史跡
1:龍門の滝 2:龍門岳 3:大峠国境の碑 4河内神明社 5:観音堂 6:文殊堂・廻国塔・猿田彦・延命地蔵 7:旧河内社 8:氏原大作生家 9:馬頭観音 10:観音像 11:三界万霊塔 12:経塚 13:海禅寺 14:堅田大和守供養塔 15:断層断面解説 16:耳吹地蔵 17:馬渡せ地蔵 18:秋葉社(ひよけさま 16:馬頭観音・石鎚大権現 20:田代トンネル祈願観音 21:細野神社 22:SL給水塔 23:古城跡 24:中原中也句碑・高島北海記念碑・交流センター 25:御堂跡・タタラ遺跡 26:物見岳(高羽岳) 27:長門峡 28:渡川城跡
飲食
A:Yショップ B:自然のまんま屋 C:のの花(要連絡)D:ぞっすい E:もみじ茶屋 F・長門峡道の駅
他
a:田中工芸 古谷建築 b:新見自動車 c:美蔵屋(飲食可 要連絡) d:しんみでんき e:大松板金 f:山本さん宅(木工工芸教室 要連絡)g:原田美容室 h:原田敏直司法書士事務所 i:新聞集配所 j:高橋自動車(販売・介護用車レンタル)k:山根ブドウ販売所 l:長門峡梨組合販売所(梨狩受付)m:農協・篠生支所・郵便局 n:農協・藤井商店・散髪屋さん
史跡案内
1:龍門の滝
国道9号線から車で約10分。駐車場より徒歩約4分。
見附の龍門岳より流れる川が屏風を立てたような岩壁から落下し素晴らしい景観である。高さ8m。
大元社があり大元尊神(国常立神-くにとこのたちがみ- 神代七代の第一世の神 天御中主神(宇宙の根源神)・竜神・不動明王(僧形で珍しい)が祭られている。見附の集落で保全活動が行われている。(ふるさと篠生の歴史107頁)
2:大峠国境の碑
文殊の旧街道大峠の頂に立っている。ここは周防の国と長門の国の国境である。明治九年の建立とあるから、まだ木戸の道路もなく、鉄道ももちろんない。山口方面への通行はここだけであった。この峠は、宮野側文殊側共に長い急坂であったから、峠上の国境の碑は登りつめた旅人に安堵感を与えたことだろう。花崗岩の石柱で、彫りも深く立派な石碑である。(ふるさと篠生の歴史81頁)
表示:北 長門國阿武郡
南 周防國吉敷郡
明治十九年一二月建之
国境の碑と道(車一台の幅 離合困難)
河内神明社
水の神様として祭られている。鳥居には文政二卯十一月の記述がある。境内には猿田彦の石柱もある。
4:馬頭観音・廻国塔・延命地蔵・観音像
馬頭観音・廻国塔・延命地蔵・観音像?二体
観音像は慈悲相だが、馬頭観音像は頭髪が炎のように立ち、牙をむいた憤怒相で手には金剛棒や斧などを持っている。一面二臂だけでなく三面六臂に変化することもある。前頭部に馬象が彫ってあるのが特徴である。元来は六観音の一つで、憤怒の相によって魔障を砕き煩悩を取り去り衆生を救うことが役目だが六道の畜生道を司ることから牛馬の健康安全を守ってくれる仏として信仰されている。また馬で旅をしたことから旅の安全を願う仏でもあった。この馬頭観音は祠であったものを平成27年12月に梅田氏によって補修されたものである。年代は不詳。廻国塔(墓?)と延命地蔵は未調査。入り口にある二体の石仏は左は曼荼羅に描かれた観音に酷似し、右は頭に化仏をいただくのでおそらく観音像と思われる。由来等不詳。(ふるさと篠生の歴史78頁参照)
浄土真宗のお寺跡か?
馬頭観音の西側に平らな場所があり、もと寺があったとの伝承があります。浄土真宗の門徒の方が多いのでその関係のお寺ではないかと推測されますが・・・
5:文殊堂
文殊堂・廻国塔(左)猿田彦大神(中)延命地蔵(右)
板見堂・林・大江河内の三集落が合併した際にこの文殊堂の名をとって集落名とした。以前は大きい伽藍で、集落の集会所となっていたが小さな堂となっていた。しかし平成7年に改修が加えられ文殊菩薩も修理されて面目を一新した。寺社由来の海禅寺の頂に、当寺抱の文殊堂とした上で、「施主吉賀十兵衛先祖、先年深田より掘出し、威霊の印あり、深田文殊と申し伝え・・」の記述がある。(ふるさと篠生の歴史60頁)
廻国塔
大乗妙典と呼ばれる法華経を、日本六十六ケ所の霊場に保存する目的で六十六部作り、諸国を廻っていることを銘文にした塔のことである。
文殊の文殊堂前にある廻国塔は、野面石で、正面に「奉納 大乗妙典六十六部 願主 仙林」と刻してあり年号はない。廻国塔の銘は、一般的に「奉納 大乗妙典 日本廻国塔とあり、生国、年号、氏名が記されているが中には「大乗妙典」「日本廻国」とあって近辺だけを廻ったもの、あるいは六部の墓だったりするから注意して塔を見る必要がある。嫁叶にあるのは六部が廻国中当地で死亡したため、地下の人たちが作った墓であり、同様なものが開敷・見附入り口にある。
六部:奉経をする行者のことを六十六部とか、単に六部と呼んでいるが、後には背に仏像入りの厨子や笈摺(おいづる)を背負い家々に合力を求めて廻った物乞いも現れた、廻国行者に宿を貸すことが功徳と考える家が多く、路銀がなくても廻国できたという。(以上ふるさと篠生の歴史71 72頁)
猿田彦大神
庚申塚として祭られたもの(ふるさと篠生の歴史72 73頁参照)
延命地蔵
六地蔵の中の一つで単体でよく見かける地蔵。右手に錫杖、左手に如意宝珠を持っている。如意宝珠:民衆の願掛けに対し、それを成就させてくれる仏の徳を示した珠(ふるさと篠生の歴史75頁参照)
8:堅田大和守供養塔
毛利家筆頭寄組堅田家の武士で篠目村を領地とし屋敷を構え海禅寺ならびに領民に手厚い保護を行ったようで・・・江戸で亡くなった彼のために海禅寺が香華所とされた折に供養塔として建てられたものと伝えられています。自然石を運んできたものでしょうがかなりの労力がいったかと想像されます。文字が彫られていたかは今となっては不明です。
屋敷跡は岡の台(現在の墓地付近)にあったらしく、堀の跡らしきものや昭和の代には北側の杉林となっている場所に塀のようなすじが残っていました。一度詳細に調べてみたいものですね。付近には城(砦のようなものでしょうか)があったという口伝もありますが資料が見つからないのですね。
9:馬渡せ地蔵
このお地蔵様は馬渡せの地蔵(またせのじぞう)と呼ばれています。このお地蔵様の前には昔丸木橋があって馬が足を滑らせることがたびたびあったとか。無事に渡れるようにとこのお地蔵様にお願いして渡ったということです。むかしむかし・・可愛がっていた馬とともに落ちて命をなくした娘さんを哀れんで親が建立したようです。雪が降って足下がよく見えなかったのでしょうか・・。「うまわたせ」が「またせ」となり付近にあるお家の屋号が「またせのでるところ」から「またで」になっているそうですが詳細は不明。
10:経塚
野戸呂の「いしきょう様」
以下は、経塚保存会の方々が案内碑建立のために起草された説明文からです。
石経塚と由来記(経塚保存会)
吉富長行さんの東寄りの長屋の軒先すれすれの小丘に、得体の知れぬ野神に類する墓碑が建てられている。これが問題の石経様である。
土地の人は先祖から子孫へと石経様と呼称し、触るとたちどころに頭痛や腰痛などの祟りがあると言っている。近隣の人達は障らぬ神に祟りなしと敬遠し、反面、親愛感をもって暮らしていたのである。
経塚は古来から各地に散在しているが、祈願に依って諸国修行者などが諸国の霊場を巡拝し一応念願が叶えられると、最終地に経巻を埋蔵し墓碑を建て、自身も埋蔵した経巻とともに朽ち果てたのである。
経塚もいろいろあるらしいが、何かの文献に法華経を小石に書き埋蔵する経塚もある由。
野戸呂のこの塚が「いしきょう様」と尊称されているので、私たちは「石経様」と考え、経塚として踏み切った次第であります。
郷土の皆様方、ここにある円柱形の台座上に合掌形の碑が建っている。これが石経様です。どうぞ大切にしてください。
12:耳吹地蔵
耳の病を治す地蔵様として拝まれている。竹を使って耳に息を吹きかけて拝むのです。ということで竹の筒が置いてあります。
13:細野神社
山号 乾光山 篠目細野に鎮座 篠目地区の鎮守社で元村社であった。八幡宮・天満宮相殿であるが別座となっており、祭日も別である。
八幡宮 亨録三年(1530 寺社由来では、室町時代末 生雲八幡宮より分霊とあるが、風土注進案には、同じ年に宇佐八幡宮より遷座とある。いずれが正しいか不明)
天満宮 風土注進案 社伝 永仁三年(1295 鎌倉時代中葉)山城國北野より遷座「乾光山中に大なる巌ありて毎夜光を放ちけるに、神託ありて我はすなわち北野の神、今よりして此地に鎮座あるべしとなり。其巌を影向石(ようこうせき)と名付く」是より宝殿造建 永禄元戌年(1588 室町時代中期)再建 同十二年輝弘が乱に放火 慶長九年(1604 安土桃山時代)重建 その後大破 貞享年中(1684~1687 江戸時代初期)當宮に御遷座あり 爾来同殿崇祀
境内神社 岩戸社 近年社が傷んだため廃社し本社へ相殿(ふるさと篠生の歴史42-43頁参照)
14:SL給水委塔
山口線は昭和48年まで蒸気機関車が走っていた。(現在、観光用に運転されている。参照:
SL山口線運行時刻表)蒸気機関車は石炭を焚いて水を水蒸気の変え、その水蒸気をの圧力を動輪に伝えて走る。小郡駅から篠目駅までくると石炭の燃えた滓が溜まり水も少なくなる。そこで篠目駅で給水と石炭滓除去の作業を行っていた。給水塔は高さ八.五メートル、直径約四.五メートルの円柱塔で、煉瓦造り、約三十トンの貯水ができたという。現在はディゼルカーが走り給水の必要もなくなった。したがって給水塔は使用されていない。ただ当時を偲ぶ遺跡となった。また篠目駅にあった石炭滓の山はいつのまにか無くなり広くなった。(ふるさと篠生の歴史92頁参照)
16:馬頭観音・石鎚大権現
田代の道をあがっていくと右に祠があり石仏が鎮座している。膝を立てたような形であるので如意輪観音かと思われるが詳細な記録がない。また少し進むと石鎚権現の銘が刻まれた石が立っている。
関連記事? 多賀社から山上に向かって登っていくと途中に不動明王の像があり、更に登っていくと石槌社がある。社といっても、小さなブロックづくりの祠である。天狗姿の銅像が二体入れてある。祭神は石土昆古神(いわつちひこのかみ)で石鎚山から近年勧請したと伝えられる。(ふるさと篠生の歴史54頁参照)
ちなみにこの道の先は普通車では難しい。仁保に通じていた。
B:美蔵屋(要 連絡 083-955-0082)
ホームページがありますので詳細はこちら
少しレトロな建物の中でお茶をいただきながら田園風景を眺めて手作りのお菓子をいただくひとときは気分的にほっこりしますね。
C:自然のまんま屋
篠目の文殊地区の方々がバックアップしているお店。このお店はオーナー手作りなのです。地域の農産物の販売や手作りイノシシを使った料理を手がけていらっしゃいます。イノシシコロッケは大人気。季節ものですが松茸弁当は手頃な価格で人気の品。写真のメニューは季節によって変わるのであしからず。時々イベントがあります。農業体験もあったりします。
資料は2015年のものです・・・。また機会があれば更新しますね。
D:のの花(要連絡)
手打ちの蕎麦は美味でしょう。やまめ料理や秋には松茸を使った料理が楽しめます。お休みの時もあるので電話してから。
083-955-0188