介護保険1年を過ぎて変わった?
老健施設は変わったのか?また、老健の平均在所日数の増加はどこから来たのか?介護認定システムで変わったとしか思えないところもあるし、本来あるべき姿に帰ったのかもしれない。それとも「要支援にならない限り入所していても良い」と言う認識が、家族に強まったからなのだろうか。「選ばれる施設を目指して切磋琢磨せよ!」と言うかけ声が一人歩きをして、本来収まるべき施設が拒否されることもある。その結果、気に入った施設に居続けることになる。「選ばれる施設」と「選ばれない施設」は、どちらの視線からの話なのだろうか?
いわゆる介護ランク1と要支援の境界のレベルだと、施設側も一生懸命に在宅を勧めていた。家族もその気になって、家屋改造や在宅支援のための道具を購入する等の在宅の準備を始めていた。しかし、ラッキーにも(?)要支援と出ることが予想されていたお年寄りは、本人も家族も在宅を意識し始める。このお年寄りに「1」がついた途端に、家族の対応が変わることが増えた様な気がする。その数は、入所期間と比例するらしい。入所期間が長いほど、出来るだけそれを維持する方向に動く家族。入所期間が3ヶ月を超える頃には、帰る場所が無くなることが多いようだ。施設が手を抜いて、逓減性の無くなったことを良いことに楽をしているわけではない。しかし楽な介護は魅力であるに違いないから、入所時の介護ランクは低い方が良いに決まっている。
低いランクは施設収入に影響するが、重度ランクのクライアントが多いとスタッフに不満が出ることが多い。介護にてを抜かれたり、スタッフが辞めると言いだしては経営者側も困ってしまう。そこに楽な介護と収入とのバランスを探ると言う、本来あってはならない気持ちが生じるのは致し方ないことなのか?介護ランクの平均が、通常2−3の施設がほとんどであろう。100名に近いクライアントがいれば、介護ランクが1違えば、収入も介護の手間もずいぶん違うはずだ。施設の長とスタッフの意気込みによって、差が出てくるところだ。
特別養護老人施設と老健の境目が見えなくなりつつある。もちろん施設だけでなく療養型病床も、同じ状況になるはずだ。すべての施設が、はっきりとした境目を失いつつあるのではないか?介護施設群は、実態を見ない政治主導の混沌とした時代に入った。一般病床の平均在院日数が、お年寄りが昔のように一般病院へ逃げ込むのを阻む。逃げ場を失ったお年寄りは、ADLが低下すれば長く待って入所と言う手もある。ADLの低下していない、痴呆も無いか軽いお年寄りは後回しの更に後回し。在宅支援サービスが、自分にまわってくるのに間に合いそうも無い。サービスと墓場が競争して、勝つのはどちらかと思うと背筋が寒くなってくる。それでも今言えるはっきりとした境目は、入所(入院)か在宅かしかないのではなかろうか。政府はここ数年は「施設より在宅」の方針であり、力を入れて在宅支援に手厚い積もりでいる。しかしこの支援体制を考えると、絵に描いたモチか、現実離れした単なるシミュレーションで終わってしまうのか?お寒い在宅支援体制は、実行する前から家族の覚悟が必要なのはすぐ分かる。家族介護の谷間を埋めるような在宅支援体制は、すぐに破綻が来る。で結局、多くの方が施設へ入所となるわけで。
在宅が長続きする家庭環境を考えると、多くはこんなカンジでしょうか。
(1)介護者に決まった仕事が無くて、経済的に余裕がある
(2)介護ランクが低い(自立に近くて家族の手を煩わせない)
(3)家が広くて、介護できる人手が多い
(4)介護ランクが重度で寝たきりであるが、比較的介護者が元気で在宅支援を使っている
(5)施設を信用していない家族が介護をしている
(6)家族が、複数の在宅支援を上手に受けることを知っている
(7)何とか家で頑張れる程度にADLが低下したお年寄りが、入所や入院を非常に嫌う
(8)介護の必要なお年寄りが、家族と非常に強い絆を持っている
公的介護保険はいつになったらお年寄りの味方になれるのか、まだまだ不安である。
まあ、介護審査会自体にも問題をはらんでいるしね。せめて、ふるい落とす発想だけは止めて欲しいもんだ。
そんな権利はないはずでしょ?お上が良いって言うんだから、そこから始めなきゃ!
コンピュータソフトで計算した介護時間に、足し算はあっても引き算をしちゃあダメダメ・・・
公的介護保険のプチ・ホール
お年寄りと家族、そして、施設スタッフの悩み。
<はじめに>
自由競争の原理が働くと言われる、介護保険。老健だけでなく特養も、在宅を目指す方針となった。かつて言われた「終の棲家としての特養」は消えたのか。特養と老健の役割分担は、どうなるのか。選ばれる施設を目指して、老健のスタッフも特養のスタッフも頑張るだろうが。ケアの質の向上は、施設長のリスクコントロールにかかっていると言える。
<どうなる?選ばれる老健>
介護保険導入前は、特養待ちと言われるクライアントが老健に沢山おられた。確かに、今もかなりの数の方がおられる。老健での特養入所を待っているクライアントは、ここへ来て変わりつつある。特養入所の順番が来た家族が行政に話を聞きに行くと、「介護保険が始まったので、入りたい施設を自由に選んで良い」と返答するようになったらしい。これを聞いた家族は、特養をキャンセルして老健を選ぶようになった。老健の側から見ると、ケアの質は自分たちが上であるのは当然と思っている。特養よりも老健を選ぶのは、ある意味で当たり前ではないのかと思っている。
特養は、今までのケアのままで十分と言えるか。恐らく、今のままのケアでは不十分な施設の方が多いと思われる。それはケアに対する、老健と特養のリスク管理の違いを意味している。入所に関して、努力する必要があった老健。行政措置に任せておけば競争のない安心で、リスク管理を怠ってしまった特養。こう言ってしまうと言い過ぎだろうか。
特養入所前に見学に行ったクライアントの家族は、特養に変わることを渋り出す。その理由は、「お年寄りが慣れた施設の方が安心」と言う言葉の裏に、「老健とはケアの質が違う」を感じることがある。こういうことは、一部の方に偏ったことではない。そして特養を一度キャンセルすると、多くの場合は入所の順番は振り出しに戻る。しかも、キャンセルを数回行ったクライアントは、その後は施設から相手にされなくなるらしい。つまり、ずーっと老健に居ることになるわけだ。情報収集しない家族のお年寄りの特養の受け入れは、今まで通りだ。今後あふれる情報の中で、特養入所をキャンセルするクライアントは増えるだろう。老健入所期間が長期化することは明らかである。入りたくても入れない老健の時代は、少し先に見えてきた。老健の中でも、選ばれたり選ばれなかったりと言う現象が出てくるはずだ。中間施設としての老健は、その意義をなくしつつあるのか?老健と特養の区別、役割の違いは無くなったのか?あと数年で介護保険が大きく様変わりするときに、老健と特養の構図は崩壊するだろう。いや、もうすでに崩壊しつつある。
<お年寄りと家族の迷い>
介護認定で重度になると、受けられる介護支援の量も増えるが自己負担も増える。施設療養費用に関しても、介護保険導入前まで5−6万円で済んでいた方は大きく変わった。同じ施設で同じケアを受けていて、介護ランクが重度と認定されるとさらに負担も増える。逆に、特養は収入に関係なく介護ランクで療養費が決まるので、お金持ちに有利になった。介護ランクが重度で施設にいる権利はあっても、収入の少ない方は自己負担の額を考えてしまう。経済的な問題で、退所するクライアントも出てくる。施設にいられなくなって、お年寄りは在宅に。昼間、働きに出ている家族たち。より多くの介護を必要とする方に、十分な支援が出来ないことになる。貧しい支援で、ひとりぼっちで家に放置されるお年寄りが居る。少し前なら、行政の特別な計らいと言うのもあった。介護保険が始まって、そう言うことが少なくなったように思う。困った方に関する会議の数が、介護保険の前よりも減ったことから感じる。すべて、介護保険に任せなさいと言うことなのか?
<介護保険は邪魔?>
介護保険には任せられなくて、介護認定を返上したお年寄りもいる。介護審査で、「介護ランク1」となったおばあちゃん。療養型病床を持つ病院に入院しようとしたら、その病院のスタッフから「介護ランク1」では入院できないと言われた。入院するには、「介護ランク1」ではない「病弱な老人」の方が都合がいいらしい。介護保険を使わないで、入院しなさいと言うことだ。病院の都合で、介護保険を返上するなんて聞いて驚く。
<最後に>
特養と老健の役割と区別はどうなるのか。区別も差別もしないと言うのなら、クライアントに選ばれるように徹底的に自分たちのケアを磨くだけだ。いつもクライアントで溢れ、入所を待って列をなす施設にするだけだ。しかし、本当にそれで良いのだろうか。老健が出来た頃の「初心」は、何処へ行ったのだろう。そして貧しい支援だけで、家に放置されるお年寄りはどうすればいいのか。「シルバー受難の時代の幕を開けたのが介護保険だ」と感じるのは私だけなのか。
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