東京都出身。作曲家、編曲家、キーボーディスト、プロデューサー。 俳優(「戦場のメリー・クリスマス」、「ラスト・エンペラー」)、著作活動。 愛称は”教授”。2023年3月28日永眠、享年71。
細野晴臣、高橋幸宏と共に、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成。 国内外に大きな影響を与えた希有なバンドである。 1983年には解散(散会)。
その後、ソロとしても映画音楽、インスタレーション、ロック、ポップス…幅広いジャンルで プレイヤー、コンポーザー、アレンジャー、プロデューサーとして世界的に活躍をしている。
90年代にYMOは単発的に再結成(再生)する。 近年はおおげさな再結成ではなく、ゆったりとした共演という形で、 再びYMOとしてステージに立つ事も増える。
デヴィッドとは、ジャパンの「孤独な影」に参加して以来の盟友であり、 コラボレーション作品も数多い。 デヴィッドと教授の共演は常に夢のように素晴らしい作品を作り出す!
英語表記は、標準的には Ryuichi だが、Riuichi(@ B-2 UNIT, Front Line, The Arrangement, ...), Lyuichi(@ KYLIN) という表記もある。もちろん同一人物である。 近年、YMOと初期~ミディ期のソロ作品のリマスター化やアナログ盤の再発売など名作の数々が 新しいアイテムとして再発売されている。
ドラマー、プロデューサー、エンジニア、プログラミング、写真家。 デヴィッド・シルヴィアンの実弟。ロンドン出身、本名:Stephen Batt。 ジャパン時代からデヴィッドの作品のドラムをプレイする。 レイン・トゥリー・クロウの分裂後は、他のメンバーと行動を共にし、 一時兄と距離を置いた時期もあるが、 現在は、同じサマディサウンドに所属し、 再びデヴィッドとはアルバム、ライブなど共演も多い。
正確なドラミングとタムの使い方が特徴的。 プレイヤーとしての実力を早くから注目され、数々のセッションやツアーに参加。 ジャパン解散後は、リチャード・バルビエリと一緒に作品を発表することが多かった。 近年は、ドラマーとしてだけでなく、サウンド・クリエイター、エンジニアとして 参加を要請されることも多い。
兄弟だけあって、声質はデヴィッドに似ているが、 本人はヴォーカルとして積極的には参加しない。 唯一、全面的にヴォーカルをとったアルバムとしては、 リチャードとのドルフィン・ブラザース名義でのアルバムがある。
プレイヤーとしての活躍、コラボレーションでのアルバム制作がメインとなり、 単独名義でのソロ・アルバムは、「スロープ」が初である。
2018年には新プロジェクト「Exit North」として、 アルバム「Book Of Romance And Dust」をリリース、メンバーは、 Thomas Feiner(vo,tp,pf,g), Steve Jansen(dr,key,per,b-vo), Ulf Jansson(p,key), Charles Storm(syn,g,b)。 プレイヤー、クリエイターとしての精力的な活動を続けているが、 ファンの多くは彼の色気ある歌声が再び聴けることを夢見ている。
イギリス、ロンドン出身。キーボーディスト。作曲家。バービエリとも表記される、 こちらの方が原音に近いと思われるが、日本においてバルビエリ表記が一般的。 後期ジャパンのプロフェット5の音色は、独特なリッチの感性が発揮されている。
ジャパン解散後は、スティーヴとのアルバム制作を中心に活動していたが、 1993年にはノーマンのメンバーでもあるスティーヴ・ウィルソン率いる ポーキュパイン・ツリーにキーボーディストとして加入。 日本盤は、2006年の「デッドウィング」が初リリースだが、 初期アルバムも今は、日本盤でもリリースされている。
スティーヴとのコラボ、スティーヴ、ミックとのJBK、 妻スザンヌとのインディゴ・フォールズなどの活動を経て、 2005年には初のソロ名義のアルバムを発表。 2012年からは、元マリリオンのスティーヴ・ホガースとのコラボで、 アルバム制作やライブツアーなどを行なう。
2017年から、新録音・ライブ音源・リワークなどを収録した ヴァリアンツ・シリーズを連続リリースし、ファンには嬉しいプレゼントとなった(*´ω`*)
アメリカ・メンフィス出身のトランぺット奏者。 「Brilliant Trees」のB面は、 デヴィッドとハッセルのコラボ作品とも言え、強い存在感を示す。 はじめて耳にしたこの電気トランペットの音色は、かなり衝撃的! 彼の参加作品を探してしまうほどクセになる(*´▽`*)
ドイツで現代音楽の作曲家である カールハインツ・シュトックハウゼンに師事。 その後、テリー・ライリー、ラモンテ・ヤングなど ミニマル・ミュージックの作品への参加後、 非西洋的な原始的音楽と、電気的未来的な音楽を融合した 「第四世界」という作品コンセプトを創造。
イーノ、トーキング・ヘッズなどロックの分野へ進出。 ティアーズ・フォー・フィアーズ、ピーター・ガブリエル、 スティーナ、KDラング、ライ・クーダーなど 幅広いセッションに参加し、独自のプレイを聴かせてくれる。
2020年には自身のレーベルNdeyaを創設。 ソロ名義としはデビュー作となる「Vernal Equinox」を再リリース。 久々の新作である「Listening To Pictures」は刺激的な傑作であり、 次作「Seeing Through Sound」も意欲的独創的な素晴らしい作品。
推薦盤はいくつもありますが、特におすすめしたいのは、 彼の、電気トランペットの音が堪能できるソロ・アルバム「パワー・スポット」!
2021年6月26日永眠。84歳。
Jon Died June 26, 2021 (aged 84)
Rest In Peace
ドイツのロック、アンビエント、ミュージシャン。元カンのベーシスト。 出身は現ポーランド・グダニスク・ダンツィヒ。本名:Holger Schuring。
デヴィッドの初期のソロと、コラボ作品2枚で共演。 即興演奏の素材から構築していく手法は、後のアルバムでも活かされており、 ホルガーとの共演は、今思えばターニングポイントになっている。
音楽教師の経験もありアカデミックなルーツを持つ。 ロック・バンド”カン”のベーシストとして活躍。 カンのヴォーカル・パートが他のパートを埋めるような 独自のアレンジ手法と英米とも異なるユーモア感がたまらない。
後に、短波ラジオを利用したサウンド・コラージュやプロデュースでも知られるようになり、 多くのセッション作品を残す。シューカイのプロデュースした、 PHEWのソロ・アルバムはメチャクチャカッコイイ!
日本では、ホルガー・チューカイとも表記される。
2017年9月5日永眠。享年79。
アメリカ、ニューヨーク出身のトランぺッター。映画音楽の作曲者としても活躍。 シルヴィアンの1988年のツアー・メンバーで、アイシャムの曲 [GRAND PARADE] も演奏された。
音楽一家に生まれ、幼少の頃はピアノ、ヴァイオリンを演奏していたが、 マイルス・デイヴィスに影響を受け、独学でトランペットをマスター! ジャズ、ロックの数々のセッションに参加。ウィンダム・ヒル・レコードに 参加していたこともある。
映画音楽では、「ヒッチャー」「モダーンズ」 「リバー・ランズ・スルー・イット」「ネル」 「ブレイド」「イン・ハー・シューズ」 「ブラック・ダリア」「ミスト」、 テレビドラマ「シカゴ・ホープ」の音楽など手掛ける。 公開から時間を置いた映画音楽は、高値がついているので購入には注意が必要。
テレビで放映される洋画のクレジットで、マーク・イシャムと表記されることもある。
カナダ・トロント出身のトランペット、フリューゲルホーン、コルネット奏者。作曲者。 本名 Kenny Vincent John Wheeler。2014年09月18日逝去、享年84。
主にイギリスのジャズ・シーンで活躍。 1975年キース・ジャレット、デイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネットと制作した 「ヌー・ハイ」はECMレコードを代表する名盤。 1976年には、ジョン・テイラー、ノーマ・ウィンストンとアジマスを結成。 (※「クロスオーバー・イレブン」のアジムスではない)
セッション参加は、ニュークリアス[SOLAR PLEXUS]、ブルーフォード[FEELS GOOD TO ME] など、ジャズロック、プログレ系への参加も多い。 デレク・ベイリー、エヴァン・パーカーらとの共演盤もシルヴィアン・ファンには興味深い。
イギリス・リヴァプール出身のベーシスト。 1968年リヴァプール・シーン(The Liverpool Scene)のベーシストとしてデビュー。 1976年フィル・コリンズも参加していた伝説のジャズロック・バンド、ブランドXに参加。 ロックファンにフレットレスベースの魅力を伝えた貢献者。独自の奏法を編みだす。
ブランドX、自身名義以外にも、1993年からリーダーバンド「タンネルズ」として活動。 セッションワークは、イーノ、スティーヴ・ハケット、 メロン、一風堂、スザンヌ・ヴェガ、リチャード・バルビエリなどのアルバムに参加。 2010年からは、スコット・マッギル、リッチー・デ・カルロとのトリオでの活動をはじめる。
静岡県出身。ギタリスト、作曲家、プロデューサー。 自身のソロ以外にも多くのプロデュース作品で活躍。
1978年から1984年まで一風堂のフロントマンで、ギター、ヴォーカル、キーボードを務める。 「すみれ September Love」は、日本でヒットする。 1982年ジャパンのラストツアーにギタリストとして参加。ジャパンのメンバーとの共演は多い。
りりぃのバイバイ・セッションバンド、大橋純子&美乃家セントラル・ステイションなどで ギタリスト、アレンジャーとして注目される。 小比券巻かほる、ブランキージェットシティなどのプロデューサーとしても成功。
海外アーティストでは、デュラン・デュランのサイモン、ニック、ロジャーのプロジェクト 「アーケイディア」で、クレジットはギタリストだけだが、実際にはサウンドプロデュースでの貢献も大きい。 キム・ワイルド[BITTER IS BETTER]をプロデュース。
サウンドそのものもカッコイイが、ステージ・パフォーマンスも派手で、 パントマイム風な独特な振り付けも見せる。 ジャパンのステージではミックとカニ歩き揃い踏みをする場面もwww
2000年代は、The d.e.p, VITAMIN-Q featuring ANZA という スーパー・バンドに参加する。2013年には15年振りのソロ・アルバム[Swan Dive]リリース。 同年[SWAN DIVE]に参加したミュージシャンを中心とした 新プロジェクト「KA.F.KA」を結成し、2015年ファースト・アルバム[FANTOME NOIR]リリース。
イギリス・ドーセット州ボーンマス出身。 プログレッシブ・ロックの雄、キング・クリムゾンのギタリストにして中心人物。 クリムゾンは、先進性とセールス、攻撃性と静寂、それらを両立する稀有なバンドである。 「クリムゾン・キングの宮殿」は、音楽雑誌のロックの名盤では必ず登場。 クリムゾンはメンバーもサウンドも変遷していくが、 常に新鮮さとインパクトを与えてくれる数少ないバンドとして存続し続ける。
デヴィッドは音楽的にも、人間的にも気が合うらしく、 共演した作品には傑作が多い。デヴィッドはフリップとのステージでライブの楽しさを再認識したと語る。
フリップの独自のチューニングと高度なテクニックから繰り出されるギター・サウンドは 一度聴くとヤミツキになってしまう。ギター以外にも、 2台のテープのループを利用したフリッパートロ二クスや サウンドスケイプなど独創的なシステムの音空間も魅力。
2011年 Jakszyk,Fripp and Collins としてアルバムをリリース。 この時のメンバーを中心にトリプル・ドラムスとして キング・クリムゾンは再始動。 2015年にはライブ・アルバム[Live at the Orpheum]が発表される。
フリップ主催のレーベルDGMでは、クリムゾン以外にもフリップのプロジェクトの発掘音源や 再発売が続き、シルヴィアン・フリップのアルバムも 再発売され入手しやすくなった。
イギリス・ウェイクフィールド出身。 同姓同名のアメリカ上院議員は別人(※検索するとヒットします)。 1974年、ビルを中心としたバンド、ビ・バップ・デラックスがデビュー。 1978年にはビル・ネルソンズ・レッドノイズとして活動。 翌年、自身のコクトー・レーベルから本格的にソロ活動を始める。
セッション活動は、YMO、高橋幸宏、ロジャー・イーノ、ハロルド・バッドなど。 ケイト・セント・ジョン、ロジャー・イーノ、ララージと Channel Light Vesselとしてもアルバムをリリースしている。
基本的にはギタリストだが、シンセ、ヴォーカル、ドラム、ベースなどマルチ・プレーヤーでもある。 作風は、ニューウェーヴ、エレポップ、アンビエント、ポストパンクなど多岐。 楽器もプレイスタイルも、作風もひとつにとらわれない多面的才能を持つ。
2000年代にCDメディアとしてのリリースも多作であるが、 さらに近年は、自宅でデジタル多重録音されたアルバムをダウンロード・リリースする形で、 数多くの作品が発表されている。
イギリス・サリー出身。王室属領マン島出身とする資料もある。サックス、フルート奏者。 本名 Melvyn Desmond Collins。 1970~72年キング・クリムゾン、その後スネイプ、ココモ、キャメルに参加。 2002年には、イアン・マクドナルド、ジャイルズ兄弟、ジャッコらと 初期クリムゾン・プロジェクト21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドを結成。
スキッツォイド・バンドは、マイケル・ジャイルズの脱退と後任のイアン・ウォーレスの死去の後、 自然消滅的に解散するが、ジャッコとコリンズはフリップと共にクリムゾン・プロジェクトとして アルバムを制作。その後メンバーを加え、新たなキング・クリムゾンとして再始動する。 一度はフリップと袂を分かつも、不思議な絆を感じる。
スタジオ・ミュージシャンとして数多くのセッションに参加。 ローリング・ストーンズ、ティナ・ターナー、ティアーズ・フォー・フィアーズ、ロジャー・ウォーターズ、 ブライアン・フェリー、ロバート・パーマー、ノーマン、中島みゆき(アルバム「夜を往け」)・・・など ジャンルも多岐にわたる。
アメリカ、ニューヨーク州アミティビル出身のギタリスト、作曲家。 俳優リップ・トーンはいとこにあたる。 本来は、ジャズ系のECM,CMPなどから作品を発表するジャズ畑のギタリストだが、 ロック系のファンやミュージシャンからの信頼が厚く、セッションも多い。
特に1990年代は、ジャパン人脈との交流が盛んで、 1988年のシルヴィアンのツアー"IN PRAISE OF SHAMANS"に参加。 ジャンセン、バルビエリ、カーンとは数多くのセッションをし、ゲスト参加の常連でもある。 引退を考えていたミック・カーンをミュージック・シーンに留まらせるなど、頼もしい一面がある。
実験的なプレイを求められることが多いが、ポップセンス、メロディセンスにも長け、 ソロアルバムはバラエティに富む内容となっている。映画音楽の作品も数多い。 セッション参加は、坂本龍一、ミック・カーン、デヴィッド・ボウィ、スティング、 ローリー・アンダーソン、ジェフ・ベック、トニー・レヴィン、ビル・ブラフォード…。
プログレッシヴ・ロックのアーティストとのセッションも多く、 2011年には、キング・クリムゾンのトニー・レヴィン、イエスのアラン・ホワイトと のトリオでアルバムをリリースする。
ドイツ、ドレスデン出身のドラマー。元々はフリージャズのドラマー。1968年イルミン・シュミット、ホルガー・シューカイ、 ミヒャエル・カローリらと結成したカンでの活躍が有名。
デヴィッドとはホルガーとの共演のアルバム2枚と、 バーント・フリードマンとヤキのコラボのヴォーカルにデヴィッドが参加したことがある。
カン解散後は、自身のファントム・バンド、バーント・フリードマンとの「シークレット・リズム」シリーズ、 ドラムス・オフ・カオスでの活動。 イーノ、ジャー・ウォブル、ビル・ラズウェル、パスカル・コムラード、デペッシュ・モードらのアルバムに参加。 日本ではジャキ・リーベツァイトと表記されることがある。 2017年1月22日永眠。享年78。
キプロス島ニコシア出身、元ジャパンのベーシスト。2011年01月04日永眠、享年52。 デヴィッドとは学生時代からの友人。一時デヴィッドとは不仲であったが、 シングル「ブイ」やレイン・トゥリー・クロウでの再会は素晴らしい作品を残す。
ただでさえ個性的なフレットレス・ベースをさらに個性的に演奏するミックのプレイは、 ミュージシャンたちからも高く評価され多くのセッションをこなす。 そのため、本人名義の作品だけでなく、コラボやセッションでの名演も多い。
末期ガンが発覚した際、ジャパン勢、ピーター・マーフィー、ミッジ・ユーロ、佐久間正英など 過去の共演者たちが、音楽作品や写真などミックの為の活動をし、人望の厚さを再認識。 遺作となったダリズ・カーの新音源が2012年04月04日にリリース。
ダリズ・カーは強烈な印象を残す傑作であったが、アルバム一枚で解散し、
ファンは再始動を望んでいたプロジェクトのひとつでもあった。
遺作となったセカンド・アルバムは、病床の中の制作で収録曲こそ少ないが、
ピーター・マーフィーの他、スティーヴ・ジャンセンやジャッコなど
ミックゆかりのミュージシャンも参加した豪華なものとなった。
[ MICK KARN : THE SOUND OF WAVES ]
アメリカ、ニューメキシコ州アルバカーキ出身の歌手、詩人。 本名 Ingrid Julia Chavez。 1992~2005年の間、デヴィッド・シルヴィアンの妻であった。 顔立ちもどこかシルヴィアンに似ている美形である。 現在も歌手としてアルバムをリリースしている。写真家としても活動。
彼女をプロとして最初に注目したのはプリンスであり、 1988年のアルバム[Lovesexy]や、 映画「グラフィティ・ブリッジ(Graffiti Bridge)」に参加。 1991年にアルバム「イングリッド・シャヴェイズ」でソロ・デビュー。 1992年には、坂本龍一、デヴィッドと共演(TAINAI KAIKI II, CLOUD #9)。 この共演をきっかけにデヴィッドと出会う。
1997年デモ・ヴァージョン盤[Little Girls With 99 Lives]に デヴィッド・シルヴィアンが全面参加している。本作から シルヴィアンのシングル[I Surrender]の2種類のシングル盤に、 合わせて4曲が完成ヴァージョンとしてカップリング収録されている (1999年03月15日発売)。 これら4曲はイングリッド名義で、 2010年に同タイトル[Little Girls With 99 Lives]で 1000枚の限定盤としてリリースされている。
アメリカ、テキサス出身のタッチ・ギター奏者。 ワシントン州シアトル在住。主に使用する楽器は、 ウォー・ギターやチャップマン・スティックと呼ばれる ギターとベースの両音域をタッピングで演奏する弦楽器。 ロバート・フリップのギターセミナーであるギター・クラフト出身。 1994年から2003年までは、キング・クリムゾンのメンバーとして活躍。 2007年には、エディ・ジョブソンのUKZに参加。自身のトレイ・ガン・バンドとしても活動。
スティック・プレイヤーとしては、同じくクリムゾンのトニー・レヴィンが有名だが、 レヴィンが低音弦主体なら、ガンはメロディ弦主体といったところか。
ギター・クラフト、キング・クリムゾン、トーヤ、シルヴィアン・フリップと この時期のフリップの右腕といってもいい活躍をしている。 シルヴィアン・フリップのアルバムにはプレイヤー、コンポーザーとして名を連ねている。
2016年には、シルヴィアン・アンド・フリップのレコーディングで顔を合わせた ジェリー・マロッタと共にセキュリティー・プロジェクトとしてツアーを行なう。 2017年には来日予定。このプロジェクトはピーター・ガブリエルの初期作品をライブで プレイするために結成された。(※ガブリエルは参加していない。)
イギリス、ロンドン出身のインド系イギリス人。音楽プロデューサー、タブラ奏者、DJ。
自身のルーツであるインド古典音楽を習得後、パンク、テクノの分野にも進出。 アジア系の民族楽器とドラムンベースを融合したアジアン・アンダーグラウンドといわれるジャンルの先駆けといわれる。 その代表的アルバムでもあるファースト・ソロ・アルバム「O.K.」には、ビル・ラズウェル、ネーネーズ、坂本龍一が参加。
ビョーク、マドンナ、坂本龍一、マッシブ・アタック、ガービッジらの作品に参加。 日本では、タルビン・シンと表記されることもある。
イギリス出身。フレットレスとフレッテッドを使い分けるマルチ・ベーシスト。 セッション・プレイヤーとして超多忙である。 1979~1980年ブランドXに参加。 1985~1991年シンプル・マインズに参加。
参加セッションは、ジョン・レノン、ケイト・ブッシュ、ピーター・ガブリエル、ジョン・アンダーソン、 フィル・コリンズ、キース・エマーソン、井上鑑、山木秀夫、土屋昌巳…。 1980年代ロックのフレットレス・ベーシストとして、パーシー・ジョーンズ、ミック・カーン、 ピノ・パラディーノ、そしてジョン・ギブリンの名前は憶えておきたい。
そのパーシー・ジョーンズとジョン・ギブリンはブランドXの内部の二つのプロジェクトで それぞれベーシストとしてプレイしているが、アルバム「プロダクト」の中の「ウォル・トゥ・ウォル」 では共演をしている。
2023年5月14日死去。享年71。
アメリカ・メリーランド州出身のジャズ・ギタリスト。 1983年アルバム「イン・ライン」でソロデビュー。以降ほぼ毎年のようにアルバムを発表し続けている。 セッションは、ジャズ・シーンに留まらず、カントリー、ポップス、ロックのアルバムにも参加。
エルビス・コステロとのコラボレーションでも知られる。 その多才さを「近づきやすくてアヴァンギャルド」と表現されたりもする。 セッションは、ジョン・ゾーン、ジンジャ・ベイカー、スザンヌ・ヴェガ、 デヴィッド・サンボーン、ヴァン・ダイク・パークス…すごいな。。。
日本では、ビル・フリーゼル、ビル・フリッセルと表記されることもある。
アメリカ・ニュージャージー州出身のジャズ・ギタリスト。 1984~1989年ラウンジ・リザーズに加入。後、ジャズ・パッセンジャーズ結成。 初のリーダーアルバムは1990年 [Rootless Cosmopolitans] 。
セッション参加は、トム・ウエイツ、ジョン・ゾーン、SION、エルヴィス・コステロ、 アリソン・クラウス、ロバート・プラント、フレッド・フリス、ビル・フリゼール、 矢野顕子、梅津和時、デイヴィッド・サンボーン…。 日本では、マーク・リーボウと表記されることもある。
イギリス出身のプロデューサー、レコード・エンジニア、 キーボード・プレイヤー、リミックス・エンジニア。 本名Stephen Jonathan Nye。
1971年エアー・スタジオのエンジニアとしてキャリアスタート。 ルパート・ハインとの出会いが大きな転機となる。 ブライアン・フェリーやXTC、ジャパンのエンジニア、 プロデューサーとして有名になる。
ジャパンの「錻力の太鼓」から、 初期デヴィッドのソロ・アルバムの共同プロデューサーとして信頼も厚い。 ジャパンのアリオラ時代のシングルを新たにリミックスしたヴァージョンなども手掛ける。 後期ジャパンからデヴィッド初期ソロにかけて、欠かせない重要人物。
キーボード、ピアノ・プレイヤーとして ペンギン・カフェ・オーケストラのメンバーとしても活躍。 デヴィッドのソロやルパート・ハインのアルバムに ピアノやキーボードをプレイし参加している。
イギリス・ロンドン出身のプロデューサー、レコード・エンジニア。 ブライアン・フェリーのアルバム[These Foolish Things] では、ドラマーとしても参加。 1967年デッカ・スタジオからキャリアをスタート。 エア・スタジオに移籍後、フリーランスのプロデューサーとして長年活躍。 カナダに移住後、1997年以降は音楽シーンを離れている。
ジャパンの転機となったアルバム「クワイエット・ライフ」をプロデュース。 「孤独な影」「オイル・オン・キャンバス」とジャパンとは長く縁深い関係にある。 ”ジャパンらしさ”を共に創造したプロデューサーといえる。
プロコル・ハルム、ロキシー・ミュージック、 ブライアン・フェリー、サッド・カフェ、ジョン・クーガー、 スレイドらのアルバムのエンジニアリング、プロデュースでも知られる。 ロキシーとは、 ジャパン同様に彼らの転換期ともいえる時期に 多くの作品でエンジニアを務め、[Country Life]では共同プロデューサーでもある。
イタリア・オルティゼーイ出身の音楽プロデューサー、シンセサイザー奏者、作曲者。 歌手としてデビューの後、モーグ・シンセサイザーでの作曲・演奏を始める。 ディスコ・サウンドにシンセを導入し、プロデューサーとして数多くのヒット曲を手掛ける。 80年代は映画音楽のサウンドトラックや主題歌のプロデュースにおいても有名。 サイレント映画「メトロポリス」にサウンドトラックを追加して公開し話題となる。
ジャパンのサウンドの転換期ともいえる時期にディスコサウンドを導入した 「ライフ・イン・トウキョウ」をデヴィッドと作曲しプロデュースした。 ジャパンとの共演はこの一曲だけだが、シンセを大きくフューチャーした本作は、 後のジャパンに大きな影響を残した。
映画音楽では、「アメリカン・ジゴロ」「スカーフェイス」「フラッシュダンス」 「ネバーエンディング・ストーリー」「トップガン」など多くのヒット作に貢献。 ドナ・サマー、デヴィッド・ボウィ、フレディ・マーキュリー、オリビア・ニュートン・ジョン、 チャカ・カーン、ボニー・タイラーなどの作曲・プロデュースなども手掛ける。 テクノ・ポップ、ディスコ・ミュージックにおいて 欠くことのできない重要人物。
イギリス・ケント州トンブリッジ出身のプロデューサー、 シンガーソングライター。 1964年、歌手としてデビュー。 1967年イギリスのサイケデリックバンド、 Nirvanaにギター、ボーカルとして加入。 (※カート・コバーンのそれとは別バンド。 日本では区別するため”ニルヴァーナ UK”と表記されることもある)
バンド脱退後、ピーター・サーステットをプロデュースし高い評価を得る。 フランス人歌手のソングライターとして フランソワーズ・アルディ やミシェル・ポルナレフの曲を共同作曲しヒット。 その後ロンドン、ニューヨークを中心にプロデューサーとして活躍。
1978年ジャパンのファースト、セカンド・アルバムをプロデュースし、 アリオラ時代のジャパンをサポート。 その後、CMや映画のサウンドトラックの制作でも活躍し、 自身のレーベルSinger Recordsを設立。