はじめに
巨樹〜巨木、名木と呼ばれるものは、神社、寺院、民間信仰の小祠などに多く温存されているが、神社と寺院とでは存在の意味合いが違うように思われる。
神は古くは森全体が存在の場とされていたものであるが、時代の経過とともにその中で特に大きい樹を神の「依り代(よりしろ)」として神聖視するようになった。神域に社殿ができるようになると、その意味がだいぶ薄らいでしまったが、現在でも「神木」として境内の大きい樹、いわれのある樹に注連縄(しめなわ)を張っている例は多く見られる。寺院でも大きい樹の根元に仏像が祀られているのを見るが、この方はずっと少なくなる。
このような習慣も徐々に薄らいで、台風・つる植物・菌類に侵され倒壊したり、市街地では邪魔者として、枝を切られ、伐採されるなど受難の時代でもある。さらに過疎の進行した山間部の小祠の「依り代」となった木〜巨樹は忘れられつつあるのが現状である。
一方近年自然志向の高まりから地域のシンボル的存在(信仰、緑陰、遊び場、やすらぎ、動物の住みか…)〜地域資源として注目されはじめている。しかし、巨樹をとりまく生態系、種の形態・生態を無視したような手の加え方、例えば枝葉の切損、樹幹の補修、園芸花木の植栽、下層植生の全面除去などが目につくようになったことは残念なことで、今後十分な配慮が必要であろう。
これら大きい樹をとりまいている環境は凡そ次のようなことが考えられる。
1 種としての特性(遺伝的特性‐大きさ、高さ、寿命など)が基本としてあり、これに加えて
2 個としての特性‐生育している場所のとりまき環境がある。
・自然環境 立地(里山・奥山、島嶼、土壌、水…)
気象(日照、風、雪、雷…)
生物(まわりの樹木鬱閉度、つる植物、菌類、植物病、動物…)
・人的環境 信仰‐崇敬と畏れ(神社、寺院、小祠、塚、墓地…)
境界樹、公園樹…
人間の直接的干渉(枝の切損など…)
以上のような複合環境の中で長年生きており、これがその樹の「種としての個性」、プラス「個体としての個性」を生み出し、これが「風格」となって私たちに魅力を感じさせるものであろう。
日本では古くから巨木、巨樹、古木、古樹、老樹、名木などの呼称があるが、学問的な定義はない。1991年環境庁は「巨樹・巨木林調査」で調査対象を、巨樹・巨木の地上約1.3mの幹周りが3.0m以上と定義した。
しかし、上述のように種によって、こんなに大きくならないものも多くある。したがって今回選んだ樹のすべてがこれに適合したものでは無い。
ここでは、
・神社、寺院の樹(神木〜樹林内の大きい樹)
・民間信仰から生まれた小祠の樹
・墓地の樹
の中から、枝が余り落とされていない、そしてそれなりに風格があるものを選んだつもりである。
「祈りの108樹」は、見聞した多くの樹が人間の願いを受けとめた「祈りの樹」であることと、よくいわれる「人間の煩悩」108ツの意味を含めたものである。
平成16年(2004)5月