イギリス・シェフィールド出身のフリージャズ・ギタリスト。 1970年インプロ系アーティストの独立レーベルINCUS(インカス)を設立。
本人いわく「私はリズムに関心がない」という言葉通り、 即興演奏を探求しつづけたギタリスト。彼の著書[IMPROVISATION]も出版された。
70年代から10数枚のソロアルバムと、エヴァン・パーカーやスティーヴ・レイシーらとの コラボ・アルバムや、ミュージック・インプロヴィゼーション・カンパニー、カンパニー など数多くのプロジェクトにも参加する。 多くのアーティストからリスペクトされるフリー・インプロヴィゼーションの ビッグ・ネーム。2005年12月24日永眠。享年75歳。
2006年にリリースされた「トゥ・プレイ」は、 デヴィッドのアルバム「ブレミッシュ」レコーディング時のデレク・ベイリーのプレイを アウトテイクも含めアルバム化したもの。
オーストリア出身のギタリスト、ラップトップ・ミュージシャン。 1988年 MAISCHE というロックバンドでギター、ヴォーカル、サンプラーを担当。 解散後、フェネス名義でエレクトリック・ミュージックで活躍。
1997年、ピーター・レーバーグ、ジム・オルークとフェノバーグとしても活動。 個人名義では、デヴィッドや坂本龍一、キース・ロウ、大友良英、YMOらと共演。 デヴィッドや教授のレコーディングやステージにはかかせない存在となっている。
CAN'T COOL /
BURNT FRIEDMAN, NU DUB PLAYERS
SECRET RHYTHMS 2 /
BRUNT FRIEDMAN & JAKI LIEVEZEIT
ドイツ・バイエルン州コーブルク出身。エレクトロニカ、ダブのミュージシャン、プロデューサー。 レゲエやジャズを加工し、再構築した独自のサウンドを展開。 デジタルな作業から有機的な魅力を引き出す…その特徴的なエディットから ダブ職人と呼ばれる。
ソロ名義の活動以外にも、フランク・ヘルナンデスとのサム・モア・クライム(SMC)とドローム。 ノン・プレイス・アーバン・フィールド、 ヤキ・リーベツァイトとの「シークレット・リズム」シリーズ、 アトムハート(アトム)とのフランジャー、ニュー・ダブ・プレイヤーズ、ナイン・ホーセスなど いくつかのプロジェクト名義でも活躍。
ヤキとのコラボ「シークレット・リズム2」には、ナイン・ホーセスへのアイディアが 詰め込まれていて、ナイン・ホーセスが好きな人はぜひご一聴! 「シークレット・リズム」シリーズは2011年、第4弾が登場。
...AND POPPIES FROM KANDAHAR /
JAN BANG
LIVE REMIXES VOL.1 /
PUNKT featuring
SIDSEL ENDRESEN, JON HASSELL
ノルウェー南部の都市クリスティアンサン出身のDJ、プロデューサー。 1989年ファースト・アルバム[Frozen Feelings]リリース。エリック・オノレとともにノルウェーの フューチャー・ジャズ・シーンを代表するアーティスト、プロデューサーとして活躍。
2010年にはサマディサウンドからソロ[...AND POPPIES FROM KANDAHAR]をリリース。 エリック・オノレ、シッツェル・アンドレセン、ニルス・ペッター・モルヴェル、アルヴェ・ヘンリクセン、 ジョン・ハッセル参加。アート・ディレクションはデヴィッド・シルヴィアン。 そして、近年のサマディサウンドでのシルヴィアン作品にはかかすことのできないメンバーとなる。
2005年から、盟友エリック・オノレとともに音楽フェスティバル「プンクト」を開催。 デヴィッド・シルヴィアン、ジョン・ハッセル、J・ピーター・シュワルム、ブライアン・イーノ、 ビル・ブラフォード、フェネス、ヤキ・リーベツァイト、バーント・フリードマン、 アルヴェ・ヘンリクセン、…錚々たるメンバーが参加している。プンクト・セミナーには ジョン・ポール・ジョーンズ、エヴァン・パーカー、ジョン・ティルバリーが参加。
また、バングとオノレは、プンクト・フェスティバルの ショウケース的なアルバム [Crime Scenes]をリリース。 デヴィッド・シルヴィアンの参加が話題となった。
MEMORIES OF A COLOR /
STINA NORDENSTAM
AND SHE CLOSED HER EYES /
STINA NORDENSTAM
スウェーデン・ストックホルム出身の歌手。 1991年スウェーデンで、アルバム「メモリーズ・オブ・ア・カラー」でデビュー。 そのウィスパーボイスと、ポップさに憂いが同居するアルバムは評判を呼び、 翌年には各国でリリースされ、「スウェーデンのビョーク」と評される。
1994年セカンド「瞳の中で…」には、ジョン・ハッセルが参加。 後、ヴァンゲリスや、アントン・フィアー、スウェードのブレット・アンダーソン …彼女の音楽的な志向もあり、デビューから数年でこれほどのメンバーと共演。 デヴィッド・シルヴィアン、ジム・オルーク、トム・ヨークらも彼女の声に魅せられた。 アルバムごとに、スタジオやミュージシャンを変えることでも知られ、アルバムごとの カラーも同じではない。
日本盤も出てます。 しかもデビュー盤から。初期はアーティスト名がファースト・ネームのみの ”スティーナ”だけです。これ日本ではよくあることで、 アグネッタ(フォルツコグ)、エリサ(フィオリロ)…日本では、発音しにくいからかな?。
DOUBLE TALK /
THEO TRAVIS
NO ORDINARY MAN / CIPHER
イギリス・バーミンガム出身のサックス、フルート奏者。 スティーブン・ウィルソン人脈からスティーブ・ジャンセンと交流、 ナイン・ホーセスのアルバムに参加。
プログレ、カンタベリー系のアーティストからの信頼も厚い。 セッションは、ゴング、デイブ・シンクレア、ロバート・フリップ、ビル・ネルソン、 ポーキュパイン・ツリー、ノーマン、スティーブン・ウィルソン、ハロルド・バッド、 ジョン・フォックス、SUGIZO、JBK、土屋昌巳、高橋幸宏…。
1993年ファースト・ソロ[2AM]リリース。 1999年からアンビエント・ユニットのサイファに参加。 2006年、エルトン・ディーンの後任として、ソフト・マシーン・レガシィに参加。
ノルウェー・ストランダ出身のジャズ・トランぺッター。
尺八の吹き方を取り入れ、フルートのような独特のトランペット・プレイをする。 これ、初めて聴くとかなり衝撃的な音色とフレーズで病み付きになりそう。。。 ヴィブラート効かせたら…ホント尺八みたい。ハッセルの電気ペットの音色にも通じる。
1997年からエレクトリックな即興演奏を主としたスーパーサイレントとしても活動。 トランペットだけでなく、ドラム、エレクトロニクスもプレイする。
2001年ソロ・アルバム [Sakuteiki(作庭期)] をリリース。 2004年セカンド・ソロ [Chiaroscuro] は、ヤン・バングとエリック・オノレのプロデュース。 このアルバムを気に入ったデヴィッド・シルヴィアンはヘンリクセンを自身のプロジェクトへ参加させる。
2008年の [Cartography] では、バング、オノレ、シルヴィアンが参加している。 アルバム・タイトル、各曲名はデヴィッドが名付けた。このアルバムはイイ!オススメ。 …どこからリリースされたかって?…ふふふ。このコンテンツでおなじみのあそこ!名門ECMです!
話がそれますが、ヘンリクセンといえば、俳優ランス・ヘンリクセン。 出身はニューヨークなんですが、ノルウェー系アメリカ人だそうです。 やはりノルウェーの言葉なんですね~。
アメリカ・シアトル出身のベーシスト。
エレキ、アコースティック両方のベース・プレイでセッション・プレイヤーとして活躍。
2008年、オルタナ、ネオサイケのバンド、ブラッド [BRAD]にベーシストとして加入。 ナイン・ホーセスではダブル・ベースで渋い演奏を聴かせてくれているが、、 ブラッドでは、エレキ・ベースでバリバリのロックをプレイしている。
セッション参加は、スティーヴ・ジャンセン、ハロルド・バッド、フィオナ・アップル、 ウェイン・ホーヴィッツ、 ビル・フリゼール、スティーヴ・ドーソン、エミ・マイヤー…。
デヴィッドの2007年のコンサート・ツアー [The World is Everything] には、スティーヴ・ジャンセン、渡邊琢磨とともに参加。 イギリス出身のフリー系のギタリストに同名異人のキース・ロウがいる。 そして彼もまたデヴィッド・シルヴィアンと仕事をしているのだ。…混乱してはいけない。(※綴りは異なる)
イギリス・プリマス出身のフリー・インプロヴィゼイションのギタリスト。画家。 卓上に置いて演奏するテーブルトップ・ギターの発案者。
1960年代にジャズ・ギタリストとしてキャリアをスタート。 1965年には、伝説的な即興演奏アンサンブルAMMを設立する。 1980年頃にはAMMにジョン・ティルバリーが参加。 2004年には、エディ・プレヴォーとの確執でAMM脱退。
1997年、エレクトロニクス・フリー・インプロヴィゼーションのアンサンブル M.I.M.E.O(ミメオ)として作品発表。フェネスやレーバーグもメンバーである。 これをきっかけにフェネスとのデュオをリリース。
共演は、大友良英、Sachiko M、杉本拓、 中村としまる、ダドゥ・マルファッティ、 ジム・オルーク、灰野敬二、オーレン・アンバーチ、…。
イギリス出身のピアニスト。 現代音楽の演奏家として知られ、ジョン・ケージのレコーディングもしている。 モートン・フェルドマン作品では、最高の奏者の一人とされている。 日本ではジョン・ティルベリーとも表記される。
1965年コーネリアス・カーデューの作品の演奏でキース・ロウと出会う。 これをきっかけに、1980年頃にはAMMに参加。 以後キース・ロウとのコラボ作品をリリース。MIMEOの[THE HANDS OF CARAVAGGIO]にも参加。
イギリス・ブリストル出身のフリージャズ・サックス奏者。 サーキュラー・ブリージングという独自の奏法によるソプラノサックス・ソロで知られている。 日本ではエバン・パーカーとも表記される。
ジョン・スティーブンスと出会い、 彼が率いるスポンテニアス・ミュージック・アンサンブル(SME)のメンバーとなる。 SME初期の傑作[karyobin]は、スティーブンス、パーカー、ケニー・ホイーラー、 デレク・ベイリー、デイヴ・ホランドが参加。
1968年ミュージック・インプロヴィゼーション・カンパニーに参加。 1970年ベイリーらと独立レーベル「インカス」設立。カンパニーに参加。
その他のセッションでは、 マイケル・ナイマン、AMM、スティーヴ・レイシー、 スコット・ウォーカー、ジャー・ウォブル、ロバート・ワイアット、 チャーリー・ワッツ、…。
神奈川県出身のギタリスト、ターンテーブル奏者、作曲家。 フリージャズ、ノイズミュージック、映画音楽で活躍。
1990~1998年 GROUND ZERO。 1997年~Sachiko M とFilament を結成。 1999年「大友良英ニュー・ジャズ・クインテット」(ONJQ)結成。 2002年「大友良英ニュー・ジャズ・アンサンブル」と呼称。 2004年「大友良英ニュー・ジャズ・オーケストラ」(ONJO) 2010年「大友良英ニュー・ジャズ・トリオ」(ONJT)でのリリース。
個人名の英語表記は "Otomo Yoshihide" であり、日本語表記と同じくファミリーネームから記す。 共演者は、デレク・ベイリー、キース・ロウ、ギュンター・ミュラー、ビル・ラズウェル、フェネス、 坂本龍一、中村としまる、菊池成孔、竹村延和、山本精一、山塚アイ、一楽儀光、ホッピー神山、ヒカシュー、 巻上公一、戸川純、Phew、カヒミ・カリィ、勝井祐二、想い出波止場、 アルタード・ステーツ…書ききれません(*^_^*)。
2013年NHK連続テレビ小説「あまちゃん」では、テーマ曲を含む劇中音楽を担当。 朝にふさわしい軽快なテーマ曲は、ドラマそのものと共に人気を博すこととなる。
大阪府出身、ロンドン在住の現代音楽の作曲家。
15歳で単身渡英。ダリル・ランズウィックに師事。
後、エドウィン・ロックスバラ、ジョージ・ベンジャミンに師事。
ピエール・ブーレーズが作品を評価し、[Stream State]の世界初演を指揮。
作曲委託するオーケストラは、 フランス放送フィルハーモニー、ソフィア・フィルハーモニック、I.C.E.、 アンサンブル・モデルン、BBC交響楽団、東京フィルハーモニー管弦楽団…など。
デヴィッド・シルヴィアンの「マナフォン」の日本盤ボーナストラックには、 藤倉が手掛けた[Random Acts of Senseless Violence]のリミックスが収録。 また、コラボレーションを集めたアルバム「スリープウォーカーズ」 には、唯一新曲として藤倉大との「ファイブ・ラインズ」が収録される。
デヴィッドの「ダイド・イン・ザ・ウール」において、 アルバム「マナフォン」の再構築を依頼されたが、ただのヴァリエーションに留まらず、 新作もレコーディング。インスタレーション用の音源も併録され、2枚組として完成した。
ノルウェーのプンクト・フェスティバルや、坂本龍一と平野友康主催「KIZUNA WARLD」に作品提供。