4.1 かけあい歌
そのような誘い歌に対していろいろと女の方は答えたのでしょうが、かけあい歌の伝統を引いていると思われるものに、万葉集の男女の恋歌があります。
娘子報佐伯宿祢赤麻呂贈歌一首
ちはやぶる神の社しなかりせば春日の野辺に粟蒔かましを (万葉集 巻3・404)
佐伯宿祢赤麻呂更贈歌一首
春日野に粟蒔けりせば鹿待ちに継ぎて行かましを社し恨めし (同・405)
娘子復報歌一首
我が祭る神にはあらず大夫に憑きたる神ぞよく祭るべし (同・406)
佐伯赤麻呂には奥さんがいて、娘子に浮気をしようとしたのでしょうね。娘は気があるようです。
霊威ある神の社さえなかったならば春日の野辺に粟を蒔くものなのに
春日には春日大社の前身の神を祀る場所があったようです。霊威ある神の社とは当然赤麻呂の奥さんのことを指しています。粟を蒔くと会うということを掛けています。ですから、これを直接言うと
恐ろしい奥さんさえいなければ、この春日の野辺であなたと会うものなのに
ということになります。それに対して赤麻呂は、
春日野に粟を蒔くのだったら鹿の見張りにいつも行くものなのに、社が恨めしいことだ
と答えます。要するに
春日野で会えるのだったら何かにかこつけていつも通うのに。女房が恨めしいことだ
と言っているわけです。そして娘はこのように答えます。
それは私が祭っている神様ではないわ。立派な男であるあなたに取り憑いた神なのでしょ。よく祭るといいわ。
もう、解釈しなくてもいいでしょう。この娘は赤麻呂との浮気を許しているのでしょうか。それとも赤麻呂の恐妻家ぶりをからかっているのでしょうか。
天皇遊猟蒲生野時額田王作歌
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る (万葉集 巻1・20)
皇太子答御歌 [明日香宮御宇天皇謚曰天武天皇]
紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも (同・21)
紀曰 天皇七年丁卯夏五月五日縦猟於蒲生野 于時大皇弟諸王内臣及群臣 皆悉従焉
天智天皇の時代、都は滋賀県大津にあり、五月五日は薬猟と称して宮廷を上げて野原に出かける行事がありました。鹿の角の付け根は今でも漢方薬として使われています。男はその鹿を狩り、女は薬草をとって一年の無病息災を願う行事です。
この時は、琵琶湖の東側、蒲生野と呼ばれる場所で行われたようです。実際のところはよくわからないのですが、額田王は天智天皇の奥さんである一方で、後に天武天皇となる大海人皇子はもと恋人という関係でした。そのことを前提としてこの歌のやりとりを見ると、極めてアバンチュールを楽しんでいる歌と言えます。
茜がかった紫草を栽培している野原を行き、その立ち入り禁止の野原を行き、野の番人が見とがめませんか。あなたが私に袖を振って愛情を示すのを。(今はもう天智の妻となっているのだから、夫が見とがめますよ)
いやあ、紫のように美しいあなたがいやだったら、人妻であるからといって自分が恋い思わないということがありましょうか。(たとえ人妻であったとしても、あなたが好きなのですよ)
と言うのです。かつてはこの三画関係のもつれが、天智の子である大友皇子との戦い、壬申の乱を引き起こしたという考えがあったほどです。
しかし、公然と万葉集に載っているこの歌が二人の密やかなアバンチュールであるはずがありません。野遊びの伝統をもったかけあい歌として狩りの後の宴席で歌われたと考える方が自然でしょう。かけあい歌の伝統に則って歌われたものだと考えられます。