イギリス・ロンドン出身のミュージシャン、ドラマー、エンジニア。 本名スティーヴン・バット(Stephen Batt)。 1975年に兄デヴィッド・シルヴィアン、ミック・カーン、リチャード・バルビエリ、 ロブ・ディーンらとジャパン結成。1982年ジャパン解散。 その甘いマスクで日本での人気は、時に兄を凌駕するほど。
ジャパン解散後は、そのドラム・テクニックでアイスハウス、プロパガンダ、一風堂、 アリーチェ(ALICE)、アンドレア・キメンティ、 高橋幸宏、坂本龍一など、数々のセッションやツアーに参加。
また、Jansen/Barbieri/Karn として、 ミックとも数多く共演。ミックのソロ2作目[Dreams Of Reason Produce Monster]では、 ドラムのみならず、共同プロデュースとしても参加している。 2007年には初のソロ名義のアルバム[Slope]を発表
イギリス・ロンドン出身のミュージシャン、キーボーディスト。 元ジャパンのシンセサイザー奏者。 日本では、バルビエリともバービエリとも表記される。
後期ジャパンにおける独特のプロフェット5の音色作りは、リッチのセンスによるもの。 ジャパン解散後は、スティーヴ・ジャンセンとの活動が多かったが、 1993年からは、ジャンセン・バルビエリ・カーンとしても共演していた スティーヴン・ウィルソン率いるポーキュパイン・ツリー(Porcupine Tree)に参加。
1997年には実質的なソロアルバムとも言える[Indigo Falls]を 妻のスザンヌをヴォーカルに迎えて発表。2005年には初のソロ名義のアルバム[Things Buried]を発表。
イギリス・ケント州ベッケナム出身のミュージシャン、シンガー・ソングライター。 本名デイヴィッド・アラン・バット(David Alan Batt)。 ジャパンのヴォーカリストにして中心人物。 ジャパン解散後、ソロ活動と共に坂本龍一やロバート・フリップなどとのコラボでも多くの傑作を残す。
ミックとは、ジャパン解散後、交わることは無かったが、 シングル [Buoy] とそれを収録したアルバム [Dreams Of Reason Produce Monsters] で共演。 やはり、ミックのベースとデヴィッドのヴォーカルは、 強烈な個性同士ながら、抜群の相性で、奇跡的な共演となりファンを喜ばせた。
ジャパン解散時の4人が再び集まりレコーディングした [Rain Tree Crow] 以後は、 再び袂を分かつが、ミックのガン公表を知り、デヴィッドはミックに捧げる [A Certain Slant Of Light] という曲を、ミックの全快を祈り発表。 この曲はアレンジを変え、アルバム [Died In The Wool] にも収録された。
イギリス・ノーザンプトンシャー州出身のミュージシャン。
本名ピーター・ジョン・マーフィー(Peter John Murphy)。
後にゴシック・ロック(ゴス)やポジティブ・パンクと呼ばれるジャンルの雄である
イギリスのバンド バウハウスのヴォーカルとして、1979年デビュー。
ジャパン解散後のミックと、バウハウス解散後のピーターが結成したダリズ・カー。 しかし、レコーディング途中で方向性の相違から分裂。 そのアルバム [The Waking Hour] は、衝撃的なサウンドだった。 ファンはバンドの継続に期待するが、二人は何年も再会することはなかった。
時を経て、ミックがガンに侵されていることを公表。 ピーターは、過去の確執を越え、ミックに再結成を打診。 ダリズ・カーのニュー・アルバムが 制作されることとなった。残念ながらこのアルバムはミックの遺作となってしまった。
1984年のダリズ・カー解散後のピーターは、ソロアーティストとして活躍。 バウハウスとしてもライブでの再結成を経て、 2008年新作アルバム [Go Away White] も発表されるが、 メンバーはこれ以降、バウハウスの再結成はないと発言している。
イギリス・スコットランド出身のミュージシャン、ギタリスト、プロデューサー。 本名:James Ure 。 1979年、ウルトラヴォックス にジョン・フォックスの後任として参加。 バンドの黄金期を築く。 同時にヴィサージにも音楽面での中心人物として参加。
1985年からはソロ・アルバムも発表。 1980年代は、バンド・エイド、ライブエイドなど 世界的チャリティ・プロジェクトの中心的メンバーや、 英国王室主催のプリンス・トラストの常連としても活躍。
ミックとは1984年のシングル [After A Fashion] やプリンス・トラストで共演。 二人の関係は良好なもので、 後にジャンセン、バルビエリとミックも参加したセッションも行われる。 ミックが病を公表した時も、いち早く全快を祈りエールを送った一人である。
静岡県出身。ミュージシャン、ギタリスト、プロデューサー。 元 一風堂のヴォーカル、ギター、リーダー。 ジャパンのラストツアーにはギタリストとして参加。 俳優として映画「沙耶のいる透視図」に主演している。
ミックとは、土屋昌己のソロ・アルバムの多くと、 JBKの [_ism]、The d.e.p、SUGIZO関連の企画盤などで共演。 他にもトリビュート盤やスーパー・グループなどミックとの共演は多い。
ブランキー・ジェット・シティ、小比類巻かほる、ザ・モッズなどのプロデューサーとしても活躍。 キム・ワイルドの作曲・プロデュース、アーケイディアのアルバム参加など海外でも活躍する。 国内では、りりぃ・バイバイ・セッションバンド、大橋純子&美乃屋セントラル・ステイション、 VITAMIN-Qなどにギタリストとして参加。
イギリス・ロンドン出身のシンガー・ソングライター、プロデューサー。 本名:Gary Anthony James Webb 。 シンセサウンドを商業的ポップに昇華し、ニューウェイブ、 エレポップを牽引してきた人物の一人として評価されている。
彼は、ミックの特異なベース・プレイに早くから着眼した。 ジャパン以外でミックがベースを弾く最初のアルバムが、 ニューマンが1981年にリリースする [Dance] 。
1978~79年には、チューブウェイ・アーミー(Tubeway Army)という名義で、 近未来SF的なキャラクターとしてのアルバムを発表し、注目される。 単独名義でのアルバムは1979年の[The Pleasure Principle]から。
イギリス・ロンドン出身のシンガー・ソングライター、プロデューサー。 本名リッキー・スミス(Ricky Stephen Reginald Smith)。
ミックの初シングル[Sensitive]の共同プロデューサー。 父はマーティー・ワイルド(Marty Wild)。姉はキム・ワイルド(Kim Wilde)。 自身も1972年、11歳の時に歌手デビュー。
1980年代には姉キム・ワイルドのプロデューサーとして 成功した。自身の歌手時代は"Ricky"、キムのプロデューサーとしては "Ricki"と名乗ることが多い。
イギリス・ロンドン出身のギタリスト。 1975年にデヴィッド・シルヴィアン、ミック・カーン、スティーヴ・ジャンセン、 リチャード・バルビエリのバンドに加わる形で、 ジャパン結成に参加。1981年のアルバム [Gentlemen Take Polaroids] を最後にジャパンから脱退。
ミックとはゲイリー・ニューマンのアルバム [Dance]と、 ジャンセン・バルビエリ・カーンのアルバム [Beginning To Melt] で共演。
1984年 イラストレイテッド・マン に参加 。 アルバム [Illustrated Man] をリリース。 ギタリストとして、シンニード・オコナー、ABC、 オーストラリアのスロー・クラブのアルバムなどに参加。 現在は、ミュージック・シーンを離れ、 コスタリカで野鳥クラブの会長職に就いている。
イギリス・ロンドン出身のシンガー・ソングライター。 本名:Catherine Bush 。 16歳の時にデイブ・ギルモアに見いだされ、 19歳の時、シングル [Wuthering Heights] 、アルバム [The Kick Inside] でデビュー。
ヴォーカルだけでなく自身でも作詞・作曲、やがてプロデュースもこなし、 丁寧に作り込んだアルバム制作をするために発表枚数は少ないが、 クオリティの高いアルバムをリリースする。 先鋭的かつポップな作家性を表して、”女ピーター・ガブリエル”と呼ばれたこともある。
ミックは、1982年のプリンス・トラストで ケイトの [The Wedding List] でミッジ・ユーロ、フィル・コリンズ、 ピート・タウンゼンドらとバックを務める。 また、1989年の アルバム[The Sensual World] の [Heads We're Dancing] に ベースで参加。
合衆国ニューヨーク州イサカ出身のミュージシャン。ギタリスト、シンガー・ソングライター。 ジャンセン・バルビエリ・カーンは、当初ギタリストでヴォーカリストのロビーと パーマネントな活動を計画していた。その時の録音がアルバム [Beginning To Melt] に収録されている [Human Age]。ミックとの共演は、他にステファノ・パヌンジの [Rose] 収録の [On Line, Now!] に ギタリストとして参加。
デヴィッド・シルヴィアンの1988年のツアーにギタリストとして参加。 他に、ステファノ・パヌンジ、アリーチェ、トムトム・クラブ など多くのセッションやステージに参加。近年、アコーディオンを担当することもある。
1996年リリースの初ソロ・アルバム [Code] はプロデュースがデヴィッド・トーン。 参加ミュージシャンは デヴィッド・トーン、屋敷豪太、スティーヴ・ジャンセン。自身はヴォーカル、ギターに加えて、ベース、ピアノとマルチプレーヤーぶりを発揮している。
イギリスのシンガー・ソングライター、ギタリスト。 本名:Joan Anita Barbara Armatrading。 出身は、カリブ諸島のセントクリストファー島バセテール。 3歳の時、家族と共にイギリス・バーミンガムに移住。 独学で作曲、ギター、ピアノを始め、 1973年 アルバム [Whatever's For Us] でデビュー。
2012年現在で、3回グラミー賞にノミネートされている。 ポップ、ロックの中にフォークやレゲエの要素も取り入れた彼女独特のスタイル。 そして、1980-90年代には、ゲストミュージシャンに ニューウェイブ、プログレッシブ・ロックなどの凄腕達が参加。 あくまで中心は彼女の声なので、このジャンル横断にも不自然さはない。
ミックはアルバム [Hearts And Flowers] と、[Square The Circle] に参加。
ベルギー・ブリュッセル生まれのシンガー・ソングライター。 アラビア音楽と西洋エレクトリック・ミュージックを融合し、 ドラムン・ベースやレゲエの要素も加えた独自のポップスを創作。 モロッコ人の父と、英国人の母を持ち、アラビア音楽をルーツに持ち、 西洋音楽にも触れて育った。
1993年ロンドンで、西洋音楽とエスニック音楽を融合させた、エスノ・テクノともいえるバンド Trans-Global Underground のリード・シンガー、ダンサーとしてデビュー。 1995年アルバム [Diaspora] でソロ・デビュー。 1999年シングル [Mon Amie La Rose] がベルギー、フランスでヒット。 2000年ジャン・ミッシェル・ジャールのシングル [C'est La Vie] に参加。
1995年 ミックの4枚目のソロ・アルバム [The Tooth Mother] にゲスト・ヴォーカリストとして 3曲に参加。ミックが得意とする中近東音階と独自のフレットレス・ベースに アラビア音楽をルーツに持ち、西洋音楽のマーケットで成功したアトラスとは、 共通項があり相性がいい。 エスニックなイメージを出すために濃いメイクをして派手ですが、 素顔になったら、かわいらしい顔立ちじゃないでしょうか?(^_^) 私の個人的な見解ですが。。。