平成19年7月5日 公開
平成19年10月2日 更新



● 「土井ヶ浜遺跡」の発見・発掘史≠ノおけるなぜ?≠ノ答える



5 いったい、三宅氏は、「北浦」に来たのか来なかったのか?



[答え]

三宅氏がこられたことは、三宅氏の報告文=「長門國土井ヶ浜古墳人骨就について」にも書かれているし、
「昭和六年十月」、調査に来村されていることが、三宅氏の甥にあたる方から「コピー」をいただいた「左」のスキャナ=三宅氏が父親にあててこの来村のことを書いてだされている「ハガキ」からも明らかです。
更に、清野氏からいただいた本に英男が「メモ」したものにも「十月二十日」とあります。

[三宅氏が京都の自宅に出された絵はがき]

もともと文字が薄い上、「コピー」ですので、この「写真」ではほとんど読めませんが、中央にある「縦線」の「右」に十月廿日≠ニいう文字、そして・・・ました。小生下関から約二時間□神玉村といふ・・・≠ニあるのがかろうじて読めます。(他の箇所は、コピーをいただいた時点でカット≠ウれていました。
なお、この画面を印刷すれば、どうにか読めるハズです。)

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