を伴って 私の中に湧き上がっています。 そしてそれは自分自身の経験として実証できています。 私が集団に対して強い影響力を持っている、会社やPTAの組織などではその影響が顕著に出ます。 今私を取り巻く人の話し方はとても変わってきました。それは感情をそのままぶつけてくることや、 怒って黙ってしまうということがとても減ってきたということです。 何とか会話を続けて意思を伝えたい、そんな雰囲気が見えます。 そして以前は私への遠慮か、こらえて言わなかっただろうという言葉が「自分の意思の説明」という 雰囲気で口を出ることが増えている、と感じるのです。 たぶんそのことは私自身の話し方の変化なのだろうと思っています。 人がそうやって自分の気持ちや考えを言葉を選びながら話してくれるので、結果として私は 感情的に言葉に引きずられることが減っています。 「言い負かすのではなく、伝えたい、理解しあいたい」ということが中心になっています。 話す前に考える。聴きながら考える。 そんな風にならなければと、ここに2004年の12月頃に書き込んで(その9)から、 一年半かかって、やっとそうなりつつあります。 「人間関係は変えられるもの。そしてそれはまず自分から。あきらめないで根気強く 働きかければ変えられる。」ということを学びつつある今日この頃です。 まだまだ先は長いのですが、なんとなく明かりが見えた気になっています。 |
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